マット・ハーディー

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マット・ハーディー
TNA Live! Matt Hardy.jpg
プロフィール
リングネーム マット・ハーディー
マット・ハーディー・バージョン1.0
本名 マシュー・ムーア・ハーディー
身長 183cm
体重 107kg
誕生日 1974年9月23日(39歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ノースカロライナ州キャメロン
所属 ROH
トレーナー ドリー・ファンク・ジュニア
デビュー 1992年
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マット・ハーディーMatthew Moore "Matt" Hardy1974年9月23日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーノースカロライナ州キャメロン出身。

弟のジェフ・ハーディーもプロレスラーである。

かつてのWWEのキャッチフレーズ「アティテュード」に引っ掛けて「マッティテュード」(Mattitude)というキャッチフレーズを持つ。過激な空中殺法で人気を博す弟のジェフと異なり、ベビーフェイスヒールの両方をこなせる器用さと、高いレスリングセンスで試合を盛り上げるタイプである。

来歴[編集]

キャリア初期[編集]

ドリー・ファンク・ジュニアの元でプロレスラーとしての基礎トレーニングを積んだ後、1993年ECWFにてプロレスデビュー。デビュー戦は弟との兄弟対決である。

WWF(後のWWE)とは、1994年1996年に契約のチャンスがあったものの契約に至らなかった。その間、オメガ・レスリングなどのインディー系プロレス団体で活動を行っていた。オメガ・レスリングには、後のリタシャノン・ムーアザ・ハリケーンクリストファー・ダニエルズ(後に日本で「カレーマン」というマスクマンに扮する)なども所属していた。彼らはプライベートでも仲が良く、現在でも「The Hardy Show」という番組制作をいっしょに手掛けている。

WWE[編集]

1998年 - 2006年[編集]

1998年にWWFと契約。ギャングレルとニュー・ブルードというユニットを結成するも短期間で消滅。弟ジェフ・ハーディーと共にハーディー・ボーイズを結成。エッジクリスチャンらとの抗争で人気が一気に高まった。後に、リタを加えて「チーム・エクストリーム」を結成。ハーディー・ボーイズでは、世界タッグ王座を5回獲得する活躍をしている。また1999年頃からチームの一員であるリタと実生活において恋人関係になり、ノースカロライナ州で同棲するようになった。

2002年、ジェフを裏切る形でそれまで所属していたRAWからSmackDown!に移籍する。ハーディー・ボーイズを解散すると共に、Matt Hardy - Version 1.0を名乗り、またファンをエムエファーと呼び、カリスマ的キャラクターにギミックを変更した。また同時にシャノン・ムーアやクラッシュとチームを組んだ。2003年にはレイ・ミステリオクルーザー級王座を巡り抗争し、王座を獲得するなど活躍する。クルーザー級王座には、体重100Kg未満という制限がある為、この間、90kg台の体重を維持させている。

2004年、RAWに再移籍。リタをめぐってケインと抗争を繰り返す。最終的にはアングル上ケインとリタは結婚し、マット・ハーディーはストーリ上敗れ、リタから去ることになる。

2005年4月にWWEから解雇された。またこの間RAWではリタとエッジのアングル上の恋愛ストーリが展開していたが、両者は実生活においても関係を持ち、これをきっかけとしてリタと破局しており、そのトラブルにおいて事情を知らない周囲からの批判に耐え切れず自分のサイトで三角関係を暴露したことが理由とされている。これにより、マットは放送中のRAWに乱入し、たびたびエッジに襲い掛かった。同年7月にRAWに電撃復帰する。同年6月の番組内でアングル上結婚した、エッジ及びリタと抗争を開始した。2005年10月に行われたRAWの番組、WWE Homecomingにおいて、エッジとマネー・イン・ザ・バンク権利争奪&敗者RAW追放ラダー・マッチを行い敗れ、それに伴いSmackDown!に移籍した。

2006年Survivor Series 2006のトラディショナル・サバイバー・シリーズ・エリミネーション・マッチに合わせて、ハーディー・ボーイズを復活させる。その後、RAWとSmackDown!の番組を跨いで、MNMと抗争する。Armageddon 2006のフェイタル4ウェイラダー・マッチ形式WWEタッグ王座戦に出場するなどした。

2007年[編集]

