バダ・ハリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バダ・ハリ
基本情報
本名 バダ・ハリ
通称 THE GOLDEN BOY
悪魔王子
BAD BOY
階級 ヘビー級スーパーヘビー級K-1
国籍 オランダ モロッコ
誕生日 1984年12月8日(24歳)
出身地 モロッコ
スタイル ムエタイ
プロキックボクシング戦績
総試合数 80
勝ち 70
KO勝ち 57
敗け 9
引き分け 1
無効試合 0
  

バダ・ハリBadr Hari、男性、1984年12月8日 - )は、モロッコ出身のキックボクサー。身長197cm、体重102kg。オランダ国籍を持っていたが、出身地であるモロッコ国籍を取得した。ショータイム/マイクスジム所属。初代K-1世界ヘビー級チャンピオン。初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王者。

リング外での悪童ぶりとビッグマウスも目立つが、試合運びは極めて正統派。打たれ弱い面もあるが、恵まれた体格、冷静な試合運び、キレのある打撃、ヘビー級屈指のスピードなど、アーネスト・ホーストブランコ・シカティックも絶賛するほどの才能を持ち、15歳でプロデビューして以来、驚異的な勝率の高さを誇り、セーム・シュルトにも1RKO勝利するなどその実力を発揮している。

後ろ回し蹴りなどのアクロバティックな蹴り技を多用したり、フィニッシュブローに弓引きストレートを使用するなど、派手なKOシーンを演出し、観客を沸かせる能力にも長ける。その一方で試合中に反則をしたり、試合後相手サイドに激しく詰め寄ったりするなど問題行為も多い。

THE GOLDEN BOY」というニックネームの由来は、ハリ自ら「俺が触った物は全て金になる。俺がリングを触ればリングが金色に、俺が女の子を触ったら女の子が金色になる。だから俺はGOLDEN BOYだ」と言った事によって定着した。「悪魔王子」の由来は、「悪魔王子」として恐れられた変則ボクサーナジーム・ハメドから。ハメドもハリ同様アラブ系である。

ピーター・アーツを育てたトム・ハーリックレミー・ボンヤスキーアンディ・サワーを育てたアンドレ・マナートに弟子入りしたが、現在はマイクスジムでメルヴィン・マヌーフビヨン・ブレギーらと共に練習を積んでいる。

目次

[編集] 来歴

2003年6月8日IT'S SHOWTIMEアレクセイ・イグナショフとキックボクシングルールで対戦、3RKO負け。

2004年5月20日、IT'S SHOWTIMEでアジス・カトゥーとキックボクシングルールで対戦、膝蹴りでTKO勝ち。カトゥーは腕を骨折した。

2005年6月12日、IT'S SHOWTIMEでステファン"ブリッツ"レコとK-1ルールで対戦し、右バックスピンキックで1RKO負け。

2005年11月19日K-1 WORLD GP 2005 in TOKYOでK-1デビュー。リザーブファイトにおいて、K-1復帰戦となるステファン"ブリッツ"レコと再戦。左バックスピンキックでKO勝ちしリベンジを果たす。試合後、「オランダに自分が理想とするスタイルのファイターはいない。オランダ人のトップになる。誰でもやってやる」とコメントした。

2006年3月5日、K-1 WORLD GP 2006 in AUCKLANDに出場。この試合前日の記者会見では、対戦相手のピーター・グラハムに因縁をつけ喧嘩騒動に発展させてしまった。K-1に限らず、記者会見ではこのような場面は演出の意味合いもあるケースもあるが、ハリがグラハムに殴りかかったパンチは明らかにフルスイング、素手で顔面に殴りかかった「本気の乱闘」であった。しかしパンチはグラハムにかわされ、逆にタックルをまともにくらいテイクダウンをされている。上になられたところで周りの人が止めに入った。そして試合では3Rにグラハムの胴回し回転蹴り(ローリングサンダー)をまともに喰らいアゴを2箇所も骨折、失神KO負け。病院送りにされ半年間の戦線離脱を余儀無くされた。

2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 開幕戦に推薦選手として参戦し、ルスラン・カラエフと対戦。前日会見では居眠りをしたりビヨン・ブレギーのマイクのコードを引っ張ったりとやりたい放題だった。試合ではインローでバランスを崩したところで、カラエフの左右のフックでダウンし、10カウント内に立ち上がるもファイティングポーズを取らなかったため、KO負けを宣告される。試合後猛抗議し暫くリングに留まっていたが、結果は覆らなかった。なお、この時の映像を見てみると、カラエフが倒れたハリに蹴りを入れているがレフェリーは止めず、カラエフも「膝がつく前に蹴っていたのだから反則にはならなかった」と話している。怒りの収まらないハリは控え室に戻る途中で、会場案内標識やスピーカーを破壊するなど大暴れした。

2006年12月2日、スーパーファイトでポール・スロウィンスキーと対戦。ローキック一本で攻めるスロウィンスキーを手数で圧倒し、判定勝ちを収めた。

2006年12月31日K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!ニコラス・ペタスと対戦し、ハリの打撃によりペタスが左腕を骨折しTKO勝ちとなった。

2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでルスラン・カラエフと再戦。2Rにダウンを奪われるも、その直後、カラエフの左に合わせた右カウンターでKO勝ち。後にこの試合はSRS2007年ベストバウト賞に選ばれた。

2007年4月28日、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIで藤本祐介とK-1世界ヘビー級(100kg以下)初代王者決定戦を行い、1Rに左ハイキックで藤本にKO勝ち。初代ヘビー級世界王者となった。

2007年8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGでピーター・グラハムと再戦。アウトボクシングを展開し、3Rに左ミドルと右ストレートをボディーに喰らわせダウンを奪う。3-0の判定勝ちを収めリベンジを果たす。試合後二人はリングで肩を組み合い観衆はそれを讃えたが、その後のコメントで「憎んではいないが、友人として認めたわけでもない」と語っている。

