レミー・ボンヤスキー
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | レミー・ボンヤスキー |
| 通称 | ザ・フライ・ハイ フライング・ジェントルマン |
| 階級 | スーパーヘビー級(K-1) |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1976年1月10日(36歳) |
| 出身地 | |
| 身長 | 192cm |
| 体重 | 108kg |
| スタイル | ムエタイ |
レミー・ボンヤスキー(Remy Bonjasky、男性、1976年1月10日 - )は、スリナム共和国パラマリボ出身。現在の国籍はオランダのキックボクサー。映画俳優。バックボーンはムエタイ。チームボンヤスキー所属。元ABNアムロ銀行勤務の銀行員という異色の経歴を持つ。
防御を中心とした技術と高い身体能力を生かしたフライング・ニー(跳び膝蹴り)、フライング・ハイ(ハイキック)などの蹴り技が武器。K-1 WORLD GPで3度の優勝を果たしている。
目次 |
[編集] 来歴
2001年6月24日、日本で初の試合。K-1参戦後2戦目でレイ・セフォーにTKO勝ちし、脚光を浴びる。
2003年10月11日、K-1 WORLD GP開幕戦でボブ・サップと対戦。ダウンを奪うが、ボンヤスキーがスリップした時にサップに攻撃を受け試合続行不可能となったため、反則勝ちで決勝トーナメントに駒を進める。
2003年12月6日、WGP決勝トーナメント準々決勝でピーター・グラハムを跳び膝蹴りで1RKO勝ち。準決勝でシリル・アビディをまたしても膝蹴りで1RKO勝ち。そして決勝で武蔵を判定で破り、初優勝を果たした(ムエタイの選手としても初)。
2004年5月30日、一撃キックルールでフランシスコ・フィリォと対戦し、ダウンを奪われて判定負け。
2004年9月25日、曙にハイキックでKO勝ち。
2004年12月4日、WGP決勝大会の準々決勝でアーネスト・ホーストと対戦し、延長判定勝ち。続く準決勝でフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタと対戦。1Rと2Rはボタのボディブローの連打に圧倒され、最終第3Rも圧倒されていたが試合終了直前にハイキックでダウンを奪い、判定勝ち。決勝戦では武蔵に判定勝ちで2連覇を果たした。
2005年4月30日、K-1ラスベガス大会でマイティ・モーから右フックでダウンを奪われ判定負け。決勝GPの準々決勝ではチェ・ホンマンを判定で下すも、準決勝でセーム・シュルトに膝蹴りに苦しみ1RKO負け。試合後、「4週間ぐらい前に怪我をしたところを攻められた。精神面じゃなく肉体面が敗因だ」、「王者のプレッシャーから解放された」とコメントした。
2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にてザ・プレデターと対戦。判定2-1で判定勝ち。試合後、「12月のグランプリでの左足の負傷がまだ癒えておらず、思うように蹴れなかった」とコメントしている。
2006年5月13日、K-1アムステルダム大会のスーパーファイトでジェロム・レ・バンナと対戦。一度は2-0の判定勝ちと宣告された。その後、バンナ側の抗議により、6月30日付で0-3の判定負けと記録が変更された[1]。同年7月30日、札幌大会で昨年ダウンを奪われ判定負けを喫したマイティ・モーとリベンジマッチを行う。ダウンこそ奪えなかったがローキックなどでダメージを与え判定勝ち。リベンジを果たした。開幕戦ではピーター・アーツと対戦予定だったが、アーツが病気で欠場したため、試合の2日前に代役で出場が決まったゲーリー・グッドリッジと対戦し、KOで下し決勝大会への切符を手に入れる。決勝GPではステファン"ブリッツ"レコに2度の金的を受けるアクシデントに苦しみながらも、カウンターでダウンを奪い判定勝ち。だが金的のダメージが残っていたため、準決勝を棄権した。
2007年4月28日、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIのスーパーファイトにてグラウベ・フェイトーザと初対戦し、2-0の判定勝ち。
2007年8月、ミルコ・クロコップのチーム・クロコップのトレーニングにスパーリング・パートナーとして参加。
2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16にてステファン"ブリッツ"レコと対戦し、右跳び膝蹴りでKO勝ち。
2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALの準々決勝でバダ・ハリに判定勝ちするも、準決勝でピーター・アーツに判定負け。
2008年4月26日、K-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAMのスーパーファイトにてメルヴィン・マヌーフにKO勝ち。
2008年7月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN TAIPEIのスーパーファイトでヴォルク・アターエフと対戦し、3RKO勝ち。
2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16でポール・スロウィンスキーと対戦し、判定勝ち。しかし不可解な判定に試合後スロウィンスキーは判定に不服を唱えていた。
