田中将斗

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田中 将斗
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プロフィール
リングネーム 田中 正人
田中 将斗
MASA TANAKA
本名 田中 正人
ニックネーム 弾丸戦士
身長 181cm
体重 95kg
誕生日 1973年2月28日(41歳)
出身地 和歌山県和歌山市
所属 ZERO1
スポーツ歴 ラグビー
トレーナー 大仁田厚
デビュー 1993年7月23日
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田中 将斗(たなか まさと、本名・旧リングネーム:田中 正人/読み方同じ、男性、1973年2月28日 - )は、日本プロレスラー和歌山県和歌山市出身。ZERO1所属。ニックネームは「弾丸戦士」「DANGAN」。金村キンタローからは「マチャード」と呼ばれる。

ヘビー級でありながらジュニア戦士並にリングの内外を所狭しと動き回り、主にハードコア路線を主軸にしている選手であるがラフ殺法のみならず、ねちっこいレスリングにも充分対応が出来るオールラウンドプレイヤー。

来歴[編集]

和歌山県立和歌山東高等学校在籍時はラグビー部に所属し、国体に出場している。卒業後は住友金属ラグビー部での活動を経て1993年FMWに入門。リッキー・フジ戦でデビューを果たした。大仁田厚引退後は、ハヤブサと共にエースとして新生FMWを引っ張る立場となり、「弾丸戦士」として人気を博す。ECWに長期遠征しポール・Eに惚れ込まれ、リングネームを「MASA TANAKA」としECWのトップレスラーの一人として活躍し、日本人で唯一ECW世界ヘビー級王座にも就いた。しかしながらFMWの経営危機による帰国要請によりECWを離脱し、FMWへ復帰した。

FMW復帰後、2001年2月に邪道外道中山香里と共に「コンプリート・プレイヤーズ」を結成し、FMWを離脱。全日本プロレスZERO-ONEに参戦し、後に橋本真也との一騎打ちを申し込み(その際事務所に勝手に殴り込みをかけて橋本に直訴、当時橋本が保持していたNWA世界ヘビー級ベルトを強奪し、ショップの商品を荒らし放題荒らし回るという実力行使に出た)2002年3月に両国国技館でシングル対決が実現したが、半ばやられ放題で軍門に下った。しかしその対決を機に橋本に見込まれてZERO-ONEに入団する。

大谷晋二郎とは同年齢であり、お互いを意識し刺激し合い“永遠のライバル”と言い続ける。しかし橋本という団体トップの人間を倒し、世代交代を提唱するにあたり、ライバルというスタンスは消えてはいないものの互いの力を結束しようと「炎武連夢(エンブレム)」を結成し、他団体でも大車輪の活躍を見せつけ2002年にはプロレス大賞ベストタッグ賞を受賞する。また同年には大谷とのタッグでROHへも登場している。

2004年2月19日に以前からタイトルマッチでありながらハードコアにこだわる田中と、ベルト防衛の意志を尊重する大谷と方向性の違いで仲違いを起こし炎武連夢を解散し、金村キンタロー坂田亘らと共にZERO-ONE正規軍と敵対した(エロティックス結成)。ZERO-ONE解散後は大谷らとともにZERO1-MAXに合流。2005年の4月に佐藤耕平崔リョウジの要望を機に炎武連夢を再結成し、ヤングMAX軍と世代闘争を繰り広げている。ZERO1-MAXの母体であるファースト・オン・ステージDSEとともに製作に関わるプロレスイベント、ハッスルにもレギュラーとして参戦する。

ハッスル登場の際には、「HUSTLE 01」と書かれた赤い半そでのジャージを着て入場し、グレーのジーンズ(2つともハッスル14から)を穿いて主にハードコア系で活躍している。出場時は白いギター(叩くと白い粉が出てくる)を持参する。HHH〜ハッスルハードコアヒーロー〜でチャンピオンになった時の初防衛した後に、人狼にゴールデンロットで頭を叩かれて頭から血が出て、更にはその後に高田総統に、「初防衛おめでとう、佐藤君。いや、鈴木君だっけ?」と言われたことがある。その理由は、田中と言う苗字がとても地味なため。その後も、川田利明とタッグになったときに控え室で「おっ鈴木!。じゃなかった佐藤!」と言われたり、島田二等兵から「地味なチャンピオン」とも言われたりしていた。その後、金村キンタローとタッグを組んだ時は、金村のよき突っ込み役(?)として共に頑張っている。ちなみに、田中はハッスル16以外は全てのハッスルのシリーズに出場していたが、肩の手術のために欠場した。

2005年6月12日には、WWEPPVであるWWE ECW's One Night Standに出場。マイク・オーサムとの試合はECWファンに賞賛された。翌年にも同大会に参戦した。

2006年には、大日本プロレスにて、黒田哲広とのタッグを結成(6人タッグのときは、金村キンタローも参加)。田中を目標としている関本大介との世代闘争を展開している。また2005年から始まった新日本プロレスとの抗争においては、金村キンタローや黒田哲広らとタッグを組み、ライガー、邪道、外道らのジュニア戦士と対戦した。

