ピーター・アーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ピーター・アーツ
Peter-Aerts.jpg
基本情報
本名 ピーター・アーツ
通称 The Dutch Lumberjack(ダッチ・ランバージャック)
Mr.K-1
オランダの怪童
20世紀最強のキックボクサー
20世紀最後(20世紀最強)の暴君
絶対王者
進化し続ける(進化する)伝説
階級 スーパーヘビー級K-1
国籍 オランダの旗 オランダ
誕生日 1970年10月25日(41歳)
出身地 北ブラバント州
アイントホーフェン
身長 192cm
体重 107kg
スタイル キックボクシング
テンプレートを表示

ピーター・アーツPeter Aerts、男性、1970年10月25日 - )は、オランダ北ブラバント州アイントホーフェン出身のキックボクサードージョー・チャクリキ、K-1アーツ道場所属。

K-1 GRAND PRIX '94、'95、'98王者であり、K-1史上初のグランプリ2連覇および3度目の優勝を成し遂げたほか、6度の決勝トーナメントファイナル最多出場記録を持つ。K-1の第1回大会から参戦し、17度の決勝トーナメント最多出場記録、更には16年連続決勝トーナメント進出記録をはじめとする様々な記録を築いた。K-1創成期に自身のライバルであったアンディ・フグアーネスト・ホーストマイク・ベルナルドとは「K-1四天王」として並び称され、ハイキックで対戦相手をKOする姿と、彼の父親がであることをかけて、大木をなぎ倒す樵の意である「"The Dutch Lumberjack"(ダッチ・ランバージャック)[1]の異名を持つほか、「Mr.K-1」、「オランダの怪童」、「20世紀最強のキックボクサー」、「20世紀最後(20世紀最強)の暴君」、「絶対王者」、「進化し続ける(進化する)伝説」などと称されるファイターである。入場の際には必ずバッファローチェックのジャケットを羽織り、さらに帽子を被るという、北米の樵たちの伝統的なスタイルで入場している。

2012年6月30日のIT'S SHOWTIMEブリュッセル大会でのタイロン・スポーン戦でキックボクシングから引退することを表明している。

主な入場曲はMisirlou

目次

[編集] 来歴

[編集] 生い立ち - K-1参戦まで

1970年10月25日に誕生。少年時代はサッカー選手を目指していたが、ブルース・リーに衝撃を受け、13歳でテコンドーを、14歳でキックボクシングを始める。

その後ドージョー・チャクリキに入門。キックボクシングやムエタイの試合に出場、好成績を残した。

1988年11月20日、オランダで後のライバルの一人となるアーネスト・ホーストと初対戦し、判定負け。

1992年4月9日、フランスで開催された興行で8年間キックボクシング界で無敗を誇っていたモーリス・スミスに判定勝利。同年5月14日、リングス 光臨にてキックボクシングルールで行われたアダム・ワット戦をヒジ打ちで2ラウンドKO勝利。同年10月4日、格闘技オリンピックIII 〜カラテワールドカップ '92〜で佐竹雅昭とキックボクシングルールで対戦し、引き分け。

[編集] K-1参戦・第一次黄金期

1993年3月7日、オランダで開催されたTHE NIGHT OF THE SHOCKでモーリス・スミスと再戦し、4ラウンド終了間際に放った右ハイキックで失神KO勝ち。

4月30日、初開催されたK-1 GRAND PRIX '93へ参戦。優勝候補と目されていたが、トーナメント1回戦で当時日本では無名の選手であったアーネスト・ホーストに判定負け。

その後はK-1を主戦場にし、1994年1995年とK-1 GRAND PRIXを2連覇した。なお、K-1での2戦目となる1993年9月4日のK-1 ILLUSION 風林火山 "林の章"におけるディーノ・ホームズ戦から1996年3月10日のK-1 GRAND PRIX '96 開幕戦におけるジャン・クロード・リビエール戦までの間にかけて打ち立てた14連勝という記録は現在のK-1における最多連勝記録であり、またこの間、K-1以外で行った試合も含めると19連勝を記録している。

1996年5月6日のK-1 GRAND PRIX '96 決勝戦では前年12月9日のK-1 HERCULESにおける対戦では1ラウンドKO勝利を収めたマイク・ベルナルドと再戦。3ラウンド、ベルナルドの左フックでKO負けを喫しリベンジを許した。なお、この試合はアーツにとって人生初のKO負けを喫した試合となった。

9月1日、K-1 REVENGE '96ではベルナルドとのラバーマッチに臨むもローキックが下腹部に入り1ラウンド反則負けを喫し、10月8日、K-1 STAR WARS '96ではベルナルドと四度目の対戦をするも、ベルナルドの右フックで3ラウンドKO負けの3連敗を喫した。

1997年3月16日、K-1 KINGS '97では前年王者アンディ・フグと初対戦し、左膝蹴りで1ラウンドTKO勝利。

4月29日、K-1 BRAVES '97ではジャン・クロードと対戦し、右ハイキックで2ラウンドTKO勝利。

7月20日、K-1 DREAM '97ではジェロム・レ・バンナとK-1 GRAND PRIX '94 決勝戦以来二度目の対戦をし、右ハイキックで2ラウンドKO勝ち。なお、このバンナ戦は後にアーツ自身が選ぶ自身のベストバウトの一つに挙げている[2]