2008年12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINALの準々決勝でジェロム・レ・バンナに3RドクターストップTKO勝利、準決勝でグーカン・サキに2RKO勝利を収め、決勝でバダ・ハリと対戦する。1Rにハリからダウンを奪ったものの、2Rに足を掴まれ倒されたところにハリの反則攻撃(倒れた相手へのパンチと踏みつけ)が当たり、ダメージ回復のため試合が中断され、レミーはダブルビジョン(物が二重に見えること)を訴える。結局ハリがこの反則行為によって失格負けとなり、レミーが4年ぶり3度目のGP王者となった。 対戦相手のハリは反則攻撃後のボンヤスキーの一連の行動に対して「演技」の可能性を指摘した。それに対して当のボンヤスキーは、その翌日のインタビューにおいて、一夜を越して起きてもまだダブルビジョンと頭痛が治まっていなかったという旨のことを述べている[2]。
2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAでアリスター・オーフレイムと対戦。1R、2Rとプレッシャーをかけ続けるアリスターにペースを握られるも、3Rにダウンを奪い判定勝ち。しかし、K-1プロデューサーの谷川貞治は「アリスターの勝ちですね。2Rもアリスターのポイントで良いと思いますし、ダウン以外は全てアリスターが勝っていました」とコメントした[3]。試合後の会見で2日前に膝の裏側の筋を痛め歩行も困難な状態になり、試合当日は鎮痛剤を打って試合をしたことを告白した。
2009年9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16でメルヴィン・マヌーフと対戦し、判定勝ち。
2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALの準々決勝でエロール・ジマーマンに判定勝ち。準決勝でセーム・シュルトと対戦し、1R開始直後に左フックでダウンを奪い、あわやというところで2度のダウンを奪い返されてKO負けし、連覇ならず。
[編集] 人物
スリナムのパラマリボに生を享け、5歳のときにオランダのティルブルフへと移住。[5]
少年時代はサッカーに打ち込んでおり、16歳の頃まではオランダを代表する名門クラブ・アヤックスの下部組織でプレーしていた。
アレクセイ・イグナショフと並んでK-1きってのインテリファイターとして知られており、格闘雑誌のインタビューで国立大学出身で数学を専攻していたと語っている。
2003年に結婚するが、2005年に離婚。2004年2月に長男が生まれ、モハメド・アリの本名から取って「カシアス」と名付けた。
2008年の決勝WGPの当夜すぽると!に生放送で出演した際、「ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、セーム・シュルト、レミー・ボンヤスキーの歴代K-1王者の中で誰が一番強いか?」というテレビアンケートが行われ、見事1位となった。
[編集] 2度にわたる名誉賞の受賞
2007年の7月の終わり頃、アムステルダムの市中で通り魔事件に巻き込まれたボンヤスキーは、その犯人らの逮捕劇にて大立ち回りを演じることとなる。2名のイギリス人らがアムステルダムの街中で車中から通行人に対して無差別にボウガンの矢を放ったという事件で、その被害者の一人(結果として最後の被害者)となったボンヤスキーは、即座に犯人らの車を追跡し、そのまま犯人らを取り押さえたうえで、警官らが到着するまで待機。犯人らはそのまま逮捕された。[6] 著名な格闘家の誉れ高き快挙としてアムステルダム市警はこれを顕彰し、ボンヤスキーは市警から栄誉のメダルを授与された。[7]
2009年にはアルメレ市の名誉市民賞を受賞。格闘技における功績を認められてのことであった。[8] このアルメレ市は、その翌2010年に自身のキックボクシング/ムエタイジム“ボンヤスキー・アカデミー”を開業することになる町でもあり[9]、更には防犯対策の講師として大学で講義を行い、新たに発足したその専門プロジェクトの主任を務めるなど[10]、なにかとゆかりの深い町でもある。
[編集] ファッションブランドの顔へ
2010年にはオランダ発の下着ファッションブランド「Sapph」のモデルに抜擢され、このブランドの男性部門のニューフェイス(イメージキャラクターのようなもの)に就任。[11] このブランドの女性部門のモデルを務める元水泳選手のインヘ・デブルーインとともにたびたびメディアに登場している。[12]
2011年の初めにはオランダの有名テレビ番組「ステレン・ダンセン・オプ・ヘット・アイス」に登場。[13] イギリスの「ダンシング・オン・アイス」のオランダ版にあたるこのテレビ番組は、著名人同士がカップルを組んでスケートを行うという趣旨のもので、ボンヤスキーはこれの第4回放送に登場し、ともにSapphのモデルを務めるデブルーインの見守るなかで氷上の舞いを披露した。[14]
[編集] 戦績
| キックボクシング 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 89試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
| 74勝 | 40 | 0 | 0 | |||
| 15敗 | ||||||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| × | セーム・シュルト | 1R 2:28 KO(2ノックダウン:右ストレート) | K-1 WORLD GP 2009 FINAL 【WORLD GP 準決勝】 |
2009年12月5日 |
| ○ | エロール・ジマーマン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2009 FINAL 【WORLD GP 準々決勝】 |
2009年12月5日 |
