カルロス・コロン
| カルロス・コロン | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | カルロス・コロン カルロス・ベラフォンテ カーリトス・コロン チーフ・ブラック・イーグル |
| 本名 | カルロス・エドウィン・コロン・ゴンザレス |
| ニックネーム | プエルトリコの帝王 |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 105kg - 112kg |
| 誕生日 | 1948年7月18日(64歳) |
| 出身地 | サンタ・イザベル |
| トレーナー | アントニオ・ロッカ ミゲル・ペレス |
| デビュー | 1966年 |
| 引退 | 2008年 |
カルロス・コロン(Carlos Edwin Colón Gonzalez、1948年7月18日 - )は、プエルトリコ出身の元プロレスラー、現プロモーター。プエルトリコのプロレス団体WWCの主宰者として知られる。
元WWEスーパースターのカリートとプリモは彼の息子であり、FCW所属のエピコは甥である。日本では「カーロス・コロン」とも表記された。
目次 |
来歴 [編集]
少年時代の1961年に一家でニューヨークのブルックリンに移住後、アントニオ・ロッカとミゲル・ペレスのコーチを受け、1966年2月16日にWWWF圏のマサチューセッツ州ボストンにてデビュー[1]。アフリカ系ラテンアメリカ人のベビーフェイスとして活動し、アメリカ東部をはじめカナダのモントリオールにも遠征、1969年にはジャック・ルージョー(シニア)とのコンビで活躍した[1]。
チーフ・ブラック・イーグル(Chief Black Eagle)を名乗りブラック・インディアンのギミックでも活動しており、1971年7月には、このリングネームで国際プロレスに初来日している。1970年代前半はカルロス・ベラフォンテ(Carlos Belafonte)の名前でカルガリーのスタンピード・レスリングにも参戦した[2]。
1973年9月、ビクター・ジョビカやゴリラ・モンスーンと共に、故郷のプエルトリコにてWWCの母体であるキャピタル・スポーツ・プロモーションズ(Capitol Sports Promotions)を設立。以降、本名のカルロス・コロン(Carlos Colón)をリングネームに同団体のプロモーター兼エースとなり、アーニー・ラッド、ザ・スポイラー、オックス・ベーカー、アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・カール・クラップ、モンゴリアン・ストンパーらを相手に、1980年代初頭にかけて北米ヘビー級王座やプエルトリコ・ヘビー級王座を争った[3][4]。
この間、日本には1976年2月にカルロス・コロンとして国際プロレスに再来日(表記は「カルロス・コーラン」)。キラー・トーア・カマタのパートナーとなってヒールを演じ、グレート草津&マイティ井上のIWA世界タッグ王座にも挑戦した。1979年8月には、アブドーラ・ザ・ブッチャーやボボ・ブラジルとのブラック・パワー軍団の一員として全日本プロレスに初参戦。ブラジルと組んでグレート小鹿&大熊元司のアジアタッグ王座に挑戦し、ミル・マスカラスともシングルマッチで対戦している。
1980年代もプエルトリコの帝王として活躍し、1982年7月には新設されたWWC世界ヘビー級王座をブッチャーから奪取して第2代王者となった。当時のNWA世界ヘビー級王者もプエルトリコに招聘し、1983年9月17日にはハーリー・レイス、同年12月18日にはリック・フレアーとダブル・タイトルマッチを行っている[2]。フレアー戦の後、同王座は「WWCユニバーサル・ヘビー級王座」と改称され[5]、以降WWCの看板タイトルとしてブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン、タリー・ブランチャードらをチャレンジャーに防衛を重ねた。1985年2月にドリー・ファンク・ジュニアに奪われるが同年6月に奪還。翌1986年4月に負傷のためタイトルを返上するも、9月21日のトーナメント決勝でテリー・ファンクを破り、王座に返り咲いた[5]。
1990年代より旧友ゴリラ・モンスーンの仲介で古巣のWWFと提携し、1993年1月24日のロイヤルランブルにも出場。以降もサビオ・ベガやミゲル・ペレス・ジュニアをWWFにブッキングした。本拠地WWCではディック・マードック、グレッグ・バレンタイン、メイブルらとユニバーサル王座を巡り激闘を展開、1999年末まで(前身タイトルのWWC世界ヘビー級王座も含め)通算26回に渡って同王座に戴冠した[5]。
2000年代に入ると息子のカーリー・コロン(カリート)にWWCエースの座を譲り、自身はプロモート業に注力する一方、ハードコア戦線にも進出。2001年1月6日、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ワンマン・ギャングとのトリプルスレットマッチを制し、WWCハードコア王座の初代チャンピオンとなった[6]。
息子たちがWWEで活躍していた近年は、自身もWWEの番組や興行に時折登場し、2005年8月26日にはプエルトリコで開催されたRAWにてカリートがホストを務める『カリートズ・カバナ』にゲスト出演。2006年9月11日のマディソン・スクエア・ガーデンにおけるRAWにも登場した。2008年7月19日に現役引退を公式に表明し、現在はWWCの運営に専念している。
得意技 [編集]
獲得タイトル [編集]
- スタンピード・レスリング
- NWAインターナショナル・タッグ王座(カルガリー版):1回(w / ジノ・カルーソ)
- WWC
- WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:9回
- WWC北米ヘビー級王座:8回
- WWC北米タッグ王座:11回(w / ミゲル・ペレス×2、ホセ・リベラ×2、ジノ・カルーソ、ボブ・エリス、ビクター・ジョビカ、チーフ・サンダー・クラウド、ウラカン・カスティーヨ、エリック・フローリッチ、インベーダー1号)
- WWC世界ヘビー級王座 / WWCユニバーサル・ヘビー級王座:26回
- WWC世界タッグ王座:3回(w / ホセ・リベラ、ペドロ・モラレス、インベーダー1号)
- WWC世界TV王座:4回
- WWC世界ジュニアヘビー級王座:1回
- WWCハードコア王座:2回
脚注 [編集]
- ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P235(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b “Wrestler Profiles: Carlos Colon”. Online World of Wrestling. 2010年1月28日閲覧。
- ^ “WWC North American Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
- ^ “WWC Puerto Rico Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
- ^ a b c “WWC Universal Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年1月28日閲覧。
- ^ “WWC Hardcore Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。