工藤めぐみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
工藤めぐみ
プロフィール
リングネーム 工藤めぐみ
本名 高山めぐみ
ニックネーム 邪道姫
くどめ
身長 162cm
誕生日 1969年9月20日(44歳)
出身地 千葉県
所属 FMW
トレーナー ジャガー横田
デビュー 1986年
引退 1997年
テンプレートを表示

工藤めぐみ(くどう めぐみ、1969年9月20日 - )は、1990年代に活動した日本の女子プロレスラー千葉県出身(埼玉県生まれ)[1]。愛称は「くどめ」「邪道姫」。

略歴[編集]

高校1年の1986年、全日本女子プロレスに入門、同年8月8日に前田薫戦でデビュー。同期にアジャ・コングバイソン木村前田薫らがいる。当初は同期生の中で最も強かった。1988年3月24日の豊田真奈美戦を最後に、同年4月9日に全女を退団した。その後、保育士の助手に転身したが、1990年3月10日のFMW後楽園ホール大会に、全女時代同期だった豊田記代(後のコンバット豊田)・天田麗文と共に、乱入という形で参戦し現役復帰し、FMWの女子プロレスを活性化させる。

抜群のルックスを誇り、FMW参戦当初はヒールレスラーだったが、後にベビーフェィスに転向し、プロレス週刊誌において、男子レスラーを押しのけ、女子プロレスラーとして初の単独表紙を飾るなど、プロレス界随一のアイドルレスラーとして大仁田厚と共にトップに君臨して人気レスラーになる。

1996年5月5日にコンバット豊田とともに行ったデスマッチを皮切りに過激なプロレスの舞台に飛び込み、大仁田引退後はその代わりとなるように新生FMWの屋台骨を支え、『邪道姫』の通称で呼ばれた。

自身初の本格的なデスマッチとなった1996年のコンバットとの試合は、女性としては史上初の有刺鉄線デスマッチであっただけでなく、ロープの代用としての有刺鉄線を感電させたうえで、そこに爆薬を装着したもの―いわゆる『電流爆破デスマッチ』―であった。女性レスラーとしては前代未聞であったこの過激なデスマッチは、国外においても『史上初の女性によるハードコア・レスリング』として記録されることが多々ある。このことから、デスマッチ路線に突入したのはその経歴のごく晩期に過ぎないにもかかわらず、国外にあっては『デスマッチの工藤』や『ハードコアの工藤』、『ハードコアの女王』などとしてその名が現われやすい[2][3]

1997年4月29日に横浜アリーナでのシャーク土屋との電流爆破マッチを最後に現役を引退。その年に発売されたプロレスのトレーディングカード「1997 SPARKLING FIGHTERS」に、150枚限定で工藤が実際に着用した水着を裁断し封入したカードが混入され話題を呼んだ。

1998年BADBOY非道と結婚。現在は主婦業の傍ら、プロレス番組の解説や、女子格闘家のプロデュース及びタレントとして活動を行っている。

人物[編集]

  • 練習のスパーリングでは男子レスラーも圧殺する実力と強さを備えていたが試合では見せるプロレスに徹していた。
  • どんな重傷を負っても、ドクターストップがかかっても、試合を休まず危険なデスマッチを続ける根性と精神力と人間離れした打たれ強さと「不死身の女」の異名をとり選手を怖がらせた。
  • 全女「昭和61年組」の中で、顔に似合わず一番気が強く倒れるまで練習する子だったと恩師ジャガー横田が語っている。
  • クールビューティーな美貌と性格から男子ファンだけでなく女性ファンも数多く小杉夕子など工藤の影響で女子プロレスラーになった。
  • 有刺鉄線デスマッチを行ったあたりからTBSとテレビ朝日が工藤を気に入り、サスペンスドラマやバラエティ番組によく顔を出すようになる。サンデージャングルでも特番としてとりあげられた。
  • 先輩のダンプ松本とはプライベートでも大変親交が深く可愛がられていて、度々互いのブログ内で登場している。
  • アジャ・コングは同期からも「アジャ」と呼ばれる事が多いが、工藤だけは本名の「江利花」と呼ぶ。

入場テーマ曲[編集]

  • ワンウェイ・ハート

テレビ出演[編集]

写真集[編集]

資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]