潮崎豪
| 本来の表記は「潮﨑豪」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
| 潮﨑 豪 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | 潮﨑 豪 小橋 豪 |
| 本名 | 潮﨑 豪 |
| ニックネーム | 豪腕 方舟の豪腕エース |
| 身長 | 183cm |
| 体重 | 110kg |
| 誕生日 | 1982年1月21日(30歳) |
| 出身地 | 熊本県熊本市 |
| 所属 | プロレスリング・ノア |
| スポーツ歴 | 野球 バスケットボール |
| トレーナー | 小橋建太 本田多聞 小川良成 |
| デビュー | 2004年7月24日 |
潮﨑 豪(しおざき ごう、男性、1982年1月21日 - )は、日本のプロレスラー。プロレスリング・ノア所属。熊本県熊本市出身。血液型AB型。東海大学付属第二高等学校卒業。
獲得したメジャータイトルは、GHCヘビー級王座、AAA世界タッグ王座 (en:AAA World Tag Team Championship)。主な得意技は、逆水平チョップ、豪腕ラリアット、ムーンサルトプレス、ゴー・フラッシャー、リミットブレイクなど。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 少年時代〜デビュー
兄がテレビで『全日本プロレス中継』を観戦している影響で、小学生の頃より同中継を観戦するようになる[1]。本人の言によると小学校時代は4、5番打者を任される野球選手で、地元・熊本の東地区優勝を果たしている[1]。同様に小学校時代はエースで4番を務める野球選手で後に東海大二高の1学年後輩となる女子プロゴルファーの古閑美保と、少年野球の試合で対戦したこともある[1]。中学・高校時代はバスケットボール選手で、ポジションはセンターを務めていた[1]。
警察官の父に倣い、高校卒業後に警察官採用試験を受験するも失敗[2]。試験勉強を継続する形で[2]フリーター生活をおくっていたが、プロレスリング・ノアの創業者である三沢光晴の「プロレスラーは努力すれば誰にでもなれる」という言葉に感化され[3]、子供の頃は「住む世界が違う」「なれるはずがない」という理由で自らの職業とする考えはなかったプロレスラーになることを思い立ち体を鍛え始める[4]。格闘技経験はなかったものの[5]、受験直前には既に合格できるだろうという自信があったという[4]「プロレスリング・ノア 第2回入門テスト」において、参加者50名以上の中の合格者6名のうちの1人となり、2003年4月(21歳)に入団。憧れていた小橋建太の付き人となり、のちに合宿所の寮長も務めた[6]。
2004年6月26日(22歳)、この日京都KBSホールで行われたバトルロイヤルでプレデビュー。同年7月24日、ディファ有明での秋山準&橋誠戦(パートナーは本田多聞)にて正式デビュー。第2回入門テスト合格者6名の中で、唯一デビューまでこぎつけた。ノアでは、2001年12月24日の鈴木鼓太郎(当時は鈴木康弘)以来2人目となる生え抜きの新人デビューであり、初のヘビー級からのデビューである。
なお、デビュー翌日25日の長岡市厚生会館大会の第1試合で行われた初シングル戦の相手は杉浦貴で、原爆固めで敗れている。
[編集] 白GHC挑戦〜キング・オブ・ヨーロッパ・カップ出場
2004年11月21日、宮城県スポーツセンターで行われたKENTA蹴撃七番勝負最終戦の丸藤正道対KENTAの試合後、グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王者である丸藤正道に、「15分時間切れの場合王座移動」というルールで挑戦するも、時間切れ12秒前に不知火で敗れる。
2005年1月のシリーズで潮﨑豪七番勝負が全試合行われた。相手は小川良成、秋山準、齋藤彰俊、三沢光晴、リック・スタイナー、田上明、小橋建太(試合順)。相手の得意技を出すなど健闘するが、0勝7敗で終了した。同年4月24日の日本武道館大会で、天龍源一郎・秋山準相手に小橋と組んで戦った一戦は、天龍のパワーボムで潮﨑が敗れた。
