獣神サンダー・ライガー

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獣神サンダー・ライガー
Jushin Thunder Liger 2014.JPG
2014年2月11日撮影
プロフィール
リングネーム 獣神サンダー・ライガー
獣神ライガー
鬼神ライガー
マスクドC.T.U-L
マスクドイエロー
ハラキリ・ハカタ2号
C.T.U. CATS-THUNDER TAMA
本名 非公開
ニックネーム 怒りの獣神
ジュニアの象徴
リビング・レジェンド
世界の獣神
身長 170cm
体重 95kg
誕生日 1989年4月24日
出身地 永井豪宅、もしくは広島県広島市[1]、福岡県福岡市
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
骨法
トレーナー 藤波辰巳
山本小鉄
藤原喜明
堀辺正史
デビュー 1989年4月24日
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獣神サンダー・ライガー(じゅうしんサンダー・ライガー、1989年4月24日 - )は、日本覆面レスラー新日本プロレス所属。本名は非公開永井豪宅出身、もしくは広島県広島市[1]。血液型AB型。通称『世界の獣神[2][3]

上記のプロフィールはライガーとしてのもの(「#正体について」を参照)。

正体について[編集]

正体とされるのは、新日本プロレスに所属していたプロレスラー山田 恵一(やまだ けいいち、1964年11月10日 - )で、当時の週刊プロレスでも山田→ライガーの特集記事が組まれたこともあった。しかしギミック上はあくまで正体不明であり、ライガー自身も「山田は死んだ。リヴァプールの風になった」と発言している。

一方でTV中継では、初めて登場した際に「皆さんもご存知と思われますが山田恵一が獣神ライガーになりました」と隠さない姿勢の実況をしており その後も実況の辻よしなりがしばしば山田の名を出し、1991年のトップ・オブ・ザ・スーパージュニア決勝では、「正体が山田なのは周知の事実」とまで言ってしまっている。試合中にマスクを剥がされて、素顔がむき出しになったこともある。

またバラエティ番組や対談等における出演の際には、紹介されたプロフィールや、自身の経歴として語った若手時代の内容が、山田のものだったこともある。また、2013年12月発売の『G SPIRITS』誌に掲載された小佐野景浩によるインタビューでは「素顔時代の自分があるから、その後のライガーがあるわけだし、専門誌に”獣神ライガーに生まれ変わります”って素顔で永井豪先生と一緒の写真が掲載されたこともありますからね。本名だって知られてるじゃないですか。隠すものは何もありませんよ」と語った上で、自らの山田時代の活動を回顧しており[4]、本人はギミック上ほど正体を隠そうとはしていない。

新日本のロサンゼルス道場が完成したときに、練習に遅刻した安田忠夫ドン・フライが激怒して乱闘になった際に、山田と思わしき人物が他の選手とともに制止している姿がテレビに映っている。

来歴[編集]

ここではライガーと関係が深く、そのライガーの正体とされるプロレスラーの山田恵一の経歴も記載する。

山田 恵一
プロフィール
リングネーム 山田 恵一
フジ・ヤマダ
本名 山田 恵一
ニックネーム シューティングスター
リバプールの風
あすなろ戦士
飛燕
身長 170cm
体重 95kg
誕生日 1964年11月30日(50歳)
出身地 広島県広島市中区
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
骨法
トレーナー 藤波辰爾
山本小鉄
藤原喜明
堀辺正史
デビュー 1984年3月3日
引退 (1989年1月頃に消息を絶つ)
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山田恵一[編集]

広島県広島市中区出身。広島電機大学付属高等学校(現:広島国際学院高等学校)在学時からレスリングで頭角を現し、国体にも出場した。

高校卒業後、すぐさま単身メキシコに渡り、そこで出会ったグラン浜田を通じて山本小鉄を紹介してもらい、山本から新日本プロレス入団を許可される(「高校卒業後新日本の入門テストを受験し、体力テスト等は合格基準を満たしたが、身長が低かったために不合格にされた後に渡墨した」というのは事実ではなく、実際はテストを受験していないどころか、履歴書すらも送っていない[4])。1984年3月3日、小杉俊二戦でデビュー。当時の世代で体格的に恵まれていない選手がジュニアヘビー級でヘビー級に通用するパワーを兼ね備えた選手は獣神サンダー・ライガー(山田恵一)が最初の選手と言っても過言ではなく、この事からも並大抵ではない努力・努力の典型的な選手として古きファンからは尊敬に値する見方をされている。

