藤本京太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
藤本 京太郎
200px
ハウモノ戦
基本情報
本名 藤本 京太郎
階級 ヘビー級
身長 183cm
リーチ 186cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1986年6月23日(28歳)
出身地 大阪府大阪市住之江区[1]
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 11
勝ち 10
KO勝ち 6
敗け 1
テンプレートを表示

藤本 京太郎(ふじもと きょうたろう、男性、1986年6月23日 - )は、日本プロボクサー角海老宝石ボクシングジム所属。大阪府大阪市住之江区出身[1]。第2代日本ヘビー級王者。元キックボクサーで第2代K-1ヘビー級王者。

人物[編集]

日本人史上初のK-1重量級世界王者であり、試合ごとに変わる奇抜かつ派手なヘアースタイルが特徴。その髪型とは裏腹にスーパーヘビー級の外国人選手との対戦においてのファイトスタイルはフットワークを活かしてローキックカウンター狙いのヒット・アンド・アウェイが中心。しかし、2008年にマイティ・モーに判定勝利しながらも、あまりにも露骨に逃げ回りながらのカウンター狙い一辺倒の戦法だったために批判を浴び、金星を上げたにもかかわらず地上波放送でもカットされ、K-1プロデューサーの谷川貞治からも注意されたことをきっかけに打ち合う場面も増えている。また、1度しかダウンを喫したことが無い打たれ強さも持つ。

キックボクサー時代はリングネームの変更が多く、「前田 慶次郎」「狂太郎レンジャー」「強太郎レンジャー」、「京太郎」というリングネームを使用していた。

2014年7月1日よりプロダクション「有限会社オンリーユー」とマネージメント提携を開始。

来歴[編集]

K-1時代[編集]

2006年5月17日、J-NETWORK狂太郎レンジャーのリングネームでプロデビュー。花田純一にKO勝ち。

2007年2月25日、「K-1 JAPAN TRYOUT」に参加。基礎体力診断、ミット打ちなどをクリアし、合格となった[2][3]

2007年5月3日、「K-2 GRAND PRIX 第18回全日本新空手道選手権大会」重量級(75kg以上)に京太郎として出場。決勝で菊池純一に勝ち、優勝を果たした[4]

2007年5月4日から5月6日にかけてゴールドジム幕張千葉アネックスで行われた「K-1 TRYOUT 日本選考合宿」に参加し、マイク・ベルナルドがコーチを務める「チーム・ベルナルド」所属となり[5][6]、7月17日から約2週間、立川隆史と共に南アフリカで海外合宿を行った[7]

2007年8月16日、K-1 TRYOUT 2007 SURVIVALでK-1 YOUNG JAPAN GPトーナメントに強太郎レンジャーと改名し出場。1回戦で百瀬竜徳に判定勝ち、決勝でも佐藤匠に判定勝ち。本戦出場を決めた。決勝の佐藤戦では3R終了間際にパンチラッシュを受けゴング直後にリングに倒れこむほどであった。判定はドローとなり延長戦に突入、ダメージを心配したセコンドが試合を放棄しようとしたが、本人がこれを固辞するという一悶着があり、大幅なインターバルとなってしまった。

2007年12月22日、チームドラゴン主催興行のメインイベントで中迫強と対戦し、右フックでKO勝ち。

2008年1月、リングネームを「前田 慶次郎」に改めた。戦国武将前田利益の通称「慶次郎」と師匠前田憲作に由来する[8]

2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAマイティ・モーと対戦、正面から打ち合わずローキックを蹴りながら逃げ続けて判定勝ち。大金星をあげるも地上波放送はされなかった。試合後、「熱のある試合ができなかった」と反省のコメントを残した。

2008年6月29日、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAで行われたK-1 JAPAN GPに出場。1回戦で武蔵に判定勝ち、準決勝で佐藤匠に判定勝ちしたものの、決勝でエヴェルトン・テイシェイラに判定負けし、準優勝となると同時にキャリア初黒星となった。