WrestleMania 23マネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに出場。敗れたものの、大会翌日のRAWで行われた10チームバトルロイヤル戦で弟ジェフとともに勝利、通算6度目となる世界タッグ王座を獲得した。4月29日Backlash 2007では、ランス・ケイド&トレバー・マードック組の挑戦を受け、見事に勝利し防衛する。6月3日WWE One Night Stand 2007では、ワールド・グレイテスト・タッグチーム(WGTT)とラダー・マッチによる王座戦を行い王座を防衛するが、翌日のRAWでビンス・マクマホンにより王座戦を組まれ、前日の試合でのダメージも影響し、ランス・ケイド&トレバー・マードックに奪取される。

ランス・ケイド&トレバー・マードックとの抗争の後は、MVPとのUS王座をめぐる抗争を始める。しかし、MVPの心臓に不整脈が発見され、命に別条はないもののMVPが試合が行えなくなってしまったために、アームレスリングボクシング(MVP側は代理選手のイベンダー・ホリフィールド)、1on1などで対決を行う。また、MVPの不用意な発言により二人は嫌々ながらタッグを組まされ、お互い険悪なムードが漂うもののWWEタッグ王座を獲得した。なお、マットがジェフ以外の選手とWWEのタッグ王座を獲得するのはこれが初めてである。しかし、今度はマットが急性虫垂炎により欠場することとなってしまい、タッグ王座から転落することになってしまった。12月31日Royal Rumble 2008ランディ・オートンWWE王座に挑戦することが決まっていたジェフの激励にRAWの会場を訪れたが、ジェフへの見せしめにするためにオートンに襲撃され、欠場が長引くことになってしまった(欠場期間を利用して、以前より痛めていた肘の手術をするために組まれたアングルである)。

2008年[編集]

昨年末からの欠場が長引いたためにWrestleMania 24に参戦するためのストーリーを組むことが出来ず、WrestleMania 24の参戦出来ないかと思われたが、直前にジェフが謹慎処分で欠場することになったため、代役として参戦する案が持ち上がったものの、予選を行っていない選手を出場させる訳にはいかず、結局代役案は実行されなかった。しかし、3月30日のWrestleMania 24で行われたマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに突如観客席から現れ、欠場する以前からの好敵手であったMVPにラダー上からのツイスト・オブ・フェイトを放ち観客席に逃げ込んでいった。4月28日Backlash 2008で行われたUS王座戦でついにMVPを倒し、王座を獲得した。6月23日のRAW3時間特番のドラフトにて、US王座を保持したままECWへの移籍が決定。同年7月に行われたグレート・アメリカン・バッシュではスマックダウンに所属するシェルトン・ベンジャミンを相手にUS王座を賭けた防衛戦に臨むも、敗退。タイトルを失う。8月にはサマースラムに出場。マーク・ヘンリーの保持するECW王座に挑戦するがヘンリーのマネージャーであるトニー・アトラスの介入によりヘンリーの反則負けとなり、王座奪取とはならなかった。9月にはアンフォーギヴェンでECW王座を賭けたチャンピオンシップスクランブル戦に出場。試合時間残り3分の所でザ・ミズからフォールカウントを奪い、そのまま試合終了。間接的な形ながらヘンリーからタイトルを奪取、念願のECW王座を初獲得した。

2009年[編集]

2009年1月、ジャック・スワガーとのECW王座の防衛戦で敗退し、王座を失う。同年のロイヤルランブルでスワガーのECW王座に挑戦するが敗北する。同PPVで行われたジェフ・ハーディー対エッジのWWE王座戦に介入、ジェフをアシストするかのように見えたがジェフにイス攻撃を仕掛けてジェフを王座から陥落させてしまう。これをきっかけにヒールターン、兄弟による抗争に突入する。そしてレッスルマニア25では苦しみながらも勝利を収めた。4月13日のRAW3時間特番のドラフトにて、RAWへの移籍が決定。4月26日バックラッシュでは、「アイ・クイット・マッチ」(一方がI quitと降参を宣言するまで続く形式)でジェフと再戦。終盤でテーブルにテープで縛りつけられ、やられる前に降参するが結局コーナーからのダイビング攻撃で右腕を骨折する。しかし以降は右腕のギプスを悪用しレフェリーの目を盗みギプスで相手を殴打するなどしている。6月22日の試合中に腹筋断裂のケガを負う。その後6月末のトレードによりスマックダウンへ移籍する。そして8月7日のスマックダウンでジェフ対CMパンク世界ヘビー級王座戦の特別審判員として復帰し、ジェフの王座防衛をアシストし、ふたたびベビー転向をはたした。その次の週のスマックダウンではジェフとハーディボーイズを再結成し、CMパンク組に勝利した。