1985年光文社ジャストコミック」で連載された「スープレックス山田くん」(監修:古舘伊知郎、作画:国友やすゆき)の主人公のモデルになっている。

第1回ヤングライオン杯において決勝戦で小杉俊二に敗れ、優勝を逃す。しかしこの頃から、若手らしからぬテクニックを魅せ、ジャーマン・スープレックスで同じく若手であった橋本真也にフォール勝ちし、海外遠征から凱旋帰国した後藤達俊にもエビ固めで勝利する。さらに異種格闘技戦も経験。ドン・中矢・ニールセンとも対戦し、善戦するもKOで敗れる。第2回ヤングライオン杯で優勝を果たしてから海外修業も経験する。遠征中は「フジ・ヤマダ」のリングネームを名乗り、ローラーボール・マーク・ロコ(初代ブラック・タイガーの正体)から欧州レスリング連盟ミドルヘビー級王座を獲得するなど活躍した。

この時期の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎ザ・コブラ小林邦昭ヒロ斎藤保永昇男UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫ジャパンプロレス馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。その影で山田は、藤原喜明の通称「藤原教室」でカール・ゴッチ源流の関節技を、また同時期に若手の船木優治(現:船木誠勝)と共に、当時まだあまり知られていなかった新進の格闘術「骨法」をいち早く学んでいる。

身長のハンデを埋めるため新日本プロレスでもトップクラスの練習量を誇り、通常の興業が行われる場合に若手は雑務に追われることが多い中、会場設営・アントニオ猪木のスパーリングパートナー・藤原教室・グッズ販売・自身の試合・先輩レスラーのセコンド、更にわずかな空き時間を見つけては階段ダッシュと7時間以上動きっぱなしということも日常茶飯事だった。

1989年1月のイギリス遠征中に消息不明になったとされている。入場テーマ曲には映画『ロッキー』のテーマを使用していた。

獣神サンダー・ライガー[編集]

獣神サンダー・ライガー
2007年6月17日の後楽園ホール大会

1989年4月24日、東京ドームでアニメ「獣神ライガー」とのタイアップ企画で獣神ライガーが小林邦昭戦でデビュー。ライガースープレックス(獣神原爆固め)で勝利を収めると、翌月の5月25日には馳浩を破り、IWGPジュニアヘビー級王座を獲得し第9代王者となった。

ギミックのモチーフとなったのは永井豪原作の漫画「獣神ライガー」で、当時放映されていたアニメにシンクロして獣神ライガーファイヤーライガー獣神サンダー・ライガーへと変化している。

1990年代前半はIWGPジュニアヘビー級王座を巡り保永昇男佐野直喜(現:佐野巧真)、ペガサス・キッドエル・サムライ、2代目ブラック・タイガー、野上彰(現:AKIRA)らと激闘を展開。これ以降、日本ジュニア界の中心人物とて活躍していくことになる。

また他団体との交流戦、対抗戦が盛んになると、積極的に動いて他団体選手の新日本参戦に尽力し、ザ・グレート・サスケウルティモ・ドラゴン等と団体の垣根を越えて協力し、ついに1994年スーパーJカップを開催、成功を収めた。しかし、同年愛知にて行われたメインイベント、ライガー&長州力組対ワイルド・ペガサス&武藤敬司組の試合で、足を骨折する。

その一方で新日本内部のジュニア活性化も行い、1990年代中頃からエル・サムライ、ケンドー・カシンらと組み、一世代下の金本浩二大谷晋二郎高岩竜一らと戦った(もっともカシンは一世代下であるが、カシンが偏屈な性格であることと覆面レスラーという共通点もあり、ライガー側となっていた)。特にディーン・マレンコ、ワイルド・ペガサス(ペガサス・キッドから改名)、2代目ブラック・タイガーの4名は「ジュニア・フォーホースメン」(当時WCWで一斉を風靡していたユニット「フォー・ホースメン」にちなむ)と呼ばれ、1990年中-後半のジュニアを牽引する。またWCWにも遠征し、ベルトも獲得。その出で立ちと実力から人気を博した。

2004年大阪プロレスへ参戦し、当初はサムライ・金本・井上亘らと出場すると思われていたが、邪道外道竹村豪氏らと出場する。これ以降、ジュニアヘビー級のヒールチーム「C.T.U(コントロール・テロ・ユニット)」を結成。一時、蝶野正洋率いるブラック・ニュー・ジャパンというヘビー級の新軍団と合流したが、2006年半ばにBNJが事実上解散状態になったため、再び独立ユニットとなり、2007年夏ごろ、邪道・外道の離反によりC.T.Uも解散となる(2007年春頃にプロレス雑誌で解散するとの発言もあった)。2007年よりDRAGON GATEに参戦、3月26日にドン・フジイを破り、オープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取した。しかし、7月1日にCIMAに破れ、ベルトを手放している。C.T.U解散に伴い、長州、蝶野らとともに「レジェンド」を立ち上げ、コスチュームも以前のような赤いマスクを付けたベビーフェイスに戻した。

