出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミラード・フィルモア(Millard Fillmore, 1800年1月7日 - 1874年3月8日)は、アメリカ合衆国の第12代副大統領および第13代大統領。大統領の死に際して副大統領から昇格した二人目の大統領。彼はザカリー・テイラーが消化不良で死去した後の大統領職を継いだ。
[編集] 略歴
フィルモアは、ナサニエル・フィルモアとフィービー・ミラード夫妻の息子として生まれた。彼の家庭は農家で極貧だった。貧しさゆえ、正規の教育を受けることが出来ず、青年期になるまでまともな読み書きが出来なかったと言われている。それを、のちに妻になる教師のアビゲイル・パワーズの尽力で克服。洋服屋でのアルバイトなどを経て独学で弁護士になった後、1829年にニューヨーク州議員、1833年には下院議員に当選。その後は紆余曲折があったものの彼はホイッグ党によってザカリー・テイラーの副大統領候補に選ばれた。テイラーの急死により大統領職を引き継いだ。
[編集] 大統領職
上品で、温厚な紳士然とした人柄であったが、二、三の例外を除けば顕著な功績はあげていない。というのも、当時のアメリカ議会は民主党の牙城であり、またフィルモアの属するホイッグ党も奴隷解放問題などでの分裂抗争が激しく、重要法案がほとんど成立しなかったためであった。フィルモアは、この頃から芽生えてきた南北分裂の動きを何とか食い止めようと、所謂「1850年の妥協」と称される当面の融和政策を実現したが、奴隷にあまりにも不利な法律(例えば、逮捕された奴隷を南部の所有主に返還すべしと定めた「逃亡奴隷取締法」)があったおかげで、ホイッグ党の勢力は完全に衰微した(従って、フィルモアがアメリカで現行の二大政党(民主党、共和党)以外の政党出身者で大統領になった、現時点では最後の人物となる)。フィルモアの重要な功績の一つはマシュー・ペリー提督を日本に派遣し、日本の開国と貿易を開始したことだった。また、フランスの干渉があったハワイ王国(当時イギリス保護領)を自国の影響下に置くことに成功した。
その他の功績としては、これは主に妻アビゲイルの功績になるがホワイトハウスに初めて図書室、水道、調理用ストーブを導入したことが挙げられる。
[編集] 内閣
[編集] 参考文献
- 宇佐美滋『アメリカ大統領を読む事典』講談社+α文庫、2000年
[編集] 外部リンク