諏訪魔

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諏訪魔
諏訪魔の画像
プロフィール
リングネーム 諏訪魔
諏訪間 幸平
本名 諏訪間 幸平
ニックネーム 新時代のエース
大器覚醒
ネクスト・ジャンボ
暴虐アリゲーター
人間凶器
身長 188cm
体重 120kg
誕生日 1976年11月23日(37歳)
出身地 神奈川県藤沢市
所属 全日本プロレス
スポーツ歴 柔道
レスリング
トレーナー 馳浩
カズ・ハヤシ
デビュー 2004年10月11日
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諏訪魔(すわま、男性、1976年11月23日 - )は、日本プロレスラー。本名・旧リングネーム諏訪間 幸平(すわま こうへい)。神奈川県藤沢市出身。全日本プロレス所属。既婚者である。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1976年11月23日、神奈川県藤沢市の生まれ。亀井野小学校、湘南台中学校、藤嶺学園藤沢高等学校卒業。中央大学卒業後、社会人経験を経て、プロレスラーとなる。

アマチュア時代[編集]

藤嶺学園藤沢高等学校時代は柔道部で活躍(入学当初は柔道部でいじめに遭い、登校拒否寸前であったと自ら告白している)し、中央大学進学後にレスリングを始めて主将となる。大学を卒業してからはクリナップに就職しレスリングを続けた。

2001年12月、天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル130kg級(最重量級)に出場。準決勝で田中章仁、3位決定戦で沢田直樹に敗れ4位となった[1]

2002年の全日本レスリング選抜選手権、国体で優勝し、世界選手権代表にも選ばれる。12月の天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル120kg級では決勝で田中章仁に敗れ準優勝となった[2]

2003年9月にフリースタイル120kg級で世界選手権に出場するも予選で敗退。12月の天皇杯全日本レスリング選手権大会・フリースタイル120kg級では決勝で前年と同じ顔合わせとなった田中章仁に敗れ2年連続の準優勝となった[3]

2004年アテネオリンピックを目指すも、自分の階級の出場枠がなくなったこともあり、馳浩のスカウトで27歳でプロレスに転向。

全日本プロレス[編集]

2004年4月に全日本プロレスに入門し、同年10月11日後楽園ホール大会にて馳浩戦でデビュー。

試練の7番勝負初戦ではベイダーと戦い、ベイダーのその巨体を見事に投げ切った。この途中でヒールターンしたため試練の7番勝負は5戦しか行っていない。

2005年1月4日にはヘビー級バトルロイヤルで優勝し、賞金100万円を獲得。後に武藤敬司と組んで世界タッグ王座に挑戦した。

2006年1月8日の大阪大会で、VOODOO-MURDERSへ加入し、同年2月にリングネームを諏訪魔に改名した。同年のチャンピオン・カーニバルでは、当時三冠王者の小島聡を破り準優勝。6月10日の熊本三井グリーンランド大会「武藤祭」にて、三冠王座に挑戦したが敗れた。

2007年のチャンピオン・カーニバルでは予選敗退を喫した。同年、12月に行われた世界最強タッグ決定リーグ戦には、小島とのタッグで出場し準優勝。

2008年1月3日の後楽園大会にてVMを離脱した。同年4月、決勝戦で棚橋弘至を下し、デビューから最短でチャンピオン・カーニバル優勝を果たした。同月にはデビューから最短で三冠ヘビー級王座初栄冠も果たした。

9月28日、グレート・ムタに敗れ三冠王座から陥落した。同年の世界最強タッグリーグ戦には、近藤修司とのタッグで出場し準優勝を果たした。

2010年8月29日、鈴木みのるを破り2度目の三冠ヘビー級王座を奪取。翌日には全日本プロレス選手会長に就任した。

同年9月10日、後楽園大会にて観客の野次に激怒し観客席にマイクを投げ、全日本プロレス側から厳重注意と3か月間30%の減給処分を下された。

同年12月、浜亮太をパートナーに迎え世界最強タッグリーグ戦に出場し5年連続の準優勝を果たした。同月、第37回プロレス大賞で殊勲賞を獲得。「今年一年いろいろ先頭に立って全日本プロレスを引っ張っていこうという行動がこうやって“殊勲賞”という形で評価されたのは嬉しい。」とのコメントを寄せた。

2011年、4月チャンピオンカーニバルにて永田裕志と対戦するも敗れた。結局優勝決定戦には進めず永田のチャンピオンカーニバル制覇を許してしまう要因を作ってしまう(なお、永田の決勝の相手は真田聖也)。