2007年のWRESTLE LAND博多大会にて、にわか面を付け福岡ソフトバンクホークスの応援歌である『いざゆけ若鷹軍団』を入場曲とするハラキリ・ハカタ二号として登場。ハラキリ・ハカタの別リングネームを持つアステカと友人関係であることや、ライガー自身が福岡在住であることなどが、このキャラクターに結び付いている。

2008年2月17日の両国大会で、AKIRAと共にIWGPジュニアタッグ王座を勝ち取り7月21日の陥落まで所持していた。

2009年1月4日ではデビュー20周年記念試合を行いかつて幾度も死闘を繰り広げた佐野巧真とタッグを結成し金本浩二、井上亘組と対戦。最後は雪崩式垂直落下式ブレーンバスターで金本からピンフォールを奪った。2月15日には4年ぶりとなるIWGPジュニア王座に挑戦。普段見せないムーンサルトプレスやライガーボムなどを解禁し挑んだが最後はタイガーのデストロイ・スープレックス・ホールドで敗北。5月6日、新日本の試合を終えた後、金本と共にプロレスリング・ノア主催の日本武道館大会に参戦。ライガーを超神カイザー、金本を仲本工事と名前をわざと間違える挑発をしてきた平柳玄藩が金丸とタッグを組んで対戦。勿論2人は平柳を集中攻撃し金本がアンクルホールドで捕獲するとギブアップを奪った。

2010年4月4日に約1年ぶりに丸藤正道が持つIWGPジュニア王座に挑戦したが、タイガーフロウジョンを前に敗れた。

2011年5月26日-6月10日、BEST OF THE SUPER Jr.に出場、4勝4敗勝ち点8でリーグ戦敗退。

2011年9月、メキシコのCMLLへ無期限遠征に行った、2012年1月4日東京ドーム大会から日本に帰国した[5]

2014年からは、四代目タイガーマスクと共にNOAHにレギュラー参戦している。

人物[編集]

獣神サンダー・ライガー(左)、キジムナー(右)
  • 「ジュニアの象徴」と呼ばれ、2011年現在、新日本プロレスのジュニアの現場監督である。またベテランでありながら現在でも新日本プロレス選手寮に若手に交じって生活している(家族と住む自宅は別にあり、趣味 兼 興業時の拠点としている)。
  • マスコミ批判・レスラー批判など時に遠慮のない歯に衣を着せぬ発言もするが、個人的感情というよりもプロレスそのものに対する誇りから放たれている。それ故レスラーの戦い方やスタイルにしても、しっかりとした1個性として作りあげられているものならば、メジャー・インディを問わずたとえ敵対関係にあっても寛容な姿勢を見せ、他団体との交流や新日本参戦に自ら積極的に行動して橋渡し役になる場合が多い。他団体のリングに乗り込む際は率先してヒールを演じ、相手側ファンの罵声を浴びて会場の熱気を盛り上げる。ただし、2006年にDRAGON GATEに参戦した際には、ヒールユニットのマッスル・アウトローズ土井成樹Do FIXERドラゴン・キッドの抗争の流れからの参戦ということもあり、以前の赤いマスクを付けたベビーフェイスとして登場している(この時新日本ではC.T.Uとして活動していたので黒マスクを着用していた)。自分の源流である新日本プロレスには強い愛着を見せており、近年多く出版されるようになったプロレス暴露本などで、新日本プロレスの凋落を批判するOBに対し、本隊から離れている時にあっても「選手は一生懸命やっている。観客が来なくなるような発言は控えてほしい」と述べている。
  • 器械体操をやっていた経験からシューティングスタープレスなどの難易度の高い空中殺法を開発したり、小柄な体格にもかかわらず垂直落下式ブレーンバスターを必殺技として定着させたりと、流行技の発信源になっている。
  • 長年新日本のジュニアを支えあってきたエル・サムライとタッグを組むことが多く、IWGPタッグやジュニアタッグリーグで優勝している。
  • 少年時代はミル・マスカラスの大ファンであった。後にタッグながら対戦している。
  • マスクはマイナーチェンジを含めて、たくさんの種類がある。また、毎年1月4日に行われる新日本プロレスの東京ドーム興行では毎年のように違う配色のコスチュームで登場する。マスクは口元だけが破けやすく、その状態で試合を行うこともある。ファンからプレゼントされた手作りマスクを被って雑誌の表紙を飾ったこともある(このファンは後にノブナガにマスクコレクターとして出演し、エピソードを披露している)。
  • プライベートでは大の特撮マニアとして知られる。AKIRAが仮面ライダークウガに出演した際、控え室で野上にいきなりグロンギ語(作品内の架空言語)で話しかけ困惑させたことがある。その他に食虫植物の栽培や工芸なども嗜み、非常に多趣味な人物として有名。釣りも趣味としており、遠征中に事前に調べておいたポイントへ足を運ぶこともある。
  • 手先が器用。趣味のひとつにゴジラウルトラマンなど特撮系キャラクターのフィギュア造型があり、石粉粘土を使った本格的なものである。試合や練習、遠征の合間を見つけて作っているため、完成に1年以上掛かることもあるという。本人曰くウルトラマンなどヒーローより敵側の方が好きで、特にゴジラなどの恐竜型怪獣を好んで制作している。
  • 『大改造!!劇的ビフォーアフター』で道場のリフォームを依頼した際、職人から工芸の腕を「プロ並み」と評価され、道場の表門に埋め込むライオンのエンブレムを制作した。
  • 入場テーマ曲はデビュー時から一貫して「怒りの獣神」(弘妃由美、アニメ「獣神ライガー」前期OP)を使用している(ライガー自身は「プロレスラーの入場曲で、唯一歌える曲だから」と語ったことがある)。
  • 井上や柴田らがデビューしたころから、タイトル戦にあまり絡まなくなり、スーパージュニアなどの大舞台で若手に勝ちを譲る場面もある。
  • 覆面レスラーであることに強い誇りを持っており、練習中も簡易マスクを着用している。また、結婚した時も素顔・本名での披露宴とは別に、マスコミ向けに覆面・獣神サンダー・ライガー名義で披露宴を行っている。
  • ライガーのマスクを被ってからもアメリカやメキシコに頻繁に遠征を行っており、海外での知名度も高い。1995年9月4日WCWマンデー・ナイトロ第1回放送にも登場し、オープニングマッチでブライアン・ピルマンと対戦している。
  • 他団体に上がった際の場の雰囲気に合わせる能力にも長け、みちのくプロレスなどでは宇宙大戦争に参加してウルトラマン・ロビンに水やパイをぶつけたり、メカマミーとの対戦では腕を使用したりとコミカルな路線にも対応出来る。