9月7日、K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦ではジェームズ・ウェーリングと対戦し、右ハイキックで3ラウンドKO勝ち。

11月9日、K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦では準々決勝でマイク・ベルナルドに右ボディストレートで3ラウンドTKO勝ちするものの、準決勝でフグに判定負け。

なお同年、所属していたドージョー・チャクリキを離脱し、一時的にフリーとして活動した後、メジロジムに移籍。

[編集] 第2次黄金期

1998年4月9日、K-1 KINGS '98では前年度K-1GP王者アーネスト・ホーストと対戦し、ダウンを奪って判定勝ち。

6月6日、K-1 FIGHT NIGHT '98ではアンディ・フグとのWKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチに臨み、判定負けで王座奪取に失敗。

7月18日、K-1 DREAM '98ではフランシスコ・フィリォと対戦。1ラウンド終了時の右脛裂傷によるドクターストップでTKO負け。

9月27日、K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦ではシニサ・アンドリヤセビッチと対戦し、2ラウンドTKO勝利。

12月13日、K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦では準々決勝の佐竹雅昭戦、準決勝のマイク・ベルナルド戦を共に1ラウンドTKO勝利したうえ、決勝のフグとの対戦ではハイキックで1ラウンドKO勝利を収めて1993年のブランコ・シカティックに続く全試合KOもしくはTKO勝利での優勝ならびに前人未到となる3度目のGP優勝を果たした。なお、決勝大会での全試合1ラウンドKOもしくはTKO勝利はK-1史上初であり、他にはK-1 WORLD GP 2009 FINALにてセーム・シュルトが達成したのみである。後のインタビューで、アーツはこの大会の3試合を自身のベストバウトとして挙げることが多くなった。

1999年2月3日、K-1 RISING SUN '99でのマイケル・マクドナルド戦から7月18日、K-1 DREAM '99でのサム・グレコ戦までの5試合全てをKOもしくはTKO勝利。その結果、前年のシニサ・アンドリヤセビッチ戦から9試合連続でKOもしくはTKO勝利となり、これは現在のK-1におけるKOもしくはTKOでの最多連勝記録である。

10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦ではロイド・ヴァン・ダムと対戦し判定勝ち。

12月5日、K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦の準々決勝でのジェロム・レ・バンナ戦では試合開始から15秒で右ハイキックによるダウンを奪うも、ロープ際に追い詰められての左フックを浴びて逆転の1ラウンドKO負けを喫し、人生初の1ラウンドKO負けを喫した試合となった。なお、大会前にはこの試合が事実上の決勝戦といわれていた。

[編集] 負傷による低迷期

2000年1月25日、K-1 RISING 2000では武蔵と対戦し延長1ラウンドTKO勝利。

4月23日、K-1 THE MILLENNIUMではレイ・セフォーと対戦し右ローキックで3ラウンドKO勝利。

5月12日、K-1 WORLD GP 〜ヨーロッパ&ロシア地区A予選〜ではアンドリュー・トムソンと対戦し1ラウンドKO勝利。

7月7日、K-1 SPIRITS 2000ではシリル・アビディと対戦し右ストレートにより番狂わせの1ラウンドTKO負け。

8月20日、K-1 WORLD GP 2000 in 横浜のグランプリ予選トーナメント1回戦にてアビディと再戦するも、背筋挫傷によるタオル投入で1ラウンドTKO負けを喫しリベンジに失敗。さらにこの試合で腰を痛め、それ以来かつてのようにハイキックで対戦相手をKOする姿は鳴りを潜めるようになる。その結果、自力での決勝大会進出を逃すこととなり、最終的に主催者推薦での決勝大会進出を果たすこととなった。

12月10日、K-1 WORLD GP 2000 決勝戦の1回戦で三度、アビディと対戦し判定勝ちするも、眉間をカットしたため準決勝を棄権した。なお、決勝トーナメントにおいて次の試合を棄権したのはこれがK-1史上初のケースである。

2001年2月4日、K-1 WORLD GP 2001 世界地区予選 オランダ大会ではスチュアート・グリーンと対戦し1ラウンドKO勝利。

3月17日、K-1 GLADIATORS 2001ではミルコ・クロコップと対戦し判定負け。

4月15日、K-1 BURNING 2001 〜火の国熊本初上陸〜ではノブ・ハヤシと対戦し5ラウンドTKO勝利。

8月11日、K-1 WORLD GP 2001 in ラスベガスでは予選トーナメント決勝でステファン"ブリッツ"レコと対戦し、右ストレートで3ラウンドKO負け。その結果、2年連続で自力での決勝大会進出を逃すこととなり、最終的には前年に続き主催者推薦での決勝大会進出を果たすこととなった。

