JWP女子プロレス

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株式会社JWPプロデュース
JWP Produce Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 JWP
本社所在地 日本の旗 日本
121-0052
東京都足立区六木3丁目6-4
設立 1992年1月
業種 サービス業
事業内容 プロレスリングの興行および関連企画の運営
代表者 代表取締役社長 篠崎清
主要子会社 JWPスポーツ教室
関係する人物 山本雅俊(創業者)
外部リンク www.jwp-produce.com
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選手代表を務めるコマンド・ボリショイ

JWP女子プロレス(ジェイダブリュピーじょしプロレス)は、日本プロレス団体。通称JWP

「ピュアハート・ピュアレスリング」をキャッチフレーズとし、正統派のプロレス団体を標榜している。

目次

歴史 [編集]

旗揚げまでの経緯 [編集]

1992年1月のジャパン女子プロレス解散後、同団体の子会社「JWPプロジェクト」を母体に設立された。選手会の分裂により最終所属12選手のうちJWPに加わったのは7選手で、それにジャパン女子最終興行で一旦引退を表明したデビル雅美も加わった。さらに旗揚げ前に第1回オーディションを開き、合格者の中から桑原三佳、小林美津恵の2選手が旗揚げメンバーとなった。ジャパン女子でリングアナウンサーだった山本雅俊と同じく広報だった篠崎清の共同代表と言う形を採っていた。事務所は上野、道場は埼玉県三郷市に設置。

旗揚げ〜全盛期 [編集]

1992年4月3日後楽園ホールにて旗揚げ戦を行った。

フォールカウントを通常の3から2に変更した「2カウントフォールマッチ」や、サブミッションによるギブアップのみで勝敗を決する「オンリーギブアップマッチ」、ストリートファイトルールを擬した「ドレスアップ・ワイルドファイト」などの実験的な試合形式を行ったこともある。

1992年以降のいわゆる「団体対抗戦ブーム」においては、全日本女子プロレスとの間で、互いの看板タイトルの争奪戦を繰り広げた。1993年4月11日にはダイナマイト・関西尾崎魔弓組が全女のWWWA世界タッグ王座、同年12月6日にはキャンディー奥津が全女の全日本ジュニア王座を、翌年3月24日には全女の下田美馬三田英津子組(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)がJWP認定タッグ王座を奪取。そして1995年8月30日には関西が全女のアジャ・コングを破ってWWWA世界シングル王座に就いている。

ジャパン女子解散後の選手会分裂によって、JWPに加わらなかった選手たちから成るLLPW(現・LLPW-X)とは長く対立関係にあり、1992年以降のいわゆる「団体対抗戦ブーム」においても、LLPWとの対抗戦は行われなかった。

1994年12月4日、後に「JWP四天王」と呼ばれる久住智子(現・日向あずみ)、宮口知子(現・輝優優)、天野理恵子(現・カルロス天野)、本谷香名子(現・美咲華菜)の4選手が一斉デビュー。

1995年5月、日本のプロレス団体で初めて、中国北京で興行を行っている(中国での開催も1990年9月の新日本プロレスハルビン大会に次いで2例目)。

また、6月には若手選手を対象としたジュニア王座を創設した(同王座は2007年に解散したJDスターのPOP王座と統一され、現在はジュニア二冠王座となっている)。

6月16日、両国国技館初進出。

1996年、尾崎によりヒール養成学校「OZアカデミー」が「開校」。天野と前年に旗揚げされたGAEA JAPANの新人2名が「入学」し、団体の枠を越えたユニットとしても活動することになる。

衰退〜一時活動停止 [編集]

最盛期は、全日本女子プロレスに匹敵するほどの人気を博したが、1997年プラム麻里子が死亡するリング禍が起こり、その後もキューティー鈴木福岡晶、奥津、矢樹広弓などの引退や、尾崎の退団など人気選手の離脱が短期間に起きたため、急速にファンの支持を失っていった(両国国技館等での大会場での興行を頻繁に行ったことで、「団体運営が苦しいインディーだからこそ、応援しよう」といった古くからのファンが離れていったことも理由に挙げられる)。