世界ヘビー級王座獲得[編集]

2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAの第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメントに出場。1回戦でメルヴィン・マヌーフにカウンターの右フックでKO勝ちし、続く決勝でグーカン・サキと延長戦の末に2-0の僅差判定勝ち。K-1で日本人初となる重量級の世界王者となった。

2009年8月4日の公開練習で8月11日の試合よりリングネームを本名の京太郎に変更することが発表された[9]

2009年9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16ルスラン・カラエフと対戦し、0-3の判定負けを喫した。

2010年2月28日、新日本プロレス興行で中邑真輔と2分2R・K-1ルールのエキシビションマッチを行った。2R終了後、プロレスルールのEXTRAラウンドも行われ、ドロップキックも繰り出した[10]

2010年4月3日、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAで行われた、K-1世界ヘビー級タイトルマッチでピーター・アーツと対戦。試合前は京太郎の圧倒的不利が予想されたが、序盤から圧倒し、2Rに右ストレートでKO勝ちを収め初防衛に成功した。

2010年10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16に出場。ジェロム・レ・バンナと戦い、3R終了時の判定0-1で延長まで縺れ込むも、判定への不満を露にしたバンナがリングを下りてしまい試合放棄による勝利となった。試合後の会見でバンナは「京太郎は素晴らしい選手だが、判定は公平じゃなかった」と不満を語った。一方の京太郎は「今まで21試合してきて初めて勝ちたいと思ったし、一番怖かった試合でした。僕は判定を聞くまで"90パーセント負けた"と思っていたが、勝てて良かった」と語った[11]

2010年12月11日、K-1 WORLD GP 2010 FINALの準々決勝でセーム・シュルトと対戦し、0-3の判定負け。

2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜にてDREAMライトヘビー級王者のゲガール・ムサシとK-1ルールで対戦。前戦から20日後という強行日程のなか、ローキックを的確にヒットさせて優勢に試合を進めるが、2ラウンドに右フックでダウンを奪われ、0-3の判定負けを喫した[12]

プロボクシング転向[編集]

2011年に入り、所属するK-1の経営母体であるFEGの経営難が表面化し、特に京太郎の所属するヘビー級については全く興行の目処が立たない状況になってしまった。このため京太郎は同年5月に東京スポーツ紙上でプロレスラーへの転向を図る意向を表明した。これを受けて全日本プロレスが京太郎にオファーを出し、同年6月19日の両国国技館大会において船木誠勝との対戦でプロレスデビューを飾った[13]。6月28日には全日本プロレスの合同練習に参加、また同時期にK-1の開催予定を発表していた谷川貞治プロデューサーに向けてコメントを求められると「谷川さんって誰?」と皮肉交じりにコメントして改めてプロレスに専念する意向を示した[14]

しかし最終的にプロボクシングへの転向を決意してK-1ヘビー級王座を返上し、同年10月に角海老宝石ボクシングジムへ入門することになった[15]。また、ボクシング転向を発表した際の記者会見で、京太郎自身にもファイトマネー未払いがあったことを告白した。

K-1時代はスーパーヘビー級(100kg以上・上限無し)よりもヘビー級(100kg以下)で王者になるなど実績を残したこともあり、プロボクシング転向後はヘビー級だけでなく、クルーザー級で戦うことも視野に入れていることを表明した。同年12月2日に行われたプロテストでB級ライセンスに合格しており、大晦日に地元の大阪府立体育会館で行われる井岡一翔の世界タイトルマッチの前座でデビューした[16]。なお、日本プロボクシングではリングネームを「2単語以上」と定めているため、従来の「京太郎」のリングネームが使用できないことから、ボクシングではリングネームを本名に戻している。リングネーム候補として「京太郎宝石(所属ジム名より)」「亀田京太郎(デビュー戦を亀田三兄弟の試合も中継するTBSが放送したため)」なども浮上していた[17]。デビュー戦は同年の西日本新人王樋高リオオーストラリア時代に唯一KOを逃したマイケル・オドネルを相手に左ジャブ、ワン・ツーを軸に徹底的に攻め込み、5回にはダウンを奪って3-0(3者とも60-53)のフルマークの判定勝利[18]