2006年7月、ZERO1-MAX「火祭り '06」において悲願の初制覇を遂げる。「火祭り」開催から6年、毎年エントリーされ出場してきたが、ZERO1-MAX最高峰の称号である「火祭り」制覇を遂に現実のものとした。

2006年11月29日に右肩手術を行なった。

2008年4月6日、中西学世界ヘビー級選手権のタイトルマッチを行い、ベルトを防衛している。この抗争の中で生まれた金本浩二との確執から金本の挑戦を受け勝利しベルト防衛、その後も真壁刀義に火祭り2008決勝で勝利し、永田裕志との抗争を開始し世界ヘビー級選手権を賭け対戦するも敗れ、2009年1月4日東京ドーム大会でリターンマッチを行なうも連敗した。その後、ZERO1としては初めての両国大会でリベンジを果たした。

2007年から体重を絞り始め、現在は95kg(以前は108kg)とジュニアヘビー級の体重となっている(体脂肪だけを落とした)。

2008年10月のプロレス・エキスポではライバル関本大介とタッグを結成し、大陸別タッグトーナメントで優勝を果たした。(準優勝はモーターシティマシンガンズ

2009年中邑真輔率いるヒールユニット「CHAOS」に加入。またFMW時代の盟友である邪道、外道と3人で「コンプリート・プレーヤーズ」を再始動させる。新日本プロレス「G1 CLIMAX」にも出場した。

2010年、1月4日のレッスルキングダムでTAJIRIとタッグを組み、永田裕志組と対戦しこれに勝利。この年のG1には出場しなかったが、同大会で棚橋弘至に敗北し、ベスト4で終わった前年度G1覇者で当時IWGP王者だった真壁刀義を襲撃しIWGPベルト挑戦を表明、9月6日にIWGP戦を行うも敗北する。しかしその後も遺恨は続き、同年のG1タッグリーグに出場(パートナーは石井智宏)し、対戦組となった真壁、本間朋晃組と対戦した際、場外で真壁を机の上に垂直落下式ブレーンバスターを行い、真壁の頸椎を破壊し途中欠場に追い込んだ。

2011年、1月4日のレッスルキングダムで復讐を胸に出場した真壁と対戦、持ち前のハードコア殺法で執拗に真壁の負傷個所である首を攻撃し優位に立つが、真壁が田中のお株を奪う折りたたみ式テーブルへのパワーボムを敢行、形勢逆転を許し最後はキンコングニードロップで撃沈する。3月のニュージャパン・カップにも出場、1回戦に内藤哲也を降すも2回戦の永田裕志に敗北。

4月3日、IWGPヘビー級王座で棚橋弘至からベルト奪取に失敗した永田に試合後マイクで対戦表明をし、5月3日の博多で永田と対決。負傷個所となっていた左ひざを徹底攻撃するもバックドロップホールドで敗退。翌25日には完全分裂したNO LIMIT高橋裕二郎に加担し、高橋と同じコンプリート・プレーヤーズの邪道、外道の4人で内藤哲也を袋叩きにしてCHAOSから追放する。

7月18日、新日本札幌大会のIWGPインターコンチネンタル王座戦で、矢野通を相手に2度目の防衛を果たしたMVPを試合後に襲撃。その流れから同王座に挑戦表明、10月10日にMVPをスライディングDで沈め、2代目IWGPインターコンチネンタル王者に輝き、試合後のバックステージで2年近い抗争を展開したことのある後藤洋央紀から挑戦表明を受ける。

11月12日、大阪府立体育会館にて行われたIWGPインターコンチネンタル選手権。挑戦表明を受けていた後藤洋央紀と対戦しスライディングDで初防衛に成功した。

12月4日愛知大会、MVPとのIWGPインターコンチネンタル王座2度目の防衛戦。レフェリーのブラインドをつきコンプリート・プレイヤーズの高橋裕二郎がMVPに東京ピンプスを喰らわせた直後にスライディングDで田中がV2に成功した。後日、12月23日の後楽園大会で本間朋晃との同王座V3戦が決定した。

12月23日後楽園大会、本間朋晃をスライディングDで破り、IWGPインターコンチネンタル王座3度目の防衛に成功した。

2012年2月21日大阪大会で後藤洋央紀の昇天(改)をくらいIWGPインターコンチネンタル王座を4度目の防衛に失敗した。

2012年夏、ZERO1の第12回火祭り でプロレスリングNOAH(当時)から参戦した潮崎豪を破り4年ぶり4度目の優勝を果たした。通算優勝回数は大谷晋二郎と並ぶ歴代一位。

2012年10月5日新日本プロレスの若手選手興行NEVERのリニューアルに伴うNEVER無差別級王座の初代王者決定トーナメントにエントリーされる。トーナメントはSHIBUYA-AXで、11月15日11月19日の二日間にわたって開催された。CHAOSの僚友・石井智宏とベストバウトの呼び声も高い肉弾戦を披露するなど快進撃を見せ、決勝戦ではその年のG1で準優勝の成績を収めたカール・アンダーソンを破りNEVER無差別級王座の初代王者に輝いた。