1997年12月5日、川崎市体育館にてLLPWとの「交流戦」で「雪解け」を果たす。

1999年からはそれまで幾度か使用していた東天紅を常打ち化し、「JWPホール」と名づけて興行を打っていた。

2000年2月、全日本女子プロレスと提携を発表。全女公認タイトルマッチのみならずジャパングランプリ公式戦をJWP興行内で行うなどした。また、8月にはキックボクシングジム「アクティブJ」(J-NETWORKの母体)とも提携を結び、同ジムから試合提供を受けていた。

同年11月26日のディファ有明大会を以って一度活動停止。

活動再開 [編集]

2001年に山本社長が退任するなど経営陣が変わりコマンド・ボリショイ筆頭たる選手会主導の下で2月18日のディファ有明大会より活動再開、以降は東京キネマ倶楽部を始めとする小会場を中心に堅実な興行活動を継続している。

だが、活動再開後も美咲の引退、輝のGAEA JAPAN移籍、倉垣翼の退団(後に復帰)など選手離脱が続き、一時期は5人まで減ってしまった。その間、フリーとして現役復帰した元所属矢樹広弓や元FMWシャーク土屋、そして2度目の現役復帰となったジャガー横田の定期参戦、ネオ・レディース解散後フリーとして活動していた三田英津子のスポット参戦、プリンセサ・サンディータニア・トルメンタらルチャドーラ、それにNEO女子プロレスKAIENTAI-DOJOなど他団体選手で穴埋めをしており、前座で男子の試合を組むこともあった。

2002年に現在の足立区六木に道場兼事務所を建てて移転し、12月より道場マッチも開始した。また、2003年には米山香織以来4人ぶり、活動再開後初の新人となった木村響子がデビューした。

2004年9月12日、2000年以来約4年ぶりとなる後楽園ホール大会開催。

2005年3月14日、NEOと合同で大田区体育館大会を開催。

同年4月の全日本女子プロレス解散後、デイリースポーツによるビッグマッチの後援をJWPが引き継いだ。2008年にはデイリースポーツ創刊60周年記念大会「サマードリーム2008」を開催し、デイリースポーツ認定女子タッグ王座も創設された(当時JWP認定タッグ王座についていた倉垣翼&春山香代子が戴冠したため、同王座との二冠王座となった)。

2005年以降、他団体でデビューした選手の入団や新人のデビューにより一時は12人にまで増えたが、その後若手選手の相次ぐ退団、そして2009年のエース日向の引退で再び1ケタとなった。

2010年10月、JWPメディア本部を兼ねた「LIVE & BAR ふらっとんタイムズ」が文京区本郷にオープン。

現在 [編集]

現在、自主興行は月3、4回開かれ、うち1回は道場マッチとして行われる。後楽園ホールでの開催は年3回程度で、そのうち8月開催は前出のプラム麻里子追悼興行として命日の前後に開かれる(OZアカデミーとの昼夜興行になることが多い)。

2009年以降、毎年新人がデビューするようになり、他団体からの移籍なども加え2012年10月現在の所属選手は16人まで増加した。

2011年、全女が開いていた「タッグリーグ・ザ・ベスト」と同名の大会を復活させることになった。

全日本女子プロレスの解散以後は、現存する団体の中でもLLPW-Xと並んで歴史の古い団体となった。旗揚げ起点であれば最古であり、男子団体を含めても新日本プロレス全日本プロレス東海プロレスに次いで4番目となる。

キーワード [編集]

放送 [編集]

WOWOWで月に1回程度のペースでテレビ中継が行われていた時期がある(詳細はJWP女子プロレス中継を参照)。現在は後楽園ホール大会をFIGHTING TV サムライにて中継している。また、初期の頃にはケーブルテレビのスペースビジョンネットワーク(現・GAORA)「格闘チャンプフォーラム」内で放送された他、テレビ朝日の深夜番組「こだわりTV PRE★STAGE」でスタジオマッチを敢行したこともある。