2005年8月24日、福島市国体記念体育館大会の対エディ・エドワーズ戦においてムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、シングル戦初勝利。
2005年11月5日、日本武道館で行われた小橋・潮﨑組vs佐々木健介・中嶋勝彦組という師弟タッグ対決で爆発。健介、中嶋へジェラシーをぶつけ、果敢に挑んでいったが、健介のラリアットで潮﨑が敗れた。試合後は礼は行ったものの、悔しさのあまり健介との握手は拒否した。同月11-15日、小橋・秋山と共にヨーロッパへ初遠征[7]。
2006年1月11日、後楽園大会のKENTAとのシングルマッチにて、フィニッシュ技「go 2 sleep」の膝を顎で受けてしまい、同箇所を骨折。全治3か月の重傷を負って欠場。同年6月9日、選手会興行にて復帰。当初の復帰予定はまだ先だったが、谷口周平の怪我による欠場で、急遽出場の運びとなった。
2006年8月にSUWAと、2007年4月19日からは青木篤志と共に、それぞれ約1か月間ヨーロッパへ遠征。2007年4月下旬、キング・オブ・ヨーロッパ・カップ (en:King of Europe Cup)に出場し、1回戦でRQW (en:Real Quality Wrestling)所属のマーチン・ストーン (en:Martin Stone (wrestler))に勝利するも、2回戦(準々決勝)でPWG (en:Pro Wrestling Guerrilla)所属のデイビー・リチャーズに敗れた。
[編集] GHC初挑戦〜米国武者修行
2007年10月、田上明とのタッグで臨んだGHCタッグ選手権王座決定リーグ戦でGHC初挑戦。1点止まりの最下位に終わる。
2007年9月9日、ノアの日本武道館大会にて、三沢とのタッグで臨んだ無我ワールド・プロレスリングの藤波辰爾・西村修戦は、潮﨑が西村の足4の字固めで敗北。同年12月、無我ワールド・プロレスリングのトーナメントに参戦。1回戦で竹村豪氏に勝利するも、準決勝で吉江豊に敗れた。
2008年1月20日、ノアの後楽園大会で行われたROH世界ヘビー級選手権試合にて選手権者のナイジェル・マッギネスに挑戦するも、ロンドン・ダンジョンで敗れる。同年2月、ノアと業務提携を結んでいるアメリカのROHに、無期限の武者修行という形で派遣。
2008年4月、第1回グローバル・タッグ・リーグ戦に、田上明の要請を受け、一時帰国して田上とタッグチームを結成して出場。1勝止まりの最下位に終わる。リーグ終了後、再び渡米。
2008年8月23日、フロリダ州クリスタルリバーでエリック・スティーブンス (en:Erick Stevens)が君臨するFIP世界ヘビー級王座に挑戦。ムーンサルトプレスで勝利し同タイトル(第7代)を獲得。同年9月1日、WWEのセントルイス大会のダーク・マッチに出場、ジミー・ワン・ヤンと対戦し敗北。同年10月4日、ミズーリ州ウエストプレーンズで9人によるバトルロイヤルという形で行われたWLW世界選手権に勝利し、WLW世界ヘビー級王座(第43代)を獲得。同年12月20日、フロリダ州クリスタルリバーで行われたFIP世界ヘビー級選手権試合でタイラー・ブラックに敗れ、王座から陥落した。
[編集] 凱旋帰国〜GHC初戴冠&陥落
その後、風格・肉体も大きくなって凱旋帰国し、2008年12月23、24日にディファ有明で行われた「ザ・トーナメント'08」に参戦。1回戦で森嶋猛、2回戦で小川とチャンピオン経験者を連破する形で準々決勝(3回戦)に進出するも、当時GHCヘビー級王者であった佐々木健介に敗れる。しかし、その後も力皇猛・バイソン・スミスなどチャンピオンクラスの先輩選手を次々撃破している。この頃、寮生活を卒業し、一人暮らしを始めている[8]。
2009年3月1日、ノアの日本武道館大会にて、杉浦貴とタッグで自身初の新日本プロレスとの対抗戦となった中邑真輔・ミラノコレクションA.T.戦では、潮﨑がミラノに勝利した。
2009年4月19日、自身初のGHCシングル挑戦となった札幌・月寒アルファコートドーム大会における秋山戦にてスターネス・ダストαで敗れ王座奪取に失敗する。
