ブル中野

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ブル中野
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プロフィール
リングネーム ブル中野
本名 青木 恵子
ニックネーム 女帝
身長 170cm
体重 115kg(全盛時)
誕生日 1968年1月8日(46歳)
出身地 埼玉県川口市
デビュー 1983年
引退 1997年
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ブル中野(ブルなかの、1968年1月8日 - )は、日本の元プロレスラー。米国のWWE世界女子王者を獲得した唯一の日本人[1]。他に世界王座獲得多数。日本の女子プロレスが絶頂を極めた1990年代、その頂点として君臨していた。

本名は青木 恵子(あおき けいこ、旧姓・中野)。埼玉県川口市出身。あだ名はブルちゃんブル様。引退後はタレントに転向、また中野区内においてバーも経営している。

来歴[編集]

プロレス[編集]

前史[編集]

川口市立芝東中学校出身。学生時代はいじめに遭い、父親が強い子になるように無理矢理プロレスに入門させたが、バリバリのツッパリだったという説もありはっきりしていない。(中野本人のインタビューやブログで、中学時代は不良で女ながらに番長でもあり、学校内を仕切っていたと度々発言している。)本人は母の影響でプロレスを見るのは好きだったものの、やるのは不本意だったという。当時母が好きだったレスラーはアントニオ猪木、当時はほとんどの者が女子のスター選手に憧れて入門していたが、中野は猪木に憧れていた。

駆け出し時代[編集]

1983年全日本女子プロレスに入門、二度のプロテスト不合格の後、三度目のプロテストで合格し本名の中野恵子でプロレスデビュー。女子プロレスラーとしては恵まれた身長(170cm)をしており、それが最後まで役に立った。運動神経は当初は鈍かったが、人一倍の努力と練習で向上していった。本名で活動していた時代には長与千種の付き人も担当したり全日本ジュニア王座も獲得している。新人当時は先輩レスラーから無視されたり、理不尽ないじめにもあうなど誰にも相手にされていなかった所を以前から中野の事を注目して気にかけていたダンプ松本が『極悪同盟に入って私と一緒にやらないか。』と声をかけてきたが、ヒール役は嫌だったので何度も断ったそうだが最終的にダンプのラブコールに折れて極悪同盟に加入して本格的に世話をされるようになったという。後年、ダンプへのインタビューによるとベビーフェース側から一人を極悪同盟へ引き抜いてもいいよと全女の上役に言われて中野ともう一人気になっていた選手のどちらかに決めようと考えていたと話している。

悪役[編集]

極悪同盟[編集]

正式に極悪同盟加入後にリング名を本名の中野恵子からブル中野に改名する。中野がレスラーとしてブレイクしたのは、パンクをモチーフにした、わかりやすいヒールの外観にヌンチャクを凶器に使用してギミックチェンジした後、ダンプ松本クレーン・ユウらと組んだヒール軍団 "極悪同盟" での活動である。特にクレーン・ユウ引退後、ダンプ松本とのタッグチームベビーフェイスクラッシュギャルズとの抗争が人気を博し(このタッグチームは当時アメリカのマディソン・スクエア・ガーデンでも再現されている)、トップレスラーとしての地位を確立した。

しかし、もともとヒール役は中野本人が志望したものではなく、上役からの指示によるものであったために中野は極悪同盟入門当初はヒールに徹しきれないでいたという。中野の悩みをダンプが見抜いて、今後ヒールレスラーとしてやっていく覚悟を決めさせるために九州巡業の控え室でダンプから『今日からモヒカンになって私のパートナーになれ!』と突如言われたが『でもまだ半人前だから半分切ればいいや』と言うと即バリカンで左側の髪を半分切り落とされてしまい、試合後にホテルの部屋で一人号泣したことを後にインタビューや著書などで告白している。(同時期にダンプのパートナーだったユウのレフリー転向が決まっていて、今後は中野とパートナーを組んで極悪同盟をやっていくために宣言したという。)右側の髪を半分残したモヒカン頭は獄門党の初期まで継続された。