同年6月、両国大会の三冠戦にて永田に勝利。リベンジを果たすと共に4度目の防衛に成功する。

同年7月、チャンピオンカーニバル準優勝の真田と三冠戦を行いこれに勝利して5度目の防衛に成功。ちなみにこの三冠戦は武藤全日本体制になってからの入門生同士の初の三冠戦となった。

同年10月、チャンピオンカーニバルで対戦する機会のなかった秋山準との対戦を熱望し両国での三冠戦で激突するも30分を超える激闘の末にスターネスダストαで敗れ三冠王座陥落。この試合は2011年プロレス大賞ベストバウトの選考にノミネートされた。

2012年には出身地である藤沢市で、5月12日に地元凱旋興行と銘打って全日本プロレスがチャリティープロレス大会を秩父宮記念体育館(藤沢市鵠沼東)で開催を企画[4][5]し、当日は秩父宮記念体育館に1,850名の観衆を集めてメインエベントに出場、勝利を飾っている[6]

2013年から[編集]

2013年3月17日の両国大会で、王者であった船木誠勝を下し、第46代三冠ヘビー級王座に返り咲いた。

6月、白石体制発足となる全日本プロレス所属選手において、多数選手スタッフの離脱が示唆される中いの一番に残留を表明。新生全日本プロレスの名実ともにエースとなった。

10月22日新潟県の三条大会で、5度目の正直で世界タッグ王座を戴冠。パートナーはジョー・ドーリングであり、留学生の時代から長年苦楽を共にした仲の選手と栄光を掴んだ。これにより、武藤敬司以来の三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座を同時に所持する五冠王となった。

2014年1月には、「チャリティー大和大会~すわまちおこし Vol.3~」のプロモーションとして、コンビニエンスストアローソンの一日店長体験イベントを行うなど、リング外でも精力的に活動している。

2014年6月29日、大森隆男を破り第49代三冠ヘビー級王座を獲得した。7月からは全日本プロレスの運営が秋山準社長の新法人「オールジャパン・プロレスリング株式会社」に引き継がれるのに伴い、新法人の取締役に就任する[7]

得意技[編集]

レスリング仕込みの柔軟なスープレックス系の投げ技と自慢の怪力を活かしたパワフルな技が多い。しかし、試合中に観客に対して物を投げるなどの粗暴な面の他に、雷陣(現SUSHI)に脳震盪を起こしてしまうなど、壊し屋としての一面を併せ持つ。

フィニッシャー[編集]

ラストライド
諏訪魔改名後のフィニッシュ技。
この技でチャンピオン・カーニバルを制覇した。
ジャーマン・スープレックス
デビュー当初からヒールターンまでのフィニッシュ技。現在は投げっぱなしを多用する。TARUはこれを食らった後「あれは人を殺しかねない」と言っている。デビュー当初は非常に危険な角度で落としていたためジャマールや武藤を失神させたこともある。
バックドロップバックドロップ・ホールド
ネクストジャンボと名付けられた時期に、鶴田を意識して使うようになった。特にバックドロップ・ホールドを得意としており、2011年6月の両国国技館大会では三冠ヘビー級選手権として新日本プロレスの永田裕志と、両団体のバックドロップ・ホールドの使い手同士の対決が実現。事前からこの技を巡って対立や挑発があったが、バックドロップ・ホールドで永田を下した。

打撃技[編集]

ダブルチョップ
両手で放つ逆水平チョップ。諏訪魔に改名してから使用している。
ラリアット
諏訪魔の場合、左右両方の腕で打てる。特に左のラリアットは見えない角度から入るため非常に強力な威力を誇る。
ローリングラリアット
フィニッシュムーヴの一つ。

投げ技[編集]

ハーフネルソン・スープレックス
ジャーマンやバックドロップよりも使用頻度が高い。危険な角度で落とす時もあり、2005年のチャンピオン・カーニバルで川田の首を負傷させたこともある。
フロント・スープレックス
スロイダー」の形になることもある。
変形ブレーンバスター
ブレーンバスターの体勢からDDT気味に頭から前に落とす技。2008年チャンピオン・カーニバル優勝後の三冠戦から使用。

飛び技[編集]

フロッグスプラッシュ
この技で佐々木健介から三冠ヘビー級王座を奪取した。2008年のチャンピオン・カーニバルで優勝を争った棚橋弘至のハイフライフローと同型。

関節技[編集]