2012年3月6日、2戦目として後楽園ホールOPBF東洋太平洋ヘビー級9位の金在贊(韓国)と対戦。右ストレートを浴びて腰がくだけた相手に連打を浴びせ、2回1分3秒TKOでマットに沈め、ボクシング転向後初のKO勝利[19]。この勝利でOPBF東洋太平洋ヘビー級8位にランクされた[20]。日本人選手の同ランク入りは2005年に王座挑戦した高橋良輔以来となった。

2012年4月12日、世界的プロモーター、ドン・キングとプロモート契約を結ぶプランを持っていることが報道された[21]

2012年5月17日、後楽園ホールでの3戦目(メインは土屋修平 vs ヘリ・アドリアント)では、当初対戦相手はジュニア・パティ(ニュージーランド)と発表されていた[22]が、同じニュージーランドのアファ・タトゥプに変更された[23]。試合は2回にカウンターの右ストレートでダウンを奪い、2回47秒TKOで勝利しデビュー3連勝とともに2戦連続KO勝利となった[24]

6月20日に予定している4戦目にて、ジェロム・レ・バンナの弟分でスパーリング・パートナーでもあるWBC世界ヘビー級19位のジョアン・デュオパ(フランス)との対戦が浮上していた[25]が、4戦目での世界ランカー挑戦は時期尚早と判断した京太郎陣営が対戦を避けたため、実現しなかった。

2012年6月20日、ボディーメーカーコロシアムで行われたWBC・WBA世界ミニマム級王座統一戦、井岡一翔vs八重樫東のセミファイナルに出場。アメリカのクラレンス・ティルマンと対戦。身長で10センチ、体重で20キロも上回る相手を3回2分2秒KOで下し、プロボクシング転向後4連勝を飾った。この試合後、日本ヘビー級1位にランクされ、1957年以来55年ぶりの同ランカーとなった[26]

2012年9月19日、後楽園ホールでの5戦目でWBC世界ヘビー級15位のチャウンシー・ウエリバー(アメリカ)と対戦。ウエリバーは2012年6月発表のWBC世界ヘビー級ランキングでは5位であり、それまで1年以上にわたって一桁台のランキングを保持していた。ヘビー級の日本選手が同級の世界ランカーと対戦するのは今回が初で、前日計量では京太郎は102・4キロ、ウェリバーは113・5キロという11キロの差があったが、足を使い、的確に左右のボディーを決め、序盤から主導権を奪取し、3-0(99-91、98-93、98-94)の判定勝利でプロボクシング転向から5連勝を飾った[27]。この勝利で日本人史上最高となる東洋太平洋ヘビー級2位にランクされ[28]、またWBC世界ヘビー級15位にもランク入りし日本人では初のヘビー級の世界ランク入りを果たした[29]

2012年12月31日、ボディーメーカーコロシアムで、井岡一翔と宮崎亮の前座でOPBF東洋太平洋ヘビー級1位のソロモン・ハウモノ(オーストラリア)とOPBF東洋太平洋ヘビー級王座決定戦を行うが、消極的な試合運びで手を出せず、5回にロープ際に追い詰められると連打でダウンを喫し、立ち上がるも直後に右の強烈なフックを浴びてキャンバスに崩れ落ち、5回57秒TKO負けとなりOPBF王座獲得に失敗した[30]。この敗戦で世界ランク25位と急降下した。

2013年4月17日、後楽園ホールで元K-1ファイターのファブリス・オーレン(フランス)と対戦。積極的な打ち合いを展開し、1回、2回、4回と計3度のダウンを奪い、7回も連打からの右フックでぐらつかせ、そのままレフェリーストップ7回1分11秒TKO勝ちで再起に成功した[31]