獄門党[編集]

1988年にダンプ松本が一時引退した後は自己をリーダーとした "獄門党" を結成、グリズリー岩本アジャ・コングバイソン木村らの実力派を従えて引き続きヒールの頂点として活動。クラッシュギャルズ引退後の1990年1月4日に、後楽園ホールにて行われたWWWA世界シングル王座決定トーナメントで西脇充子を破って優勝[2]し、第37代王者に輝く。以後約3年間に渡りチャンピオンとして全日本女子プロレスの屋台骨を支え、その強さから "女帝" と呼ばれるようになる。

善悪を超えたヒロインへ[編集]

その実力から、ヒールでありながら女子プロレス界の最高位を占めた。このとき、最終的にはベビーフェイスがヒールを倒すという従来の対立構造が崩れ、さらには獄門党から配下のアジャ・コングバイソン木村の両名からなる「ジャングル・ジャック」の独立を許し、ヒール対ヒールというかつてなかった対立構図が団体の中心となった。また、女子プロレスではそれまでなかった金網デスマッチチェーン・デスマッチの敢行、大柄・巨体のレスラーとしてありえないはずのムーンサルト・プレストペ・スイシーダといった宙を舞う華麗な空中殺法など、あらゆる意味で女子プロレスの歴史を塗り替える顕著な働きを見せた。特に、このころから始まった団体対抗戦(他団体トップ選手との試合)は盛り上がり、ここでは(善玉悪役すべてを飛び越えて)会社を代表して臨んだ。

1990年11月14日横浜文化体育館で行われたアジャ・コングとの金網デスマッチにて、金網ゲージの頂上から飛び降りて放ったギロチン・ドロップで、女子プロレスの枠を超えて一気にブレイクする。

1992年11月26日川崎市体育館においてアジャ・コングに敗れてWWWA世界シングル王座を失った後、1993年からアメリカのWWF(現WWE)へ長期遠征し、ルナ・バションマネージャーに女子戦線のトップヒールとしてアランドラ・ブレイズと抗争した[3]WWE世界女子王座を獲得した唯一の日本人レスラーでもある[1]。WWEのRAW10周年のイベントの際にはショーン・マイケルズがスピーチで彼女について少し触れている。ジム・ロスUnforgiven 2007の実況の中で、ベス・フェニックスについて「アメリカのブル中野」と評した。

1994年に日本に復帰し、神取忍とチェーンデスマッチを行い勝利を収めた(女子のチェーンデスマッチはデビル雅美VSモンスター・リッパーが初である)。 1996年に再びアメリカへ遠征。WCWにてメデューサらと抗争を繰り広げた。この頃から「お前らが結婚して、子供作っても、ブル中野のプロレスを見せてやる」と長々とマイクパフォーマンスをする等、1ヒールレスラーから、女子プロレス界のご意見番としてヒールベビーフェイスを越えた存在となっていく。

引退[編集]

1997年に左靭帯2本を切る大怪我をして、プロレスラーを引退。その後はプロレスを辞めゴルフに専念する過程で、ダイエットを実施し、50kg減量した。このダイエットの体験を基に後にダイエット本(後述)を執筆した。テレビ番組『リングの魂』内の企画においても、ダイエットスクールを開講したことがある。

2000年からはフロリダ州オーランドへ単身渡米してゴルフ修行を開始する。第二の人生としてプロゴルファーを目指すが、観光ビザで入国したもののアメリカ同時多発テロ事件以降は日米間の行き来が困難になり、急遽英語学校の学生ビザを取得する破目になったそう。その後、『海外遠征試合WWE世界女子王座を獲得した唯一の日本人レスラー』の実績が功を奏し、異例にもグリーンカードを取得できたがその後プロテストは通らなかったために断念して2008年に帰国した。