12月8日、K-1 WORLD GP 2001 決勝戦の1回戦ではフランシスコ・フィリォと対戦し、2ラウンド終了時の足の甲骨折によるTKO負け。

2002年4月21日、K-1 BURNING 2002 〜広島初上陸〜ではニコラス・ペタスと対戦し、膝蹴りで1ラウンドKO勝利。

6月2日、K-1 SURVIVAL 2002 〜富山初上陸ではアンドレイ・キルサノフと対戦し、判定勝利。

7月14日、K-1 WORLD GP 2002 in 福岡ではアレクセイ・イグナショフと対戦し、判定負け。

10月5日、K-1 WORLD GP 2002 開幕戦ではグラウベ・フェイトーザと対戦し、判定勝ち。

12月7日、K-1 WORLD GP 2002 決勝戦の準々決勝ではレイ・セフォーと対戦し、僅差の判定負け。

2003年3月30日、K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMAではステファン"ブリッツ"レコと再戦。しかし、右脛裂傷によるドクターストップで3ラウンドTKO負けとなり、リベンジに失敗。

6月29日、K-1 BEAST II 2003ではボブ・サップ率いるビースト軍団の一員としてK-1 JAPAN軍団の中迫剛と対戦し、右ハイキックで2ラウンドKO勝ち。

10月11日、K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARSではジェレル・ヴェネチアンに判定勝ち。

12月6日、K-1 WORLD GP 2003 決勝戦では準々決勝でアレクセイ・イグナショフと再戦。「世代交代マッチ」と見られる試合であったが、イグナショフを終始にわたって完封しての延長1ラウンド判定勝ちを収めリベンジを果たした。準決勝で武蔵と対戦し、判定負けするも、この判定に不満を示した[3]

2004年6月6日、K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYAではゲーリー・グッドリッジと対戦し、右ローキックで3ノックダウンを奪っての3ラウンドKO勝利。

9月25日、K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦ではマイケル・マクドナルドと対戦し、判定勝ち。

12月4日、K-1 WORLD GP 2004 決勝戦の準々決勝ではフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタと対戦。1ラウンドに放った自らの右ローキックで右ももに肉離れを起こしての自滅による1ラウンドKO負け。

[編集] 復活・第三次黄金期

2005年3月19日、K-1 WORLD GP 2005 IN SEOULではカーター・ウィリアムスと対戦し、判定勝ち。

7月6日、HERO'S 2005では若翔洋と対戦。初の総合格闘技ルールの試合であったが、1ラウンドTKO勝ち。

9月23日、K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦ではマイティ・モーと対戦し、2ラウンドKO勝ち。

11月19日、K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦では準々決勝でジェロム・レ・バンナに延長1ラウンド判定勝ちを収めるも、右肋骨を骨折しドクターストップのため準決勝を棄権した。

12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!では大山峻護と総合格闘技ルールで対戦し、1ラウンド30秒、ヒールホールドで一本負け。それまでは総合格闘技転向を示唆する発言が多かったが、この試合以後、総合格闘技ルールからは撤退し、K-1ルールに専念するようになる。

2006年3月5日、K-1 WORLD GP 2006 IN AUCKLANDでは前年度王者のセーム・シュルトと対戦し、判定勝ち。

5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストと対戦するはずだったボブ・サップが契約問題のこじれから試合直前になって試合をボイコットしてしまったため、地元のTVの解説のために来場していたアーツがその代役として試合開始30分前に急遽、ホーストとの対戦を承諾。この日の試合を終えたシュルトのトランクスを借りて緊急出場し、判定で敗れはしたものの、このような環境下で試合を行ったことで会場の観客から喝采を浴びた。なお、出場理由についてアーツは「K-1が俺の力を必要としていたからな」と語っている。

7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 IN SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜ではゲーリー・グッドリッジとの再戦に臨み、判定勝ち。

9月30日、K-1 WORLD GP 2006 IN OSAKA 開幕戦にてレミー・ボンヤスキーと対戦予定だったが病気のため欠場し、これにより第1回大会からの決勝トーナメント連続出場記録が13年で途絶えたかに見えた。しかし、12月2日、K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦のリザーブマッチで武蔵に1ラウンドKO勝利すると、準々決勝第4試合に出場したボンヤスキーとステファン"ブリッツ"レコが共にドクターストップのため代わりに準決勝に出場し、グラウベ・フェイトーザに2ラウンドKO勝利。決勝戦ではシュルトに判定負けを喫したものの、前年のグラウベに続きリザーブマッチから決勝進出、準優勝を果たしたK-1史上2人目の選手となった。

2007年6月23日、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMではボブ・サップと対戦。左膝蹴りでダウンを奪い、そのままサップは立とうとせず1ラウンド26秒であっさりとKO勝ち。サップのあまりのふがいなさに観客からは大ブーイングとともにリングに物が投げ入れられたが、アーツのマイクアピールに対しては歓声が沸き起こった。

8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGではニコラス・ペタスと対戦。序盤はボクシング技術の増したペタスのフックの打ち分けで、ロープ際に棒立ちにさせられた場面もあったが、2ラウンド、右ハイキックで失神させてのKO勝ちを収めた。

9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16ではレイ・セフォーと対戦。1ラウンド終了時に右ローキックでダウンを奪い、インターバル終了後セフォーは立ち上がることができず、セコンドからタオルが投入されTKO勝ち。