有名な試合[編集]

  • 1994年2月に橋本真也と対戦した際は、通称バトルライガーと呼ばれるツノを取り去った“対ヘビー級戦闘仕様モデル”のマスクと上半身裸のスタイルで戦った。試合は負けたが、橋本相手に勝利に近付く場面もあった。この時見せたビルドアップされた肉体は、身長170cm未満の選手で100kgに満たないジュニアヘビー級クラスの選手の中で、ヘビー級のパワーを持つ『唯一』の選手とも絶賛されている。
  • 1996年10月20日、グレート・ムタと戦ったときに、ムタに覆面を破られたが、覆面の下には素顔ではなく、白いペイントが施されていた。さらにライガーが自ら上半身のコスチュームを破ると、胸部にもペイントがされていた。奇声を上げ、毒霧を吐き、凶器を使う通常と違うファイトスタイルから一部雑誌では「狂神ライガー」と呼ばれた。この名前はプロレスゲーム『闘魂烈伝』などでも用いられていたが、新日本プロレスの公式ウェブサイトでは「鬼神ライガーと後に呼ばれる様になった」とギミックに若干の修正が行われている。なお、この時は白銀のコスチュームを使用しており、ライガー曰く「あの時だけ」の一度きりの配色である。また、直前の試合でトラブルがあり、このマスクを被って試合をしたこともある(体は普段の赤白のコスチューム)。2006年に非道とのシングルで復活させているが、最初から「鬼神ライガー」というネームでマスクを被らずに登場した。海外では邪神ライガーと表記されていることもある。2012年にも登場。タイチ相手に毒霧、凶器、テーブルなどを使用し勝利。
鬼神ライガーのペイントは金澤克彦によると、ライガーがキッスのファンだった事からキッスのペイントを真似ているらしい[6]
  • 青柳政司戦にてマスクを破られ、素顔で最後まで試合を行い、その際に実況のアナウンサーから「山田恵一」と呼ばれた。この試合でマスクを破られ、逆上したライガーの責めはえげつなく、「ナイフを抜いた」と形容された。
  • 試合前にマスクの盗難に遭い、エル・サムライのマスクを被って試合をしたことがある。その際の雑誌掲載時の見出しは「獣神サンダーサムライガー!?」。
  • 2000年1月4日の東京ドーム大会にて金本浩二と対戦。かねてから新日本ジュニアの過剰な安定化に苦言を呈していたライガーが遂に実際の行動に移す。奇襲に近い試合の組み立てで、僅か3分56秒で金本を一方的にノックアウトした。この後、ライガーの行動に反感を抱いた他のジュニア戦士達に集中攻撃を受ける事になる。
  • 2001年の大阪ドーム大会にてバトルライガーとして村上一成と対戦した際にマスクを剥がされるも、長州を始めとするセコンド達により頭に掛けられたタオルを払い除け、堂々と「素顔」を曝け出したまま小川直也とやりあった(この時辻よしなりは、実況で山田恵一の名前を連呼していた)。
  • 2002年11月30日にパンクラスに参戦。パンクラスルールで鈴木みのると対戦した。この時は飾りの少ないマスク姿、タイツもより動きやすいようトランクスタイプで登場した。ゴングの瞬間に突進し、浴びせ蹴りを見舞うというプロレス魂を見せ付けた。結果は敗れたものの、鈴木を再びプロレスに開眼させ、それ以降鈴木は総合格闘技からプロレスに戻った[7]

