G1 CLIMAX

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G1 CLIMAX(ジーワン・クライマックス)は、新日本プロレスが主催するヘビー級選手によるシングルマッチのリーグ戦トーナメント戦。「真夏の祭典」として知られている。

概要[編集]

発案者は当時の新日本プロレス社長坂口征二。「G1」は競馬ファンとしても知られる坂口が競馬のGIレースから取って名づけている。

1991年に第1回大会が開催され、以降、毎年8月上旬頃に開催されている。試合会場は愛知県体育館大阪府立体育会館など地方でも行われているが、第23回(2013年)まで優勝決定戦は必ず両国国技館で行われた。第24回(2014年)は西武ドームで優勝決定戦を開くと発表されている[1]。なお、1993年から1998年までは両国だけで行われた。

基本的にはヘビー級、ジュニアヘビー級を問わず、新日本プロレス最強の選手を決定する大会だが、外国人選手や他団体の選手が参加することもある。1996年には、J-CROWN(8冠統一決定トーナメント戦)も同時に開催されて、ザ・グレート・サスケが優勝した。また、1998年にはこのとき新設されたIWGPジュニアタッグ王座の初代王者を決めるための総当たりリーグ戦が同時に開催され、参加した4チームのうちの上位2チームが同年8月8日の大阪ドーム大会で王座決定戦を行い大谷晋二郎高岩竜一組が初代王者となった。

大会形式には以下の3通りがあり、年によって方式が異なる。

2005年から「ニュージャパン・カップ」が開催されるようになった為、トーナメント方式の大会はNJCのほうに受け継がれる。
  • リーグ戦方式(1991年、1994年、1996年、1999年、2008年、2010年~2013年)
2ブロックに別れてリーグ戦を行い、各ブロックの最高得点者の2人が優勝決定戦で最強者を決定する。
  • リーグ戦+決勝トーナメント方式(1995年、2000年~2007年、2009年)
各ブロックで1位、2位の選手が決勝トーナメントに進出し、勝ち抜いた選手が優勝決定戦で最強者を決定する。

最高得点者が同点だった場合は進出者決定戦やリーグ戦での直接対決により順位、決勝進出者を決めるなどで対応している。以下に主な例外を挙げる。

1999年-最終日にリーグ戦が終了した時点でAブロックの武藤敬司永田裕志が同点だったため、決勝進出決定戦で勝利した武藤が1位として優勝決定戦に進出。最終日に1日に3試合を行った。
2000年-4ブロックでリーグ戦が開催され、各ブロックの1位の選手が決勝トーナメントに進出した。
2001年-日本人選手だけの参加となったので、9月に「G1 WORLD」と銘打って外国人選手参加で行われ、優勝者同士で真王者決定戦を行う予定だったが、フライが直後に出場したPRIDE.16で負傷した為、延期となっていたが実現されていない。
2004年-各ブロックの3位までが決勝トーナメントに進出する方式だったが、Aブロックの最高得点者が6人いたため、6人の直接対決と進出者決定戦により、柴田勝頼が1位、天龍源一郎が2位、中邑真輔が3位で進出した。
2009年-Aブロックの田中将斗真壁刀義棚橋弘至3人が勝ち点7で並んだが、田中は両選手に負け棚橋と真壁は引き分けだったため棚橋と真壁が同率1位となり、コイントスで1位2位が決められた。

優勝者には表彰状優勝旗トロフィー、そして優勝賞金1,000万円(開催当初は500万円だった)が授与される。さらに副賞としてIWGPヘビー級王者ではない場合、自動的に王座への挑戦権を与えられる(2012年以降は後述する「挑戦権利書」という形で渡される)。王者として優勝したのは、武藤敬司佐々木健介の2人だけで、武藤はグレート・ムタ(1997年)、健介はパワー・ウォリアー(1994年)として出場経験があり、また2人は全日本プロレスチャンピオン・カーニバルにも優勝している(武藤は2002年、2004年、2007年。健介は2005年)。

主な記録 (2013年現在)[編集]