12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALでは準々決勝で澤屋敷純一に1ラウンドKO勝ちし、続く準決勝はレミー・ボンヤスキーに苦しみながらも判定勝ち。そして決勝戦では前年同様にセーム・シュルトと対戦するも左ストレートを浴びた瞬間、右足に異常を見せダウンし1ラウンドKO負け。試合後、「パンチのダメージは無かったけど、踏み込んだ時にリングが濡れていたので滑って、膝が変な方向に曲がって痛めた。前方十字靭帯を痛めたようだ」と語っている。

2008年6月29日、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAではヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤに3ラウンドTKO勝利。

「彼が王者のままではK-1がつまらなくなる」という理由で谷川貞治にセーム・シュルトとの対戦を直訴し、4月26日のK-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAMにてレミー・ボンヤスキーvsメルヴィン・マヌーフ戦の勝利者トロフィーを渡すためにリングに上がった際に「開幕戦でシュルトと戦いたい」と対戦をアピールしていたこともあって、9月27日のK-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16にてシュルトとの対戦が実現。終盤は互いにクリンチを繰り返したものの、積極的に攻め続けて判定勝ちを収める[4]が、この試合の判定は物議を醸した。

12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINAL準々決勝でバダ・ハリと対戦。1ラウンドに右ストレートにダウンを奪われ、2ラウンドにも飛び前蹴りでダウンを奪われた後、レフェリーが試合をストップしTKO負けとなった。

[編集] ドージョー・チャクリキに復帰・第4次黄金期

2009年、前年にチーム・アーツのトレーナーであるヤン・プラスが薬物所持で逮捕され、K-1 WORLD GP 2008 FINAL準々決勝でのバダ・ハリ戦に敗戦後、「ベテランである自分のことを怒ってくれるトレーナーが必要だ」と感じ、再びドージョー・チャクリキトム・ハーリック会長に頭を下げて練習を積むようになる。

3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAではエロール・ジマーマンと対戦し、延長1ラウンド判定勝ち。なお、この試合にはこれまでになく絞れた体で出場した。

8月11日、K-1 WORLD GP 2009 IN TOKYOでは西島洋介と対戦し、3ラウンドKO勝ち。なお、この試合は西島のリングシューズ着用が認められた特別試合となった。

9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16では、前年の大晦日にバダ・ハリにKO勝ちしたことでファン投票1位で推薦枠を獲得して勢いに乗る総合格闘家のアリスター・オーフレイムと対戦。アリスターの圧倒的なパワーと反則気味の投げ技[5]に翻弄され、判定負け。

12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALではリザーブファイトでグーカン・サキと対戦。ダウンを奪い判定勝ちを収めるも、本選出場には至らず第1回大会からの決勝トーナメント連続出場記録が16年で途絶えた形となった。

4月3日、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAではK-1世界ヘビー級タイトルマッチで王者・京太郎と対戦。階級をヘビー級に落とすためにキャリア初の10kg以上の減量に取り組んだが減量し過ぎてしまい、前日計量ではリミットを3kgも下回る97kgでパス。試合では減量失敗の影響で自らの攻撃でバランスを崩すなど全くキレがなく、2ラウンドに右ストレートでKO負けで王座獲得に失敗。試合後の会見では階級を本来のスーパーヘビー級に専念することと試合前から怪我していた肘の手術をすることを表明した。

2010年10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16にファン投票1位で推薦枠として出場し、エヴェルトン・テイシェイラと対戦。延長1ラウンド判定勝ちを収め、その後は同日に行われたセーム・シュルトvsヘスディ・カラケスの試合の観戦に回り、観客席から立ち上がってカラケスを応援する様子も見られた。

12月11日、K-1 WORLD GP 2010 FINALで準々決勝で再戦となるマイティ・モーを1ラウンドKOで返り討ちにすると、続く準決勝で前年度の王者であるシュルトと5度目の対戦。1ラウンドはシュルトの攻撃に苦しんだが、3ラウンドにローキックを効かせパンチ連打で圧倒し、シュルトを棒立ちにさせ警告を奪い2-0の判定勝ち。決勝でアリスター・オーフレイムと再戦し、シュルトとの試合のダメージもあり1ラウンドKO負けで優勝は逃したものの、40歳にしてここ数年で最高といえるコンディションとパフォーマンス、またK-1史上最多記録となる自身6度目のWORLD GP FINAL決勝への出場を果たしたことで、ファンや関係者、対戦相手に高く評価された。また、アリスターからは「アーツはK-1だけでなく、全てのスポーツ史上においても偉大な王者だ」と敬意を表された。

[編集] プロレス団体IGF参戦

2011年に入り、K-1の経営母体であるFEGの経営難が表面化し、選手へのファイトマネー未払いが次々と発覚し、特に重量級のWORLD GPシリーズについては全く興行の目処が立たない状況になってしまった。