2010年4月20日放送の『魔女たちの22時』で10年ぶりのテレビ出演を行った。ここで紹介したダイエット術は特殊なもので、ある「色」を部屋中に張り巡らし、心理的効果で食欲を減退させるというものであった。また、帰国後に体重をキープするために通い出したムエタイ道場で15歳年下のキックボクサーでムエタイ選手でもある青木大輔と出会って2010年2月14日に入籍したことを同番組内で発表した。

2010年7月23日、小料理店「中野のぶるちゃん」を開店した[4]。その後、小料理店は閉店し、2011年2月25日にガールズ婆バー「中野のぶるちゃん」を開店した。同店では全日本女子プロレスの後輩である山田敏代三田英津子吉田万里子、また現役レスラーの旧姓・広田さくらなどがスタッフとして店を手伝っている。

それまでは正式な引退試合や引退式は行っていなかったが、体重を再び現役当時の100kg台までに戻して中野の誕生日でもある2012年1月8日に東京ドームシティホールで『15年間プロレスから離れて、その後ゴルフで挫折してしまってからはブル中野という名前を使うのも人前に出るのも嫌だった。 結婚を機にこれからは前向きになって生きていこうと思い、それまで引退試合をしていないのが心残りだったから。』との理由で引退セレモニーを行った。その後、再びダイエットして60kg台にすると宣言した[5]。但し怪我の為、自身の試合は行わず、セレモニーのみとなった。

引退興行後、アジャ・コング&バイソン木村組との髪切りマッチ(パートナーは井上京子)から21年となる1月11日、都内ホテルにて興行参加選手・関係者を招いて断髪式を実施して先輩後輩選手や関係者が順番にハサミやバリカンで断髪して最後には丸刈り坊主頭になった。

現在[編集]

現在はバーを経営する傍ら、2012年末には芸能事務所オフィスキールに所属してタレントとして芸能活動を開始。

プロレス業界との関係も継続され、FIGHTING TV サムライの女子プロレス中継で解説者を務めている他、2012年3月20日夜・スターダム後楽園大会ワールド・オブ・スターダム選手権試合高橋奈苗(王者)vs里村明衣子(挑戦者)戦で立会人を務めた。また2013年10月1日今井良晴追悼興行では大会実行委員長に就任、ダンプ松本が出場したメインの試合では場外乱闘で竹刀を持ってダンプに加勢している。2014年3月22日に大田区総合体育館で開かれた長与千種プロデュース興行「That's 女子プロレス」にも極悪同盟のセコンドで参加。

プロレスラーとしての得意技[編集]

そのプロレスセンスも相まって、現役時代は多彩な技を繰り出すことで知られていた。

  • ギロチン・ドロップ - 中野の代名詞的な技であり、金網デスマッチにおける高さ4メートルの金網ゲージの頂上から放ったダイビング・ギロチン・ドロップは伝説となっている。また、この技のバリエーションとして、空中で回転しながら決める、回転式ギロチン・ドロップもある。
  • ムーンサルト・プレス - ギロチン・ドロップをはじめ大技を繰り出した後でなおフィニッシュに至らないときに繰り出す、ここ一番の必殺技。
  • ラリアット
  • DDT - 通常のものやリバース式のもののほかに、ブレーンバスターの体勢で相手をトップロープに据え付けてから落とすDDTも使用した。
  • アームサルト
  • ジャーマン・スープレックス - 若手時代に主に使用。柔軟な身体であったためホールド時にはしなやかなブリッジを描く隠れた名手であった。
  • ノーザンライト・スープレックス
  • バックドロップホールド
  • ブルズ・グランパス - 使用回数は少ないものの、これを使った試合ではギブアップを取っている。
  • ブルズ・アンヘリート - 脚はサソリ固めの要領で、振り向きつつ両腕を取って相手の体を吊り上げる技。主に次の技への繋ぎ技。
  • ブルズ・ポセイドン - 垂直落下式のリバーススープレックス。堀口元気がビーチブレイクとして同型の技を使用している。
  • 凶器攻撃(ヌンチャク) - 後期の試合では滅多に見せなくなったが、以前はよく使用していた。リング登場時のパフォーマンスとしても試合中の凶器としても正確無比の使い手であった。ダブルヌンチャクも使える。
  • リフトアップ - デビル雅美と共に、女子プロレスラーでは数少ない使い手の1人である。
  • パワーボム - 主にギロチン・ドロップの前の繋ぎ技として使用。