アンクルホールド
この技でYASSHIの足をへし折ったことがある。前転しながら相手の足を取るという独特な入り方も見せる。
万力固めスペシャル
渕正信の首固めをヒントに、既存の万力固めを諏訪魔なりに改良した技。2012年3月4日後楽園ホール大会では、真田聖也との3本勝負2本目で、完璧なフォールを奪う威力を発揮した。
変形ドラゴンスクリュー
2008年チャンピオン・カーニバル最終戦から使用。ドラゴンスクリューとは逆方向に相手の足を捻り上げるように投げる技。この技の連係でドーリングから勝利を奪いチャンピオン・カーニバル決勝進出を決めた。
ブードゥーロック
2006年の5-6月シリーズで考案。両脚をクロスさせる変形のアンクルホールド。ロックした足がVの字に見えることから命名。
万力スリーパー

タイトル歴[編集]

全日本プロレス[編集]

三冠ヘビー級王座
第37代(防衛2回)、第43代(防衛5回)、第46代(防衛2回)、第49代
世界タッグ王座
第66代(パートナーはジョー・ドーリング
チャンピオンカーニバル
優勝(2008年度)
三冠ヘビー級王座、チャピオンカーニバル共、デビューから3年5か月という、ジャンボ鶴田をも上回る史上最速で制覇している(三冠はその後、浜に記録を破られた)。
世界最強タッグ決定リーグ戦
優勝(2013年、パートナーはジョー・ドーリング
台湾カップ 優勝
2009年11月20日、台湾大会で行われた所属選手による1Dayトーナメント。
新春ヘビー級バトルロイヤル
優勝(2005年)

天龍PROJECT[編集]

天龍プロジェクト認定 世界6人タッグ王座
第2代(パートナーは石井智宏

その他[編集]

プロレス大賞
2006年 最優秀タッグチーム賞(VOODOO-MURDERSとして)
2010年 殊勲賞

人物[編集]

  • デビュー前から未来のエース候補として期待を寄せられ、自身もエースとして全日本プロレスを背負っていこうという強い覚悟を持っている。その為武藤と西村などのトップ選手が欠場しピンチに陥っている状態で全日を辞めた小島をツイッター上で痛烈に批判したり、熱い試合を展開しているのにもかかわらず客が入らない状況に危機感を抱いているなど人一倍全日本プロレスのことを考えている。
  • クリナップ勤務時代には、商品の流し台を一人で担いで運ぶなど、身体能力を仕事にも生かしていた。
  • 試練の7番勝負の途中でヒール転向したため、5戦しか行われていない。
  • プロレス転向前に結婚しており、子供もいる。
  • 初めて三冠王者になった時、「過去の三冠王者の中で俺が一番弱いんじゃないかと思う。ここからが勝負。」と謙虚に語った。
  • ヒール転向前は黒髪にスポーツ刈りだったが、ヒール転向後は金髪と赤に染め、その後は赤の長髪で定着。今は心機一転し金と黒の長髪となっている。
  • ベビーターンしたことで「諏訪魔」から本名に戻すかと思われたが、「今更本名に戻してもファンはしっくりこないと思う。K-1の魔裟斗だってあんな名前なのにベビーフェイスだから」と語り、結局このまま「諏訪魔」で通した。
  • VM時代にスクールボーイで佐々木健介に14秒で勝利したことがある。
  • 世界タッグ王座には何度も挑戦しているがほとんど敗戦となり、2013年にようやく戴冠した。また、世界最強タッグリーグ戦では5年連続で準優勝(全て違うパートナー)というお世辞にも名誉とはいえない記録を持っている。
  • 現在はプロレスラーとしての活動と並行して横浜でレスリングクラブを主宰し、後進を育てている。

入場テーマ曲[編集]

  • 諏訪魔DDS
2008年のベビーターン時から使用。

メディア出演[編集]

ドラマ
映画

脚注[編集]

  1. ^ 2001年天皇杯全日本選手権 成績 日本レスリング協会公式サイト
  2. ^ 2002年天皇杯全日本選手権 成績 日本レスリング協会公式サイト
  3. ^ 2003年天皇杯全日本選手権 成績 日本レスリング協会公式サイト
  4. ^ Rise UP Tour 2012 全日本プロレスチャリティー藤沢大会 諏訪魔公式ホームページ
  5. ^ 全日本プロレス チャリティー藤沢大会 えのぽ江の島・藤沢
  6. ^ 諏訪魔が地元凱旋星「夢がかなった」 デイリースポーツ 2012年5月13日閲覧
  7. ^ 3冠奪取!諏訪魔 全日取締役就任も決意 - 東京スポーツ・2014年6月30日

外部リンク[編集]