そのため、アーツはプロレス団体IGFと契約。

2011年8月27日、INOKI GENOME 〜Super Stars Festival 2011〜にて鈴川真一と対戦し、KO勝ち。

2011年9月3日、GENOME17にて鈴木秀樹と対戦し、KO勝ち。

2011年12月2日、INOKI BOM-BA-YE 2011にて、初のタッグマッチに出場し、ボビー・ラシュリーとのタッグで藤田和之ケンドー・カシン組と対戦し、ラシュリーが藤田を羽交い絞めにしたところにアーツが右ハイキックを放ってダウンさせ、体固めでフォール勝ちを収めた。

2011年12月11日、熊本益城町総合体育館で開催された「火の国格闘伝説 LEGEND2」にて、Mr.神風とキックボクシングルールで対戦し、1RKO勝ち。

2011年12月31日、元気ですか!! 大晦日!! 2011にて、タッグマッチで敗れたことに納得がいかない藤田和之とIGFルールのシングル戦で対戦し、逆片エビ固めを極められてギブアップ負け。

なお、同年、自身のジム「K1 Aerts Dojo」をオープンした[6]

[編集] 2012年・キックボクシング現役引退

2012年6月30日に開催されるIT'S SHOWTIMEでのタイロン・スポーン戦でキックボクシングから引退することを表明した [7]。 なお、この大会は当初はアーツの母国オランダで開催予定だったが、オランダのほとんどの都市の市長が格闘技大会の開催に反対の姿勢を表明しているため、開催場所が隣国ベルギーブリュッセルに変更となった[8]

[編集] 人物

  • 祖父と叔父はかつてボクサーであった。また、二卵性双生児の息子と娘がいる[9]
  • 若い頃のアーツは練習もそこそこに遊び歩き、友人たちと共にパブで酒を飲みまくってバカ騒ぎをする日々を過ごしていた。にもかかわらず、試合ではその天性の才能でKO勝ちを連発していた。谷川貞治曰く「二日酔いのまま試合に出場してハイキックでKO勝ちして、試合後すぐにまた飲みに行っていた」とのこと。アーツ本人は当時を振り返って「若い頃の俺は節制なんてものとは無縁だったな。若い頃よりも今の俺の方が真面目に節制して練習しているよ」と語っている。
  • インタビュー時や関係者やファンの前で笑顔を見せる時は豪快な笑い方をする。
  • K-1初期からのファイターであるが、総合格闘技に対しても理解的な姿勢を見せており、K-1の興行においてキモvsパトリック・スミス戦が行われた際もそれを認めるコメントを出した。また、PRIDE武士道の旗揚げが発表された際には、参戦候補選手としてPRIDEのリングに上がったことがあり、2004年には「今のK-1との契約が終わったらPRIDEに移籍するつもりだ」と答えていた[10]アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラらの元で総合格闘技のトレーニングを積み、HERO'Sで総合格闘技デビューするなど総合格闘技にも継続的に挑戦するかと思われたが、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!大山峻護に秒殺一本負けしたのを機に総合格闘技から撤退した。
  • 自身とともにK-1四天王として並び称されたアンディ・フグアーネスト・ホーストマイク・ベルナルド、また長年のライバルであるジェロム・レ・バンナとは友人でもある。2000年、フグが死去した際のインタビューでは「K-1の選手の中で一番の親友だった。アンディのことは絶対に忘れない」などと涙ながらに語り[1]、バンナは2010年からアーツ達と共にドージョー・チャクリキで練習するようになり、バンナがアーツのセコンドにも就いている。また、自身のトランクスに666の文字を入れていたことがあるが、これはベルナルドへのジョークであったことを明かしている[9]
  • ハイパーコロコロにて坂井孝行による読み切り漫画作品『K-1超闘士列伝ピーター・アーツ物語』が掲載された。同作品は同じく坂井の漫画作品であるK-1 ダイナマイトの単行本2巻に収録されている。