獲得タイトル[編集]

全日本女子プロレス
WWF / WWE
CMLL

入場テーマ曲[編集]

  • GENOCIDE (「BEAUTIFUL FIGHTERS」に収録)
  • 女帝〜Boss of the World〜 (「完全版全日本女子プロレス選手別テーマ曲集」に収録)

ブル中野引退興行[編集]

ブル中野引退興行「女帝」
イベント詳細
シリーズ  
主催 ブル中野引退興行実行委員会
開催年月日 2012年1月8日
開催地 日本の旗 日本東京都文京区
会場 東京ドームシティホール
開始時刻 午後4時
試合数 全8試合
放送局 FIGHTING TV サムライ
入場者数 3,000人(超満員札止め)

1997年に引退試合やセレモニーは行わずに引退発表し、プロレス界から離れた生活を送っていたが、2010年の結婚を機に嫌悪していたレスラー時代を振り返り、自身の44歳の誕生日に心残りであった引退試合の開催を発表した。

概要[編集]

  • 参戦選手は、本人自ら各団体の興行を視察し、出場願を同封した封筒を選手へ手渡し交渉をした。結果として女子プロ団体はほぼ全て参加によるオールスター戦の様相となった。
  • 唯一の男子マッチは、海外時代に共に助けあった新崎人生、西村修、スペル・デルフィンと、今回の興業をサポートするZERO1勢によるタッグマッチが組まれた。
  • 本人は現役時代の100kgに増量して来場すると宣言。記者会見では夫の青木大輔から興行から半年後までに40kg減量することを求められ、ブルは誓約書へサインをして約束をした[6]
  • 興行では、現役選手による試合が8試合行われ、その後ブル本人と現役時代にライバルだったレスラーたちによる「引退試合」3試合と引退セレモニーが行われた。試合は現役時代の闘いを当時の映像とリング上の再現シーンを交えて行う試みがなされた[7]
  • 興行の中盤のハーフタイムにユリオカ超特Q、終盤のハーフタイムにアントニオ小猪木が登場した。

参加団体[編集]

アイスリボン(リボン) センダイガールズプロレスリング (仙女) プロレスリングWAVE (WAVE)
JWP女子プロレス (JWP) ワールド女子プロレス・ディアナ (ディアナ) スターダム
OZアカデミー (OZ) REINA女子プロレス (レイナ) LLPW-X (LLPW)
エスオベーション (Sオベ) トリプルテイルズ.S (TT.S) SMASH
OSAKA女子プロレス (OSAKA) ユニオンプロレス (ユニオン) 極悪同盟
みちのくプロレス (みちのく) 沖縄プロレス (沖縄) ZERO1

試合[編集]