| ○ | メルヴィン・マヌーフ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16 【WORLD GP 1回戦】 |
2009年9月26日 |
| ○ | アリスター・オーフレイム | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMA | 2009年3月28日 |
| ○ | バダ・ハリ | 2R 0:53 反則失格(倒れた相手への攻撃) | K-1 WORLD GP 2008 FINAL 【WORLD GP 決勝】 |
2008年12月6日 |
| ○ | グーカン・サキ | 2R 0:53 KO(右フライングミドルキック) | K-1 WORLD GP 2008 FINAL 【WORLD GP 準決勝】 |
2008年12月6日 |
| ○ | ジェロム・レ・バンナ | 3R 1:46 TKO(ドクターストップ:左上腕負傷) | K-1 WORLD GP 2008 FINAL 【WORLD GP 準々決勝】 |
2008年12月6日 |
| ○ | ポール・スロウィンスキー | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16 【WORLD GP 1回戦】 |
2008年9月27日 |
| ○ | ヴォルク・アターエフ | 3R 0:33 KO(右跳び膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2008 IN TAIPEI 【スーパーファイト】 |
2008年7月13日 |
| ○ | メルヴィン・マヌーフ | 3R 2:32 KO(右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAM 【スーパーファイト】 |
2008年4月26日 |
| × | ピーター・アーツ | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【WORLD GP 準決勝】 |
2007年12月8日 |
| ○ | バダ・ハリ | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2007 FINAL 【WORLD GP 準々決勝】 |
2007年12月8日 |
| ○ | ステファン"ブリッツ"レコ | 1R 2:50 KO(右跳び膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16 【WORLD GP 1回戦】 |
2007年9月29日 |
| ○ | グラウベ・フェイトーザ | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD GP 2007 in HAWAII 【スーパーファイト】 |
2007年4月28日 |
| ○ | ステファン"ブリッツ"レコ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 準々決勝】 |
2006年12月2日 |
| ○ | ゲーリー・グッドリッジ | 3R 0:52 KO(左ハイキック) | K-1 WORLD GP 2006 IN OSAKA 開幕戦 【WORLD GP 1回戦】 |
2006年9月30日 |
| ○ | マイティ・モー | 3R終了 判定3-0 | K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 IN SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜 |
2006年7月30日 |
| × | ジェロム・レ・バンナ | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAM 【スーパーファイト】 |
2006年5月13日 |
| ○ | ザ・プレデター | 3R終了 判定2-1 | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 |
| × | セーム・シュルト | 1R 2:08 KO(2ノックダウン:左膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 準決勝】 |
2005年11月19日 |
| ○ | チェ・ホンマン | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦 【WORLD GP 準々決勝】 |
2005年11月19日 |
| ○ | アレクセイ・イグナショフ | 3R+延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦 【スーパーファイト】 |
2005年9月23日 |
| ○ | リカルド・ノードストランド | 3R終了 判定3-0 | K-1 Fighting Network K-1 SCANDINAVIA 2005 | 2005年5月21日 |
| × | マイティ・モー | 3R終了 判定1-2 | K-1 WORLD GP 2005 IN LAS VEGAS 【スーパーファイト】 |
2005年4月30日 |
| ○ | レイ"マーシレス"マーサー | 1R 0:22 KO(右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2005 IN SEOUL 【スーパーファイト】 |
2005年3月19日 |
| ○ | 武蔵 | 3R+延長2R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【WORLD GP 決勝】 |
