ハリー・スミス (プロレスラー)

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デイビーボーイ・スミス・ジュニア
Harry Smith at Stampede cropped.jpg
プロフィール
リングネーム デイビーボーイ・スミス・ジュニア
ハリー・スミス
ブルドッグ・ハート
デビッド・ハート・スミス
DH・スミス
ハーリー・スミス
ハーリー "ブルドッグ" スミス
本名 ハリー・スミス
ニックネーム ブルドッグ二世
カナディアン・ブルドッグ
稲妻二世
身長 196cm
体重 120kg
誕生日 1986年8月2日(27歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
アルバータ州カルガリー
トレーナー ブルース・ハート
デイビーボーイ・スミス
デビュー 2000年
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ハリー・スミスHarry Smith1986年8月2日 - )は、カナダプロレスラーアルバータ州カルガリー出身。

WWEではデビッド・ハート・スミスDHスミス)の名で活動しており、リングネームは「デビッド」がハリーの父デイビーボーイ・スミスの本名から取っており、「ハート」は母方の旧姓でありレスリング一家であったハート・ファミリーから取ったものである。

来歴[編集]

父のデイビーボーイ・スミス、伯父のブルース・ハートからトレーニングを受け、カルガリーを拠点とするスタンピード・レスリングで活動する。

2005年には新日本プロレスにも参戦、蝶野正洋率いるブラック・ニュー・ジャパンと共闘している(新日本参戦時のリングネームはハーリー "ブルドッグ" スミス)。

FCW時代

2006年にWWEとディベロップメント契約を交わし、DSWへ送られ、そこでTJ・ウィルソン(現タイソン・キッド)と共に活動する。その後WWEとDSWの関係解消により、FCWへと移る。そこで21人バトルロイヤルに勝利し、FCW南部ヘビー級王座初代王者となった。

2007年10月にDH・スミスデビッド・ハート・スミス)としてRAWに登場し、父親の得意技ランニング・パワースラムでカリートに勝利する。11月に薬物違反により、1か月の謹慎処分となった。

2008年の追加ドラフトによりSmackDown!へ移籍するが、その後FCWへ送り返される。

2009年の追加ドラフトにより、ECWへ移籍する。5月のタイソン・キッド対フィンレイ戦に乱入し、ヒールとしてECWデビューする。以降はナタリヤタイソン・キッドと共にハート・ダイナスティ(the Hart Dynasty)として活動する。6月のトレードでキッド、ナタリヤと共にスマックダウンへ移籍する。移籍後はクライム・タイムと抗争。その後もヒールとして活動していたが2010年3月28日に開催されたレッスルマニア26でのブレット・ハートビンス・マクマホンの一戦をきっかけにベビーターンする。

4月25日のエクストリーム・ルールズで統一タッグ王者のビッグ・ショー & ザ・ミズ組に勝利し、統一タッグ王座への第一挑戦者となり、翌日のRAWで王者組に勝利し、統一タッグ王者となる(なお、8月16日のRAWのブレットからの発表をもってWWEタッグ王座となる)。その後追加ドラフトによりナタリヤ、タイソン・キッドと共にRAWへ移籍する。

オーバー・ザ・リミットではクリス・ジェリコ & ザ・ミズ組、フェイタル・4ウェイマネー・イン・ザ・バンクではウーソズから王座を防衛してきたが、9月19日ナイト・オブ・チャンピオンズのタッグチーム・ターモイル形式の王座戦でウーソズに敗れて王座から陥落する(試合の結果、コーディ・ローデス & ドリュー・マッキンタイア組が王者となる)。その後もタッグ王座戦線に絡むが負け続け、チームは不和となってしまう。11月15日のジャスティン・ガブリエル & ヒース・スレイター組との試合ではキッドに交代を拒否されて、さらに頭にキックを叩き込まれた。これでハート・ダイナスティは解散となり、キッドはヒールターンした。その後キッドと抗争入るが出番は減っていった。WWE Superstarsを中心に出番もあったが、ギミックチェンジなどの努力も叶わず2011年8月に解雇となった。

WWE解雇後、アントニオ猪木が主宰する日本のプロレス団体であるIGFに8月27日、本名であるハリー・スミス名義で参戦。鈴木秀樹と対戦するも4分余りで敗戦。翌週の9月3日、GENOME17ではボビー・ラシュリーと組んでケンドー・カシン藤田和之組とセミファイナルにて対戦するが敗戦となった。またPWG(Pro Wrestling Guerrilla)、Ring Ka King、RPW(Resistance Pro Wrestling)などのインディー団体に参戦。

ランス・アーチャー(左)とのタッグK.E.S.として活動するスミス(右)