第一試合 ■ スペシャルシングルマッチ 30/1
(OZ) アジャ・コング 15分14秒
APクロス
浜田文子
レフェリー:和田京平
第二試合 ■ バトルロイヤル 無/1
広田さくら 25分26秒
ウラカンラナ
GAMI (WAVE)
堀田祐美子 (レイナ)DASH・チサコ (仙女)仙台幸子 (仙女)星ハム子 (リボン)宮城もち (リボン)
真琴 (SMASH)大畠美咲紫雷美央 (TT.S)伊藤薫 (ディアナ)植松寿絵 (WAVE)
桜花由美 (WAVE)春日萌花 (WAVE)松本浩代 (Sオベ)倉垣翼 (JWP)コマンド・ボリショイ (JWP)
下田美馬井上貴子 (LLPW)米山香織 (JWP)尾崎魔弓 (OZ)渋谷シュウ (WAVE)
第三試合 ■ 男子6人タッグマッチ 30/1
(ZERO1) 大谷晋二郎
(ZERO1) 日高郁人
(ZERO1) 橋本大地
11分51秒
スパイラルボム
白使 (みちのく)
西村修
スペル・デルフィン (沖縄)
第四試合 ■ ギロチンドロップマッチ 30/1
(JWP) 春山香代子
(仙女) 水波綾
13分34秒
ダイビング・ギロチン・ドロップ
AKINO
成宮真希 (リボン)
第五試合 ■ 50代&40代&30代&20代&10代 10人タッグマッチ 60/1
(ディアナ)ジャガー横田
豊田真奈美
(Sオベ) 中川ともか
(スターダム) 夏樹☆たいよう
(ユニオン) チェリー
16分15秒
パワーボム
ダンプ松本 (極悪同盟)
井上京子 (ディアナ)
Leon (JWP)
下野佐和子 (OSAKA)
つくし (リボン)
第六試合 ■ スペシャルシングルマッチ 30/1
(TT.S) 華名 11分23秒
チキンウィング式胴締め裸締め
⇒レフェリーストップ
花月 (仙女)
第七試合 ■ 6人タッグマッチ 60/1
(スターダム) 高橋奈苗
(仙女) 里村明衣子
さくらえみ
21分41秒
2階からのニャンニャンプレス
栗原あゆみ
世IV虎 (スターダム)
藤本つかさ (リボン)
メインイベント ■ スペシャルシングルマッチ 30/1
(スターダム) 愛川ゆず季 15分11秒
ゆずポンキック・レッド
志田光 (リボン)
引退セレモニー ■ 伝説のVTRハイライト
ブル中野
ダンプ松本
with 阿部四郎
極悪同盟vsクラッシュギャルズ ニセ・クラッシュギャルズ
レフェリー:クレーン・ユウ、リングアナ:氏家清春
ブル中野 伝説のチェーンデスマッチ 神取忍 (LLPW)
レフェリー:トミー蘭、リングアナ:今井良晴大日本プロレス
ブル中野 伝説の金網デスマッチ アジャ・コング

著書[編集]

  • 金網の青春 (自伝) フジテレビ出版(1991年12月)ISBN 4-594-00860-7
  • ブル中野のダイエット日記―19号サイズの私が9号サイズに(中野恵子名義での出版)(1998年6月)ISBN 4-89308-350-3
  • ブル中野の「ちがう自分」になる本―今日からあなたも変われる (中野恵子名義での出版)青春出版社(2003年3月) ISBN 4-413-03395-7

出演[編集]

ドラマ[編集]

映画[編集]

  • 「TOKYO POP」(1987年) - 映画撮影時に使用されたガウンは実際にWWWA世界選手権試合の入場時ガウンとしても利用された。

その他[編集]

その他[編集]