[編集] 戦績

[編集] キックボクシング

キックボクシング 戦績
129試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
100 67 33 0 1 0
29 13 14 1
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
Mr.神風 1R 2:59 KO(3ノックダウン:右ローキック) 火の国格闘伝説 LEGEND2 2011年12月11日
× アリスター・オーフレイム 1R 1:07 KO(パンチ連打) K-1 WORLD GP 2010 FINAL
【WORLD GP 決勝】
2010年12月11日
セーム・シュルト 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2010 FINAL
【WORLD GP 準決勝】
2010年12月11日
マイティ・モー 1R 2:20 KO(2ノックダウン:パンチ連打) K-1 WORLD GP 2010 FINAL
【WORLD GP 準々決勝】
2010年12月11日
エヴェルトン・テイシェイラ 3R+延長1R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2010年10月2日
× 京太郎 2R 1:56 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMA
【K-1ヘビー級タイトルマッチ】
2010年4月3日
グーカン・サキ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2009 FINAL
【WORLD GP リザーブファイト】
2009年12月5日
× アリスター・オーフレイム 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2009年9月26日
西島洋介 3R 1:24 KO(3ノックダウン:右ローキック) K-1 WORLD GP 2009 IN TOKYO
【特別試合】
2009年8月11日
エロール・ジマーマン 3R+延長1R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMA 2009年3月28日
× バダ・ハリ 2R 1:39 TKO(レフェリーストップ:右フック) K-1 WORLD GP 2008 FINAL
【WORLD GP 準々決勝】
2008年12月6日
セーム・シュルト 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2008年9月27日
ヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤ 3R 2:49 TKO(レフェリーストップ:左まぶたカット) K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA
【スーパーファイト】
2008年6月29日
× セーム・シュルト 1R 1:49 KO(左ストレート) K-1 WORLD GP 2007 FINAL
【WORLD GP 決勝】
2007年12月8日
レミー・ボンヤスキー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2007 FINAL
【WORLD GP 準決勝】
2007年12月8日
澤屋敷純一 1R 1:29 KO(2ノックダウン:右ストレート) K-1 WORLD GP 2007 FINAL
【WORLD GP 準々決勝】
2007年12月8日
レイ・セフォー 1R終了時 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2007年9月29日
ニコラス・ペタス 2R 2:34 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG
【スーパーファイト】
2007年8月5日
ボブ・サップ 1R 0:26 KO(膝蹴り) K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM
【スーパーファイト】
2007年6月23日
× セーム・シュルト 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦
【WORLD GP 決勝】
2006年12月2日
グラウベ・フェイトーザ 2R 1:02 TKO(レフェリーストップ:左アッパー) K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦
【WORLD GP 準決勝】
2006年12月2日
武蔵 1R 2:53 KO(2ノックダウン:パンチ連打) K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦
【WORLD GP リザーブファイト】
2006年12月2日
ゲーリー・グッドリッジ 3R終了 判定3-0 K-1 REVENGE 2006
K-1 WORLD GP 2006 IN SAPPORO
〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜
2006年7月30日
堀啓 2R 1:23 KO(3ノックダウン:左ハイキック) K-1 WORLD GP 2006 IN SEOUL
【スーパーファイト】
2006年6月3日
× アーネスト・ホースト 3R終了 判定0-2 K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAM
【スーパーファイト】
2006年5月13日
セーム・シュルト 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2006 IN AUCKLAND
【スーパーファイト】
2006年3月5日
ジェロム・レ・バンナ 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦
【WORLD GP 準々決勝】
2005年11月19日
マイティ・モー 2R 0:42 KO(左ローキック) K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦
【WORLD GP 1回戦】
2005年9月23日
カーター・ウィリアムス 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2005 IN SEOUL
【スーパーファイト】
2005年3月19日
× フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ 1R 1:13 KO(2ノックダウン:右足負傷) K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【WORLD GP 準々決勝】
2004年12月4日
マイケル・マクドナルド 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦
【WORLD GP 1回戦】
2004年9月25日
ゲーリー・グッドリッジ 3R 1:40 KO(3ノックダウン:右ローキック) K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYA 2004年6月6日
× 武蔵 3R終了 判定0-2 K-1 WORLD GP 2003 決勝戦
【WORLD GP 準決勝】
2003年12月6日
アレクセイ・イグナショフ 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2003 決勝戦
【WORLD GP 準々決勝】
2003年12月6日
ジェレル・ヴェネチアン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS
【WORLD GP1回戦】
2003年10月11日
中迫剛 2R 1:42 KO(2ノックダウン:右ハイキック) K-1 BEAST II 2003 2003年6月29日
× ステファン"ブリッツ"レコ 3R 1:44 TKO(ドクターストップ:右脛裂傷) K-1 WORLD GP 2003 in さいたま 2003年3月30日
× レイ・セフォー 3R終了 判定1-2 K-1 WORLD GP 2002 決勝戦
【WORLD GP 準々決勝】
2002年12月7日
グラウベ・フェイトーザ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2002 開幕戦
【WORLD GP 1回戦】
2002年10月5日
× アレクセイ・イグナショフ 5R終了 判定0-2 K-1 WORLD GP 2002 in 福岡 2002年7月14日
アンドレイ・キルサノフ 5R終了 判定3-0 K-1 SURVIVAL 2002 〜富山初上陸〜 2002年6月2日
ニコラス・ペタス 1R 2:50 KO(膝蹴り) K-1 BURNING 2002 〜広島初上陸〜 2002年4月21日
× フランシスコ・フィリォ 2R終了時 TKO(タオル投入:左足甲負傷) K-1 WORLD GP 2001 決勝戦
【WORLD GP 1回戦】
2001年12月8日
× ステファン"ブリッツ"レコ 3R 2:05 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2001 in ラスベガス
【GP予選トーナメント 決勝】
2001年8月11日
モーリス・スミス 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2001 in ラスベガス
【GP予選トーナメント 準決勝】
2001年8月11日
内田ノボル 3R 2:06 TKO(レフェリーストップ:左膝蹴り) K-1 WORLD GP 2001 in ラスベガス
【GP予選トーナメント 1回戦】
2001年8月11日
ノブ・ハヤシ 5R 0:36 TKO(タオル投入) K-1 BURNING 2001 〜火の国熊本初上陸〜 2001年4月15日