日本ヘビー級王座獲得[編集]

2013年7月25日、後楽園ホールで元OPBF東洋太平洋ヘビー級王者で日本ヘビー級2位のオケロ・ピーター)と日本ヘビー級王座決定戦を行い、6回に2度のダウンを奪い6回2分59秒TKOで勝利して56年ぶりに復活した日本ヘビー級王座を獲得した[32]

2013年11月25日、後楽園ホールで日本ヘビー級3位の竹原虎辰(緑)と初防衛戦で対戦。日本ヘビー級王座の防衛戦は史上初となった。試合は序盤から手数で上回り、3回にはグラつつかせてラッシュさせるなど有利に進め、3-0(96-94、97-94、97-93)の判定勝ちを収め初防衛に成功した[33]

2014年4月5日、在日米軍キャンプ座間の興行にて元WBAスーパー・WBC世界クルーザー級王者ジャン・マルク・モルメクのスパーリングパートナーを務めたこともあるカール・ドゥプスと3Rエキシビション[34]

2014年4月30日、後楽園ホールで元WBA世界スーパーウェルター級暫定王者石田順裕(グリーンツダ)とヘビー級ノンタイトル8回戦を行い、終始、石田がペースを握った試合運びをし、3Rには右ストレートでぐらつく場面もあったが、最終的には 3-0(77-75、77-75、77-76)の判定勝ちを収めた。試合後この判定に対する疑問の声が多数あがり、この試合に負けたら引退と公言していた石田だったが、不可解な判定に納得出来ず引退を撤回、石田側は再戦を要求し藤本側はこれを承諾した。[35]

2014年9月10日、後楽園ホールで日本ヘビー級1位の竹原虎辰と再戦し、5回44秒TKO勝ちを収め日本王座2度目の防衛に成功した。試合後の藤本の発言では、日本タイトルに興味は無い、強い外国人とやりたい、と何故か一度は承諾した石田との再戦を避けるような発言をしている。[36]

戦績[編集]