リングネーム [編集]

1999年2月にジュニア選手を中心にリングネームの一斉改名を実施した。改名した選手とリングネームは以下の通り。

  • ダイナマイト関西→ダイナマイト・関西
  • 久住智子→日向あずみ
  • 天野理恵子→カルロス天野
  • 本谷香名子→美咲華菜
  • 宮口知子→輝優優
  • 倉垣靖子→倉垣翼(一時離脱時に倉垣ツバサに改名、復帰後倉垣翼に戻す)
  • 渡辺えりか→橋本真弥(再デビュー後、本名に戻す)
  • 佐井富子→アキュート冴

道場マッチ [編集]

2003年より六木のJWP道場において月1回開いている。道場マッチではエンタテインメント性を高めたユニークなルールの試合が行われている。前出の2カウントフォールマッチを始め、以下のルールの試合が組まれている。

など。

また、道場マッチは地元のケーブルテレビ足立「あだちコミュニティーチャンネル」で中継したり、足立区民向けに入場料を割引するなど地域に密着した興行を謳っている。

JWPスポーツ教室 [編集]

2006年より「JWPスポーツ教室」の名でプロレス教室を開講している。

前年夏の体験練習に参加した中学生がきっかけとなり、コマンド・ボリショイが考案し、年明けに開講へと至った[1]

現在は健康増進を主とする原則月1回の「スポーツ教室」と選手育成を主とする原則週1回の「プロコース」が開かれている。いずれも所属選手及び引退後スタッフに転じた日向あずみが指導に当たっている。

出身第1号レスラーは大木アスカ、前出の中学生は第2号のピンキー真由香

通常はJWP道場で開かれているが、出張プロレス教室も実施されている。

スポーツ教室出身者もレスラーになるためには規定のオーディション及びプロテストを経る必要があるが、それまでに必要不可欠とされる受け身及び基礎体力を身につけることができるため、早いデビューも可能となり、中学生のうちに受講して、中学卒業後にデビューした選手も存在する。大木以降のデビュー組は黒木千里masu-meライディーン鋼を除きスポーツ教室出身者が占めている。

米山革命 [編集]

2010年7月18日、JWP認定無差別級王座を獲得した米山香織はリング上で「米山革命」を宣言し、JWPの低迷脱却を目指している。

まず、米山自身はJWP王座の価値を高めるため、挑戦者をあえてJWP所属選手以外に限定し、アウェーにも積極的に乗り込んでいる。中でも9月19日新宿FACE大会でのさくらえみとの2度目の防衛戦は、さくらえみからの提案で1980年代から90年代にかけて盛んに行われていた「髪切りマッチ」となり、さくらを丸坊主にした。また、9月23日には1日2防衛を果たし、そして6度目の防衛戦はユニオンプロレスなる男子中心の団体、それも5周年の記念大会でメインイベントに抜擢されるなど女子プロレス界では異例づくしのチャンピオンロードを歩み、遂には春山香代子の持つ防衛記録を更新している。

一方、米山革命は他のJWP所属選手にも影響を与えている。主なものとして

がある。米山革命を機にJWP全体で女子プロレスの活性化を図る動きが盛んになっている。

しかし、この米山革命には、団体内外から批判の声もある。

  • 前述の9月19日新宿FACE大会での「髪切りマッチ」に対する批判
    • 大会の1週間前にさくらからの提案により決定が発表されるまでチケットの売れ行きが芳しくなく、形式発表後にチケットが完売となった事に対し、「髪切りマッチがなかったら満員にならなかった」という意見。
      • 当日、最終的な観客動員数は600人(満員札止め)。
      • これに対して、1週間前の時点でチケット販売枚数が200枚程度。
      • 残りの400枚は形式発表後に売れた分だった。
    • 同日同時間帯に開催され満員になった大日本プロレス後楽園ホール大会と比較し、大日本とJWPとの営業努力の差を懸念する声。
  • 米山が王者の権限でJWP所属選手の挑戦権を一方的に剥奪した事に対する批判

