蝶野正洋

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蝶野 正洋
蝶野 正洋の画像
2010年、国立台湾大学総合体育館にて
プロフィール
リングネーム 蝶野 正洋
本名 蝶野 正洋
ニックネーム 黒のカリスマ
黒の総帥
極悪バタフライ
夏男
ミスターG1
身長 186cm
体重 96kg
誕生日 1963年9月17日(48歳)
出身地 ワシントン州シアトル
東京都三鷹市
所属 ARISTTRIST
スポーツ歴 サッカー
トレーナー アントニオ猪木
ルー・テーズ
山本小鉄
デビュー 1984年10月5日
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蝶野 正洋(ちょうの まさひろ、男性、1963年9月17日 - )は、日本プロレスラーアメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ、東京都三鷹市育ち。闘魂三銃士の1人。

ARISTTRIST」(アリストトリスト)という、マルティナ夫人をトップとするグッズブランド・個人事務所も持っており、夫人がデザインした黒色のガウン、レッグガード付きロングタイツを試合時に着用。プライベートでも主に黒色の服を着用している。「オレだけ見てりゃいいんだオラ! I AM CHONO!」が決め台詞。

デビューから長らく新日本プロレスに所属していたが、2010年より夫人の経営する事務所であるアリストトリストの所属となり、フリーランスとして活動している。

目次

[編集] 来歴

大手製紙会社のサラリーマンであった父親の赴任先であるワシントン州シアトルで生まれ、2歳で帰国し、川崎市多摩区東京都渋谷区を経て三鷹市で育つ。東京都立永山高等学校ではサッカーと暴走行為に明け暮れ、その後「親が大学に行けとうるさいから」との理由で2浪した後に神奈川大学に進学するが、同時期に受けた新日本プロレスの新弟子試験に合格。大学に籍を置いたまま入門し、後に中退する。

1984年4月に新日本プロレスへ入門し、同年10月にプロデビュー(初戦の相手は同じくデビュー戦の武藤敬司)。1987年の第3回ヤングライオン杯橋本真也を破り優勝し、後にドイツアメリカ合衆国へ遠征。ドイツでは現在の夫人であるマルティナ・カールスと出会う。アメリカではテーズ道場に短期滞在し、STFを伝授される(当時、道場にいたセッド・ジニアスが直接教えたという説もあり)。

遠征からの帰国後は武藤敬司、橋本真也とともに「闘魂三銃士」として活躍するものの、人気は武藤と橋本の後塵を拝す。しかし、1991年に新日本プロレスの夏期興行G1 CLIMAXの第1回大会を制したことを契機に注目を浴びるようになる。翌年のG1でも優勝を果たし連覇を達成。「夏男」と呼ばれるようになる。

私生活では1991年にマルティナと結婚。2006年7月に結婚15年目にして第1子となる男児が誕生、2009年8月に第2子となる女児が誕生している。

1994年のG1優勝後、「武闘派宣言」によって入場テーマ曲も変えてヒールターン。黒を基調としたコスチュームに一新し、馳浩を大流血に追い込んだ末出血する頭部を掻きむしりながらのSTFで葬る。テーマ曲など現在まで続くスタイルを確立した。週刊プロレスはこの蝶野を「BLACKJACK」と称した。1995年天山広吉ヒロ斎藤とヒールユニット狼群団を結成。1996年に新日本と提携していたWCWに参戦、ハルク・ホーガン率いるnWoに加入し、帰国後にその日本支部としてnWo JAPANを結成。その総帥としてグレート・ムタ(既に武藤敬司として活躍)ら日本人、外国人メンバーを次々と増殖し、「nWo Tシャツ」が大量に売り上げられるなど、一大ムーヴメントを起こし、同年「プロレス大賞MVP」を受賞する。1998年8月8日、大阪ドーム藤波辰爾を破り、8回目の挑戦にして遂に悲願のIWGPヘビー級王座初戴冠。しかし首の負傷により、防衛戦を行うことなく王座を返上、長期欠場に入り、メンバーであった武藤に託すが、nWoの実権を完全掌握されて、行き場を失った蝶野は武藤に反発した。