2004年12月4日 |
| ○ | フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【WORLD GP 準決勝】 |
2004年12月4日 |
| ○ | アーネスト・ホースト | 3R+延長R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 【WORLD GP 準々決勝】 |
2004年12月4日 |
| ○ | 曙 | 3R 0:33 KO(右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦 【スーパーファイト】 |
2004年9月25日 |
| ○ | アジス・カトゥー | 2R 1:59 TKO(レフェリーストップ:左手首負傷) | K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL 【スーパーファイト】 |
2004年7月17日 |
| ○ | フランソワ"ザ・ホワイトバッファロー"ボタ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYA | 2004年6月6日 |
| × | フランシスコ・フィリォ | 3R終了 判定0-3 | 一撃 〜極真 vs K-1 全面対抗戦〜 【一撃キックルール】 |
2004年5月30日 |
| ○ | 中迫剛 | 3R 2:54 KO(3ノックダウン:左ハイキック) | K-1 BURNING 2004 〜沖縄初上陸〜 | 2004年2月15日 |
| ○ | 武蔵 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2003 決勝戦 【WORLD GP 決勝】 |
2003年12月6日 |
| ○ | シリル・アビディ | 1R 1:46 KO(2ノックダウン:左跳び膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2003 決勝戦 【WORLD GP 準決勝】 |
2003年12月6日 |
| ○ | ピーター・グラハム | 1R 2:58 KO(2ノックダウン:右上段膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2003 決勝戦 【WORLD GP 準々決勝】 |
2003年12月6日 |
| ○ | ボブ・サップ | 2R 1:20 反則失格(倒れた相手への攻撃) | K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS 【WORLD GP 1回戦】 |
2003年10月11日 |
| ○ | マイケル・マクドナルド | 3R+延長R終了 判定2-1 | K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス 【世界最終予選 決勝】 |
2003年8月15日 |
| ○ | ジェフ・フォード | 1R 1:28 TKO(レフェリーストップ:右肩負傷) | K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス 【世界最終予選 準決勝】 |
2003年8月15日 |
| ○ | ヴァーノン"タイガー"ホワイト | 1R 1:55 KO(右フライングハイキック) | K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス 【世界最終予選 1回戦】 |
2003年8月15日 |
| × | セーム・シュルト | 5R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2003 in 福岡 | 2003年7月13日 |
| ○ | ビヨン・ブレギー | 3R 1:29 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2003 in さいたま | 2003年3月30日 |
| ○ | アントニー・ハードンク | 5R終了 判定3-0 | IT'S SHOWTIME 6 "As Usual" | 2002年9月29日 |
| × | ステファン・レコ | 5R終了 判定0-3 | K-1 WORLD GP 2002 in ラスベガス 【スーパーファイト】 |
2002年8月17日 |
| × | ミルコ・クロコップ | 2R 2:06 TKO(レフェリーストップ:パンチ連打) | K-1 WORLD GP 2002 in 福岡 | 2002年7月14日 |
| ○ | ピーター・マエストロビッチ | 4R 0:27 KO(右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2002 in パリ | 2002年5月25日 |
| × | エロル・パリス | 1R 1:20 KO(左ボディフック) | K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 オランダ大会 【オランダ地区予選 準決勝】 |
2002年2月24日 |
| ○ | メルヴィン・マヌーフ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 オランダ大会 【オランダ地区予選 1回戦】 |
2002年2月24日 |
| ○ | セルゲイ・アルヒポフ | 5R 2:00 TKO(タオル投入) | K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 マルセイユ大会 【スーパーファイト】 |