  • 最多出場 - 18回 : 天山広吉(1995年~2009年、2011年~2013年)
  • 連続出場 - 15年 : 蝶野正洋(1991年~2005年)、天山広吉(1995年~2009年)、永田裕志(1999年~2013年)
  • 最多優勝 - 5回 : 蝶野正洋(1991年、1992年、1994年、2002年、2005年)
  • 連続優勝 - 2大会連続 : 蝶野正洋(1991年、1992年)、天山広吉(2003年、2004年)
  • 全勝優勝 - 長州力(1996年:リーグ戦+優勝決定戦。不戦勝含む)、天山広吉(2006年:リーグ戦+決勝トーナメント)
  • IWGPヘビー級王者の優勝 - 武藤敬司(1995年)、佐々木健介(2000年)
  • 新日本非所属選手の優勝 - 小島聡(2010年:フリー
  • 最年少優勝 - 24歳9ヶ月 : オカダ・カズチカ(2012年)
  • 最短キャリアでの優勝 - 5年1か月 : 後藤洋央紀(2008年:2003年7月デビュー)
  • 通算勝利 - 57勝 : 天山広吉(2013年まで)

歴代優勝者[編集]

優勝者
準優勝者
出場者 ※初出場はリンク。
第1回 蝶野正洋 A:武藤敬司藤波辰爾スコット・ノートンビッグバン・ベイダー
B:蝶野正洋橋本真也クラッシャー・バンバン・ビガロ長州力
武藤敬司
1991年8月7日 - 11日
8選手による2ブロック・リーグ戦で開催。蝶野が「1・2・3、ダァーッ!」で締める、闘魂三銃士が上位を独占
第2回 蝶野正洋 蝶野正洋、リック・ルードアーン・アンダーソンスティーブ・オースチン、武藤敬司、バリー・ウインダムトニー・ホーム、クラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートン、佐々木健介ジム・ナイドハート、馳浩、テリー・テイラー、橋本真也、ザ・バーバリアンスーパー・ストロング・マシン
リック・ルード
1992年8月6日 - 11日
16選手によるトーナメントで開催。蝶野が優勝と同時に第79代NWA王者になる。
第3回 藤波辰爾 藤波辰爾、馳浩、橋本真也、小原道由木村健悟飯塚孝之冬木弘道阿修羅・原、蝶野正洋、藤原喜明木戸修石川敬士越中詩郎、スーパー・ストロング・マシン、武藤敬司、ザ・グレート・カブキ
馳浩
1993年8月2日 - 8日
日本人16選手によるトーナメントで開催。トーナメント開催日は3日〜7日。両国国技館7連戦。
第4回 蝶野正洋 A:蝶野正洋、長州力、武藤敬司、藤原喜明、谷津嘉章、木戸修
B:パワー・ウォリアー、藤波辰爾、橋本真也、馳浩、越中詩郎、飯塚孝之
パワー・ウォリアー
1994年8月3日 - 7日
日本人12選手による2ブロック・リーグ戦で開催。大会終了後、蝶野が武闘派転向を宣言。両国国技館5連戦。
第5回 武藤敬司 A:武藤敬司、蝶野正洋、リック・フレアー、越中詩郎
B:橋本真也、スコット・ノートン、佐々木健介、天山広吉
橋本真也
1995年8月11日 - 15日
8選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。武藤が史上初、IWGP王者としてG1制覇(2冠達成)。両国国技館5連戦
第6回 長州力 A:長州力、佐々木健介、天山広吉、橋本真也、平田淳嗣
B:蝶野正洋、武藤敬司、越中詩郎、山崎一夫小島聡
蝶野正洋
1996年8月2日 - 6日
日本人10選手による2ブロック・リーグ戦で開催。長州、平田淳嗣の負傷欠場による不戦勝を含めて全勝優勝。両国国技館5連戦
第7回 佐々木健介 佐々木健介、蝶野正洋、小原道由、橋本真也、山崎一夫、小島聡、ロード・スティーブン・リーガル安田忠夫、天山広吉、スコット・ノートン、平田淳嗣、中西学グレート・ムタバフ・バグウェル
天山広吉
1997年8月1日 - 3日
14選手によるトーナメントで開催。新日本 vs nWo がテーマ。両国国技館3連戦。