復帰後の1999年AKIRAドン・フライらと共にTEAM 2000を結成。武藤率いるnWoと抗争を開始し、2000年に武藤との決着戦に勝利。nWoを消滅(実際にはWCWとの提携解除に伴いnWoの使用権が消滅したため)させ、nWoの残存勢力を吸収し組織を拡大。同年、所属選手の大半が離脱し、存続の危機に陥った全日本プロレスから渕正信が新日本に登場。蝶野がマイクパフォーマンスで応戦し、対抗戦の口火を切る。単身全日本プロレス日本武道館大会に歴史的参戦。渕とシングルマッチを行い勝利後、「お前ら家に帰ってマスでもこいてろ!」とアピールし全日本ファンを敵に回した。

2001年は武藤率いるBATTと抗争。2002年、札幌大会でアントニオ猪木に指名され、現場責任者に就任。5月2日の東京ドーム大会でプロレスリング・ノア三沢光晴と初対決。30分ドローに終わる。8月には4度目のG1優勝を果たした。大会後、魔界倶楽部高山善廣藤田和之ら外敵との抗争に入り新日本隊に合流し、TEAM 2000は自然消滅。2003年にノアに初参戦、三沢と組み小橋建太&田上明組と対戦。5月の新日本東京ドーム大会では小橋の持つGHCヘビー級王座に左足靭帯損傷の状態で挑戦。敗れるも「ミスタープロレス対ミスタープロレス」と称されたこの試合で蝶野は小橋のハーフネルソンスープレックス6発を受けきって見せ、小橋と共にファンの大喝采を受けた。

2005年にはヒールユニット、ブラックニュージャパン (BNJ) を結成。8月、G1で5度目の優勝を果たし、同年に急逝した橋本真也に優勝を報告した。長州力が新日本に戻ってくると反長州を掲げ抗争を開始。2006年には新日本社長サイモン猪木と抗争を開始する。

2007年1月4日、東京ドーム大会で武藤とタッグを結成して勝利。G1 CLIMAXにおいて真壁に敗北をした後、リング上にて長州、越中、マシン、ライガーを呼び出し、新軍団結成を呼びかけた。

2007年9月1日 - 2日、幕張メッセ国際展示場・11ホールにおいて「蝶野王国2007 in 幕張」を開催。長州力率いる『LOCK UP』、藤波辰爾率いる『無我ワールド・プロレスリング』、新日本プロレスの3団体合同興行となった。これと同時に三田証券と組んでイベントを証券化することも発表された。資金調達の手法としてファンドの活用を行うことはプロレス界にとって初めてのことであった。

2008年から、自身がGM(ゼネラルマネージャー)を務める「PREMIUM」興行を開催。

2009年1月4日、東京ドーム大会でケビン・ナッシュカート・アングル長州力と日米レジェンドタッグを結成し、G・B・Hに勝利を収めた。10月3日、ノア・大阪府立体育会館で行われた三沢光晴追悼興行に参戦。かつて戦った小橋と、GHC王者の潮崎とタッグを結成した。10月12日、蝶野正洋25周年特別興行「ARISTRIST IN 両国国技館」開催。自身は小橋と武藤とタッグを組んでメインイベントに登場して勝利した。

2010年1月4日の東京ドーム大会を最後に、蝶野は首や両膝の治療と本人曰く「体のリビルド」のために長期休養に入った。1月21日に自身の25周年記念パーティーを行い、これに先立って行った会見の中で、2010年1月末をもって新日本プロレスを退団し、フリーランスとなった。

2010年11月5日・6日の全日本プロレス台湾興行に参戦。

2011年より師匠であるアントニオ猪木が会長を務める「イノキ・ゲノム・フェデレーション」(IGF)のエグゼクティブプロデューサーに就任することが決まった。なお、IGFでは選手としてはリングに上がらずプロデュースに専念する予定。

