ハリー藤原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ミスター・フジ
ミスター・フジの画像
プロフィール
リングネーム ミスター・フジ
マスター・フジ
ミスター・フジワラ
シンタロー・フジ
本名 ハリー・フジワラ
(ハリー藤原)
ニックネーム 神風参謀
The Devious One
身長 178cm
体重 107kg(全盛時)
誕生日 1935年5月4日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ハワイ州ホノルル
デビュー 1962年[1]
引退 1996年(現役引退は1985年
テンプレートを表示

ミスター・フジMr. Fuji)のリングネームで知られるハリー藤原Harry Fujiwara1935年5月4日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラープロレスマネージャーハワイ州ホノルル出身の日系アメリカ人。生年は1934年1937年など諸説ある。

現役選手時代は狡猾な日系ヒールとして鳴らし、プロフェッサー・タナカマサ斎藤をパートナーにWWWF / WWFタッグ王座を通算5回獲得[2]。引退後はWWF(現・WWE)でマネージャーに転身して活躍した。ギミックではなく純粋な日系人だが、日本語はほとんど話せない[3]。アメリカでは大阪府出身という設定だった。

来歴[編集]

少年時代は地元ハワイでハワイ相撲に熱中、のちにYMCAのジムで同じ日系レスラーのラバーメン樋上にレスリングを学び[4]1962年にデビュー[1]。当初はミスター・フジワラの名前でハワイを中心に活動、1965年1月にカーティス・イヤウケアと組んでNWAハワイ・タッグ王座を奪取している[5]1966年よりアメリカ本土太平洋岸北西部に進出し、オレゴンワシントン一帯をサーキットエリアとするパシフィック・ノースウエスト・レスリング(ドン・オーエン主宰)に定着。ムーンドッグ・ロニー・メインらとNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を争う。1971年にはシンタロー・フジのリングネームでオーストラリアに遠征、5月にタイガー・ジェット・シンとのコンビでカーティス・イヤウケア&マーク・ルーインを破り、豪州版のIWA世界タッグ王座を獲得した[6]

1972年ミスター・フジとしてニューヨークWWWF(現・WWE)に登場。トール・タナカと日系悪役コンビを結成し、同年6月27日と翌1973年9月11日の2度にわたってWWWF世界タッグ王座を奪取した[2]。タナカとはNWAジョージア地区にも揃って参戦し、1975年9月に行われたトーナメントに優勝して同地区認定のタッグ王座も獲得している[7]。シングルでは、1976年2月7日にサンフランシスコパット・パターソンを撃破、同地区のフラッグシップ・タイトルであるNWA USヘビー級王座に輝いた[8]。この間、1974年5月に全日本プロレスに初参加している。

1977年にニューヨークに戻り、タナカとのコンビを再結成。同年9月27日、チーフ・ジェイ・ストロンボー&ビリー・ホワイト・ウルフインディアン・チームを破り、WWWF世界タッグ王座への3度目の載冠を果たす[2]1979年はタナカと共にテネシー州メンフィスCWAを襲撃、5月14日にロバート・フラー&ビル・ダンディーを下してAWA南部タッグ王座も強奪した[9]。同年はニュージーランドにも遠征し、9月3日にピーター・メイビアからNWA英連邦ヘビー級王座を奪取している[10]

1980年にタナカとのタッグチームを解散し、プエルトリコWWC参戦を経て同年10月に全日本プロレスに3回目の来日(2回目は1979年1月)。このときは日本陣営の一員となり、凱旋帰国したミスター・サクラダのパートナーに起用され、アブドーラ・ザ・ブッチャーキラー・トーア・カマタと大流血戦を演じた。翌1981年にはジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナNWAミッドアトランティック地区で、海外再修業中だった天龍源一郎のタッグパートナーも務めている[11]。同年7月にはカナダトロントにてアンジェロ・モスカとNWAカナディアン・ヘビー級王座を争った[12]

1981年下期より、サンフランシスコでもタッグを組んだことのあるミスター・サイトーを新しい相棒にWWFに復帰。同年10月13日にリック・マーテル&トニー・ガレア、翌1982年7月13日にチーフ・ジェイ・ストロンボー&ジュールズ・ストロンボーを下し、WWFタッグ王座を2度獲得、改称前のWWWF世界タッグ王座と合わせ、ニューヨークのタッグタイトルを5回に渡って手中にした[2]。以降もWWFに定着し、サイトーの離脱後はタイガー・チャン・リーと新コンビを結成。1984年よりスタートしたビンス・マクマホンの全米侵攻ツアーにも参加し、1月のTVテーピングではハルク・ホーガン&ボブ・バックランドの新旧WWF王者コンビとも対戦した[13]

1985年にセミリタイアし、燕尾服ステッキ山高帽というスタイルの日系マネージャーに転向。以降1996年まで、10年以上に渡ってWWFの悪徳マネージャーとして活躍、デモリッションを担当した際は彼らに合わせて顔にペイントを施し、相撲ギミックヨコズナに付いたときにはキモノ浴衣)を着用していた。1996年、右膝の古傷が悪化したこともあり、3月31日のレッスルマニアXIIを最後にWWFを退団、プロレス界から引退した。同時期、フジはヨコズナと共にベビーフェイスに転向しており、最後の舞台を善役として終えることとなった[11]

引退後はテネシー州のノックスビルに居住。2001年までテネシーのジェファーソン・シティとダンドリッジにトレーニング・ジムを運営していた。2007年3月31日、ミシガン州デトロイトのフォックス・シアターにてWWE殿堂入りを果たす。インダクターはマネージャー時代の「クライアント」である、同じハワイ出身のドン・ムラコが務めた。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:4回(w / ハル佐々木×3、トニー・ボーン
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:1回
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
WWWF / WWF / WWE
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / トール・タナカ)
NWAサンフランシスコ
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • AWA南部タッグ王座:1回(w / トール・タナカ
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAサウスイースタン・タッグ王座:1回(w / トール・タナカ)
NWAニュージーランド
ワールド・レスリング・カウンシル
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / 天龍源一郎
メープル・リーフ・レスリング
  • NWAカナディアン・ヘビー級王座(トロント版):1回

担当選手[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b Mr. Fuji General Information”. Wrestlingdata.com. 2013年7月8日閲覧。
  2. ^ a b c d History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月5日閲覧。
  3. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P174(1996年、日本スポーツ出版社
  4. ^ 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P20(1988年、日本スポーツ出版社)
  5. ^ NWA Hawaii Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  6. ^ IWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  7. ^ NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  8. ^ NWA United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  9. ^ AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  10. ^ NWA British Empire Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  11. ^ a b Wrestler Profiles: Mr. Fuji”. Online World of Wrestling. 2009年8月25日閲覧。
  12. ^ NWA Canadian Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年8月5日閲覧。
  13. ^ WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2009年8月25日閲覧。

外部リンク[編集]