× ミルコ・クロコップ 5R終了 判定0-2 K-1 GLADIATORS 2001 〜新世紀 一撃伝説の幕開け〜 2001年3月17日
スチュアート・グリーン 1R KO K-1 WORLD GP 2001 世界地区予選 オランダ大会
【スーパーファイト】
2001年2月4日
シリル・アビディ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2000 決勝戦
【WORLD GP 1回戦】
2000年12月10日
× シリル・アビディ 1R 2:42 TKO(タオル投入:背筋挫傷) K-1 WORLD GP 2000 in 横浜
【GP予選トーナメント 1回戦】
2000年8月20日
× シリル・アビディ 1R 2:13 TKO(レフェリーストップ:右ストレート) K-1 SPIRITS 2000
【スーパーファイト】
2000年7月7日
アンドリュー・トムソン 1R 0:55 KO K-1 WORLD GP 2000 〜ヨーロッパ&ロシア地区A予選〜
【スーパーファイト】
2000年5月12日
レイ・セフォー 3R 2:24 KO(右ローキック) K-1 THE MILLENNIUM 2000年4月23日
武蔵 延長R 1:25 TKO(タオル投入) K-1 RISING 2000 〜長崎初上陸〜 2000年1月25日
× ジェロム・レ・バンナ 1R 1:11 KO(左フック) K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦
【GRAND PRIX 準々決勝】
1999年12月5日
ロイド・ヴァン・ダム 5R終了 判定3-0 K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1999年10月3日
サム・グレコ 2R 1:38 KO(右ハイキック) K-1 DREAM '99 〜グランプリへの道〜
【スーパーファイト】
1999年7月18日
モーリス・スミス 3R 2:44 TKO(レフェリーストップ:右ストレート) K-1 SURVIVAL '99 〜北海道初上陸〜 1999年6月6日
マット・スケルトン 4R終了時 TKO(タオル投入) K-1 REVENGE '99 1999年4月25日
ジム・ミューレン 3R 1:26 KO(右ハイキック) K-1 THE CHALLENGE '99 1999年3月22日
マイケル・マクドナルド 2R 2:40 KO(左膝蹴り) K-1 RISING SUN '99 1999年2月3日
アンディ・フグ 1R 1:10 KO(左ハイキック) K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【GRAND PRIX 決勝】
1998年12月13日
マイク・ベルナルド 1R 2:53 TKO(レフェリーストップ:右ストレート) K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【GRAND PRIX 準決勝】
1998年12月13日
佐竹雅昭 1R 2:40 TKO(レフェリーストップ:左膝蹴り) K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【GRAND PRIX 準々決勝】
1998年12月13日
シニサ・アンドリヤセビッチ 2R 1:55 TKO(レフェリーストップ:右膝蹴り) K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1998年9月27日
× フランシスコ・フィリォ 1R終了時 TKO(ドクターストップ:右脛裂傷) K-1 DREAM '98 1998年7月18日
× アンディ・フグ 5R終了 判定0-3 K-1 FIGHT NIGHT '98
【WKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】
1998年6月6日
アーネスト・ホースト 5R終了 判定2-0 K-1 KINGS '98 1998年4月9日
× アンディ・フグ 5R終了 判定0-3 K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦
【GRAND PRIX 準決勝】
1997年11月9日
マイク・ベルナルド 3R 1:17 TKO(レフェリーストップ:右ボディストレート) K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦
【GRAND PRIX 準々決勝】
1997年11月9日
ジェームズ・ウェーリング 3R 1:13 TKO(レフェリーストップ:右ハイキック) K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1997年9月7日
ジェロム・レ・バンナ 2R 1:19 KO(右ハイキック) K-1 DREAM '97 1997年7月20日
ジャン・クロード 2R 3:08 TKO(レフェリーストップ:右ハイキック) K-1 BRAVES '97 1997年4月29日
アンディ・フグ 1R 1:55 TKO(レフェリーストップ:左膝蹴り) K-1 KINGS '97 1997年3月16日
× マイク・ベルナルド 3R 2:37 KO(右フック) K-1 STAR WARS '96 1996年10月18日
× マイク・ベルナルド 1R 2:21 反則失格(ローブロー) K-1 REVENGE '96 1996年9月1日
× マイク・ベルナルド 3R 0:13 KO(左フック) K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦
【GRAND PRIX 準々決勝】
1996年5月6日
ジャン・クロード・リビエール 1R 2:43 KO(右ハイキック) K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1996年3月10日
マイク・ベルナルド 1R 0:40 KO(右フック) K-1 HERCULES 1995年12月9日
フーベルト・ヌムリッヒ 5R終了 判定 SHOCK OF EUROPE 1995年10月28日
サム・グレコ 5R終了 判定3-0 K-1 REVENGE II 1995年9月3日
マイケル・トンプソン 2R 0:40 KO(右膝蹴り) K-1 LEGEND 翔
【スーパーワンマッチ】
1995年7月16日
ジェロム・レ・バンナ 1R 1:37 KO(右ボディストレート) K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦
【GRAND PRIX 決勝】
1995年5月4日
アーネスト・ホースト 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦
【GRAND PRIX 準決勝】
1995年5月4日
後川聡之 1R 1:02 KO(右アッパー) K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦
【GRAND PRIX 準々決勝】
1995年5月4日
カークウッド・ウォーカー 3R 2:25 KO(右ローキック) K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦
【GRAND PRIX 1回戦】
1995年3月3日
グラン・バーカー 1R 2:00 KO(右膝蹴り) K-1 LEGEND 乱 1994年12月10日
フランク・ロブマン 2R 2:29 KO(右ストレート) NIGHT OF THE STARS
【決勝】
1994年9月12日
グレン・ワンガート 1R 2:56 TKO NIGHT OF THE STARS
【準決勝】
1994年9月12日
ロブ・ファン・エスドンク 2R KO NIGHT OF THE STARS
【1回戦】
1994年9月12日
佐竹雅昭 3R終了 判定3-0 K-1 GRAND PRIX '94
【GRAND PRIX 決勝】
1994年4月30日
パトリック・スミス 1R 1:03 KO(右ストレート) K-1 GRAND PRIX '94
【GRAND PRIX 準決勝】
1994年4月30日
ロブ・ファン・エスドンク 3R 1:10 KO(右ハイキック) K-1 GRAND PRIX '94
【GRAND PRIX 1回戦】
1994年4月30日
マーカス・フクナー 2R 2:21 KO WMTA WORLD CHAMPION 1994年2月20日
ロブ・ファン・エスドンク 4R 0:56 KO WORLD TITLE FIGHT OF MUAY THAI 1993年9月19日
ディーノ・ホームズ 1R 1:36 KO(左ハイキック) K-1 ILLUSION 風林火山 "林の章" 1993年9月4日
× アーネスト・ホースト 3R終了 判定0-2 K-1 GRAND PRIX '93
【GRAND PRIX 1回戦】
1993年4月30日
モーリス・スミス 4R 2:07 KO(左ハイキック) THE NIGHT OF THE SHOCK 1993年3月7日
リー・セルトープ 1R 1:14 KO SUPER PRESTIGE FIGHT 1993年1月29日
佐竹雅昭 引き分け 格闘技オリンピックIII 〜カラテワールドカップ '92〜 1992年10月4日
フランク・ロブマン 3R 1:31 TKO THE NIGHT OF THE TRUTH 1992年9月20日
アダム・ワット 2R 2:46 KO リングス 光臨 1992年5月14日
モーリス・スミス 2分9R終了 判定 フランス 1992年4月9日
ダリス・アリベック 2R 2:05 TKO FIGHT OF THE HEAVY TANKS 1992年3月22日
フランク・ロブマン 5R終了 判定 NIGHT OF FIGHTS 1991年11月18日
マーク・ラッセル 1R 1:40 KO イングランド 1991年6月29日
ヤン・オーストバーン 判定 WORLD TITLE FIGHT OF MUAY THAI 1990年4月1日
× アーネスト・ホースト 5R終了 判定0-3 オランダ 1988年11月20日