2002年1月25日 |
| ○ | レイ・セフォー | 4R終了時 TKO(タオル投入) | K-1 SURVIVAL 2001 〜JAPAN GP 開幕戦〜 | 2001年6月24日 |
| × | ジェレル・ヴェネチアン | 3R終了 判定1-2 | K-1 WORLD GP 2001 世界地区予選 オランダ大会 【オランダ地区予選 1回戦】 |
2001年2月4日 |
| ○ | ピーター・ヴァルガ | 1R 2:57 KO(跳び膝蹴り) | IT'S SHOWTIME 4 | 2000年12月12日 |
| × | ジェレル・ヴェネチアン | 5R 判定0-3 | IT'S SHOWTIME 3 - Exclusive | 2000年10月22日 |
| ○ | アティラ・カラチ | 1R KO | Battle of Arnhem II | 2000年9月3日 |
| ○ | スタニスラブ・バチェバノフ | 2R KO | Thaiboxing - Thrill of the Year! | 2000年5月20日 |
| ○ | アイハン・オズチェリカ | 2R TKO(レフェリーストップ) | IT'S SHOWTIME 1 | 1999年10月24日 |
| ○ | ピーター・フェルスキューレン | 1R KO | Battle of Arnhem I 【決勝】 |
1999年9月5日 |
| ○ | フランク・オットー | 1R TKO(レフェリーストップ) | Battle of Arnhem I 【1回戦】 |
1999年9月5日 |
| ○ | ラニ・ベルバーチ | 2R KO | 不明(オランダ) 【WPKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
1999年6月6日 |
| × | アレクセイ・イグナショフ | 3R終了 判定0-3 | WPKL Muay Thai Fight Night 【WPKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】 |
1998年 |
| × | ロイド・ヴァン・ダム | 3R終了 判定 | KO POWER Tournament 【決勝】 |
1998年4月14日 |
| ○ | ピーター・フェルスキューレン | 3R終了 判定 | KO POWER Tournament 【1回戦】 |
1998年4月14日 |
| ○ | ヴァレンタイン・オーフレイム | 2R TKO(タオル投入) | 不明(オランダ) | 1995年 |
[編集] 獲得タイトル
- WPKA世界ムエタイ スーパーヘビー級王座
- K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス 世界最終予選 優勝
- K-1 WORLD GP 2003 優勝
- K-1 WORLD GP 2004 優勝
- K-1 WORLD GP 2008 優勝
[編集] 出演映画
- 『拳 アルティメット・ファイター』(2006年)
[編集] 脚注
- ^ 「ジェロム・レ・バンナ選手側からの判定に対する異議申し立てについての回答」 K-1公式ウェブサイト 2006年6月30日
- ^ "K-1 WGP 08 Post-Event Interview with Remy Bonjasky & Comments from Sadaharu Tanikawa" 2008年12月7日 SHERDOG (英語)
- ^ 谷川貞治EPの総括 スポーツナビ 格闘技速報
- ^ 【K-1】10・2バダ・ハリが暴行容疑を晴らすため、ボンヤスキーが網膜はく離のため欠場 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月19日
- ^ "Biography of Remy Bonjasky" SurinamStars (オランダ語)
- ^ "Drugs, Geld en Vuurwapen in huis pijltjesschutters (31-07-2007)" 2007年7月31日 アムステルダム市警 (オランダ語)
- ^ "Bonjasky krijgt medaille van politie" 2007年7月31日 Omroep Flevoland (オランダ語)
- ^ 「レミー・ボンヤスキーがアルメレ名誉市民賞受賞」 K-1公式ウェブサイト 2009年1月23日
- ^ "Twijfels bij Remy Bonjasky" 2010年11月19日 Almere Vandaag (オランダ語)
- ^ "Remy Bonjasky opent ‘vandalismeproject’ op Baken Stad College!" 2010年11月26日 De Echo (オランダ語)
- ^ "Exclusief! Remy Bonjasky uit de kleren voor Sapph" 2010年10月24日 グラマー (オランダ語)
- ^ "K-1 fighter Remy Bonjasky het gezicht van Sapph Men" 2010年10月11日 グラマー (オランダ語)
- ^ "De jury van Sterren dansen op het IJs is bekend" 2011年1月13日 テレグラーフ (オランダ語)
- ^ "Modellen dansen op het IJs" 2011年2月4日 グラマー (オランダ語)
[編集] 外部リンク
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