ジム・ナイドハート
| ジム・ナイドハート | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ジム "ジ・アンヴィル" ナイドハート フー(Who) |
| 本名 | ジェイムズ・ヘンリー・ナイドハート |
| 身長 | 183cm |
| 体重 | 127kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1956年8月2日(56歳) |
| 出身地 | フロリダ州タンパ |
| スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
| トレーナー | スチュ・ハート |
| デビュー | 1979年 |
ジム "ジ・アンヴィル" ナイドハート(Jim "The Anvil" Neidhart、1956年8月2日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。フロリダ州タンパ出身。本名はジェイムズ・ヘンリー・ナイドハート(James Henry Neidhart)。
1980年代半ばから1990年代にかけて、WWF(現・WWE)を主戦場に、ブレット・ハートとのタッグチーム "ハート・ファウンデーション" などで活躍した。妻はスチュ・ハートの長女エリー・ハート。WWE所属のナタリアことナッティ・ナイドハートは彼の娘である。
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来歴 [編集]
NFLのオークランド・レイダーズやダラス・カウボーイズに在籍した後、ハート・ファミリーの総帥スチュ・ハートのトレーニングを受け、1979年にカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングでデビュー。1982年4月には同地区との提携ルートで新日本プロレスに初来日しているが、当時は無名の存在だったため、ほとんど注目されることはなかった[1]。
1983年からはアメリカ南部にも進出。ルイジアナのMSWAでジム・ドゥガンやテッド・デビアス、テネシーのCWAでジェリー・ローラーやオースチン・アイドルらと対戦してネームバリューを高める。NWA圏のフロリダでは1984年8月にアンジェロ・モスカから南部ヘビー級王座を奪取し[2]、10月にはクラッシャー・クルスチェフとのコンビでUSタッグ王座を獲得した[3]。
1985年、スタンピード・レスリングがビンス・マクマホンに買収されたことに伴いWWFと契約。テネシーCWA時代の盟友ジミー・ハートをマネージャーに、同時期にWWF入りした義弟のブレット・ハートとのヒール・ユニット "ハート・ファウンデーション" を結成。豪力派の強面ナイドハートと技巧派の二枚目ブレットという、パートナー同士が互いの個性を追求した新しいタイプのタッグチームとして頭角を現す(ナイドハートは自分達のことを「ブレットはポルシェ、俺はタンク」と表現していた)。1987年1月26日にはブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)からWWF世界タッグ王座を奪取[4]。同年10月27日にストライク・フォース(ティト・サンタナ&リック・マーテル)に敗れるまで、9か月間に渡り同王座を保持した。
1988年4月、ヒールのバッドニュース・ブラウンとブレットの対立アングルが組まれたことを機に、揃ってベビーフェイスに転向。デモリッション(アックス&スマッシュ)、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)、リズム&ブルース(ホンキー・トンク・マン&グレッグ・バレンタイン)、パワー&グローリー(ハーキュリーズ&ポール・ローマ)らと抗争を展開する。1990年8月27日のサマースラム1990では、リージョン・オブ・ドゥームのフォローでデモリッションに勝利、WWFタッグ王者チームに返り咲いた[4]。
しかし、翌1991年3月24日のレッスルマニアVIIでナスティ・ボーイズ(ジェリー・サッグス&ブライアン・ノッブス)に敗れ王座から陥落。その後チームを解散し、ブレットはシングルプレイヤーに転向。ナイドハートはブレットの実弟オーエン・ハートと新チーム "ニュー・ファウンデーション" を結成するがブレイクには至らず、1992年にWCWへ転出する。WCW在籍中の1992年8月には新日本プロレスに久々に来日し、G1クライマックスのNWA世界ヘビー級王座決定トーナメントに出場した(1回戦で佐々木健介に敗退)。同年10月のSGタッグ・リーグ戦にもトム・ジンクとのコンビで参加している。
1994年6月19日、キング・オブ・ザ・リング1994で行われたブレット・ハート対ディーゼルのWWF王座戦において、王者ブレットのセコンドとして突如WWFに復帰するが、試合に介入してヒールに転向。同年にヒールターンしていたオーエンと結託し、ブレットとの骨肉の争いを開始した。1996年にはフー(Who)なる覆面レスラーに変身したが、一時WWFを離脱してインディー団体を転戦。その後1997年、ブレットのヒール転向により再編されたハート・ファウンデーションのメンバーとして復帰する。しかし、同年11月9日のモントリオール事件を最後に、ブレットやデイビーボーイ・スミスと共にWCWへ移籍することになった。
WCWではほとんど試合に出場することなく解雇され、その後はインディー団体に参戦。2000年代に入り、WWEの下部団体OVWで若手選手のコーチを務めていたこともあった。2007年12月10日には『RAW』15周年記念大会のオールドタイマーによるバトルロイヤルに出場している。
2009年11月12日、TNAの『iMPACT!』に登場、ジェイ・リーサルから勝利を収めた[5]。
得意技 [編集]
- ハート・アタック(ハート・ファウンデーション時代の合体技。ナイドハートがベアハッグで捕えた相手に、ブレット・ハートがエプロンサイドからトップロープ越しにダイビング・ラリアットを放つ)
- アンヴィル・フラットナー(パワースラム)
- アンヴィライザー(スイング式コブラ・クラッチ)
- アバランシュ・ホールド
- ショルダー・ブロック
- ドロップキック
獲得タイトル [編集]
- NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回 [2]
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / クラッシャー・クルスチェフ) [3]
- WWF世界タッグ王座:2回(w / ブレット・ハート) [4]
- インディー
- MEWFヘビー級王座:1回
- PWFヘビー級王座:1回
- PWOタッグ王座:1回(w / グレッグ・バレンタイン)
- MCW南部タッグ王座:1回(w / ブルー・ミーニー)
逸話 [編集]
- 娘のナタリアによると、ナタリアの高校時代は下校時間になるとオートバイで迎えに来るほどの親バカであった(叔父のブレットも過保護でやさしかったという)。また、当初はレスラーになることは反対だったとのこと。
脚注 [編集]
- ^ 『ザ・レスラー '83新春黄金シリーズ号』P13(1983年、新日本プロレス オフィシャル・マガジン)
- ^ a b “NWA Southern Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
- ^ a b c “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月16日閲覧。
- ^ “Wilkenfeld's TNA iMPACT! Report 11/12”. PW Torch. 2009年11月12日閲覧。
- ^ “Stampede Wrestling International Tag Team TitleHistory”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
- ^ “Mid-South Tag Team Title TitleHistory”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。