2012年8月、古巣である新日本プロレスに参戦。鈴木みのるがリーダーを務めるヒールユニット、鈴木軍に参加。メンバーの一人である、元WWEに所属していたランス・アーチャーと共に外国人タッグチームK.E.S.Killer Elite Squad)として活動。新日本に復帰した当初はリングネームをIGFで使用したハリー・スミス名義であったが、9月よりデイビーボーイ・スミス・ジュニアに変更。10月8日のPPV、"NJPW 40th anniversary KING OF PRO-WRESTRING" にて天コジ天山広吉&小島聡)が保持するIWGPタッグ王座に挑戦し、勝利を収めて第61代IWGPタッグ王者となった。

2013年3月にはNEW JAPAN CUPに初出場。初戦で中邑真輔を破る波乱を巻き起こし、ベスト4の成績を残す。4月7日、"INVASION ATTACK" ではトリプル・メインイベントに出場し、中邑の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に初挑戦。ボマイェで敗北を喫する。

4月20日、NWAヒューストンのイベント "Parade of Champions" にアーチャーと共に参戦。NWA世界タッグ王座保持チームのキングス・オブ・ザ・アンダーグラウンドスコット・サマーズ & ライアン・ジェネシス)とIWGPタッグ王座とNWA世界タッグ王座を懸けたダブルタイトルマッチにて勝利し、タッグ二冠王者となった[1]

ファイトスタイル[編集]

幼少期のハリーは、父デイビーボーイ・スミスが日本から持ち帰ったVHSのビデオテープを鑑賞していた(そのビデオには『全日本プロレス中継』がそのまま録画されていた)。そのためジャンボ鶴田天龍源一郎スタン・ハンセンなどにインスパイアされた。ジャンボ鶴田への強い憧憬から、WWE時代にジャンピングニーアタックを決めた後に右手を突き上げるパフォーマンスの所までを自身の定番ムーヴとしようとしたが、日本のプロレスを知らない観客からの反応は非常に冷めたものだった。また、10代後半の頃には海賊版ビデオを収集し、新生UWFリングス四天王プロレス時代の全日本、獣神サンダー・ライガーケンドー・カシンなどがキーパーソン時代の新日本ジュニアなどに興味を持ち、自身のファイトスタイルに転化させた。新日本初参戦時はニールキックやキャプチュードなど前田日明ゆかりの技を使用していた。しかしWWEでは特に背後から組み付き相手の頭部をマットに叩きつける投げ技(急角度のバックドロップやジャーマンスープレックス)が「ハイリスクムーヴ = 危険な技」としてNGにされてしまった[2]。 2012年以降、日本に定期的に参戦し、来日する度に佐山聡や桜庭和志、藤原喜明を訪問し、技の習得に勤しむ様子が本人のTwitterにて確認できる。

得意技[編集]

ブルドッグボム
シットダウン式ジャンピング・パワーボム。再度日本マットに進出した2012年以降の主なフィニッシュ技。
シャープシューター
WWE後期(ハート・ダイナスティ時代以降)のフィニッシャー
ランニング・パワースラム
父であるデイビーボーイ・スミスが得意とする技。大一番の際は雪崩式を敢行することもある。高角度式の為テレビ実況ではジャック・ハマーと混同されることもある。
キャプチュード
ジャック・ハマー
パワーボム
ジャーマン・スープレックス
タイガー・スープレックス
初代タイガー・マスク(佐山聡)直伝[要出典]
ノーザンライト・スープレックス
バックドロップ
横気味に胴をクラッチしながら放つ捻り式はフィニッシュとして用いられていたが、現在は繋ぎ技。初期はホールドも使用していた。WWE時代はサイトー・スープレックスの呼称で使用していた[要出典]
キャメルクラッチ
初期のフィニッシュ・ホールド
ビッグ・ブート
試合を展開する際に使用する主要攻撃の一つ。
ジャンピング・ニー・バット
相手が向かってくる所を見計らって放つ、カウンター式を使用している。相手をダウンさせた後にジャンボ鶴田をオマージュしたガッツポーズで観衆を煽る。
キラーボム
ランス・アーチャーとの合体技。まずランスがフルネルソンバスターの要領で相手を持ち上げ、持ち上がった相手の脚をスミスが掴みシッドダウン式パワーボムをジョイントさせ相手をマットに叩きつける。

獲得タイトル[編集]

NWA
WWE
FCW
Ring Ka King
w / チャボ・ゲレロ・ジュニア
新日本プロレス

他、米インディー団体を中心に多数のタイトルを獲得。

入場テーマ曲[編集]

  • Awakening
2013年4月 - 現在まで使用。
  • BULLDOG HEART
新日本再参戦後のテーマ曲。2012年9月 - 2013年3月まで使用。
  • Butt Klub
  • Turtle Poke
  • One Last Breath
  • New Foundation
  • Attitude

関連項目[編集]

参考文献[編集]

週刊プロレス』2011年9月28日号 頁34 斎藤文彦出筆連載コラム「ボーイズはボーイズ」第1030回

脚注[編集]

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外部リンク[編集]