タイトル歴[編集]

IWGPジュニアヘビー級王座を11回獲得しており、BEST OF THE SUPER Jr.の優勝3回(「TOP OF THE SUPER Jr.」含む)と共に同タイトルの最多記録である(2005年6月現在)。また、「BEST OF THE SUPER Jr. VIII」では、大会史上初の全勝優勝を達成する。1994年4月にはジュニア・オールスター戦「SUPER J-CUP」を実現させ、第2回、3回と自身も優勝。第4回もザ・グレート・サスケらと組み出場している(本戦は若手中心のトーナメント)。

新日本プロレス
プロレスリング・ノア
DRAGON GATE
大阪プロレス
WCW
CMLL
NWA
WAR
JAPW
  • JAPWライトヘビー級王座
オールスター・レスリング
  • 世界ヘビー・ミドル級王座
スーパーJカップ優勝:2回(2nd.STAGE・3rd.STAGE)
第3代ジュニア8冠王座
後にインターナショナルジュニアヘビー級王座の単独防衛戦で敗れたため、ジュニア7冠王座となる。

得意技[編集]

打撃技[編集]

掌打
骨法の技でライガーはほぼ利き手の左手で使用する。なお、ライガーのものは実際の骨法の掌打のそれではなく、ほぼ掌底打ちに近い。相手の顎を下から打ちぬくアッパー掌打やマウント状態から放つマウント掌打のバリエーションもある。ライガーはこの技をプロレス流にアレンジし、至近距離から連発したり、カウンターの一撃や串刺し式で繰り出すなど多用なバリエーションを見せている。
浴びせ蹴り
骨法の技。前方の相手に向かって前方宙返りする勢いで片足を振り上げ、踵で相手の頭部を打つ。コーナーにもたれかかった相手に追打ちで決める場合が多いが、稀に避けられてふくらはぎを強打することも。

投げ技[編集]

C.T.B(クラッシュ・サンダー・バスター)
アトミック・ドロップのように相手を抱え上げ、そのままフェイスクラッシャーの要領で前方に向かって叩き付ける技。
垂直落下式ブレーンバスター
ライガーの最も多用するフィニッシュ・ホールド。相手の首に片手を回し、もう片手で相手のタイツをつかむ。そのまま相手を持ち上げ、脳天から落とす技。なお、そもそもブレーンバスターは、現在のように背中から落とす形ではなく、垂直落下形であった。
雪崩式垂直落下ブレーンバスター
文字通り雪崩式で仕掛ける垂直落下式のブレーンバスター。
フィッシャーマンバスター
フィッシャーマンズ・スープレックスの要領で抱え上げてから、垂直落下式ブレーンバスターのように脳天から落とす。こちらも一時期、雪崩式で繰り出すものをフィニッシュに使用していたが、最近では使わなくなった。
ライガーボム
ジャンピングパワーボムと同じように前方に向かって相手を後頭部からマットに叩きつけ、その際受身を取った相手の両腕を足でロックする技。ライガーはさらに腰を落として後方に体重をかけるようにして座り込みながら相手をマットに落とす。
サンダーライガー・ボム
相手を持ち上げた状態でリングの対角線上にランニングをして叩き付けるランニング式のライガー・ボム。近年ではほとんど使用されなくなった。
渾身のパワーボム
叩き付けた際相手の足にのしかかり自身の体重を浴びせてフォールするパワーボム。
DDT
たまに使用している。ヘビー級と大戦時相手をブレーンバスターで重くて持ち上げられなかった時等にも使用。時々スイング式で使用している。過去に雪崩式をフィニッシュ・ホールドに使用していた時期もある。
雪崩式フランケンシュタイナー
コーナー上に座らせた相手の頭を両足で挟むように正面からウラカン・ラナのように跳び付き、自らの体を後方に勢いよく反り、足首を使って投げ捨てる技。フランケンシュタイナーは元々、スコット・スタイナーのフェイバリットムーブだが、雪崩式に応用したのはライガーが最初で、以降空中戦を得意とするジュニア選手を中心に定着していく。公開当初はそのままフォールの体勢に入っていたが徐々に投げっぱなし式のような形へと変化していった。
ジャーマン・スープレックス
素顔時代にフィニッシュとして愛用していた技。ライガーは、リック・スタイナーの影響を受けてから、投げ捨て式を多用するようになった。トップロープから相手を一回転式で投げる雪崩式も時々使用している。
ライガースープレックス(獣神原爆固め)
相手の片手を反対の足の下で掴み、そのままジャーマン・スープレックスに移行する技。小林邦昭とのデビュー戦でフォールを奪った技だが、最近は使っていない。素顔時代の得意技アスナロスープレックスII(飛燕原爆固め)の改良版。