2011年3月6日、ZERO1両国国技館大会で行われた橋本真也の息子・大地のデビュー戦の相手を務めた。

2011年12月末でIGFのエグゼクティブプロデューサーを退任。

[編集] 人物

  • 遅刻癖があるため本来の集合時間より早い時間を集合時間として伝えることを“蝶野時間”と言われている(PS2版レッスルキングダムクロストークDVDで暴露、収録当日も本来の集合時間より一時間早い時間を伝えられていた[1])。
  • 1999年12月、夫人との二人三脚のブランド「ARISTRIST」(アリストトリスト)を設立。デザインコンセプトはブラックを基調とし、「ストリート・フォーマル・ファッション」をキーワードにアパレル以外にもサングラスから靴までトータルデザインを手がけている。現在表参道に出店。
  • 2007年10月6日に公開された松竹映画『未来予想図 〜ア・イ・シ・テ・ルのサイン〜』を撮った映画監督蝶野博は、従兄弟にあたる(蝶野の父の弟の息子とのこと)。
  • ルー・テーズの最後の試合相手である(1990年12月26日、浜松アリーナでシングルマッチで対戦)。
  • 自他共に口ひげがトレードマークと認められてきたが、2011年2月15日に行われたジレット製品「FASHION ProGLIDE[2]」のPRにて25年ぶりに剃った[3]
  • 新日本プロレスで初めて大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを行ったことで有名(1999年4月10日の東京ドーム大会)だが、ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチには否定的であり、2000年に長州力がノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチで現役復帰した際、解説席にいた蝶野は開口一番「あんなものはレスラーのやるものじゃない。(長州が)現役復帰したとは認めない」と発言している[4]

[編集] 夏男

蝶野は新日本プロレスのシングル最強決定戦であるG1 CLIMAXを5度優勝していることから夏男とも呼ばれる。ベビーフェイス時代に3度、ヒールターンしてからは2度優勝を果たしていて、しかも5回中4回がリーグ戦形式による公式戦を勝ち上がっての優勝である。

  • 第1回(1991年)では、優勝決定戦の進出を橋本真也と争い、決勝の相手は武藤敬司であった。優勝を決めた瞬間、大量の座布団が投げ込まれた。
  • 第2回(1992年)では、第75代NWA世界ヘビー級王座を賭けたトーナメントで当時隆盛を誇っていたWCW勢が大挙して来日し、決勝ではそのリック・ルードを破っての優勝であった。
  • 第4回(1994年)では優勝決定後に「俺がG1男の蝶野だ、覚えておけ!」とリング上で周囲、マスコミ、ファンに叫んだ。
  • 第12回(2002年)では、高山善廣ら外敵と新日勢という構図となり、決勝戦は高山にケンカキックを10連発で叩き込んで優勝を果たした。
  • 第15回(2005年)では、7月に橋本が死去したのを受けて必勝を誓って出場し、公約通りに優勝を果たした。優勝決定後、リング上でのインタビューで橋本に優勝の報告をした。決勝戦での入場では、自身の入場テーマのイントロを「爆勝宣言」に差し替えた物を使用。

[編集] テレビ出演

[編集] 入場テーマ曲

「FANTASTIC CITY」
1991年まで使用。作曲はプロレス入場曲を多く手がける鈴木修
「FANTASTIC CITY '92」
「FANTASTIC CITY」のスローテンポバージョン。1992年から1994年のG1クライマックスまで使用。
「BLACK RAIN~飛翔~」
1994年のG1クライマックスで当初使用していた曲。大会の期間中に再び「FANTASTIC CITY'92」に戻されており、使用期間の非常に短い幻のテーマとなっている。
「CRASH〜戦慄〜」
ロイヤル・ハント「MARTIAL ARTS」のタイトル違い[6]。一般的に「CRASH(クラッシュ)」と呼ばれている。主に使用されているのはパフ・ダディーの「No Way Out」と「VICTORY (NINE INCH NAILS REMIX)」の一部が前奏として付け加えられているバージョン。前奏部分の歌詞は、「Damn. I would have never thought it ever would have been like this.Fuck you all niggaz wanna do!(和訳:クソったれ、こんなになるとは思ってなかった。この野郎、一体何がやりてえんだ)」となっている。テレビ朝日では江頭2:50の登場曲としても使用されることもある。
  • 「nWo CRASH」 - 「CRASH」の前奏部分をnWo JAPAN共通の前奏にし、間奏部分に「nWo」などの音声を入れループを変えたもの。nWo所属時にのみ使用。
  • 「CRASH 君が代バージョン」 - 「nWo CRASH」の前奏部分を「君が代クラブミックス」(エレクトリックギターベースによる君が代)に変更したもの。東京ドームで行われた大仁田厚とのノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ、女性レスラーであるジョーニー・ローラーとのシングルマッチでの入場時に使用されて、ハマーに乗って登場した。
  • 「HARD CRUSH」 - 「CRASH」のハードバージョン。打ち込みサウンド主体・シンセサイザーを効かせた前奏・冒頭の肉声が入らない、などノーマルのCRASHとは一風異なる曲調。蝶野が現場監督を勤めていた一時期のみ使用していた。2003年に参戦したプロレスリング・ノアでも使用した。また、オールスタープロレスリングでも使用されている。