[編集] 総合格闘技

総合格闘技 戦績
2 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
1 1 0 0 0 0 0
1 0 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 大山峻護 1R 0:30 ヒールホールド K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 2005年12月31日
若翔洋 1R 1:36 TKO(レフェリーストップ:右ストレート) HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント 2005年7月6日

[編集] 獲得タイトル

  • I.K.B.F.世界ヘビー級王座
  • W.M.T.A.世界ムエタイヘビー級王座
  • K-1 GRAND PRIX '94 優勝
  • K-1 GRAND PRIX '95 優勝
  • K-1 GRAND PRIX '98 優勝
  • K-1 WORLD GP 2006 準優勝
  • K-1 WORLD GP 2007 準優勝
  • K-1 WORLD GP 2010 準優勝

[編集] 脚注

  1. ^ 「ランバー」とは巨木のことを指し、北米や中欧の大森林地帯で、チェーンソーもなかった時代に一本で「ランバー」をなぎ倒す怪力自慢の男たちが「ランバージャック」と呼ばれていた。
  2. ^ K-1 WORLD GP 2005 FINALのアリーナ席限定配布DVD内にて。
  3. ^ 会場で観戦していたアーネスト・ホーストも「あれはアーツの勝ちか、最低でもドローで延長が妥当だ」と語り、ホーストはK-1 WORLD GP 2004 決勝戦準々決勝の対レミー・ボンヤスキー戦に敗戦後、ジャッジへの怒りを露わにした際にもこの試合の結果に触れ、「明らかにピーターが勝っていたのに武蔵に勝利が行ってしまった」と語っている。
  4. ^ この結果、自身の決勝トーナメント連続出場記録を16年連続に更新したうえ、シュルトのGP4連覇および自身の持つK-1における最多連勝記録(14連勝)タイ記録達成を阻止している。
  5. ^ なお、石井和義は決勝大会開始前に「アリスターの投げは反則です」と明言した。
  6. ^ アーツがオランダでジムを開設! K-1公式サイト 2011年5月9日
  7. ^ Peter Aerts Confirms His Final Fight vs Tyrone Spong on June 30 LiverKick.com 2012年1月12日
  8. ^ It's Showtime's June 30th Event Moving to Brussels Liverkick.com 2012年1月27日
  9. ^ a b http://pancration.net/nihongo/peter-aerts-interview-japanese.html
  10. ^ 結局アーツが参戦することのないまま、2007年にPRIDEは事実上消滅している。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語