関節技[編集]

鬼殺し
骨法の技で、腕を絡め取る関節技。骨法を習っていた時に一時期使っていたが、現在は使われていない。ちなみに同名の技を同じ新日本所属の矢野通が使用しているが、こちらはパワーボムに近い技であり全くの別物である。
腕ひしぎ逆十字固め
相手が関節技に秀でた相手の場合、対抗してこの技を狙う時が多い。また潰しあいになるときも仕掛ける。
チキンウィングアームロック
こちらも上記同様潰し合いになるような試合や格下相手のシゴキ試合のような場面でよく用いられる。スタンド状態から巻き込んで極める巻き込み式も使用。ライガーはこの技を仕掛けた際すぐさまヘッドシザーズに移行することもある。
チキンウィングフェイスロック
主に1980年代から1990年代頃まで使用していた。ほとんどは胴締め式で極める。獣神ライガー時代にはこの技とドラゴン・スリーパーの複合技を披露していた。
キャメルクラッチ
時として悲鳴が上がるほど思い切り締め上げることがある。
足4の字固め
昔から時々使用している。テレビ中継の際解説のマサ斎藤から「ライガーは体が小さいから威力が弱い」と苦言を呈されていた(腕十字も同様のコメント)。
コウモリ吊り(ムルシェラゴ)
自分は片膝状態で、立てた片膝の方向に相手の頭が来るように、うつぶせ状態で両肩に相手を横抱き。自分の首を支点に相手の両足を四の字に交差し伸ばしたほうの足を腕で捕える。相手の胴を内側に折り曲げるようにして片膝状態の内股部分に相手頭部が来るように固定。相手の重みを自分の両肩で受け、その重さを使って四の字にした相手の膝関節を極める。首を支点に使った足4の字固めのバリエーションの一つ。滅多に使わない技。
ロメロスペシャル(吊り天井)
初期のライガーは正調ロメロスペシャルを良く使っていたが、後年はほとんど、吊り天井に行く前の段階でサーフボードの腕を外してそのまま相手の首をドラゴン・スリーパーに捕らえるパターン(変型カベルナリア)が主流となっている。全盛期は正調ロメロスペシャルから変型カベルナリアへの連携を良く見せていた。他にも過去に腕を外した際にチンロックで絞り上げるロメロ・チンロックも見せている。
変形カンパーナ
グラウンド状態で極める変形。この技からキャメルクラッチあるいは変形カベルナリアに移行する事が多い。
インディアン・デスロック
昔から時々使用している。仕掛けた後フロントネックロックや羽根折り固めを併用して使用する場合もある。

固め技[編集]

高角度前方回転エビ固め
相手の肩に側面から飛びついて前方回転して極める。肩車状態の時に後方に方向転換して極める後方回転式や飛びついた際にホイップして極めるホイップ式も使用。最近では使用していない。
スモールパッケージホールド(首固め/小包固め)
あまり見せないが時々使用している。
ウラカン・ラナ
よく自分から相手に飛びついて極めることが多かった。最近は使われていない。
ラ・マヒストラル
昔からよく使用している。カウンターでカニ挟みから移行して極める連携も見せている。
横十字固め
ロープワークから相手のラリアットをかいくぐり飛び付いて決めることが多い。
サムソン・クラッチ
ヘビー級と対峙する時などに時折使用している。

飛び技[編集]