2013年1月4日、新日本プロレス・東京ドーム大会でシェルトン・ベンジャミンをスライディングDで破りNEVER無差別級王座の初防衛に成功した。

2013年2月3日、新日本プロレス・後楽園ホール大会のメインイベントで石井智宏と再戦。スライディングDで破りNEVER無差別級王座2度目の防衛に成功。なおこの試合は2013年のベストバウト候補にもなった。

2013年5月3日、新日本プロレス・福岡国際センター大会「レスリングどんたく 2013」で本間朋晃をスライディングDで破りNEVER無差別級王座3度目の防衛に成功。

2013年5月4日、ZERO1・後楽園ホール大会のデビュー20周年記念試合で炎武連夢の盟友・大谷晋二郎とシングルマッチで対戦。スパイラルボムで敗れた。

2013年7月20日、新日本プロレス・秋田市立体育館大会「吉野家Presents KIZUNA ROAD 2013」で内藤哲也をスライディングDで破りNEVER無差別級王座4度目の防衛に成功。

2013年夏、ZERO1の第13回火祭り に出場。8月4日後楽園ホールでの最終戦で小幡優作を撃破しAブロック一位通過で決勝戦進出を果たす。歴代優勝記録更新に王手をかけるが、Bブロックを一位通過し決勝戦に駒を進めた弱冠22歳のジェームス・ライディーンに敗れ準優勝に終わった。

2013年9月29日、兵庫・神戸ワールド記念ホール大会で内藤哲也相手にNEVER無差別級王座4度目の防衛に失敗。

2014年より新ユニットを小幡優作や日高郁人と弾丸ヤンキースを結成。

得意技[編集]

弾丸エルボー
ラリアット
かつてエルボーとラリアットどちらもフィニッシュムーブとして使っており、現在も両方併用している。これは非常に珍しい。
弾丸ローリングエルボー
相手の攻撃を体勢を低くして交わしつつその場で回転し、その勢いで相手の顔面にエルボーを打ち込む技。
スライディングD
「スライディング弾丸エルボー」の略。2007年の火祭り中に披露され、以後フィニッシュムーブとして数多くの対戦相手を倒している。
右手を高々と上げてアピールしてからロープに走り、腰を落としている相手に向かって全力で肘からぶつかりフォールを狙う。
強敵相手には後頭部への一撃も見せる。さらにレアなバージョンとして側頭部にエルボーを叩き込むバージョンもあるがこれは大一番でしか見せない。
2010年2月14日の後藤洋央紀とのハードコアマッチ戦では鉄パイプをサポーターに差し込んで敢行、ピンフォールを奪っている。
ダイヤモンドダスト
コーナー上でドラゴン・スリーパーに捕らえた状態から自らが前方回転してスタナー(肩にで相手の顎を砕く)を決める。
コンプリートダスト
カナディアン・バックブリーカーの状態から相手を、自分から見て前に向かって180度回転させて落としていく。DRAGON GATE横須賀享の友情とほぼ同形だが、こちらはフェイスバスターの色が濃い。2006年に右肩の手術を行って以降使用頻度が少なくなり、かなりのレア技。
ダイヤモンドトルネード
ファイヤーマンズキャリーの状態から旋回させてロック・ボトムで叩きつけていく。開発して以降ほとんど出していないレア技。
スーパーフライ(フロッグスプラッシュ)[1]
やる前には「スーパーフライ!」と叫ぶ。かつての同志、外道も同じ技を同じムーブで使用する。
トルネードDDT(スイングDDT)
ECW時代田中の代名詞の技。相手をイスの上、机の上に脳天から突き刺すことが多い。
「まとめてー!」
タッグマッチで相手2人がリング上にいる時に両手で2人をヘッドロックし「まとめてー!」の甲高い田中の声とともにDDTスタナーを2人に同時に行う技でタイミングの良さは絶妙。
垂直落下式ブレーンバスター→ファルコンアロー
試合の流れを引き込むために垂直落下式ブレーンバスターをよく使用するが、強敵相手にはマットに突き刺した後で間髪入れずにファルコンアローへ繋ぐことも多い。
ハーフネルソンスープレックス
時々終盤に使用している。

タイトル歴[編集]

ECW
FMW
NWA
ハッスル
  • HHH(ハッスル・ハードコア・ヒーロー)王座
AWAスーパースターズ
ZERO1-MAX
新日本プロレス
プロレスリング・ノア
プロレス大賞

入場テーマ曲[編集]

  • 弾丸 -D・A・N・G・A・N-

関連項目[編集]

注釈・脚注[編集]

  1. ^ 攻略本「オールスター・プロレスリングIII 公式パーフェクト・ガイド」のインタビュー(98p)で「スーパーフライは、ノアの三沢選手のボディプレスを見て、かっこいいなと思って使ったんです。でも僕がやるとブサイクでね(笑)。新日本の外道選手も使っていて、これをマネしてみたら、外道選手からマネするなよ言われました(笑)」と使いはじめたきっかけを語っている。

外部リンク[編集]