[編集] 主な得意技

派手な技はあまり使わず、基本的でシンプルな技を中心に試合を組み立てる。相手にやられて虫の息になったように見せかけて(いわゆる「死んだフリ」)、相手レスラーの隙を突いて攻め立てる試合が特徴である。

ケンカキック(ヤクザキック)
サッカー時代に培った強靭な下半身を利して相手の顔面を蹴り倒す技。元々は「ヤクザキック」(若手時代から使っており、当時の蝶野の髪型がパンチパーマだったため、その容姿と関連して)と呼ばれていたが、テレビでは「ヤクザ」が放送上大っぴらに使用できない言葉のため、ケンカキックと呼ばれるようになった。ビッグブーツと呼ばれる蹴りと異なり、当てる相手に対して体が開き、斜めに向く点が特徴。
シャイニングケンカキック(シャイニングヤクザキック・シャイニングマフィア)
相手の片膝を踏み台にしてのヤクザキック。ライバルの武藤が繰り出すシャイニング・ウィザードを蝶野風にアレンジした技。近年のフィニッシュ・ホールド。「シャイニングブラック」と「週刊プロレス」に記載された時期もあった。
スライディングケンカキック(スライディングヤクザキック)
ヤクザキックの派生技で、体勢を崩した相手の顔面へ、スライディングしながらケンカキックを打ち込む技。
STF
蝶野の代名詞的な関節技。最近は試合中盤で出す繋ぎ技・痛め技になっているが、大一番ではこれの派生技をフィニッシュとして使うことがある。若手の頃はパワーボムを放った後足を取りSTFに移行する連携も使用していた。
クロス式STF
相手の両足をクロスさせ、動くことを困難にさせる。ロープエスケープが出来ないためほぼ確実にタップを取れる技である。滅多に出すことはなく、ドーム大会などのビッグイベントでのみ繰り出す。
原型STF
相手の顎から右側面を左手で押さえ左側に力を加える。通常のSTFからの連携も一時期使用していた。
STS
相手の頭部をフェースロックではなく、スリーパーホールドに捉える。
FTS
STFを体勢そのままに相手を上に体勢を入れ替える。馳浩が繰り出した裏STFとの違いは、トーホールドが完全に決まっている状態で返している点にある。体勢を逆にするということで、技名もSTFの逆。
羽根折り固め(バタフライロック)
尻餅をついている相手の両腕を締め上げ、首を前方へと押さえ付け、首関節・肩を極めるとともに呼吸困難にさせる技。一時期、この技をフィニッシュ・ホールドに使用していた。正式名称は羽根折固め(リバースフルネルソン)だが、蝶野が使う場合は使用者の苗字もしくは使用時の見た目から、「バタフライ・ロック」とも呼ばれる。元々はUインターとの対抗戦の時期に開発した技で、当時Uインター所属であった安生洋二や高山善廣からこの技でギブアップを奪っている。
バックドロップ
蝶野のバックドロップはルー・テーズからアドバイスを受けたものでいわゆる「ヘソ投げ式」のものであるが、低空で落とすまでのスピードが速く角度が鋭角である。大一番でしか繰り出さない技。小橋建太との戦いでは危険な角度で小橋を3連続で投げ飛ばした。
ダイビングショルダーアタック
トップロープから跳んで相手の肩口に向かってショルダータックルを決める技。若手時代からの得意技。
蝶天魚雷
天山広吉と同時にトップロープから飛んで行うショルダータックル。公開された当初はバラバラに行っていた。
CTC
天山広吉との合体技。膝を付いた相手に対し、蝶野の膝蹴りと天山のパンチを挟み込むように当てる。Chono Tenzan Crushの略。
ゴッチ式(ドイツ式、ジャーマン)パイルドライバー
股下をクラッチしたドリル・ア・ホール・パイルドライバー。相手の股に手を当てがい落差を増す程度でクラッチまでには至らないこともある。
G1パワーボム
第1回G1を優勝した際は、この技で最後粘る武藤を振り切った。そのときのインパクトから「G1パワーボム」と呼ばれている。蝶野のパワーボムは、自分の両膝を着きながら相手を叩き付けている。
ネックブリーカー・ドロップ
スイング式ネックブリーカーだが上記の技名で呼称されることがほとんど。ケンカキックやSTFへの布石、繋ぎ技として試合中盤に好んで使用している。
マンハッタン・ドロップ
相手の股間部分や尻に打撃攻撃を与える技。
エルボー
ヒールターン直後に多用。
フライングニールキック(バタフライニールキック)
大一番で稀に繰り出していた。「扇を広げる形」とは異なり、半身を返して当てて行くスタイル。
急所攻撃
厳密には反則技であるが、ヒールターン後の蝶野は試合時に股間攻撃を巧みに繰り出している。具体的にはバックを取った相手にバックヒールのような形、仰向けの敵の股間にヘッドバットや膝を落とすような形、など様々。
張り手
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にゲスト出演した際に、強烈なビンタを見舞うことが「蝶野ビンタ」として有名になった。実際に喰らう事が多い山崎邦正は「星が散った」と零す程威力があるそうで、それを見ていた松本人志は「川で熊が鮭を捕る時のよう」と称賛している。