第8回 橋本真也 橋本真也、山崎一夫、蝶野正洋、中西学、越中詩郎、西村修、小原道由、佐々木健介、藤波辰爾、天山広吉、小島聡、ビッグ・タイトン、安田忠夫、天龍源一郎、武藤敬司、後藤達俊
山崎一夫
1998年7月31日 - 8月2日
16選手によるトーナメントで開催。橋本、8度目の出場で初優勝。両国国技館3連戦。
第9回 中西学 A:武藤敬司、永田裕志、藤波辰爾、佐々木健介、小島聡、安田忠夫
B:中西学、蝶野正洋、越中詩郎、天山広吉、橋本真也、山崎一夫
武藤敬司
1999年8月10日 - 15日
日本人12選手による2ブロック・リーグ戦で開催。武藤、最終日に1日3試合。
第10回 佐々木健介 A:藤波辰爾、飯塚高史、永田裕志、後藤達俊、獣神サンダー・ライガー
B:佐々木健介、木戸修、ブライアン・ジョンストン、小島聡、ヒロ斉藤
C:中西学、安田忠夫、西村修、天山広吉、鈴木健想
D:蝶野正洋、越中詩郎、平田淳嗣、吉江豊高岩竜一
中西学
2000年8月7日 - 13日
20選手による4ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。佐々木、IWGP王者としてG1制覇(2冠達成)。Jrヘビー級の選手が初めて参加。
第11回 永田裕志 A:永田裕志、藤波辰爾、中西学、田中稔、安田忠夫、村上和成
B:武藤敬司、蝶野正洋、天山広吉、小島聡、西村修、獣神サンダー・ライガー
武藤敬司
2001年8月4日 - 12日
日本人12選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。優勝トロフィーが一新される。9月には外国人選手参加の「G1 WORLD」が開催された(優勝=ドン・フライ、準優勝=スコット・ノートン)。
第12回 蝶野正洋 A:高山善廣、佐々木健介、越中詩郎、吉江豊、棚橋弘至、天山広吉
B:蝶野正洋、永田裕志、中西学、西村修、鈴木健想、安田忠夫
高山善廣
2002年8月3日 - 11日
日本人12選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。「新日本vs外敵」がテーマ。
第13回 天山広吉 A:天山広吉、秋山準、蝶野正洋、西村修、棚橋弘至、中西学
B:永田裕志、高山善廣、吉江豊、中邑真輔、安田忠夫、柴田勝頼
秋山準
2003年8月10日 - 17日
日本人12選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。プロレスリング・ノアから秋山準が出場。
第14回 天山広吉 A:永田裕志、中邑真輔、ブルー・ウルフ、蝶野正洋、柴田勝頼、天龍源一郎、吉江豊、鈴木みのる
B:天山広吉、棚橋弘至、西村修、金本浩二、中西学、真壁刀義、高山善廣、佐々木健介
棚橋弘至
2004年8月7日 - 15日
16選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。天山が史上2人目の連覇。
第15回 蝶野正洋 A:蝶野正洋、天山広吉、藤波辰爾、永田裕志、西村修、鈴木みのる、川田利明ケンドー・カシン
B:藤田和之、棚橋弘至、中西学、中邑真輔、真壁刀義、吉江豊、矢野通、後藤達俊
藤田和之
2005年8月4日 - 14日
日本人16選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。蝶野、史上最多5回目の優勝。
第16回 天山広吉 A:小島聡、棚橋弘至、中西学、ジャイアント・バーナード、獣神サンダー・ライガー
B:天山広吉、永田裕志、真壁刀義、金本浩二、山本尚史
小島聡
2006年8月6日 - 14日
10選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。天山、史上初の全勝優勝(※長州も過去に全勝優勝しているので実質的には2人目だが、不戦勝による勝利が含まれているため、試合を勝利で消化しての全勝は天山が史上初となる)。最終日、超満員札止めにならず。
