ウェイン・ファリス
| ホンキー・トンク・マン | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ホンキー・トンク・マン ホンキー・トンク・ウェイン ウェイン・ファリス ダニー・コンドリー |
| 本名 | ロイ・ウェイン・ファリス |
| 身長 | 187cm |
| 体重 | 115kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1953年1月25日(60歳) |
| 出身地 | テネシー州メンフィス |
ウェイン・ファリス(Roy Wayne Farris、1953年1月25日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テネシー州メンフィス出身。ジャンプ・スーツにリーゼントという、後期エルヴィス・プレスリーのビジュアル・イメージを真似たショーマン派のヒール、ホンキー・トンク・マン(The Honky Tonk Man)としての活躍で知られる。
WWEのカラー・コメンテーターであるジェリー "ザ・キング" ローラーとは従兄弟の関係にある[1]。
目次 |
来歴 [編集]
ウェイン・ファリス [編集]
1970年代後半、地元テネシー州メンフィスにて本名のウェイン・ファリス名義でデビュー。当時は長髪のブロンド・ヘアーで、往年の名タッグチームであるリップ・ホーク&スウェード・ハンセンやレイ・スティーブンス&パット・パターソンにあやかり、ラリー・レイザム(後のムーンドッグ・スポット)とブロンド・ボンバーズ(The Blond Bombers)を結成。1979年6月15日、ジェリー・ローラーとビル・ダンディーの人気チームを破り、AWA南部タッグ王座を獲得した[2]。
1980年にレイザムとのコンビで国際プロレスへの来日が発表されるが実現せず、チームを解散して単身でプエルトリコのWWCに転戦。翌1981年3月、WWCとの提携ルートで全日本プロレスの第9回チャンピオン・カーニバルに初来日を果たす。アブドーラ・ザ・ブッチャーやブルーザー・ブロディが参加したリーグ戦においてはキャリア不足もあって最下位の白星配給係に甘んじ、ブロディに秒殺された試合は語り草ともなったが、元NWA世界王者ジャック・ブリスコを相手に30分戦い抜き、時間切れ引き分けに持ち込むなど健闘もしている。ブリスコはこの試合の失点が響き、決勝進出を果たせなかった。
その後、テネシー地区と提携していたカナダのカルガリーに転戦。デビッド・シュルツとのメンフィス・マフィア(Memphis Mafia)などで悪名を売った後、1985年に地元メンフィスの英雄エルヴィス・プレスリーの偽物、ホンキー・トンク・ウェイン(Honky Tonk Wayne)に変身。1986年6月20日にはバッドニュース・アレンから北米ヘビー級王座を奪取している[3]。
ホンキー・トンク・マン [編集]
そのユニークなキャラクターとマイクパフォーマンスの上手さをビンス・マクマホンに買われ、1986年の下期にWWFと契約。リングネームをホンキー・トンク・マンに改め、テネシー時代の盟友であるジミー・ハートをマネージャーにヒール人気を高める。1987年6月2日、リッキー・スティムボートを破りWWFインターコンチネンタル王座を獲得[4]。以降、翌1988年8月29日のサマースラムでアルティメット・ウォリアーに秒殺されてタイトルを失うまで、64週間に渡って同王座を保持し続けた[5]。この在位記録は、未だに破られていない[6]。王者時代はジェイク・ロバーツ、ランディ・サベージ、ブルータス・ビーフケーキ、ジム・ドゥガンらをチャレンジャーに迎え、ハルク・ホーガンやブルーノ・サンマルチノを相手に防衛戦を行ったこともある。
王座陥落後はダスティ・ローデスとの抗争を経て、グレッグ・バレンタインとリズム&ブルース(Rhythm & Blues)なるタッグチームを結成。ハート・ファウンデーションやブッシュワッカーズとの対立アングルが組まれるが徐々に番付が下がるようになり、1991年初頭にWWFを離脱する。インディー団体を転戦後、1994年よりWCWに移籍。同じく1950年代を代表するロックンローラーのリトル・リチャードを真似たジョニー・B・バッドと抗争を展開した。
その後、1997年にビリー・ガンのマネージャーとしてWWFに復帰。自身のギミックに合わせビリー・ガンをロッカビリー(Rockabilly)と改名させ、当時カントリー・シンガーのギミックを用いていたジェシー・ジェームズとの抗争を指揮する。翌1998年には選手としてロイヤルランブルに参加した。以降もセミリタイア状態ながらインディー団体に単発参戦し、WWFには2001年のロイヤルランブルにもサプライズ・ゲストとして出場。リング上で自身のテーマ・ミュージック "Cool, Cocky, Bad" を歌唱するが、ケインにギターを奪われ殴打された挙句にダメ出しを食らい、早々と失格になった。
一時は自身のホームページ上において、契約不履行問題で従兄弟のジェリー・ローラーをバッシングしていたこともあったが、近年もWWEの興行や番組に時折登場。2008年10月26日のサイバー・サンデーではファン投票により、彼の王座在位記録を塗り替えると豪語していたサンティーノ・マレラのインターコンチネンタル王座に挑戦した。2009年4月4日のWWE Hall of Fameの式典では、テネシー時代からWWFを通しての宿敵でもあったココ・B・ウェアの殿堂入りのインダクター(プレゼンター)を務めている。
得意技 [編集]
- シェイク・ラトル&ロール(スイング式ネックブリーカー。ネーミングはエルヴィス・プレスリーの曲名より)
- ギター・ショット(ギターによる殴打。後にジェフ・ジャレットに受け継がれた)
獲得タイトル [編集]
- WWCカリビアン・ヘビー級王座(1980年、チーフ・ジェイ・ストロンボーから奪取)[7] ※ダニー・コンドリー名義
- NWAアラバマ・ヘビー級王座(1982年、オースチン・アイドルから奪取)[8] ※ウェイン・ファリス名義
- スタンピード北米ヘビー級王座(1986年、バッドニュース・アレンから奪取)[3] ※ホンキー・トンク・ウェイン名義
- WWFインターコンチネンタル王座(1987年、リッキー・スティムボートから奪取)[4] ※ホンキー・トンク・マン名義
etc.
脚注 [編集]
- ^ “Biography”. The Official Site of WWE Legend The Honky Tonk Man. 2009年5月16日閲覧。
- ^ “AWA Southern Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
- ^ a b “North American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
- ^ a b “History of the WWE Intercontinental Championship”. WWE.com. 2010年4月7日閲覧。
- ^ “Honky Tonk Man not so cocky, bad”. SLAM! Wrestling: February 21, 2009. 2009年5月16日閲覧。
- ^ “Catching up with the Honky Tonk Man”. WWE.com: February 7, 2007. 2009年5月16日閲覧。
- ^ “WWC Caribbean Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
- ^ “NWA Alabama Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。