ディーン・マレンコ
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| ディーン・マレンコ | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | ディーン・マレンコ ディーン・ソルコフ |
| 本名 | ディーン・サイモン |
| ニックネーム | 千の技を持つ男 ザ・アイスマン マレンコ先生 |
| 身長 | 172cm |
| 体重 | 96kg |
| 誕生日 | 1960年8月4日(48歳) |
| 出身地 | フロリダ州タンパ |
| 所属 | WWE |
| トレーナー | ボリス・マレンコ カール・ゴッチ |
| デビュー | 1980年 |
| 引退 | 2001年 |
ディーン・マレンコ(Dean Malenko、1960年8月4日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、現在はWWE・ECWのシニアプロデューサー。本名はディーン・サイモン(Dean Simon)。フロリダ州タンパ出身。父は名門スクール「マレンコ道場」を設立し、「チェーン・デスマッチの鬼」の異名を持つボリス・マレンコで、兄は全日本プロレスで世界ジュニア王座を獲得したジョー・マレンコである。
その高度なレスリング技術と試合運びはプロレストップクラスとも評され、「プロレスの先生」と言われている。本人曰く、400の技と400のカウンターホールドをやってみせることができると語っている。
[編集] 来歴
父が設立したマレンコ道場にて、小さな頃から兄と共にプロレスのトレーニングに励む。その後、カール・ゴッチの道場でも鍛え上げられた。
1985年に、当時顧問を務めていたゴッチの勧めでUWFにて初来日を果たす。1988年には全日本プロレスにも数シリーズ参戦し、当時兄が持っていた世界ジュニア王座に挑戦したこともある。兄弟対決としても注目され、ジャイアント馬場自らが解説している。その後、渕正信が保持していた時にも挑戦したが敗れた。1992年からは新日本プロレスにも参戦。IWGPジュニア王座に挑戦するなど、新日本でも活躍。また、ここでのクリス・ベノワ、エディ・ゲレロとの出会いが今後のプロレス人生にも深く影響することになる。
1994年に、ベノワ、エディと共にECWに参戦。日本仕込みのレスリングで高い支持を受け、TV王座とベノワとのコンビでタッグ王座を獲得した。その後、エディと共にWCWに引き抜かれることになる。ECW最後の試合では、観客から「いかないで!」コールが起こるほどであった。95年にはWCWへ。早くにWCWクルーザー級王座を獲得し、クルーザー級の中心選手となった。1997年には、クルーザー級王座、US王座、タッグ王座と奪取し大活躍をみせる。しかし、その後はnWoの主力メンバーやヘビー級選手ばかりを優遇し、待遇が悪くなりWWE(当時WWF)への移籍を決心する。
2000年1月にWWE移籍。同じく移籍した、ベノワ、エディ、ペリー・サタンと共にラディカルズを結成し、WWEのトップ選手と抗争する。その後は、女たらしのキザなキャラを演じ、自称ジェームス・ボンドを名乗るなど自意識過剰な人間を演じていた。途中リタに惚れ、シャワー中のリタを覗こうとしたりとストーカーまがいのキャラになったりもしたが、2001年秋にプロレスラーを引退する。
現在はWWEのエージェントとして活躍している。
[編集] 得意技
- テキサス・クローバーリーフ
- タイガードライバー
- ノーザンライト・スープレックス
- ストマックブロック
[編集] 獲得タイトル
- WCW
- ECW
- 世界タッグ王座 : 1回(&クリス・ベノワ)
- TV王座 : 2回
- WWE
- ライトヘビー級王座 : 2回

