マリオ・クオモ

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マリオ・クオモ
Mario Matthew Cuomo
Mario Cuomo speaking at a rally, June 20, 1991.JPEG
生年月日 1932年6月15日(81歳)
出生地 ニューヨーク市クイーンズ
出身校 セント・ジョーンズ大学
所属政党 民主党

任期 1983年1月1日 - 1994年12月31日

任期 1979年1月1日 - 1982年12月31日

任期 1975年1月1日 - 1978年12月31日
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マリオ・マシュー・クオモ(Mario Matthew Cuomo、1932年6月15日 - )は、アメリカ合衆国政治家弁護士。第52代ニューヨーク州知事1983年 - 1995年)。所属政党は民主党

来歴[編集]

ニューヨーククイーンズ区に生まれる。セント・ジョーンズ大学にて1953年に学士号、1956年に法学位を取得。その後、ピッツバーグ・パイレーツにスカウトされ、頭部へのデッドボールで負傷するまでマイナー・リーグでプレーした。

1970年代初頭、クイーンズ地区のフォレストヒルズ地区居住者の代表として同近隣地区への公営住宅開発反対運動に参加して名を馳せる。クイーンズ地区は居住者1人あたりの収入が高く、全米オープンテニストーナメントが開催されることで有名であった。

1974年に州副知事選に出馬するが落選するも、1975年ヒュー・ケアリー州知事によってニューヨーク州州務長官へ指名された。

1977年のニューヨーク市長選挙の民主党候補指名選挙ではエド・コッチに敗北したが、ニューヨーク州自由党(Liberal Party of New York)によって代表に指名される。しかし本選挙ではコッチに再び僅差で敗北する。

1978年にケアリーの伴走候補者として副知事に選出される。クオモは州知事選における1982年の民主党候補指名選挙でコッチを破り、本選では共和党候補ルイス・レーアマンを破って、1983年に知事に就任した。その後連続3期を務め、1995年までニューヨーク州知事であった。

1994年にクオモは4選を目指して知事選挙へ出馬したが、この選挙で共和党はアーサー・シャウクロス事件(1988年に仮釈放された後、複数の殺人を行い有罪となった。)を引き合いに出し、彼の死刑反対の姿勢を攻撃した。共和党はシャウクロスの一件を、6年前の大統領選挙におけるマイケル・デュカキスウィリー・ホートンのように、クオモに関連づけることに成功した。

このネガティブキャンペーンが功を奏してかクオモは知事選挙でジョージ・パタキに敗北することになる。1994年は共和党が地滑り的大勝利を収めた年でもあり、テキサス州知事アン・リチャーズが落選したり、上院および下院で共和党が多数を占めることとなった。

後にクオモとリチャーズはドリトス(ポテトチップスの商標)のテレビコマーシャルに出演した。CMではクオモとリチャーズが「全面的変更」について議論を行うが、その変更とはドリトスのパッケージについてである。

クオモの長男アンドリュー・クオモビル・クリントン大統領の下で1997年から2001年まで住宅都市開発長官を務めた。また、彼はロバート・F・ケネディの娘ケリー・ケネディと1990年に結婚したが、2003年に別居、その後離婚した。アンドリュー・クオモは2007年にニューヨーク州検事総長に就任。2010年の中間選挙で共和党のカール・パラディノ候補を破ってニューヨーク州知事に当選し、父子2代でのニューヨーク州知事となった。 下の息子クリス・クオモABCネットワーク・ニューズマガジン20/20のジャーナリストであり、ピープル誌の1997年の最もセクシーな人々50人に選出された。

著作[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
ジョン・ゲッツィ
ニューヨーク州州務長官
1975年 - 1978年
次代:
バジル・パターソン
先代:
メアリアン・クルップサク
ニューヨーク州副知事
1979年 - 1982年
次代:
アルフレッド・デルベロ
先代:
ヒュー・ケアリー
ニューヨーク州知事
1983年 - 1994年
次代:
ジョージ・パタキ