2009年5月6日、三沢光晴とタッグチームを結成し4月11日より臨んだ第2回グローバル・タッグ・リーグ戦の最終戦が日本武道館で行われ、佐々木・森嶋組と対戦。豪腕ラリアットで森嶋から勝利を奪い、合計9点をマークして優勝を決める。
2009年6月13日、広島グリーンアリーナ大会にて、齋藤彰俊・バイソン・スミスが持つGHCタッグのベルトに三沢光晴と挑戦するも、奪取に失敗する。なお、この試合で三沢はアクシデントにより死去(詳細は三沢の項目を参照)。潮﨑は三沢の最後のタッグパートナーとなった。翌日の6月14日、博多スターレーン大会にて、秋山準が腰椎椎間板ヘルニアによりGHCヘビー級王座を返上、この日ベルトを賭けて秋山と対戦予定だった力皇猛の対戦相手として潮﨑を指名。GHCヘビー級王座決定戦となった対戦は、潮﨑が力皇を破り第15代王者となった。ノア生え抜き選手としては初の戴冠となる。
2009年7月5日、ディファ有明で行われた選手会興行にて、当時GHCジュニア王者であったKENTAとの「GHCヘビー対ジュニア」のシングル対決が実現。垂直落下式変形リバースDDTでKENTAから初勝利を奪う[9]。
2009年10月、AAAへ遠征。ケンゾー・スズキ(現:KENSO)、スギとトリオタッグを組む。
2009年12月6日、武道館大会でのGHCヘビー級選手権で挑戦者の杉浦貴に雪崩式オリンピック予選スラムで敗れ、2度目の防衛に失敗した。
[編集] 2010年
1月4日、「エース対決」「イケメン対決」と宣伝された、新日本プロレスの棚橋弘至との「レッスルキングダム IV」IN 東京ドームでの一戦は、ハイフライフローで敗れた。
1月、テーマ曲を「Keep on Going」から「ENFONCER」に変更し臨んだ第3回グローバル・タッグ・リーグ戦であったが、同月16日の佐野巧真・高山善廣戦にて、佐野に対するダイビング・ニー・ドロップの着地の際、右腕を負傷。後日「右撓骨骨幹部骨折及び右肘内側側副靭帯損傷」と発表され、1月19日からの試合を欠場した。 4月10日、「Spring Navig. '10」開幕戦の後楽園大会にて、6度目のシングル対決となる丸藤正道戦での復帰が、潮﨑の要望により実現した。過去5戦は潮﨑の全敗だったが、治癒したての右腕にタイガーフロウジョンからの腕ひしぎ逆十字を決められレフェリーストップという形で敗北した。
5月23日、新潟市体育館で行われたAAA世界タッグ選手権で王者組の森嶋猛・石森太二に青木篤志とのタッグで挑戦、潮﨑が石森に勝利しAAA世界タッグ王座(第6代)を獲得。同年6月6日、メキシコシティで行われたトリプレマニア18 (en:TripleMania XVIII)にて、AAA世界タッグ選手権(4WAY MATCH)で敗れ、王座から陥落した。
6月19日、新日本プロレスの大阪府立体育会館大会で行われたIWGPヘビー級王座選手権で同王座初挑戦[注 1]。王者の真壁刀義にキングコング・ニードロップで敗れ、王座奪取に失敗した。
7月30日-8月1日、金丸と共に4度目の欧州遠征。
8月6-15日に行われた新日本プロレスのG1 CLIMAXに初出場。4勝2敗1分けで9点を獲得し、Bブロック2位タイの成績をおさめた。同月22日、G1で勝敗の決まらなかった新日本の中邑真輔との再戦をノアの有明コロシアム大会で実施し、変形ゴー・フラッシャーで中邑に勝利した。
10月30日、後楽園ホール大会において、鼓太郎・小川と新ユニットを結成。名称は未定だったが、後日各マスコミにより潮﨑軍の名で定着するようになった。
12月3日、IGFが両国国技館で主催した「INOKI BOM-BA-YE 2010」に参戦。澤田敦士と対戦し、豪腕ラリアットで勝利を収めた。
[編集] 2011年
1月4日、「レッスルキングダム V IN 東京ドーム」大会で、リベンジを申し込んできた中邑と対戦。中邑のボマイェで敗れた。同月15日、秋山準復帰戦となる大阪府立体育会館大会の秋山&齋藤組vs潮﨑&谷口組にて、ゴー・フラッシャーで秋山に初勝利を果たした。
