ジム・ドゥガン

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ジム・ドゥガン
ジム・ドゥガンの画像
プロフィール
リングネーム ハクソー・ジム・ドゥガン
本名 ジェームズ・スチュアート・ドゥガン
ニックネーム 豪獣
身長 192cm
体重 130kg - 135kg
誕生日 1954年1月14日(61歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州
グレンフォールズ
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー フリッツ・フォン・エリック
デビュー 1979年
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ハクソー・ジム・ドゥガンHacksaw Jim Duggan、本名:James Stuart Duggan1954年1月14日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーニューヨーク州グレンフォールズ出身。"Hacksaw"(弓鋸)のニックネームの通り、いつも振り回している角材がトレードマーク。

角材と星条旗を持って入場し、親指を立てて「ホォー!」と観客にアピールするのが特長。1986年新日本プロレス参戦時はアピールが過剰すぎたため高い評価を得られなかったが、近年インディ団体などに盛り上げ役として来日し、ファンサービスの良さなどから日本でも人気は高い。事実、アメリカ国内での会場人気は絶大で、1980年代後半から1990年代にかけて、ハルク・ホーガンに匹敵するほどの歓声を集めた。

来歴[編集]

学生時代は、アメリカンフットボールレスリング陸上競技バスケットボールなどのスポーツに情熱を注いでいた。レスリングではニューヨーク州の高校チャンピオンにも輝いたという。大学ではテキサス州ダラスサウス・メソジスト大学でアメリカンフットボール選手として活躍。ラインバッカーとしてNFLアトランタ・ファルコンズと契約をするも、膝の負傷により断念[1]。プロレスラーになるべく、ダラスのフリッツ・フォン・エリックのもとでトレーニングを始め、1979年にデビュー[1]

デビュー後はテキサスで活動し、ダラスからサンアントニオ地区を経て、1980年よりニューヨークWWF(現・WWE)にジョバーとして出場するようになる[2]1981年8月、WWFの斡旋で新日本プロレスに初来日。当時は無名の存在だったため来日時はほとんど注目されなかったが、荒削りながら迫力あるファイトスタイルが認められ、将来的には「第2のハンセン」となる可能性を持つ逸材と期待された。

その後、サンアントニオ地区で "Hacksaw" をリングネームに冠し、南部エリアで大型ヒールとして台頭。1982年10月にはビル・ワットが牛耳るミッドサウス地区のMSWAにてアイアン・マイク・シャープからルイジアナ・ヘビー級王座を奪取し[3]1984年フロリダ地区のCWFダスティ・ローデスビリー・ジャックと抗争[4]。以降はMSWAを主戦場に、初期はヒール、後にベビーフェイスとなって活躍。テッド・デビアスブルーザー・ブロディディック・マードックテリー・ゴディブッチ・リードミスター・オリンピアヘラクレス・ヘルナンデスディック・スレーターらと激闘を展開した。

1986年1月、当時MSWAとの提携ルートを持っていた新日本プロレスに再来日[5]。それまで何度も再来日が予定されるが実現しなかったこともあり、待望の再来日として注目されたが、過剰なパフォーマンスが受け入れられず、期待外れなどと評された(当時の関係者の間では、もっと早い段階で再来日させるべきだったという声が多く聞かれた)。帰国後の3月16日にはオクラホマシティにてバズ・ソイヤーを破り、MSWAのフラッグシップ・タイトルだった北米ヘビー級王座の最後のチャンピオンとなっている[6]。同年12月27日にはテリー・テイラーと組んでビル・アーウィン&レロイ・ブラウンを下し、MSWAから改称した新団体UWFの世界タッグ王座にも戴冠した[7]。また、同年9月にも新日本プロレスに参戦している(本来はシリーズ開幕から参戦予定だったが、都合により来日が2週遅れた)[5]