第17回 棚橋弘至 A:永田裕志、蝶野正洋、ジャイアント・バーナード、、天山広吉、真壁刀義
B:棚橋弘至、中西学、中邑真輔、越中詩郎、矢野通、ミラノコレクションA.T.
永田裕志
2007年8月5日 - 12日
12選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。最終日、超満員札止めにならず。
第18回 後藤洋央紀 A:真壁刀義、棚橋弘至、中西学、井上亘、ジャイアント・バーナード、小島聡、大谷晋二郎
B:後藤洋央紀、天山広吉、永田裕志、中邑真輔、矢野通、川田利明、吉江豊
真壁刀義
2008年8月9日 - 17日
14選手による2ブロック・リーグ戦で開催。後藤は初出場で初優勝。最終日、3年ぶり超満員札止め。
第19回 真壁刀義 A:真壁刀義、棚橋弘至、矢野通、ジャイアント・バーナード、田中将斗大森隆男TAJIRI
B:中邑真輔、天山広吉、永田裕志、中西学、後藤洋央紀、飯塚高史、杉浦貴
中邑真輔
2009年8月7日 - 16日
14選手による2ブロック・リーグ戦+決勝トーナメントで開催。最終日、超満員札止めにならず。
第20回 小島聡 A:棚橋弘至、真壁刀義、中西学、カール・アンダーソン、矢野通、内藤哲也プリンス・デヴィットストロングマン
B:小島聡、後藤洋央紀、永田裕志、井上亘、ジャイアント・バーナード、中邑真輔、高橋裕二郎潮崎豪
棚橋弘至
2010年8月6日 - 15日
16選手による2ブロック・リーグ戦で開催。小島、新日本プロレス所属選手以外の優勝は史上初。チャンピオン・カーニバルとG1の両制覇は史上3人目。出場予定であった丸藤正道は開催目前にケガのためプリンス・デヴィットが出場。最終日、超満員札止めにならず。
第21回 中邑真輔 A:内藤哲也、棚橋弘至、真壁刀義、永田裕志、矢野通、高橋裕二郎、ヒデオ・サイトー、ジャイアント・バーナード、ランス・アーチャー高山善廣
B:中邑真輔、天山広吉、井上亘、後藤洋央紀、カール・アンダーソン、MVP、ストロングマン、ラ・ソンブラ、小島聡、鈴木みのる
内藤哲也
2011年8月1日 - 14日
20選手による2ブロック・リーグ戦で開催。中邑は8度目の出場で初優勝。最終日、3年ぶり超満員札止め。
第22回 オカダ・カズチカ A:棚橋弘至、永田裕志、小島聡、カール・アンダーソン、矢野通、高橋裕二郎、鈴木みのる、丸藤正道シェルトン・ベンジャミン
B:真壁刀義、天山広吉、後藤洋央紀、内藤哲也、MVP、中邑真輔、オカダ・カズチカ、ランス・アーチャー、ルーシュ
カール・アンダーソン
2012年8月1日 - 12日
18選手による2ブロック・リーグ戦で開催。オカダは初出場初優勝、蝶野(27歳11ヶ月)を上回り最年少優勝記録を更新。
第23回 内藤哲也 A:棚橋弘至、真壁刀義、後藤洋央紀、小島聡、オカダ・カズチカ、石井智宏、ランス・アーチャー、デイビーボーイ・スミスJr.、プリンス・デヴィット、柴田勝頼
B:天山広吉、永田裕志、内藤哲也、中邑真輔、矢野通、高橋裕二郎、鈴木みのる、シェルトン・X・ベンジャミン、カール・アンダーソン、飯伏幸太
棚橋弘至
2013年8月1日 - 11日
20選手による2ブロック・リーグ戦で開催。後藤が「右下顎骨骨折」、天山が「肋骨骨折」により、残り3試合を負傷欠場。
第24回 - A:棚橋弘至、小島聡、永田裕志、本間朋晃、柴田勝頼、中邑真輔、石井智宏、シェルトン・X・ベンジャミン、デイビーボーイ・スミスJr.、ドク・ギャローズバッドラック・ファレ
B:真壁刀義、後藤洋央紀、内藤哲也、天山広吉、オカダ・カズチカ、矢野通、鈴木みのる、ランス・アーチャー、AJスタイルズ、高橋裕二郎、カール・アンダーソン
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2014年7月21日 - 8月10日