2010年[編集]

2010年になるとザ・グレート・カリとタッグを組んで活動。また2月から始まった新番組NXTではプロとしてジャスティン・ガブリエルを指導した。3月のレッスルマニア26ではマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに出場。その試合でドリュー・マッキンタイアが鞄を取るのを阻止したことがきっかけとなり、マッキンタイアとの抗争を開始するが、2010年10月15日、WWEからの解雇が発表された[1]

TNA[編集]

2011年[編集]

2011年1月、TNAのPPVであるGenesisに電撃出場。ロブ・ヴァン・ダム相手にツイスト・オブ・フェイトを決め、疑惑の判定ながらも勝利を収めるが、トレーニングを怠っていたせいか身体は肥満化し、スタミナ不足に加えて動きが鈍っていたことが原因で徐々に出番は少なくなり、8月にTNAから解雇された。

ROH[編集]

2012年[編集]

TNA解雇後、PWS(Pro Wrestling Syndicate)やMACW(Mid Atlantic Championship Wrestling)といったアメリカのインディー団体に参戦。2012年9月15日にROHのPPV、Death Before Dishonor X: State of Emergencyに観戦に訪れ、ROHに参戦することを発表した。そして12月16日のPPV、Final Battle 2012にてアダム・コールと対戦して勝利した。

2013年[編集]

2013年よりROHと正式に契約を交わして所属レスラーとなる。3月2日にはヒールユニットであるSCUMの一員となって活動している。しかしSCUMが解散され12月14日の試合を最後に退団した。その一方、1月15日に故地であるオメガ・レスリングをオメガ・チャンピオンシップ・レスリング(OCW)として復活。ジェフ、ハリケーン、ジェームスと組みCWアンダーソン組と対戦し勝利する。

得意技[編集]

フィニッシャー。相手の頭を脇にはさむDDTの体勢から、自分の体をひねりつつ頭を挟んでいなかった方の手で相手の頭を持ち替えてダイヤモンド・カッターに移行する技。なお「ツイスト・オブ・フェイト」の名前はWWEの登録商標となっているため現在は「ツイスト・オブ・ヘイト」の名で使用している。
  • サイド・エフェクト
相手を立ち肩固めに捕らえたあと、持ち上げてネックブリーカー・ドロップのような体勢で仰向けに倒れこみ、相手の背中をマットに叩きつける。
  • リバース・サイド・エフェクト(リコシェ)
抱え式バックドロップの体勢から腹にエルボー・ドロップを落とす技。
めったに使われない。マットのレッグ・ドロップ+ジェフのダイビング・ボディ・プレス

獲得タイトル[編集]

クルーザー級王者時代
WWE
OMEGA Pro Wrestling
  • OMEGA Pro Wrestlingヘビー級王座 : 1回
  • OMEGA Pro Wrestlingタッグ王座 : 1回(w / ジェフ・ハーディー)
その他
  • NWA 2000タッグ王座 : 1回(w / ジェフ・ハーディー)
  • NCWライトヘビー級王座 : 2回
  • NEWAヘビー級王座 : 1回
  • NFWAタッグ王座 : 1回(w / Venom)
  • NDWライトヘビー級王座 : 1回

入場曲[編集]

  • Loaded
シングルプレイヤー移行後は使わないが、ハーディー・ボーイズでの入場の際は使用。

その他[編集]

  • 弟のジェフと異なりパフォーマンスより、試合内容で盛り上げるタイプである。
  • ジェフとともにテレビ番組に出演することがある。
  • 弟と同様に彼も体に数多くの怪我を抱えており、特に膝の怪我から満足にトレーニングが行えず、近年は肥満が目立っている。また、若手時代のフィニッシュであったダイビング・レッグ・ドロップも腰の負担から近年は使用する数を絞っている。
  • かつて所属していたオメガというインディ団体は、学生時代に友人達と立ち上げたものであり、マットは団体の顔役を担っていた。
  • マッティテュードのギミック以降、親指と薬指を曲げて手をV1を模した形を作り、堂々と掲げるアピールを行っている。マッティテュードのギミックは2005年の解雇で終了したが、このアピールは現在でもマットのお馴染みのポーズとして定着している。

脚注[編集]

  1. ^ Matt Hardy released”. WWE.com. 2010年10月15日閲覧。

外部リンク[編集]