引退興行のスキーム [編集]

2011年12月23日、米山香織がセレモニー中に引退撤回という前代未聞の騒動を起こし、引退ロードの払い戻しなど会社に損害与える結果となった。

このような事態が二度と起こらぬよう、対策のひとつとして引退興行のスキームを整備している。

大まかな概要として、それまで引退の意思確認は口頭のみであったものを文書での署名で記し、これにより引退を決定したものとして撤回した場合の罰則規定も検討している。

他団体との交流 [編集]

JWPは団体対抗戦ブームより活動を続ける数少ない団体の一つであるため、現在も他団体との交流は比較的多い。JWPの自主興行への参戦は所属が再び増加した現在は後楽園大会を除けば減少傾向にあるが、JWP所属の他団体参戦については主にOZアカデミーなど所属の少ない団体やアイスリボンのような興行数の多い団体へ積極的に参戦させている。

LLPW-X(旧LLPW)
前出の通り、両団体は旗揚げのいきさつから絶縁状態にあり、本格的な交流が始まったのが1997年以降であった。以降も交流は決して多くはないものの、2002年にはカルロス天野がLLPW認定6人タッグ王座を獲得(パートナーは遠藤美月&青野敬子。その後LLPWの会社組織変更もあり封印され最後のチャンピオンとなった)。2007年のLLPW両国大会にもボリショイ・キッドが参戦している。
OZアカデミーGAEA JAPAN
OZアカデミーは元々尾崎魔弓がJWP在籍当時から活動してきたユニットであり、JWPとGAEA JAPANの団体の枠を越えて活動していた。GAEAは当初JWPと交流を深め、両団体混合タッグのトーナメント戦を共催したほどであったが、尾崎のJWP退団後はGAEA崩壊まで交流は途絶えた。しかし、2006年にOZが団体化されてからはOZとJWPの間で相互参戦が行われており、OZ主催でプラム麻里子追悼興行「プラムの花咲くOZの国」には毎年コマンド・ボリショイがゲスト参戦。また、アジャ・コングはJWPタッグ2冠を奪取している(パートナーは阿部幸江)。
アイスリボン
JWPと盛んに交流が行われている団体のひとつ。アイスリボン旗揚げ後にデビューしたJWPの新人はアイス所属選手との対戦を経験させている。また、コマンド・ボリショイはアイスの至宝であるICE×60王座を奪取している。さらに2012年の「夏女決定トーナメント」はアイスと共催の混合タッグ戦として開かれた。
センダイガールズ
旗揚げから頻繁に「エネミー軍」として招聘されるなど、アイスリボンと並んで交流が盛んな団体。また、仙女所属選手がJWPジュニア二冠王座を長期に渡って保持してきた。逆に2011年の震災発生時には仙女選手を一時的にJWP道場へ避難させている。
WAVE
タッグリーグ・ザ・ベストなどJWPが主催するリーグ戦の公式戦をWAVE興行内で、逆にWAVE主催Catch the WAVE公式戦をJWP興行内で組むなどしている。また、桜花由美らによるブラック・ダリアが後楽園大会に登場しており、中森華子もその一員となっていた。
スターダム
いわゆる「鎖国」を敷いており他団体との交流に消極的な団体であるが、Leonがスターダムへ管理権が移ったハイスピード王座を保持していたためその防衛戦を行い、他に米山香織も参戦経験がある。逆にスターダムからは高橋奈苗夏樹☆たいよう世IV虎がJWPに参戦している。
ディアナ
ディアナ興行にはほぼ毎回JWPから参戦あり。一時交流が途絶えた時期もあったが、ジャガー横田が入団してからは再び参戦するようになった。特にディアナの生え抜きであるSareeeにとって他団体参戦が解禁される前のJWP勢との対戦は同年代との貴重な対戦経験であり、他団体参戦が解禁されてからは道場マッチを除きほぼ常連参戦。
レイナ・コーポレーション(旧REINA女子プロレス、REINA×WORLD)
REINA女子プロレスがプロモーションとして活動開始した頃にJWPから多くの参戦があり、団体化後もそれを継続するかのように続いた。また、蒼星杯にCMLLからREINA経由でレイディ・アフロディータが出場し、REINA興行内で公式戦が組まれた。一方、黒木千里(沙耶)はJWP退団後REINAにフリー参戦を経て正式入団。
WNCSMASH
SMASH時代、同団体にレギュラー参戦していた華名とJWPの間で抗争が勃発し、SMASH興行内で展開された。SMASHが解散した後に後継として旗揚げされたWNCには中島安里紗が参戦。
新日本プロレス
2002年の新日本プロレス30周年を記念して両国大会にJWPから試合提供を行った。
大日本プロレス
大日本女子部が存在していた時期にはJWPと相互参戦が行われており、米山香織はBJW認定女子王座奪取も果たしている。2012年には合同興行も開いた。

