トニー・アトラス
| トニー・アトラス | |
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マーク・ヘンリー(左)&トニー・アトラス
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| プロフィール | |
| リングネーム | トニー・アトラス ブラック・アトラス サバ・シンバ |
| 本名 | アンソニー・ホワイト |
| ニックネーム | ミスター・USA ブラック・スーパーマン 黒い戦士 |
| 身長 | 188cm |
| 体重 | 116kg(全盛時) |
| 誕生日 | 1954年4月23日(59歳) |
| 出身地 | |
| スポーツ歴 | パワーリフティング ボディビルディング |
| デビュー | 1974年 |
トニー・アトラス(Tony "Mr. USA" Atlas、1954年4月23日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。バージニア州ロアノーク出身のアフリカ系アメリカ人。本名はアンソニー・ホワイト(Anthony White)。
ボディビルのコンテストで3回に渡ってミスター・USAに輝き、レスラー時代はその驚異的なパワーとバネを活かした空中殺法でベビーフェイス人気を獲得。一時は黒人初のNWA世界王者の呼び声も高かった。
引退後の2008年7月から2010年4月にかけては、全盛期の1980年代における主戦場でもあったWWEにてマーク・ヘンリーのマネージャーなどを務めた。
目次 |
来歴[編集]
1974年、ジム・クロケット・ジュニアの運営するNWAミッドアトランティック地区でデビュー。1978年にケン・パテラからミッドアトランティック・ヘビー級王座を奪取して頭角を表す[1]。その後はジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにて、アブドーラ・ザ・ブッチャーとの抗争やトミー・リッチとのタッグで活躍。ハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦するなど、黒人レスラーのホープとして期待を寄せられた。
並行してニューヨークのWWF(現・WWE)にも進出、1980年には若手ヒール時代のハルク・ホーガンとも抗争を繰り広げている。1982年3月、WWFとの提携ルートで新日本プロレス「MSGシリーズ」の第5回大会に初来日。前年の第4回大会にも参加が決定していながら直前に中止になった経緯があり、待望の来日としてファンや関係者の注目を集めた。リーグ戦の戦績は振るわなかったものの、賞金1000ドルを賭けたベンチプレス・コンテスト(アトラス、マスクド・スーパースター、ドン・ムラコ、荒川真、ミスター高橋が参加)で優勝するなど数々の話題を残す。また、プロレス雑誌においてミミ萩原との対談などの企画も行われた[2]。
1983年にはWWFでロッキー・ジョンソンと黒人タッグチーム「ソウル・パトロール(The Soul Patrol)」を結成、同年11月15日にワイルド・サモアンズからWWFタッグ王座を奪取した[3]。翌1984年、WWFがビンス・マクマホン(ジュニア)の新体制下で全米侵攻を開始すると、同王座を巡りディック・マードック&アドリアン・アドニスのノース・サウス・コネクションと各地で対戦。シングルでは、同じマッチョマン系のポール・オーンドーフと抗争を展開した。
一時AWAにも転出したが、WWFには1986年秋まで在籍。離脱後はテキサス州ダラスのWCCW(WCWA)にスーパーマンをイメージしたキャラクターで登場。1986年12月1日にはクラッシャー・ユーコフ(後のバンバン・ビガロ)を破りTV王座を獲得している[4]。1987年からはプエルトリコのWWCにも参戦(1988年7月17日のブルーザー・ブロディ刺殺事件の際は、同じ控え室に居合わせた[5][6])。
その後はドラッグ問題などで一時はホームレス状態に陥っていたが、現在の妻でもあるモニカ・ホワイトの献身もあって社会復帰を果たし[7]、1990年の末にWWFと再契約。アフリカの部族ギミックのサバ・シンバ(Saba Simba)に変身し、1991年のロイヤルランブルにも出場した。以降、1990年代はニューイングランドのCWAやEWAなど東部のインディー団体を転戦し、2000年代初頭にセミリタイアした。
2006年にWWE Hall of Fameを受賞。2008年7月8日、WWE・ECWのマーク・ヘンリー対トミー・ドリーマー戦にスペシャルゲスト・リングアナウンサーとして登場。当初はレスラー時代と同じくベビーフェイスの立場でドリーマーとも友好ムードだったが、試合後にヒールターンしてヘンリーと結託。以降、2009年6月にヘンリーがRAWに移籍するまで、彼のマネージャーを務めた。トナカイの鼻を付けるなどコミカルな一面も見せ、時折、試合に出場することもあった。ヘンリーとのコンビ解消後は、エイブラハム・ワシントンが行なうトークショー(エイブラハム・ワシントン・ショー)の補佐を担当。ECWの番組終了後はスマックダウンに所属したが、2010年4月30日、WWEを解雇された[8]。近年もトレーニングを続け、その腕っ節は年齢を重ねても健在だった(フナキは「本当に元気な人だ」と語っていた)。
得意技[編集]
獲得タイトル[編集]
- NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:1回
- NWAジョージア・ヘビー級王座:1回
- NWAジョージア・タッグ王座:4回(w / トミー・リッチ、ミスター・レスリング2号、サンダーボルト・パターソン、ケビン・サリバン)
- WWFタッグ王座:1回(w / ロッキー・ジョンソン)
- WWE Hall of Fame:2006年度(プレゼンターはS・D・ジョーンズ)
- WCCW TV王座:1回
- WCWAテキサス・タッグ王座:1回(w / スキップ・ヤング)
- WWC北米タッグ王座:1回(w / ミゲル・ペレス・ジュニア)
- インディー
- AWF北米ヘビー級王座:1回
- CWAヘビー級王座:1回
- EWAヘビー級王座:1回
脚注[編集]
- ^ “NWA Mid-Atlantic Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月12日閲覧。
- ^ 『デラックス・プロレス』昭和57年5月号P32-33(1982年、ベースボール・マガジン社)
- ^ “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月7日閲覧。
- ^ “World Class Television Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
- ^ “Tony Atlas Speaks of Bruiser Brody's Death”. 2009年11月20日閲覧。
- ^ “The Death of Bruiser Brody”. Tapout Promotions. 2010年8月23日閲覧。
- ^ DVD『WWE レッスルマニア22』DISC-3(2006年、ジェネオン・エンタテインメント)
- ^ “Tony Atlas released”. WWE.com. 2010年4月30日閲覧。
外部リンク[編集]
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