トペ・コンヒーロ
場外の相手へ前方宙返りしながら体を当てる飛び技。コーナーポストから飛ぶ形と、ロープを潜りリングから飛ぶ形の2パターンで行う。正調版は主に1990年代中頃に使用していた。現在はエプロンを走って場外の相手にアタックをかけるパターンを多用する。
ラ・ケブラーダ
エプロンサイドから場外の相手に対しロープの反動を利用してムーンサルトアタックを行う空中技。元祖はウルティモ・ドラゴンで、若手時代にメキシコで身につけたものを「アサイ・ムーンサルト」として日本に持ち込んだのが最初。バランス感覚と跳躍力が必要な技であり、受身を取りそこなうことも多い非常に危険な技である。こちらも1990年代中頃に使用していた。
フロッグスプラッシュ
コーナートップから跳び、空中で手足をカエルのように一度屈伸させてから相手に体を浴びせる技。コーナーからリング内へ飛ぶ技では最も使用頻度が高く、フィニッシュ・ホールドとして用いられることも多い。
ムーンサルトプレス
リングを背にしてコーナーに登りそのままバック宙、倒れている相手を身体ごとプレスする。若手時代の代表的な決め技のひとつだったが、一時期を境に使用機会が減少、ほぼ封印状態となる。しかし1990年代中頃、ヘビー級戦線へ不定期参戦していた時期に「ヘビー級の選手との体重差を埋めるため」として再び使用するようになった。跳躍する際に体が斜めに流れる癖があり、しばしば「ライガー独特のムーンサルト」と表現される。それ以来長らく使用していなかったが、2000年台後半頃から再び使用し始めている。
ある試合中にバク転を披露した際も体が斜めに流れ、これについてVHS闘魂Vスペシャルvol.5のゲスト解説時に田中ケロから「バク転斜めになってたよ」と指摘された。それにライガーは「片耳の鼓膜が破れているから、それで平衡感覚がないのかもしれない」と返答しており、本人はまっすぐ跳んでいるつもりだという[8]
シューティングスタープレス
リングに向かって正面からコーナーに立ち、両腕を広げ、そのまま前上方にジャンプしながらバック宙をするように体を回転させ相手をプレスする。過去に数回しか使われておらず、最近では使う機会はほとんど見られないが、今でも得意技として紹介されていることが多い(過去にタイガーマスクとの試合で披露している)。素顔時代の凱旋帰国時に披露したオリジナル技である。ライガーに変身以降封印していたが1990年1月31日の佐野戦で封印を解いた。ライガー曰く「バック宙してるのに前に飛んで行く、僕にもちょっと分からない不思議な技」「北斗の拳レイが使う南斗水鳥拳をモチーフにした」と、雑誌でのインタビューで答えている。年齢的な衰えから封印したのではないか、という説に関しては「充分練習すれば今でも出来ると思うが、とにかく危険な技なのでもうやらない」と返答した。命名者は田中ケロ。
スターダストプレス
ムーンサルトプレスをベースに、空中で複雑な捻りを加えた技。
トップロープからのローリング・セントーン(ヴァルキリー・スプラッシュ)に更に180度の捻りを加え、ボディ・プレスの体勢で着地するという、非常に高難度の技である。
シューティングスタープレス披露後の雑誌での道場取材で「スターダストプレスはもう出来ている」と発言したことでその披露が待たれていたが、再び海外に出た当人が行方不明となったことで技の名前だけが先行していた。
実際に使用されたのは1996年1月4日に東京ドームで行われた対金本浩二戦の1回のみ。後の雑誌インタビューで、「元々はハヤブサのフェニックススプラッシュと同型の飛び技を予定していたが、既に披露されてしまったために新たに試合で披露したような複雑な形になった」と答えている。
空中胴絞め落とし(ルー・テーズ・プレス)
ダッシュしてきた相手の胴を自らの両足で挟み込みながら前に倒れこんで押し倒し、上になった体勢のままフォールを奪う技。2009年頃からフィニッシュ・ホールドとして多用されている。ライガーはこの技をカウンターで素早く使うため、プレス技というよりもクイックの色合いが強い。

ライバル[編集]

ライガーは自身のライバルとして以下の二人を挙げている。

  • 佐野直喜
    • 新日本プロレス同期入門で、1990年代初頭にIWGPジュニア王座を巡って抗争を繰り広げた。二人の激しい試合を見た先輩レスラーが「お前らそのうちどっちかが死ぬぞ」と言ったエピソードも残っている。
    • その後、佐野はUインターへ移籍し新日とUインターの対抗戦ではライガーの希望で両者のシングルが組まれ名勝負の再現として注目を集めた。試合でも佐野がU系のレスラーとしては異例のトペ・スイシーダタイガー・スープレックスを出し、勝利した。
    • 2009年のライガーデビュー20周年記念試合ではタッグを結成した。
  • クリス・ベノワ
    • 新日に練習生として留学した後に覆面レスラーペガサス・キッドとして来日。ライガーからIWGPジュニア王座を奪取した。1991年にはマスカラ・コントラ・マスカラで対決し、ライガーが勝利してペガサスがマスクを脱いだ。
    • その後もIWGPジュニア戦やベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでの激闘、ジュニア・フォー・ホースメンの結成などで時には味方、時には敵としてライバルストーリーを紡いでいったがクリスのWWE移籍で疎遠となった。
    • そして2007年クリスは死去し、二人の再戦は実現できなくなった。それ以降ライガーはインタビューなどでクリスとの思い出を聞かれても「自分の中で大切に取って置きたい」との考えから一切語らないようにしている。

プロレス以外の活動[編集]

カレーマンの入場時に一緒にカレーダンスを踊ったり、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」では覆面をつけているにもかかわらず五木ひろしのエアーものまねをしてみたり、「全身タイツ隊」のメンバーとしても出演し、メンバーと同じ奇妙な動きを見せるなど、芸達者な一面もある。