タイトルホルダー [編集]

JWP女子プロレスが管轄するチャンピオンベルトの保持者(2013年5月5日現在)
タイトル 保持者 歴代 防衛回数
JWP認定無差別級王座 中島安里紗 第21代 2
JWP認定タッグ王座 春倉
春山香代子&倉垣翼
第42代 1
デイリースポーツ認定女子タッグ王座 第15代
JWP認定ジュニア王座&POP王座 勝愛実 第23代&第13代 2
JWP女子プロレスが開催するリーグ戦と覇者(2012年4月現在)
タイトル 覇者 年度 日時・シリーズ名
JWPタッグリーグ・ザ・ベスト 十文字姉妹
DASH・チサコ&仙台幸子
2013年度 2月17日 - 4月7日 JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2013
蒼星杯 勝愛実 2011年度 9月23日 - 12月23日

過去に存在した王座 [編集]

  • JWP認定後楽園タッグ王座

JWP認定タイトルの規則 [編集]

立ち上げから20年を迎えた2012年5月22日に実行委員会から発表された[3]

JWP防衛戦の規定

(1) JWP認定ジュニア王座の挑戦規定と王座保持期限はキャリア4年以内。
(2) JWP女子プロレスが認定するタイトルの防衛期限は最大4ヶ月。
(3) 王座戦には立会い人及びJWPの承諾が必要。

暫定王者の規定

(1) 正規王者が怪我など、やむを得ない事情で長期間防衛戦を行えない場合、その選手の王座保持を認めたうえで王者と同等の実力を持つ選手同士(タッグを含む)が王座決定戦を行い、勝者は「暫定王者」となる。
(2) 暫定王者となった選手には正規王者と同じようにチャンピオンベルトが贈られ防衛戦を行うことができる。
(3) 正規王者が防衛戦を行える状況になり次第、正規王者と暫定王者双方に対しすみやかに王座統一戦を行うよう義務付ける。
(4) 正規王者が王座を返上(引退を含む)もしくは剥奪された場合、暫定王者が自動的に正規王者として認定。

現在の所属・参戦選手及びスタッフ [編集]

所属選手 [編集]

春倉
ザ☆WANTED!?
獅子の穴
ハートムーブ

主要参戦選手 [編集]

スタッフ [編集]

過去に所属した選手・スタッフ [編集]

JWPで引退
フリーもしくは他団体所属
スタッフ
  • 山本雅俊(団体代表・リングアナウンサー)
  • 千葉道也(リングアナウンサー)
  • 川崎恵代(乱馬翔、レフェリー)
  • チャーリー東(レフェリー)
  • YUKI(レフェリー)
  • 時津実(営業→統括部長)
  • 山本小鉄(コーチ)