最終日での出来事[編集]

  • 試合終了後には国技館の大広間にて打ち上げパーティーが行われており、限定100名のオフィシャルファンクラブ「Team NJPW」会員が参加することが出来る。
  • 1991年に蝶野が優勝した際、リング上に大量の座布団が投げられたため、以後座布団の使用が禁止されている[2]
  • 優勝決定戦で先に入場した選手が優勝したのは、1991年の蝶野、2008年の後藤、2010年の小島、2011年の中邑、2012年のオカダ、2013年の内藤。
  • 1993年の優勝決定戦は、最終日前日の8月7日に行われており、最終日はメインで橋本が天龍源一郎とシングルマッチを行ったが敗れた。
  • 1995年に優勝した武藤に副賞として贈呈されたガウンは、東京都にあるプロレスショップ「バトルロイヤル」で展示されていた。
  • 1999年、2001年~2003年は、ワールドプロレスリングのスペシャル特番として夕方から地上波で生放送していたが、2006年からは、スカパー!プレミアムサービス(当時スカイパーフェクTV!)のペイ・パー・ビューで生放送されており、2012年から当日深夜に地上波で放送している「GET SPORTS」枠内にて90分間放送された。
  • 2004年に優勝した天山に副賞のGM社「キャデラック」が贈呈されて、同期の金本浩二が同乗して国技館周辺を優勝パレードした。
  • 2012年に優勝決定戦の試合前に柴田勝頼桜庭和志がリングに姿を現し新日本プロレスに参戦を示唆した。
  • 2013年の参戦選手のうち優勝した内藤哲也が一番キャリアが少ない。

レッスルキングダム・メインイベント挑戦権利書の贈呈[編集]

2012年から毎年G1の優勝者には翌年1月4日に開催される東京ドームイベント「レッスルキングダム」のメインイベント(IWGPヘビー級選手権)への挑戦権利書が挑戦者記入欄が無記入の状態で贈呈されることとなった。

権利書を贈呈されたG1優勝者には残りの半年間、その権利書を狙う挑戦者を相手に防衛戦を課せられることとなり、「防衛に成功すれば保持者のまま次の防衛戦に、防衛に失敗すれば権利書は移動」の繰り返しを行い、年末のビッグイベント終了時に権利書の挑戦者欄に所有しているレスラーの名前が記入され、「東京ドームのメインイベントの挑戦者」[3]として正式に選ばれることとなる。

この権利書争奪戦ルールの始まりは前述の通り、2012年G1 CLIMAX終了後の優勝セレモニーで、2012年G1優勝者のオカダ・カズチカのマネージャー兼セコンドの外道がマイクで「東京ドームのメインイベントの挑戦」を要求し、後日新日本プロレス社長(当時)の菅林直樹が会見で「権利書の防衛を年末まで果たせたら」という条件下の下で承諾し、オカダと外道もこれに同意した事で「東京ドーム試合IWGP挑戦権利書争奪戦ルール」が正式採用されることとなった。

この権利書争奪戦が正式採用された事で、今までIWGP王座とは無縁だったレスラーもIWGP戦に挑戦する事ができるようになり、IWGP戦線がより苛烈な物となった。

脚注[編集]

  1. ^ 新日本、8・10西武ドームに初進出 デイリースポーツ 2014年1月5日
  2. ^ その前日の8月10日にも、メインで武藤がベイダーをフォールした際に座布団が投げ込まれている。
  3. ^ 但し、2014年のドーム大会のメインはファン投票での決定となり、権利書保持者の内藤はセミファイナルとなってしまった。

外部リンク[編集]