さくらえみ

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さくら えみ
さくら えみの画像
プロフィール
リングネーム さくら えみ
本名 元川 恵美
ニックネーム カルトヒロイン(IWAジャパン)
シャイニー・ガール(FMW)
独裁者(アイスリボン)
身長 156cm
体重 68kg
誕生日 1976年10月4日(35歳)
出身地 千葉県君津市
所属 フリーランス
トレーナー 山田圭介
デビュー 1995年8月17日
市来貴代子
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さくら えみ(本名:元川 恵美(もとかわ えみ)、1976年10月4日 - )は、日本の女子プロレスラー千葉県君津市出身。有限会社ネオプラスアイスリボン事業部元選手代表。

目次

[編集] 所属

  • IWAジャパン(1994年 - 1999年)
  • FMW(1999年 - 2002年)
  • フリーランス(2002年 - 2003年)
  • 我闘姑娘(2003年 - 2006年)
  • アイスリボン(2006年11月4日 - 2012年1月7日)
  • フリーランス(2012年1月 - )

[編集] 経歴・戦歴

1995年
  • 8月17日、IWA・JAPAN富山県高岡テクノドームでの対市来貴代子戦でデビュー。当時のリングネームは本名の元川恵美。所属していたIWA・JAPANの女子選手は実質市来との2名のみで、他団体との交流もなかったことから、対戦相手はほぼ常に市来に固定されていた。その上、『女子プロレス』を教えるコーチが存在しなかったため、あまり巧い試合内容ではなかった。
1996年
  • 6月4日に市来から初勝利を挙げる。その後市来の退団に伴い、後輩の門田幸子西堀幸恵と対戦するようになる。当時盛んだった女子プロレス団体間の交流戦から外れ、目立たぬ位置でのファイトを続けており、その一風変わったファイトスタイルも相まって、カルトヒロインの呼び名がついた。
  • 10月13日、JWP両国国技館大会にて宮口知子(現・輝優優)が持つ全日本ジュニア王座に挑むが、8分25秒 ブラックバスター・ホールドで敗戦。
1997年
  • 8月13日、IWA・JAPAN北沢タウンホール大会にてルナ・バションの持つAWF世界女子王座に挑戦し、勝利。初タイトルを獲得する。
  • 全日本女子プロレスの経営難に端を発した選手の大量離脱に伴う選手数不足により、西堀と共に助っ人としてIWA・JAPANに所属したまま全女の興行に帯同する。このことにより、試合数が大幅に増え、又それまで対戦したことのなかったトップクラスの選手達と対戦したり、タッグを組むことにより、試合運び等を学ぶ機会を得たことで、レベルアップするきっかけを掴む。中西百重坂井澄江といった若手レスラーらとライバル関係になり、中でも高橋奈苗は以降のプロレス人生に大きな影響を与えることになる。
1998年
  • 肺気胸で1ヶ月余り欠場。復帰後しばらく、フェイスペイントを施した「黒猫」のギミックを使用する。
1999年
  • 3月、IWA・JAPANを退団。
  • 4月、フリーで活動。
  • 6月、FMWに入団。
  • 12月、右肘の靭帯を損傷し、一時欠場する。

FMW入団当初は、減っていたとは言えまだ中山香里など女子選手が数人所属・レギュラー参戦していたため、普通に試合が組まれた。しかしFMWの経営が苦しくなるに伴い、女子選手の離脱が続き、末期には男子レスラーとのミックスドマッチや、『性転換レスラー』をギミックにした工藤あづさ(現:gosaku)との試合などが多くなっていた。レスラーとしては、テクニシャンとしての評価を確立。