  • 引退後の2001年には、アメリカのプロレス誌、Wrestling Observer Newsletterが選出するWrestling Observer Newsletter殿堂入りを果たしている。
  • プロレスラーになる前の北斗晶はブル中野のファンで、私設のファンクラブを作ったことがある。プロでは先輩後輩、のちにライバル関係となった二人でもあるが、プライベートでは大の親友関係にあったという。
  • 全盛期には体格を大きくするために体重増量をしてのちに体重は100kgを超えたが、その過程でトレーニングや食事でも92kgから体重がなかなか増えず、男性ホルモン剤の注射などを行なって100kgに到達させた[10]。後にWWEへ遠征する際には体重を90kg台に落としている。
  • タレ目で愛嬌のある顔立ちから、新人時代の愛称は「パンダちゃん」と呼ばれていた。ヒールになってからのフェイスペイントはそのタレ目を隠すためである。新人当時から料理上手でレパートリーも豊富であったという。
  • ヒールレスラーで尚且つ全女のエース格でもあったが、本来は温厚でかなりおっとりとした性格の持ち主でもあり、ダンプやユウ、コンドルなどの極悪同盟メンバー全員と同様に後輩の世話や面倒見などがとても良かったそうで、今も後輩からたいへん慕われており[11]アジャ・コングKAORU三田英津子山田敏代井上京子井上貴子などの多くの後輩をプライベートでも可愛がっている。
  • 前述のダイエット実施中、テレビ番組の企画で「ダンプ松本と涙の再会」を果たした。しかし、全てのオファーを断らなかったため、都合3回、場所の異なる涙の再会を演じなければならなくなった。
  • 最初のダイエット中やプロゴルファーを目指して渡米していた当時は、友人等の全ての人間関係を断ち切って必死になって頑張っていたそうだが、師匠のダンプとは定期的に連絡を取り合って数年に一度は再会していたといい、ダンプは極悪同盟時代から愛称の『ブルちゃん』と呼んでいて現在でも可愛がられているという。
  • 獄門党以降からトレードマークになった逆立てヘアは、ロックバンドBUCK-TICKからヒントを得た。
  • 極悪同盟を引き継ぐ形で獄門党を組織して暫く後、マスコミからダンプについて聞かれた際に「あんな奴と一緒にするな。あいつはただ竹刀を振り回していただけだろ。あたしにはプロレスの心があるんだよ」と言い放った。その言葉に違わず、凶器に過剰に依存しない、技の凄みや説得力で勝負するヒール像を作り上げた。レスラーとして一線を引いた後も、レスラーとしてのダンプ松本に関し「悪い見本」「あのまま(ダンプが引退せずに)いたら、私は絶対に勝てた」と振り返っている[12]
  • 前述の通りに2012年の引退興行後にダイエットを始め、運動の他、骨盤矯正や水素水の使用などを試みた結果、半年間で32.5kg減量に成功した[13]

脚注[編集]

  1. ^ a b WWE Women's World Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月17日閲覧。
  2. ^ 『プロレス選手権変遷史』
  3. ^ WWE Yearly Results 1994”. The History of WWE. 2010年10月17日閲覧。
  4. ^ 白黒ジャッジバラエティ 中居正広の怪しい噂の集まる図書館テレビ朝日、2012年2月7日放送より
  5. ^ 2011年12月15日放送の激変!ミラクルチェンジの発言。
  6. ^ “ブル中野が夫に40キロ減量を約束”. 日刊スポーツ. (2011年12月8日). http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20111208-874348.html 2012年1月14日閲覧。 
  7. ^ “ブル中野引退興行「女帝」”. スポーツナビ. (2011年12月8日). http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/live/2012/2012010807/index.html 2012年1月14日閲覧。 
  8. ^ “史上初!! 新国立劇場に本物のリング タイガー、ブル中野らと"異種格闘技戦"も”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2014年10月20日) 
  9. ^ “「明るすぎる劇団・東州」に初代タイガー、サスケ、西村ら伝説のレスラーも参戦”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2014年10月17日). http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/323523/ 
  10. ^ TBSラジオ『ニュース探究ラジオ Dig2011年9月9日放送分より
  11. ^ 井上貴子オフィシャルブログ『Marble...』2009年10月15日及び大向美智子オフィシャルブログ『EgoistのEgo日記』2010年4月21日を参照。
  12. ^ 柳澤健『1993年の女子プロレス』(2011年 双葉社 ISBN 9784575303261 P26、P28)
  13. ^ この模様は2012年9月25日にTBS系列で放送された『あの日に帰りたい特別編! ダイエットの5大落とし穴完全脱出SP』で紹介された。

外部リンク[編集]