[編集] 獲得タイトル

NWA世界ヘビー級王座ベルト掲げる蝶野
  • NWA世界ヘビー級王座 : 1回(第75代)
    • 第2回G1優勝と共に獲得。日本国外で2度防衛に成功している。1992年9月23日のスティーブ・オースチンとの初防衛戦では、(蝶野曰く「変な」)パイルドライバーを受け、古傷の首を悪化させている(ちなみに数年後、オースチンもオーエン・ハートから同じ技を受け首に爆弾を抱えている)。因みにこのベルト保有期間中、UWFインターから挑戦状を叩き付けられた。
  • IWGPヘビー級王座 : 1回(第22代)
    • 8度目の挑戦で初獲得。しかし椎間板セキ椎症を理由に初防衛戦を行えず王座返上。以降も3度挑戦するも獲得できず。蝶野にとっては相性の悪いベルトとなっている。
  • IWGPタッグ王座 : 6回(第12・25・28・33・34・43代)
    • 身内の不幸とパートナーの負傷欠場を理由に2度返上をしている。パートナーは武藤敬司→天山広吉で2回→武藤敬司→天山広吉で更に2回獲得。
  • HCWヘビー級王座
  • G1 CLIMAX 優勝 : 5回(1991年・1992年・1994年・2002年・2005年)
    • 最多優勝記録である。このことから蝶野のことを「G1男」「夏男」等と呼ばれる。これに関しては別の節で後述する。
  • SGタッグリーグ優勝 : 1回(1997年)

[編集] CD

[編集] CM出演

  • マルちゃんソース焼きそば Wソース(1998年)
  • 産経新聞(1999年)
  • 日本文化センターテレホンショッピング「パワートレーナー」
  • フジボウ 「B.V.D.」(武藤敬司と共演)
  • サントリー マグナムドライ(すべて声のみの出演)
    • 『頼れる男篇』(2003年2月8日 - )
    • 『マグナムグルメ篇』(2003年3月1日 - )
    • 『松井いくぞ篇』(2003年5月15日 - )
    • 『マグナム友情篇』(2003年5月20日 - )
    • 『マグナム秘訣篇』(2003年11月1日 - )
    • 『マグナムクエスチョン篇』(2003年11月1日 - )
    • 『おつかれ篇』(2004年7月10日 - )
    • 『みんなで乾杯篇』(2004年6月18日 - )
  • サントリー -196℃ストロングゼロ<ダブルレモン>
    • 『リングで説教篇』(石原さとみと共演)(2009年2月3日 - )
    • 『記者会見で説教篇』(石原さとみ、武藤敬司と共演)(2010年2月2日 - )
  • サントリー ジョッキ生(2009年10月 - )

[編集] 商品プロデュース

  • STF弁当(「サークルK」より出品した。)
  • STFおにぎり(同上)

[編集] 映画・Vシネマ出演

[編集] 著書

[編集] 脚注

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  1. ^ PS2用ゲームソフト「レッスルキングダム」公式サイト
  2. ^ [1]
  3. ^ 蝶野正洋、25年ぶりに口ひげを剃った!「寒くて風邪引いちゃう」
  4. ^ 2000年7月31日付日刊スポーツ
  5. ^ AKB48のロケにも不定期出演。
  6. ^ ただし、ループの回数が原曲より多い。
  7. ^ WWA World Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月27日閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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