ブライアン・ケンドリック
| ブライアン・ケンドリック | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | スパンキー レオナルド・スパンキー ブライアン・ケンドリック ジ・ブライアン・ケンドリック |
| 本名 | ブライアン・デビッド・ケンドリック |
| ニックネーム | プロレス界のディカプリオ 尻叩き王子 |
| 身長 | 170cm |
| 体重 | 79kg |
| 誕生日 | 1979年5月29日(33歳) |
| 出身地 | バージニア州 フェアファックス |
| 所属 | TNA |
| トレーナー | ショーン・マイケルズ ポール・ダイヤモンド ウイリアム・リーガル |
| デビュー | 1999年 |
ブライアン・ケンドリック(Brian Kendrick、1979年5月29日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ワシントン州オリンピア出身。日本ではスパンキー、またはレオナルド・スパンキーのリングネームで知られる(レオナルドはレオナルド・ディカプリオに由来)。
目次 |
来歴 [編集]
ショーン・マイケルズが主宰したテキサス・レスリング・アカデミー(TWA)でトレーニングを積み、1999年デビュー。TWAを始め各地のインディ団体を主戦場としていた。
2001年にアメリカで行われたキング・オブ・インディーズ・トーナメントでの活躍が注目され、スパンキーのリングネームでROHや日本のZERO-ONEなど活躍の場を広げていく。その活躍がWWEの目にとまり、2003年にWWEとの最初の契約を行う。
WWEではスマックダウンに属し、ブライアン・ケンドリックの名前で歌う電報マンとしてジ・アンダーテイカーにラストライドされるというデビューを飾る。翌週、電報マンだったはずの彼は、なぜかスマックダウンの収録会場に姿を見せており、それに気づいた悪魔の代弁者ショーン・オヘアに唆されて、会場を全裸で走りまわるというパフォーマンスをやってのけた。その際、当時スマックダウンのGMだったステファニー・マクマホンの前にも全裸で現れ、それを見たステフは何となく感心している。その後、カート・アングルと制限時間内に負けなければスマックダウンとの契約を獲得できるという条件で対戦し、残り2秒のところまで粘るものの敗退してしまう。契約を勝ち取れなかったケンドリックは、マスクマンに変装し、ひそかにスマックダウンの会場に潜入し参戦していたものの、試合途中に変装は見破られた。
その後、ジョン・シナとの絡みを機にヒップホップギミックのスパンキーに改名。以後ポール・ロンドンとチームを組むなどしてクルーザー級戦線のレスラーとして活躍したが、ジョン・シナとの抗争ストーリーに不満を持ったブライアンは2004年1月13日にWWEを退団した。
WWE退団後はROHや、レオナルド・スパンキーのリングネームでZERO1-MAXやハッスルをメインに活動し、その間の2004年4月にはTNAと契約まで行くも試合には登場しなかった。
2005年6月28日に、WWEと2回目の契約。本名のブライアン・ケンドリックでスマックダウンに登場するようになった。2006年にはロンドンとのタッグでジャッジメント・デイにてMNMを倒し、WWEタッグ王座を獲得した。その後デュース・アンド・ドミノに敗れるまで一年近く防衛するという長期政権を築いた。
2007年のドラフトでロンドンと共にRAWに移籍。RAWのハウス・ショーでランス・ケイド&トレバー・マードックを下し世界タッグ王座を獲得するも、一夜限りで奪い返されている。以降は活躍の機会に恵まれなかった。
2008年6月に行われたドラフトでスマックダウンに移籍したため、ロンドンとのタッグは自然消滅。移籍後はリングネームに定冠詞 "The" を付けてジ・ブライアン・ケンドリックとし、白や赤などの派手なライダースジャケットに身を包み、エゼキエル・ジャクソンをボディーガードに従えヒールに転向した。 ヒールターン後、自らを「スマックダウンの未来」と称して大口叩きをするようになる。対戦相手に一撃を決めたあとで挑発的なダンスをかましたり、身の危険時にはエゼキエルの後ろに隠れこんで相手を小馬鹿にするなど、軟弱系エゴイストヒールとして活動。 アンフォーギヴェンではWWE王座戦スクランブル・マッチに出場。スマックダウン番組内ではエゼキエルと共にカリート&プリモのWWEタッグ王座に挑戦したが、いずれもタイトル獲得には至らなかった。
2009年の追加ドラフトによりRAWへ移籍、相棒のエゼキエルはECWに移籍してしまったため、またもやタッグは自然消滅となる。その後コロンズを標的にし、タッグパートナーを探し統一タッグ王座を奪うと宣言していたが、そのままフェードアウト。7月27日のコフィ・キングストン戦を最後に、7月30日付でWWEを解雇された。
2010年からはTNAに参戦し、ミック・フォーリー、ロブ・ヴァン・ダム、レイヴェン、トミー・ドリーマーなどの旧ECW勢が結成したEV 2.0(Extreme, Version 2.0)に加入、リック・フレアー率いるFortuneのAJスタイルズやダグラス・ウィリアムスらと抗争を展開した。
EV 2.0消滅後はシングルプレイヤーとして活躍、2011年には自身初となるXディヴィジョン王座を獲得した。
2011年6月、新日本プロレスにCHAOSのメンバーとして『J SPORTS CROWN〜無差別級6人タッグトーナメント〜』に出場。
2012年6月、負傷のため欠場したデイビー・リチャーズの代替選手として『BEST OF THE SUPER Jr.XIX』に急遽出場した。
リングネーム [編集]
ケンドリックが用いたことがあるリングネーム
- スパンキー
- レオナルド・スパンキー
- ブライアン・ケンドリック
- ジ・ブライアン・ケンドリック
得意技 [編集]
- スイングDDT
- ジ・ケンドリック(スライスブレッド#2から改名)
- シューティングスタープレス
- ツームストーン・パイルドライバー
- スカイツイスタープレス
- ビクトル落とし腕ひしぎ十字固め
- スパンキー・クラッチ
- ダイビング・ザ・ワールド
- 低空ドロップキック
獲得タイトル [編集]
- NWA
- NWAジュニアヘビー級王座 : 1回
- NWAインターナショナル・ライトヘビー級タッグ王座 : 1回(w / カズ・ハヤシ)
- NWA US王座 : 1回
- MCW
- MCW南部タッグ王座 : 1回(w / アメリカン・ドラゴン)
- MCW南部ライトヘビー級王座 : 3回
- TWA
- TWAタッグ王座 : 1回(w / アメリカン・ドラゴン)
- TWA TV王座 : 1回
- WWE
- WWEタッグ王座 : 1回(w / ポール・ロンドン)
- WWE世界タッグ王座 : 1回(w / ポール・ロンドン)
- TNA
- TNA Xディヴィジョン王座 : 1回
入場曲 [編集]
- Hey You
- Man With A Plan
- Sweet Talk(Kito Featuring Reija Lee)
その他 [編集]
- 2008年8月に元女子プロレスラーでアルシオンへの来日経験もあるテイラー・マティーニと結婚した。
外部リンク [編集]