プロボクシング 戦績
11 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
10 6 4 0 0 0
1 1 0 0
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2011年12月31日 6R 判定3-0 マイケル・オドネル オーストラリアの旗 オーストラリア プロデビュー戦
2 2012年3月6日 2R 1:03 TKO 金在贊 韓国の旗 韓国
3 2012年5月17日 2R 0:47 TKO アファ・タトゥプ ニュージーランドの旗 ニュージーランド
4 2012年6月20日 3R 2:02 KO クラレンス・ティルマン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
5 2012年9月19日 10R 判定3-0 チャウンシー・ウェリバー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
6 2012年12月31日 5R 0:57 TKO ソロモン・ハウモノ オーストラリアの旗 オーストラリア OPBF東洋太平洋ヘビー級王座決定戦
7 2013年4月17日 7R 1:11 TKO ファブリス・オーレン フランスの旗 フランス
8 2013年7月25日 6R 2:59 TKO オケロ・ピーター ウガンダの旗 ウガンダ 日本ヘビー級王座決定戦
9 2013年11月25日 10R 判定3-0 竹原虎辰 日本の旗 日本 日本王座防衛1
10 2014年4月30日 10R 判定3-0 石田順裕グリーンツダ 日本の旗 日本
11 2014年9月10日 5R 0:44 TKO 竹原虎辰 日本の旗 日本 日本王座防衛2
キックボクシング 戦績
23試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
18 9 8 1 0 0
5 0 5 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× ゲガール・ムサシ 3R終了 判定0-3 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜 2010年12月31日
× セーム・シュルト 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2010 FINAL
【準々決勝】
2010年12月11日
ジェロム・レ・バンナ 試合放棄
(※3R終了 判定0-1)
K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2010年10月2日
ピーター・アーツ 2R 1:56 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMA
【K-1ヘビー級タイトルマッチ】
2010年4月3日
× タイロン・スポーン 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2009 FINAL
【スーパーファイト】
2009年12月5日
× ルスラン・カラエフ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2009年9月26日
ヤン・ソウクップ 3R 1:20 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2009 IN TOKYO
【スーパーファイト】
2009年8月11日
グーカン・サキ 延長R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMA
【第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメント 決勝】
2009年3月28日
メルヴィン・マヌーフ 1R 2:02 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMA
【第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメント 1回戦】
2009年3月28日
ソン・ミンホ 3R 1:43 KO(右ローキック) K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16
【オープニングファイト】
2008年9月27日
× エヴェルトン・テイシェイラ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA
【JAPAN GP 決勝】
2008年6月29日
佐藤匠 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA
【JAPAN GP 準決勝】
2008年6月29日
武蔵 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA
【JAPAN GP 1回戦】
2008年6月29日
マイティ・モー 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA 2008年4月13日
中迫強 2R 3:07 KO(右フック) 燃えろドラゴン! その壱 2007年12月22日
キム・ギョンソック 2R 2:14 KO(右ローキック) K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16
【オープニングファイト】
2007年9月29日
佐藤匠 延長R終了 判定3-0 K-1 TRYOUT 2007 SURVIVAL
【YOUNG JAPAN GP 決勝】
2007年8月16日
百瀬竜徳 3R終了 判定3-0 K-1 TRYOUT 2007 SURVIVAL
【YOUNG JAPAN GP 1回戦】
2007年8月16日
滝川リョウ 3R終了 判定3-0 J-NETWORK
「TEAM DRAGON QUEST 1」
2007年6月3日
杉村タンク 2R 1:42 KO(パンチ) マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「士道館新春正月興行 BREAKDOWN-1」
2007年1月12日
ターボ・ウィラサクレック 4R 2:13 TKO(3ノックダウン:右ローキック) M-1 FAIRTEX SINGHA BEER ムエタイチャレンジ 〜タイ国王即位60周年記念杯2006〜 2006年11月5日
敏センチャイジム 3R終了 判定3-0 J-NETWORK
「MACH GO! GO! '06 〜フライ級最強決定トーナメント1回戦〜」
2006年9月1日
花田純一 2R 1:16 KO J-NETWORK
「GO! GO! J-NET '06 〜Invading the DRAGON(龍軍団の襲撃)〜」
2006年5月17日

主な獲得タイトル[編集]

キックボクシング
  • K-2 GRAND PRIX 第18回全日本新空手道選手権大会 重量級 優勝
  • K-1 YOUNG JAPAN GP 2007 優勝
  • K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA JAPAN GP 準優勝
  • 第2代K-1ヘビー級王座
ボクシング
  • 第2代日本ヘビー級王座(防衛2)

エピソード[編集]

空手を始めたのは3歳のとき。きっかけは、当時気弱で2人の姉にいじめられていた京太郎を見た両親が、精神面を鍛える目的で近所にあった「魚本流(うおもとりゅう)」という空手の道場に入門させたことだという[37]

両親は京太郎が小学5年のときに離婚しており、以後は母親・姉2人・祖母との5人暮らし。その祖母は2010年3月に亡くなっており、翌月に行われたピーター・アーツとの防衛戦では遺影を抱いて試合に挑み、試合後にはリング上で号泣した[37]

プロ格闘家を目指した動機は「有名になりたいから」。高校時代、目立ちたがり屋で文化祭などでパフォーマンスを行ったことが病みつきとなり、「頭も悪いしルックスもよくないから、テレビに出て有名になるには格闘家になるしかない」と思ったという。一方で強さに関するこだわりはなく「フツーに生きていく分にはケンカに強いなんてことは意味のないこと」と語り、格闘家としてのトレーニングも有名になるための手段と割り切っている[37]