また、上記のようなテレビ出演やファミ通で人生相談コーナーを持っていたりしたこともあるなど、リングの外での活躍も多い。「象印クイズ ヒントでピント」などのクイズ番組や「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに出演したこともある。2006年10月から2007年3月にかけてはパチスロ番組「ゴールデンスロット」に準レギュラー出演していた(ただし、番組内でボーナス絵柄の目押しに苦戦する様子などが放送されていることから、ライガー自身はパチスロは素人である模様)。

その他[編集]

  • ヤングライオン時代のあだ名は「ハチ」「ハチ公」。
  • 新日本のレスラーは抗争や因縁アングルを進める時は「潰す」や「殺(や)っちゃう」という語彙を多用するが、ライガーが10年以上使い続けているのは「ぶち殺す」という表現である。
  • プロレスはリング上で繰り広げられる「芸術」であると述べたことがある。
  • 当初は武藤敬司がライガーになる予定だったが、武藤が難色を示したため変更となった、という話がある。
  • 新人育成のために船木誠勝と共に少々過激なことをしていたと告白している。一例として熱湯(50-60℃位らしい)を満たした湯船に新人を放り込み、フタをした上にライガーが乗って「熱ければ自分で出てこい!」というもの。ライガーはこれを「どれだけ必死になれるかを試している」として、「ここで出てこられたヤツは大丈夫。しかし、出てこられないとふたを開け、『おまえはもう田舎に帰れ。プロレスラーには向いていない。』と諭した」と、週刊プロレスの取材で語った。
  • 藤波辰爾を尊敬しており、藤波が作ったドラゴンボンバーズのメンバーだった。
  • デビュー当初から、地毛を出した独特のマスクであったが、2010年後半より、薄毛を隠すためにマスクに毛を張り付けた物に変更された。
  • 鈴木みのるとのパンクラスルールでの試合に敗れた後、菊田早苗に総合格闘技の弟子入りを懇願する姿がCS中継でながされた。これを「パフォーマンス」と受け取った郷野聡寛からはリング上から批判をされている。しかし、ライガーは自宅のある九州でブラジリアン柔術の道場に入門し、試合や巡業の合間に練習を続け、2011年には紫帯を取得。そのことがゴング格闘技にて特集された。柔術の試合は「新日本プロレスの契約選手なので他で怪我をする危険性のあることは難しい」と行わない方針とのこと。
  • 小学校の頃、将来は動物園の飼育員になりたかったらしい。
  • 非常に悪戯好きである。後輩の天山広吉がトイレに入ったところへロケット花火を打ち込むなどエピソードは枚挙に暇が無いが、井上亘には悪戯を見破られて大変悔しそうにしていたというエピソードも。
  • 鈴木みのるとは家族ぐるみの付き合いであり、ライガーが帰宅した際に鈴木がライガーの子供とリビングで寛いでいた事もある(子供を取られたライガーは、仕方なしに愛犬と戯れていた)。
  • フジテレビのドラマ『世にも奇妙な物語』の『覆面』というエピソードに出演(声は声優の中村大樹が吹き替え。作中では試合中に首の骨が折れ即死の状態であった主人公に憑依して試合をした)。
  • 夫人はスペル・デルフィンのファンで、飼い犬に「デルフィン」という名前をつけるほど。
  • 高島宗一郎福岡市長とは旧知の仲で、自宅でお手製の道場ちゃんこを振舞ったこともある(高島は元KBCアナウンサーでワールドプロレスリングの実況も担当していた)。
  • スター高橋にはTVCMで度々水平チョップを見舞っている。

脚注[編集]

  1. ^ a b よみうりテレビカミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW』2009年10月29日放送分にて、広島県広島市出身として出演している。
  2. ^ 週刊プロレスNo1711p37、2013年10月30日発売
  3. ^ “世界の獣神”が“第二の故郷”メキシコ上陸! 今度はライガーのCMLL遠征がスタート!!新日本プロレス公式サイト・2011年9月15日、2013年10月31日観覧
  4. ^ a b 「獣神サンダーライガー あすなろ戦士の尖りまくり青春記」(『G SPIRITS vol.30』辰巳出版、2013年、ISBN 9784777812660)P32
  5. ^ 正確には、2011年12月24日に放送された『イブ真夜中のプロレス祭り"メリー☆愛してマース!"』で行われた、特別試合が新日本復帰戦。
  6. ^ 闘魂V3 vol.5の解説にて。
  7. ^ 対戦相手は本来は佐々木健介の予定であったが、健介の負傷と新日本フロント陣との対立により不可能(その後健介は新日本プロレスを退団)となった所に、ライガーが強烈に対戦をアピールして実現に至った。
  8. ^ 「ライガー、oz VS ノートン、ヒロ斎藤」戦の試合序盤でライガーがヒロとの試合中にバク転をした後、解説でのやりとりで言っている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]