5月1日、KAIENTAI-DOJOに初参戦。滝澤大志と対戦し、豪腕ラリアットで勝利。
同月中旬にGHCヘビー級ベルト最多防衛記録を塗り替えた王者杉浦貴への挑戦を表明していた一人である齋藤を5月25日の後楽園大会で破り、その場で杉浦に対し挑戦を表明するも、同時に森嶋猛も挑戦表明、杉浦が「どっちでもいいよ。次のディファ辺りで決着つけろ」とコメントしたことで、6月11日に潮﨑対森嶋の次期挑戦者決定戦が行われた。森嶋の重量攻撃に圧倒されながらも三沢の得意技だったエメラルドフロウジョンやランニングエルボーを使用、豪腕ラリアットで森嶋から初フォール勝ちを収めた。
7月10日、有明コロシアムで杉浦とのGHCヘビー級選手権試合が行われ、30分近くにおよぶ激闘の末、変形リバースDDT[10]で勝利し自身2度目の戴冠を果たした。これに伴い、8月27日のALL TOGETHERのNOAH選手代表を杉浦と交代することとなった(当時のALL TOGETHERの対戦カードは発表されていなかったため、これと言った大きな支障はなかった)。
同月23日、大阪大会で行われた小橋建太復帰戦で小橋のパートナーとして出場。また、同日のGHCタッグ選手権終了後に、谷口周平とのコンビで、王座防衛に成功したジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組に挑戦を表明。10月31日にGHCタッグ戦が行われ、奪取に失敗。
8月7日、反体制ユニット「NO MERCY」の対抗勢力として結成された「ANTI NO MERCY UNION」(略称・ANMU)への加入を表明。
同月27日、新日本プロレス・全日本プロレス・NOAH合同開催のALL TOGETHERに参加。7月のGHC戴冠に伴い、メインイベントで棚橋弘至・諏訪魔とタッグを組んで中邑真輔・KENSO・杉浦組と対戦。この試合において棚橋・諏訪魔と一緒になって杉浦にトリプルドロップキックを見舞う光景の写真は3団体が1つとなった証としてALL TOGETHERの写真の中でも屈指の知名度を誇ることとなった。
11月27日有明コロシアムにて行われたGHCヘビー級選手権試合で、グローバル・リーグ戦2011準優勝のKENTAと対戦、勝利をおさめ3度目(初防衛の相手は秋山準、2度目の防衛は高山善廣)の防衛に成功した。
[編集] 2012年
1月22日、大阪府立体育会館で行われたGHCヘビー級選手権試合で、森嶋猛にバックドロップで敗れ、4度目の防衛に失敗した。
[編集] 人物・エピソード
「豪」という名前は、「強い身体をもって健康的に生きて欲しい」という願いを込め、父親によって名付けられたという[11]。
趣味は「S.I.C.」など仮面ライダー系のフィギュア収集や、カードゲーム「仮面ライダーバトル ガンバライド」のカード収集[12]。仮面ライダーの作品は全て愛好するが、とりわけお気に入りなのが『仮面ライダー響鬼』[13]。「ストーリーもいいですがそれぞれのキャラがしっかりしていて最高です」とのことである[13]。鈴木鼓太郎も潮﨑のことを「同じ秋葉原を愛する男」と話している[14]。大好きな『超人機メタルダー』のDVD-BOXを三沢光晴からプレゼントされたことがあり、ノアの携帯公式サイト内の三沢との日記で感謝の言葉を述べている[15]。小学生の頃から漫画を読んでおり、『エンジェル伝説』『ろくでなしBLUES』『わたるがぴゅん!』などを愛読していた[1]。カラオケの十八番はCHAGE and ASKAの「YAH YAH YAH」である[8]。
現在の試合用タイツには小さくではあるが、仮面ライダースカルのロゴが入っている。
フリーター時代に調理場経験があり、新弟子時代にはちゃんこ番を長く務めており、料理が得意だとされている[6]。プロレスラー以外の職業では料理人に憧れていたほどで、プロレスラーとなった現在でも凝った料理を作ることがある[16]。得意料理は角煮、豚カツなど[6]。
潮﨑の人柄に関して「お行儀のいい選手」という意見があるのに対し、潮﨑は「育ちがいいですからね、お行儀もやっぱりいいでしょうね」とコメントしている[17]。