WWF時代

1987年ルーザー・リーブス・タウン・マッチワンマン・ギャングに敗れたとしてUWFを離脱し、世界タッグ王座を返上してWWFと契約[7]。かつてのようなジョバーではなく、スーパースターの立場でWWFに再登場し、角材と星条旗をトレードマークにしたブルーカラー愛国者ギミックでブレイクを果たす。1988年1月24日、ロイヤルランブルの第1回大会で優勝。1991年3月30日にはSWS東京ドーム大会に来日し、ケンドー・ナガサキと対戦している。WWFには1993年まで在籍し、アイアン・シークニコライ・ボルコフカマラディノ・ブラボーサージェント・スローターヨコズナなど反米ヒールとの抗争や、キングの座を巡るハーリー・レイスハクとの王位争奪戦などで人気を集めた。また、スローターやヨコズナのWWF世界ヘビー級王座をはじめ、ランディ・サベージホンキー・トンク・マンリック・ルードショーン・マイケルズらのインターコンチネンタル王座など、歴代のヒール王者が保持するタイトルに再三挑戦しているが、ベルト奪取の機会には恵まれなかった。

1994年WCWに移籍。同年9月18日、"スタニング" スティーブ・オースチンを27秒で破ってUS王座を獲得した[8](12月27日にベイダーに破れ王座陥落)[9]。その後はミッドカード戦線で活動し、1996年ロード・スティーブン・リーガルと米英抗争を展開。1998年からは腎臓癌のためしばらくフェードアウトすることになったが、2000年2月16日、前王者のスコット・ホールが捨てたWCW世界TV王座のベルトをゴミ箱から発見、空位となっていたTV王者に認定され、同日にロバート・ギブソンを相手に防衛戦を行った(同王座は同年4月10日に廃止)[10]

WCW崩壊後の2004年8月31日、代々木第2体育館で行われたIWAジャパンの10周年記念興行に来日し、IWA世界王座争奪トーナメントに出場。1回戦でブルーザー・コング、準決勝でコンガ・ザ・バーバリアン、決勝でビッグ・ボスマンを倒し、IWA世界ヘビー級王座を獲得した[11]

2005年WWE復帰。主に前座試合で会場を温める役割を務め、前座でありながら観客からは大きな声援を受けていた。2009年の解雇後もWWEとの関係は良好で、2010年11月15日には "Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版のRAWに出演。2011年にはWWE殿堂に迎えられ、2012年1月29日に開催されたロイヤルランブル25周年大会にも初代優勝者としてサプライズ登場している[12]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

2006年
WWE
WCW
MSWA / UWF
  • ルイジアナ・ヘビー級王座:1回[3]
  • 北米ヘビー級王座:1回[6]
  • ミッドサウス・タッグ王座:1回(w / マグナムT.A.)[13]
  • UWF世界タッグ王座:1回(w / テリー・テイラー[7]
IWAジャパン

脚注[編集]

  1. ^ a b Wrestler Profiles: "Hacksaw" Jim Duggan”. Online World of Wrestling. 2012年4月9日閲覧。
  2. ^ The WWE matches fought by Jim Duggan in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年3月8日閲覧。
  3. ^ a b Louisiana Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月9日閲覧。
  4. ^ The CWF matches fought by Jim Duggan in 1984”. Wrestlingdata.com. 2015年3月8日閲覧。
  5. ^ a b The NJPW matches fought by Jim Duggan in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年3月8日閲覧。
  6. ^ a b North American Heavyweight Title: Mid-South version”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月9日閲覧。
  7. ^ a b c UWF World Tag Team Title: Mid-South version”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月9日閲覧。
  8. ^ History of the WWE United States Championship”. WWE.com. 2012年4月9日閲覧。
  9. ^ a b NWA-WCW United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月9日閲覧。
  10. ^ a b NWA-WCW World Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月9日閲覧。
  11. ^ IWA Japan 10th Anniversary Show”. Cagematch.net. 2015年3月8日閲覧。
  12. ^ WWE Royal Rumble 2012 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2012年4月9日閲覧。
  13. ^ Mid-South Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月9日閲覧。

外部リンク[編集]