シオネ・ヴァイラヒ

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ザ・バーバリアン
プロフィール
リングネーム ザ・バーバリアン
コンガ・ザ・バーバリアン
コンガ・キッド
キング・コンガ
トンガ・ジョン
ヘッドシュリンカー・シオネ
スーパー・アサシン1号
本名 シオネ・ヴァイラヒ
ニックネーム 南海の野人
身長 190cm
体重 136kg(全盛時)
誕生日 1958年9月6日(56歳)
出身地 トンガの旗 トンガヌクアロファ
スポーツ歴 大相撲
トレーナー レッド・バスチェン
デビュー 1980年
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ザ・バーバリアンThe Barbarian)のリングネームで知られるシオネ・ヴァイラヒSione Havea Vailahi1958年9月6日 - )は、トンガヌクアロファ出身のプロレスラー

大相撲朝日山部屋出身の元力士であり、プロレス転向後はコンガ・ザ・バーバリアンKonga the Barbarian)の名義で度々来日した。

ノード・ザ・バーバリアンことジョン・ノードとは別人。両者は1991年下期から1992年上期にかけて、WWFを共にサーキットしていた(当時のノードのリングネームは「ザ・バーザーカー」)。

姪のセイニー・トンガもプロレスラーであり、レイディー・タパ(Lei'D Tapa)のリングネームでTNAに出場している[1][2]

来歴[編集]

1974年末、福ノ島ことウリウリ・フィフィタ(後のキング・トンガ、ハク、ミング)らと共にトンガ国王の命で来日し、大相撲朝日山部屋に入門。幸ノ島四股名を与えられ、1975年3月に初土俵を踏むが、部屋の後継問題が原因で1976年9月に廃業を余儀なくされる(トンガ人力士廃業騒動)。その後アメリカに渡り、元AWA世界タッグ王者レッド・バスチェンに師事。1980年カリフォルニア地区でキラー・カール・クラップを相手にプロレスラーとしてデビューした。

当時はトンガ・ジョンをリングネームに、ジミー・スヌーカ系のアイランダー・ギミックベビーフェイスとして活動。1981年からはNWAミッドアトランティック地区セントラル・ステーツ地区プエルトリコWWCなどを転戦し、コンガ・キッドキング・コンガなどの名前で試合を行った。

1985年より、当時大人気だったロード・ウォリアーズのビジュアル(モヒカン刈りに顔面ペインティングのマッドマックス・スタイル)を真似たヒールに変身。コンガ・ザ・バーバリアンと改名してミッドアトランティックに戻り、ポール・ジョーンズ率いるヒール軍団に加入してアブドーラ・ザ・ブッチャーバロン・フォン・ラシクと共闘する。1985年10月には新日本プロレスに初来日、アントニオ猪木ともシングルマッチで対戦した。以降も新日本の常連外国人となり、スティーブ・ウィリアムスとの抗争アングルなども組まれた[3]

1987年の末、ミッドアトランティックで同じくウォリアーズを模したキャラクターのザ・ウォーロードとコンビを組み、フェイク版ロード・ウォリアーズのパワーズ・オブ・ペインThe Powers of Pain)を結成。リングネームもザ・バーバリアンと簡略化し、本家ウォリアーズとタッグ抗争を展開する。翌1988年からはデモリッションのライバル・チームとして、揃ってWWFに移籍。当初はベビーフェイス、後にヒールとなり、ミスター・フジマネージャーに迎えてデモリッションと激闘を繰り広げた[4][5]1990年下期、ウォリアーズ(リージョン・オブ・ドゥーム)のWWF参戦に伴いウォーロードとのコンビを解散し、毛皮のコスチュームをまとった野人ギミックのシングルプレイヤーに転向。ボビー・ヒーナンのファミリーに加わり、旧友ハクとの新チームで活動した。

1992年よりマッドマックス・スタイルに戻ってWCWに移籍し、カクタス・ジャックディック・スレーターと結託。6月にはスレーターと組んでファビュラス・フリーバーズマイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)からUSタッグ王座を奪取し[6]、10月のPPV "ハロウィン・ヘイボック" ではロン・シモンズWCW世界ヘビー級王座に挑戦した[7]1994年からはWWFと再契約、負傷で離脱したサムゥ(ワイルド・サモアン)に代わるファトゥの新パートナーとなり、ヘッドシュリンカーズThe Headshrinkers)に加入した。

1996年にWCWに復帰し、以降1999年頃までセミレギュラーとして定着。ミング(ハク)とフェイシズ・オブ・フィアーThe Faces of Fear)を結成し、ハーレム・ヒートスティービー・レイ&ブッカー・T)、アウトサイダーズ(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール)、ナスティ・ボーイズらと対戦したが、中堅のポジションからオーバーすることはできなかった。WCW離脱後はインディー団体を転戦し、2000年8月にオーストラリアのSOWでカート・ヘニングからヘビー級王座を奪取。2004年8月にはIWAジャパンの10周年記念興行に来日した。

近年も各地のインディーへの参戦を続けており、ウォーロードとのパワーズ・オブ・ペインを再結成することもある。2008年2月にはテッド・デビアスをマネージャー役に、旧敵デモリッション・アックスとのタッグでバージニア州のACWに登場した。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ The New Generation of Pacific Island Wrestlers - Lei'D Tapa”. Online World of Wrestling. 2013年4月2日閲覧。
  2. ^ Lei'D Tapa”. Cagematch.net. 2014年8月16日閲覧。
  3. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P230(1996年、日本スポーツ出版社
  4. ^ WWE Yearly Results 1988”. The History of WWE. 2009年9月26日閲覧。
  5. ^ WWE Yearly Results 1989”. The History of WWE. 2009年9月26日閲覧。
  6. ^ WCW United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月19日閲覧。
  7. ^ WCW Halloween Havoc 1992”. pWw - Everything Wrestling. 2010年4月19日閲覧。

外部リンク[編集]