一時期、新日本プロレスの後藤洋央紀に顔が似ているとよく言われ、後藤もそれを認知している[18]。2009年12月13日に汐留・日テレタワーで行われた潮﨑単独のファンイベントでは、近くを通りすがった中年女性に「イケメンの韓流スター」と間違われた[19]。
2008年、遠征先のアメリカをバスで移動中、移動元のホテルで初めて出会った白人男性に身体を触られた上、唇まで奪われそうになったことがあるが[20]、アメリカ遠征での一番の思い出として、ラスベガスにて試合前に食べたKFCで食中毒を起こし、そのまま試合に出場することになり苦しい思いをしたことを述懐している[21]。ほかにも、2009年10月、遠征先のメキシコのレストランにて食事中、現金、パスポート、携帯電話などが入ったバッグを盗まれるという被害に遭っており[22]、潮﨑自身、「どうも海外は相性が悪いみたい」と語っている[23]。
2011年9月7日に結婚したことを発表した[24]。
[編集] 主な使用技
ムーンサルトプレス、フライング・ショルダー・アタックなど小橋建太が若手時代に愛用していた技を多く用いている。潮﨑本人はそのことについて「意識して真似している訳ではないが、一番近くにいる人なので似てきてしまっているのだろう」「使い続けていくうちに、小橋さんではなく、自分のものにしていく」とコメントしている。
[編集] フィニッシュ技
- ゴー・フラッシャー
- 変形のファイナル・カット。ブレーンバスターの姿勢で持ち上げたあと、前方に相手を放る。同時に相手の喉元に自らの片腕を叩き付け、そのまま勢いを利用しながら自分の体重を乗せつつ相手を背面からマットへ叩き落とす技。初披露は2007年度に行われた白GHCタッグトーナメント1回戦。
- リミットブレイク
- 背後から相手の右腋に首を入れ、相手の左手首を股下から右手で掴み、左手を相手の右肩越しに首元に巻き付ける。そのまま勢いをつけ、自分の胸に相手の背中を載せるように垂直に持ち上げて、左側に倒れ込みながら相手の顔面をマットに叩き付ける技[注 2]。初披露は2009年4月のグローバル・タッグリーグ戦で、相手は谷口周平。
- 潮﨑本人は名前はまだ付いていないとし、「精度を上げてから付けたい」と答えていた[25]。そのため呼称は様々で、変型ゴー・フラッシャーの他、リバース・ノーザンライト・ボム、リストクラッチ式変形リバースパワースラム、変型リバースDDTなどと呼ばれていたが、2011年11月のGHCヘビー級選手権試合で、KENTAを相手にバックドロップのように後頭部から落下させる改良型を披露し、両方の技ともに「リミットブレイク」を技名にすると回答した[26]。技名は『仮面ライダーフォーゼ』に由来する[27]。
- 豪腕ラリアット[注 3]
- 小橋の長期欠場後に使い始めたもので、ランニング式/ショートレンジ式/上空ホイップ式/カウンター式の4種を使い分けている。
[編集] 打撃技
- 逆水平チョップ
- 数発で相手の胸板が真っ赤に腫れあがるほどの威力で、秋山準に今一番痛いチョップであると言わしめている[28][29]。また、クリス・ヒーローも、今まで戦ってきたレスラーの中で一番強烈なチョップをするといった趣旨のコメントをしている[30]。相手をコーナーに振ってのランニング逆水平チョップなど、小橋の使わないムーブも考案している。
- 袈裟切りチョップ
- バックハンド式、上空ホイップ式のほか、マットに膝をついている相手に傾れ込むようにして仕掛けるランニング式がある。
- ローリング袈裟切りチョップ
- 小橋とは回転方向が逆で、素早く左回転しながら首筋に空手チョップを叩き込む(小橋は右回転で逆水平)。小橋の長期欠場が始まってから使い始めた技。バックハンドの要領で繰り出される袈裟切りチョップから決めポーズによる「ため」を経て繰り出されることが多いため、相手に隙を突かれカウンターの一撃を食らう場合も多い。小橋と同じローリング袈裟切りチョップも使用する。
- エルボー・バット(エルボー)
- 肘を相手の顔面や顎などに打ちつける技。通常の型に加え、ランニング・エルボーやワン・ツー・エルボー、ローリング・エルボーなども使用する。デビュー間もない頃はフライング・エルボーも使用していた。
