イノキ・ゲノム・フェデレーション

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イノキ・ゲノム・フェデレーションInoki Genome Federation、略称:IGF)は、2007年に元プロレスラーのアントニオ猪木によって旗揚げされたプロレスのイベントである。

テレビ放送はスカチャンで2000円のペイ・パー・ビューによる生中継を行っている。地上波では、第2回大会以降を東海3県ローカルの東海テレビで放送。

目次

[編集] 概要

[編集] イノキ・ゲノム

2006年新日本プロレス筆頭株主(実質は株主預かり)であった猪木が、所持する全株をユークスに売却、実質オーナーから退いた。同時に、同年9月1日日本武道館にて、猪木vsモハメド・アリ30周年を記念し「イノキ・ゲノム 〜格闘技世界一決定戦2006〜」なる興行を開催することを明言。38万円のリングサイドチケットなど話題を振りまいたが、直前になっても武道館側が「予約すら入っていない」ことを明かし、その後延期を表明。10月15日に同所で行うことを猪木が明言したが、再び延期となり、11月に大木金太郎の追悼として韓国にて興行を行うと発表されたが、会場指定もされずに実現しなかった。1月に延期することが発表されたが、こちらもやはり実現しなかった。

[編集] IGF旗揚げ

2007年3月8日にプロレス復興をテーマに新団体旗揚げを発表。猪木は新団体の社長となった。猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木も新日本プロレス社長を辞職し、新団体に合流した。

3月14日、資本金1億円で会社登記。東京・銀座に事務所を構え、4月1日から営業を開始。2006年より居酒屋チェーン「アントニオ猪木酒場」を展開している、焼肉屋さかいなどを傘下に持つ外食産業大手のジー・コミュニケーションの支援を得て、IGFの事務所も同社の東京オフィス内に構えられた。

6月29日両国国技館にて旗揚げ興行「闘今 BOM-BA-YE」を8,426人の観衆を集めて開催。大方の予想を覆して大成功を収めた。観客数は実数で発表していると公表したが後に旗揚げの観客数は手違いで少なめに発表してしまったとサイモンが告白。メーンではブロック・レスナーカート・アングルが対戦し、アングルがアンクル・ロックで勝利した。その他、ジョシュ・バーネット小川直也らが勝利を収めた。

ちなみに、大会名を「闘魂」ではなく「闘今」としたのは、この時点で「闘魂」という商標が新日本プロレスのものになっていたからである[1]

ただし、その内側では当初協力を申し出ていた藤波辰爾及び藤波が代表を務める無我ワールド・プロレスリング(現:ドラディション)の参戦は実現せず直前になってハッスル等の他団体へ選手の貸し出しを要請したり、早々にメインとして決定したレスナーvsアングル戦を一旦白紙に戻した上でカード発表を開催当日に行うといったドタバタ劇が繰り広げられた。猪木は「予定通りでは面白くない。非常識の批判はあるが、その方が面白い。見たくない奴は来るな」とコメントした[2]

9月8日日本ガイシホールにて第2回大会「GENOME」を開催。メインではジョシュとドン・フライのUFC王者同士の対戦が実現し小川とプレデターのド迫力ファイト等、好試合を展開。試合内容に賛否はあるものの、小原道由タカ・クノウ等の我武者羅ファイトは概ね好評であった。

12月20日有明コロシアムにて第3回大会「GENOME2」の開催。アングルが再度参戦し、当初はブッカー・Tと対戦予定であったが、「書類上の不備」で来日せず、代わりにIGF初参戦のケンドー・カシンと対戦した。 メインイベントは、三つ巴戦で既にレネ・ローゼを破っていた安田忠夫小川直也であったが、小川がSTOで安田をKOすると猪木が突然リングイン。小川と乱闘を繰り広げ、大混乱のまま大会が終了した。

2008年2月16日、「GENOME3」が有明コロシアムで開催され、小川とジョシュが初めてシングルで激突。ジョシュが小川から勝利を奪うも小川の抗議により再試合。2試合目は小川の勝利で1勝1敗となる。また、ブッカー・Tが初参戦してTAJIRIにフォール勝ちした。当時新日に参戦していたトラヴィス・トムコがIGF電撃参戦というハプニングもあった。

2008年9月13日U.W.F.スネークピットジャパンとの業務提携を発表。代表宮戸優光が現場部長、ヘッドコーチビル・ロビンソンがスーパーバイザーに就任した[3]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

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