前述のように有名になるために試合のたびに奇抜な髪型や髪の色を変えたり、頻繁に特異なリングネームに変更するなど、様々なことを行っている。戦国時代武将である前田利益から取ってリングネームに前田慶次郎を使用していたが、特に戦国武将が好きというわけではないと語っていた。また、入場曲としてK-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAではピンクレディーの「ペッパー警部」、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAでは大塚愛の「さくらんぼ」を使用していた。

K-1プロデューサーの谷川貞治が上記のようなパフォーマンスが逆効果だと判断したことと、京太郎の本来の性格がジムで幼い子供達にも優しく指導し、母子家庭育ちの影響で家族を大切にする人柄であることを知って「奇をてらったようなことはしなくていい」と助言したため、リングネームを本名の京太郎へと変更、入場曲もK-1 WORLD GP 2009 IN TOKYO以降は湘南乃風の「黄金魂」を使用している。ただし、髪型は現在でも色を染めたり、奇抜な型にしたりしている。

長島☆自演乙☆雄一郎とは練習仲間であり、お互いの活躍が刺激になっている。

K-1ヘビー級王者となったにもかかわらず、2010年現在町田市内の居酒屋でのアルバイトを続けているほか[38]、上京当時から借りている家賃3万円のアパートに住み続けていた。当時はK-1王者であったため金銭面での不自由はなくなっていたが、アルバイトについては「社会勉強になるので今後も続ける」と語った。アパートについては、本人曰く「引越し作業がめんどくさい」とのことだったが[37]、ボクシング転向に伴い2011年11月に角海老ジムの近くに引っ越した[39]