- トラース・キック
- テレビ中継で「丸藤を彷彿させる」と解説されたことがある[31]。
- ニー・ドロップ
[編集] 投げ技
- ジャーマン・スープレックス
- 新人時代はローリング・クレイドルからジャーマンへと連続で出すことが多かった。谷口と共に仕掛ける「眉山」と同型の技も敢行する。
- ターンバックル式ジャーマン・スープレックス
- ジャーマン・スープレックスで相手をコーナー目掛けて投げ捨て、後頭部にターンバックルを強打させる技。潮﨑豪のオリジナル技である。2005年11月5日、日本武道館で行われた小橋・潮﨑組vs佐々木健介・中嶋勝彦組で中嶋に繰り出した。
- フィッシャーマン・バスター
- デビュー時はフィッシャーマンズ・スープレックスの形でホールドしてフォールを取りにいっていたが、次第に威力を優先させるようになっていった。
- 回転地獄五輪
- 潮﨑が使用するのは回転地獄五輪パート0だが、投げた後フォールの体勢に入らない。グラウンドでの変型肩固めを単独で使用することも多く、ギブアップを奪ったこともある。
- 旋回式スクラップバスター
- 左腕で相手の右肩上から背中を、右腕で相手の股座から尻を持ち自分の胸の前で水平に持ち上げる(このとき相手の身体は自分の方を向いている)。自分から見て右から左にスイングした直後に右腕を離すと同時に左腕で相手の後頭部をマットに叩きつける。雪崩式も使用する。
- 裏ゴー・フラッシャー
- 背後から「リバース・ブレーンバスター」の姿勢で持ち上げ、上記のゴー・フラッシャーの要領で相手を放りながら相手の後頭部に自らの腕を叩きつけ、相手を顔面からマットに浴びせ倒す技。初披露は2011年7月のGHCヘビー級選手権試合で、相手は杉浦貴。
- フランケンシュタイナー
- 雪崩式も使用する。
- エプロンへのホイップ
- ロープ付近で相手をブレーンバスターの体勢で持ち上げ、エプロンに投げ捨てる。場外マットに直接投げ捨てることもある。
[編集] 飛び技
- ドロップキック
- 潮﨑はジュニアヘビー選手に匹敵するほどの跳躍をするため、非常に打点が高い。その場跳び式にもかかわらず川畑輝鎮の顔面にヒットさせたこともある。
- フライング・ショルダー・アタック
- その場跳び式/ランニング式/ダイビング式の3種を使い分けている。
- ムーンサルトプレス
- 初期から使い続けている技。ただし初期には距離調整の失敗でムーンサルトヘッドバットや、ムーンサルトニープレスになってしまうことも多かった。相手に逃げられることも多い。初期は縦飛びではなく斜め飛び(武藤敬司式)であったが、現在は潮﨑のジャンプ力を生かし、コーナー近くに相手をダウンさせ、高く飛ぶことによって飛距離を短く、滞空時間が長い美しい弧を描くものに進化している。セカンドロープからライオンサルトを見せることもある。
- ダイビング・ニー・ドロップ
- トップロープに登っている潮﨑の側から見て、倒れている相手が右向きの場合は左膝を、左向きの場合は右膝を落とす。
- トペ・スイシーダ
- 跳躍力を活かし、基本的にノータッチで繰り出される。
[編集] 場外技
- ランニング・ニー
- 相手をエプロンから頭部だけ場外に出した状態でうつぶせに寝かせ、場外端から走り込み膝を頭部に叩き込む技。
- シーソースルー
- コーナーポストから一定の距離を置いた場外で仰向けに倒れている相手の両脛を脇に抱え、コーナーポストを背にし後方に倒れ込むと同時に膝を曲げ、膝を支点としたシーソーの要領で後方のコーナーポストへ相手を投げやる技。
[編集] 合体技
「潮崎軍#連携技」を参照
[編集] タイトル歴
- プロレスリング・ノア
- GHCヘビー級王座 - 第15代、第17代
- グローバル・タッグ・リーグ戦 - 第2回(2009年)優勝(&三沢光晴)
- フル・インパクト・プロ (en:Full Impact Pro)
- ワールド・リーグ・レスリング
- AAA
- AAA世界タッグ王座 (en:AAA World Tag Team Championship) - 第6代(&青木篤志)
[編集] 入場テーマ曲
[編集] 出演歴
[編集] 脚注
[編集] 注釈