2001年
  • 8月12日アルシオン後楽園ホール大会にて、東西を代表する技マニア対決としてGAMIと対戦。敗れるも、「千の技を持つ女」の称号をGAMIから譲り渡される。
  • 試合中に受けた技によって頸椎ヘルニアを発症、手術のため長期欠場に入る。
2002年
  • FMW倒産。再びフリーに。
  • プロレス活動のかたわら女子プロレス教室や子供向け体操教室『アクション体操』を開始。我闘姑娘設立。入場テーマとして自身が歌う『さくらえびちゅ』という曲を作成、この歌に合わせて踊るメンバーを体操教室の生徒の中から選抜し『さくらえびきっず』を結成。このグループの中からりほ聖菜らが選手としてデビューしている。
    • アクション体操 - さくらえみ考案の体操で、プロレスの動きや技、器械体操の要素を取り入れている。
  • 12月12日、WMF後楽園ホール大会にてレスラーとして復帰戦。
2003年
  • リングネームを、我闘姑娘で使用していたさくらえみにそろえ改名。
2004年
  • 10月31日、我闘姑娘、プロレス団体としての旗揚げ戦。
2006年
2007年
  • アイスリボンの興行と並行し、NEO女子プロレスの興行に参加。同団体の社長である甲田哲也との結婚騒動、田村欣子に強引にタッグパートナーにさせられてしまいNEO認定タッグに挑戦するなど、NEO女子プロレスの中心人物となった。
  • 7月16日、東京・後楽園ホールにおいて、田村欣子と組み、元気美佐恵松尾永遠組の保持するNEO認定タッグに挑戦。さくらえみがラ・マヒストラルで元気美佐恵から勝利。田村欣子、さくらえみ組が、第5代NEO認定タッグ王者になる。
2009年
2010年
2011年
  • 1月3日、ユニオンプロレス後楽園ホール大会、大仏キャラの覆面レスラー「ブラックチェリー3号」が1号(りほ似)・2号(みなみ飛香似)と共に登場し、ブーイングを浴びる。
  • 1月、再び髪型を変更。今度は金髪モヒカンにし、「蕨のロードウォリアー」と称される。変更に伴い、「さくらえみゴールデンパンチ!」が「さくらえみ70kg!」に技の名称が戻った。
  • 2月11日、KAIENTAI-DOJOとの合同興行「K-RIBBON」、関根龍一と組んで真霜拳號都宮ちいと対戦し敗戦。
  • TAKAみちのくに対して3月21日後楽園大会での対戦を要求するも、2月23日、イサミレッスル武闘館大会で「俺的には無いですね」と断られる。
  • 3月5日、イサミレッスル武闘館大会、かねてから対戦を要求されていた我闘姑娘時代の一番弟子であるRayとシングルマッチを戦い、勝利。
  • 3月19日、後楽園ホール大会のカード変更によって自分の対戦相手がいなくなり、東日本大震災での募金活動のため来場していた中西百重にエキシビションマッチでの対戦を要求。
  • 3月21日、後楽園ホール大会、中西百重とのエキシビションマッチを実現。
  • 3月26日、イサミレッスル武闘館大会にてRayと組み、志田光藤本つかさの持つリボンタッグ王座に挑戦し、勝利。第15代王者となる。
  • 6月1日、19時女子プロレス旗揚げ1周年記念大会にて、星ハム子&宮城もちを相手にリボンタッグ王座の4度目の防衛戦に失敗、ベルトを失う。
  • 6月15日、イサミレッスル武闘館大会にて、19日に復帰戦を行うマサ高梨の復帰挨拶中にアイアンマンヘビーメタル級王座のベルトを奪取(その後、長野ドラミ(当時・練習生)→みなみ飛香に移る)する。大会終了後に再び奪取したものの、高梨に再度奪われた。
  • 7月24日、DDT両国国技館大会「両国ピーターパン2011」にてアイアンマンロイヤルランブルに出場。愛川ゆず季ヨシヒコミスター6号菊地毅と人気レスラーを次々失格に追い込み、ブーイングを浴びる。最後の3人にまで残るが敗退。
  • 8月13日、アイスリボン道場大会にて真琴と組み、星ハム子宮城もちの持つインターナショナルリボンタッグ王座に挑戦し勝利。第19代王者となるが、真琴の退団に伴い王座を返上。
  • 8月22日、元同僚ザ・グレート・タケルの15周年記念興行に参戦。「IWA同窓会マッチ」と称された試合で師匠ブラックバファローと組み、松田慶三、YOSHIYAと対戦。松田からフォールを奪う。
  • 10月9日、イギリス・ノッティンガムにて行われたプロレスリング・イヴとの対抗戦にて、ジェニー・ジョディンの持つPro-Wrestling Eve王座に挑戦するも敗れる。
  • 12月、サムライTVに生放送出演時に翌月をもってアイスリボン退団をすることを発表。
2012年
  • 1月7日、この日のエル・パーク仙台 ギャラリーホール大会を最後に、一身上の都合という形でアイスリボンを退団。USTREAM「さくらえみの部屋」によると退団後の去就は未定で、引退の可能性もあるという。
  • 1月8日、フリーランスとして退団後初となるブル中野引退興行「女帝」に参戦。
  • 2月1日頃、タイに渡航していたことがTwitter及び「さくらえみの部屋」で明らかになった。この頃からタイでプロレスの普及活動を始める。
  • 2月12日、JWPキネマ大会に来場し、私物のフリーマーケットを開く。タイでの活動を報告するが、米山香織からJWP入団を打診されてしまう。4月22日のJWP後楽園大会で米山とのコントラ・マッチが組まれる。
  • 4月20日、約3ヵ月半ぶりの試合としてプロレスリングWAVE初参戦。植松寿絵と対戦。
  • 4月22日、JWP・コントラ・タイ行きマッチで米山に勝利し、米山とともにタイで活動することが確定した[6]
  • 4月30日、阿佐ヶ谷ロフトAで行われたトークショーに出演した際に、バンコクで立ち上げる予定のプロレス団体の名称が「我闘雲舞(ガトームーブ、Gatoh Move Pro Wrestling)」となることを発表する。
  • 5月16日、バンコクのMBKセンター前の特設リングで、自身初のタイでのプロレスの試合を行う(対戦相手は米山香織)。