多くの日本人ファイターが、意図的に自身の体を通常体重よりも大幅に増量しヘビー級の体を作っていたのに対し、京太郎は生まれながらにしてヘビー級の体格と打たれ強さも持っている。ボクシング転向時は105kg前後だったが、「デブのヘビー級ボクサーは格好悪い」という理由で日本王座挑戦までに97 - 98kgまで減量した[40]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 所属選手_藤本京太郎”. 2012年5月18日閲覧。
  2. ^ あの選手がまさかの落選!? トライアウトはドラマの連続 K-1公式サイト 2007年2月25日
  3. ^ 【K-1】トライアウトにGRABAKA・山宮、ライズ・百瀬、チームドラゴン3名など、9名が合格 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年2月25日
  4. ^ 第18回 全日本新空手道選手権大会 全日本新空手道連盟公式サイト
  5. ^ 合宿のあとは天国と地獄 TRYOUTで合格したのは… K-1公式サイト 2007年5月6日
  6. ^ 【K-1】トライアウト結果発表!チームドラゴンから4名、元ロッテの立川など計11名が合格 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年5月6日
  7. ^ TRYOUT組が気合い満々 ついに海外合宿がスタート!! K-1公式サイト 2007年7月17日
  8. ^ 【K-1】4・13澤屋敷純一に続け! 前田慶次郎は“頭”で勝負する 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年2月28日
  9. ^ 【K-1】8・11あの前田慶次郎が“京太郎”に改名し、優等生に!?「K-1を盛り上げる」 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年8月4日
  10. ^ 2010年2月28日 第3試合 新日本プロレスオフィシャルWEBサイト 2010年3月1日
  11. ^ K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16 第6試合 スポーツナビ 2010年10月2日
  12. ^ 【Dynamite!!】 高谷が王座奪取!長島☆自演乙が青木をKO!石井はバンナに辛勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日
  13. ^ 京太郎打撃勝負も船木に敗れる/全日本 - 日刊スポーツ・2011年6月20日
  14. ^ K-1王者・京太郎が本格的プロレス修行へ 「プロレス一本に気持ちをしぼりたいですね」”. スポーツナビ (2011年6月28日). 2011年6月29日閲覧。
  15. ^ 京太郎、K-1王座返上しボクシング転向 - 日刊スポーツ・2011年10月22日
  16. ^ 京太郎、プロテスト合格/BOX - サンケイスポーツ・2011年12月3日
  17. ^ 京太郎に“待った” リングネームは亀田京太郎!? スポニチ 2011年10月27日
  18. ^ “京太郎初戦はホロ苦判定勝ち/ボクシング”. 日刊スポーツ. (2011年12月31日). http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20111231-883658.html 
  19. ^ “元K-1京太郎TKO勝ち/ボクシング”. 日刊スポーツ. (2012年3月6日). http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20120306-913673.html 
  20. ^ 東洋太平洋ボクシング連盟. “OPBF March Ratings as of March 30, 2012”. 2012年4月4日閲覧。
  21. ^ “藤本京太郎、超大物ドン・キング氏とプロモート契約へ”. スポーツニッポン. (2012年4月13日). http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/04/13/kiji/K20120413003035560.html 
  22. ^ “京太郎 タイソン流防御習得へ 次戦は5・17に決定”. スポーツニッポン. (2012年4月24日). http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/04/24/kiji/K20120424003109020.html 
  23. ^ “5.17京太郎の対戦相手が変更 ボクシング転向3戦目”. スポーツナビ. (2012年4月26日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/headlines/20120426-00000011-spnavi-fight.html 
  24. ^ “京太郎2回TKO勝ち デビューから3連勝”. スポーツニッポン. (2012年5月18日). http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/05/18/kiji/K20120518003272800.html 
  25. ^ “京太郎 日本人ヘビー初世界ランカー戦”. 日刊スポーツ. (2012年4月29日). http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20120429-942285.html 
  26. ^ “ヘビー級日本1位に元K1王者京太郎”. 日刊スポーツ. (2012年6月28日). http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20120628-974274.html 
  27. ^ “京太郎、世界ランカー破る”. 日刊スポーツ. (2012年9月19日). http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20120919-1019926.html 
  28. ^ “京太郎が東洋太平洋ヘビー級2位に”. 日刊スポーツ. (2012年10月5日). http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20121005-1028021.html 
  29. ^ “京太郎が日本人初のヘビー級世界ランカー”. 日刊スポーツ. (2012年10月6日). http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20121006-1028575.html 
  30. ^ 京太郎TKO負け「人生、こんなもん」デイリースポーツ2013年1月1日
  31. ^ “京太郎再起戦で勝利”. 日刊スポーツ. (2013年4月17日). http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20130417-1113828.html 
  32. ^ “藤本がKOでピーター下す 日本ヘビー級決定戦”. ボクシングニュース「Box-on!」. (2013年7月25日). http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/07/blog-post_6164.html 
  33. ^ 藤本が初防衛に成功 日本ヘビー級戦 Boxing News(ボクシングニュース) 2013年11月25日
  34. ^ 京太郎がキャンプ座間で公開スパー! エビ☆ログ 2014年3月24日
  35. ^ 藤本が石田に3-0判定勝ち Boxing News(ボクシングニュース) 2014年4月30日
  36. ^ 藤本京太郎、5回TKOで日本ヘビー級タイトルV2 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年9月10日
  37. ^ a b c d 東京中日スポーツ・2010年4月7日付 7面「コンフィデンシャル」
  38. ^ K-1チャンプ 生ビール運びも一流 - タウンニュース町田版・2010年5月20日号
  39. ^ K-1王者からボクシングへ=藤本京太郎インタビュー (1/3) - スポーツナビ・2011年12月28日
  40. ^ “京太郎 減量「デブのヘビー級ボクサーは格好悪い」”. スポーツニッポン. (2013年6月16日). http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2013/06/16/kiji/K20130616006022050.html 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位
前タイトル保持者
バダ・ハリ
第2代K-1ヘビー級王者

2009年3月28日 - 2011年10月21日(返上)

空位
次タイトル獲得者
N/A
空位
前タイトル保持者
片岡昇
第2代日本ヘビー級王者

2013年7月25日 - 現在

次王者
N/A