[編集] 出典
- ^ a b c d e プロレスリング・ノア携帯公式サイト インタビュールーム 潮崎豪編 2008年7月30日配信
- ^ a b プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2005年11月10日配信
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2011年5月15日配信
- ^ a b 『Gスピリッツ』vol.11 p.72
- ^ 第36回 世界に飛び出した同期に幸あれ [木]村上けんさくの『ファン上がり記者』
- ^ a b c プロレスリング・ノア携帯公式サイト インタビュールーム 潮崎豪編 2007年6月20日配信
- ^ 『週刊プロレス』2010年7月14日号 p.13
- ^ a b プロレスリング・ノア携帯公式サイト 水曜コラム潮崎豪編 2009年3月11日配信
- ^ 『週刊プロレス』2010年7月14日号 p.24
- ^ 『週刊プロレス』2011年7月27日号 p.3では「リストクラッチ式リバース・ノーザンライト・ボム」と紹介された
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2011年2月18日配信
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト インタビュールーム 潮崎豪後編 2009年10月7日配信
- ^ a b プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2011年5月1日配信
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 鈴木鼓太郎日記 2005年12月1日配信
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2007年4月13日配信
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2011年6月12日配信
- ^ 『Sアリーナ』 2009年12月28日放送
- ^ 「ベルトを獲って潮崎選手と闘いたい」GHCヘビー級選手権・後藤洋央紀、杉浦貴囲みコメント 新日本プロレス公式サイト 2010年1月4日掲載
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 小橋建太日記 2009年12月18日付
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2008年8月29日配信
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2010年11月26日配信
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 水曜コラム潮崎豪編 2009年11月4日配信
- ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2010年8月6日配信
- ^ 王者・潮崎豪が結婚「熱い戦い続ける」 nikkansports.com
- ^ プロレスリング・ノア選手会興行2009「NO PAIN NO GAIN」 第6試合 スポーツナビ
- ^ 試合リポート『週刊プロレス』2011年12月14日号 p.7
- ^ 「選手本人が語る、21世紀の技解説<2>」『週刊プロレス』2011年12月21日号
- ^ 秋山社長の徒然日記 2009年4月11日付
- ^ 秋山社長の徒然日記 2010年1月10日付
- ^ クリス・ヒーローの日本語ブログ 2010/01/13栃木大会
- ^ 2010年1月4日の棚橋戦
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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