[編集] 人物

  • 高校時代に女子プロレス団体への入門を志望し、LLPWのオーディションを受けるが落選[7]GAEA JAPANの書類選考は通ったものの、先に合格していたIWA・JAPANに入門することになった[8][9]。デビュー当時の目標レスラーは神取忍
  • FMW倒産後、この頃に旗揚げされたKAIENTAI-DOJOに移籍を希望していたが、TAKAみちのく代表に「人気あるの?チケット売れるの?」と門前払いされていた。このエピソードについて、2011年2月11日に行われたアイスリボン・KAIENTAI-DOJO合同興行「K-RIBBON」でコメントしている[10]
  • 現在のリングネームの由来は、頚椎ヘルニアで入院中に差し入れられたサクラエビの佃煮に感動したことから[11]
  • それほど体格には恵まれていないが多彩な技を持ち、時にコミカルなムーヴも交える技巧派レスラーであり、強豪選手との名勝負も多い。
  • アイスリボンでは自らが主役になることよりも若手の台頭を促す言動が多いが、若手の壁となるべき状況では強さ・厳しさを発揮する。
  • mixiでの繋がりを母体に団体を旗揚げしたり、ブログツイッターで多くの情報を発信するなど、インターネットの活用に積極的である。19時女子プロレスの旗揚げと同時期に不定期Ustream番組「さくらえみの部屋」も開始しており、アイスリボン興行の宣伝に始まり業界批評、関係者への生電話、果ては雑談しながらの食事風景まで様々な内容を突発的に配信している。2010年12月からはTwitCasting番組「えみちゅ」も開始。
  • 趣味は映画鑑賞。また、作詞作曲も行っている。
  • 小学校時代の同級生にお笑い芸人まちゃまちゃがいる。
  • 19時女子プロレスでは一時期対戦カード紹介のスーパーが「さくらみ」と誤植され、GENTAROらにネタにされていた。また菊地毅には「アルシオンのさくらいえみ」と勘違いされた[12]

[編集] 得意技

各種チョップ
逆水平チョップモンゴリアンチョップローリングフューチャー(回転してのダブルハンドチョップ)などを使用する。
さくらえび固め
さくらえみ斬り
主に背中への引っ掻き攻撃。
トラブル・クラッチ
ダブルアーム・バックブリーカー
ケブラドーラ・コン・ヒーロ
シュークリーム
ダブルアームからのバックブリーカーで持ち上げてからそのままの体勢で固める。見た目がモコモコしているのと、初めて出した相手の渋谷シュウのシュウをかけてシュークリームとした。
スマッシュマウス
リバース・スインギング・ネックブリーカー
逆打ち
えみちゃんスープレックス
相手の片腕をロックしてのスープレックス。初期にはタイトル戦専用の技として使用していたが、危険なため後に封印された。
バックドロップ
ラ・マヒストラル
フィニッシュホールドの1つとして愛用している。一時くるみに技を奪われたが、約束を破って使い続け、くるみから使用を許された。
リンギーナ
熟女式グラビア固め
アイスリボンの選手がネグロ・ナバーロに伝授された関節技に独自のアレンジを加えたもの。ブル中野からは、「熟女としての色気が足りない」と評された。
ロメロ・スペシャル
タイガードライバー
アイスドライバー
シュークリームの体勢から固めずに相手をスピンさせながら横に落とす。氷上を走る車をイメージさせ、アイスドライバーの名がついた。
さくらえみ70kg
「さくらえみ70kg!」と叫びながらの串刺し式フライング・クロス・ボディ、またはボディ・プレス。ICE×60王座君臨時など減量中の場合は「さくらえみ60kg!」となる。時折、「さくらえみ40kg!」などと体重を偽ることがあり、その度に「ウソつき」呼ばわりされる等、ファンから顰蹙を買う。
リバース・スプラッシュ
ムーンサルトプレス
クリオネ
ヴァルキリースプラッシュと同型。
2階からのにゃんにゃんプレス
ファイアーバード・スプラッシュと同型。

[編集] タイトル歴

[編集] 入場テーマ曲

  • さくらえびちゅ
  • さくら Go Round

[編集] 映画

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

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