過去の参戦選手 [編集]

日本人選手 [編集]

外国人選手 [編集]

JWPアワード [編集]

JWPにおける1年間を通じて活躍した選手を表彰する企画で、年内最終興行後のパーティーで発表される。各賞はファン投票で決定される。

2001年
  • MVP:日向あずみ
  • ベストバウト:日向あずみ vs コマンド・ボリショイ
11月21日板橋産文ホール
  • 敢闘賞:春山香代子、倉垣翼、市川狐火名、米山香織
  • 特別賞:輝優優
2002年
  • MVP:米山香織
  • ベストバウト:JWP認定無差別級選手権試合ドレスアップ・ワイルドファイト 日向あずみ vs 輝優優
5月19日ディファ有明
  • 敢闘賞:春山香代子、渡辺えりか
  • 特別賞:コマンド・ボリショイ
2003年
  • MVP:春山香代子
  • ベストバウト:故・プラム麻里子さん7回忌メモリアル6人タッグマッチ コマンド・ボリショイ、春山香代子、渡辺えりか vs 日向あずみ、木村響子、宮崎有妃(NEO
8月16日板橋産文ホール
  • 敢闘賞:米山香織
2004年
  • MVP:春山香代子
  • ベストバウト:JWP認定無差別級王者決定トーナメント決勝戦 日向あずみ vs 春山香代子
11月28日東京キネマ倶楽部
  • 敢闘賞:米山香織
  • 技能賞:倉垣翼
2005年
  • MVP:倉垣翼
  • ベストバウト:JWP認定無差別級選手権試合 日向あずみ vs 伊藤薫(フリー)
5月15日後楽園ホール
  • JWP賞:コマンド・ボリショイ
  • 殊勲賞:KAZUKI
  • 敢闘賞:米山香織
  • 功労賞:渡辺えりか
2006年
  • MVP:日向あずみ
  • ベストバウト:JWP認定無差別級&NEO統一二冠トリプル選手権試合 日向あずみ vs 田村欣子(NEO)
12月24日後楽園ホール
  • 殊勲賞:KAZUKI
  • 敢闘賞:米山香織
  • 新人賞:中島安里紗
2007年
12月9日後楽園ホール
  • 敢闘賞:中島安里紗
  • 技能賞:闘獣牙Leon
  • 特別賞:コマンド・ボリショイ
2008年
  • MVP:春山香代子
  • ベストバウト:JWP認定無差別級選手権試合 春山香代子 vs 堀田祐美子(フリー)
9月23日後楽園ホール
  • 殊勲賞:中島安里紗
  • 敢闘賞:闘獣牙Leon
2009年
  • MVP:日向あずみ
  • ベストバウト:JWP認定無差別級選手権試合 春山香代子 vs 日向あずみ
4月12日後楽園ホール
2010年
  • MVP:米山香織
  • ベストバウト賞:JWP認定無差別級&NEO統一二冠トリプル選手権試合 米山香織 vs 田村欣子(NEO)
12月23日後楽園ホール
2011年
  • MVP:該当者なし(米山香織が選ばれていたが辞退)
  • ベストバウト賞:JWP認定無差別級選手権試合 米山香織 vs Leon
4月3日後楽園ホール
  • 特別賞:米山香織
  • エネミー賞:ヘイリー・ヘイトレッド(アメリカ合衆国)
  • 新人賞:勝愛実
2012年
  • MVP:中島安里紗
  • ベストバウト賞:JWP認定タッグ&デイリースポーツ認定女子タッグ選手権試合 さくらえみ(我闘雲舞)&米山香織 vs コマンド・ボリショイ&中島安里紗
8月19日後楽園ホール
  • 特別賞:コマンド・ボリショイ
  • エネミー賞:さくらえみ(我闘雲舞)
  • ニューウェーブ賞:勝愛実

テレビゲーム [編集]

脚注 [編集]

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]