2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16でGP1回戦をダグ・ヴィニーと対戦し、右ストレートで2RKO勝ち。

2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALの準々決勝で戦前から舌戦を繰り広げていたレミー・ボンヤスキーと対戦。フルラウンドに渡り好勝負となったが判定負け。試合後のコメントでは相手を認める発言をするも、あくまで「スポーツマンとして敬意を示しただけ。仲直りじゃない」、「彼は王者になれるような選手じゃない」と述べた。

2008年4月13日K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAレイ・セフォーと対戦。1Rに3度のダウンを奪いKO勝ち。

2008年6月29日K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAで行われたK-1世界ヘビー級タイトルマッチでグラウベ・フェイトーザと対戦し、右フックでKO勝ち。初防衛を果たした。

2008年8月9日K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAIIのスーパーファイトでドマジョフ・オスタジックと再戦。開始早々にお互いのパンチが相打ちとなり、ハリもぐらつくもオスタジックはそのままダウンとなりKO勝ちを収めた。

2008年9月23日DREAM.6のリングに上がり、「今日は抱き合ったりキスしたりするのしか見ていない(寝技で膠着状態になる場面が多かった事を揶揄してのコメント)」「誰でも、どこでも、いつでも挑戦を受ける!」と総合格闘技そのものを否定するような挑発的な発言をし、更には観客に「本物の闘いが見たければK-1に来い!」と言い放った[1]

2008年9月27日K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16チェ・ホンマンと対戦。2Rにホンマンの左フックでダウンを喫するも、3Rは左ボディブローやローキックを中心に攻め、判定0-1で延長Rへもつれ込んだが、延長R開始時に右肋骨を負傷したホンマンサイドのタオル投入によりTKO勝ちを収めた。

2008年12月6日K-1 WORLD GP 2008 FINALの準々決勝ではピーター・アーツにレフェリーストップでTKO勝ち、準決勝ではエロール・ジマーマンとダウンの奪い合いの末に逆転KO勝ちを収めた。決勝戦のレミー・ボンヤスキー戦では1Rに左フックでダウンを奪われ劣勢になると、2Rにレミーの足を手ですくうようにして倒し、下になったレミーに対して審判の制止にもかかわらず攻撃を止めず、さらに頭部を踏みつけたため試合が中断。その後、レミーがダブルヴィジョン(物が二重に見えること)を訴え、この行為がスポーツマンシップに反すると判断され失格負けとなった。

試合後、「感情的になってしまった。仕掛けようとしても攻撃が帰ってこないので、その中で思わず、ストリートファイトのような本能が目覚めてしまった。ファンにはお詫びしたい。審判団の裁定を真摯に受け止めたい。ただ、レミーはダメージが無かったんじゃないか?反則勝ちが告げられるとすぐに立ち上がり、彼なりに素晴らしいスピーチを繰り広げていた。レミーのセコンドからもインターバル中に立ち上がるなといった指示が聞こえた。今日の彼の優勝は、最優秀男優賞として与えられたものにすぎない」とコメントした。また、セコンドからそのような指示があったことはレミーも認めている。

2008年12月17日、K-1イベントプロデューサー谷川貞治からファイトマネーの全額没収、準優勝の資格および賞金の取り消し、保有する世界ヘビー級王座剥奪という処分が発表された。ルールブックや契約書に記載されていないことを理由に出場停止処分は課されなかった[2]

2008年12月31日Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜アリスター・オーフレイムとK-1ルールで対戦、左フックでKO負けを喫した。

2009年3月28日K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAエロール・ジマーマンと再戦予定であったが、調整不足を理由に欠場。これは5月のシュルト戦の大一番に専念するための欠場とみられたが、谷川は「一度は出場オファーを受諾した後、怪我もしていないのに欠場を申し出るなんてプロとして失格」と語った。

2009年5月16日IT'S SHOWTIMEK-1世界スーパーヘビー級王者セーム・シュルトと対戦。序盤から激しいパンチの打ち合いとなり、ハリが2度のダウンを奪って1R45秒KO勝ち。初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王座を獲得した。

[編集] 戦績

[編集] キックボクシング

キックボクシング 戦績
81 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
71 58 1 0
9 6 2 1
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
セーム・シュルト 1R 0:45 KO(右ストレート) IT'S SHOWTIME
【初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王者決定戦】
2009年5月16日
フレデリック・シニストラ 1R 2:06 KO(右ストレート) It's Showtime presents 〜Fights at the Border〜 2009年2月8日
× アリスター・オーフレイム 1R 2:02 KO(左フック) Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 2008年12月31日
× レミー・ボンヤスキー 2R 0:53 反則失格(倒れた相手への攻撃) K-1 WORLD GP 2008 FINAL
【決勝】
2008年12月6日
エロール・ジマーマン 3R 2:15 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2008 FINAL
【準決勝】
2008年12月6日
ピーター・アーツ 2R 1:39 TKO(レフェリーストップ:右フック) K-1 WORLD GP 2008 FINAL
【準々決勝】
2008年12月6日
チェ・ホンマン 延長R 0:00 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16
【1回戦】
2008年9月27日
ドマジョフ・オスタジック 1R 0:19 KO(左フック) K-1 WORLD GP 2008 IN HAWAII
【スーパーファイト】
2008年8月9日
グラウベ・フェイトーザ 1R 2:33 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA
【K-1ヘビー級タイトルマッチ】
2008年6月29日
レイ・セフォー 1R 2:43 KO(3ノックダウン:左フック) K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA 2008年4月13日
× レミー・ボンヤスキー 3R終了 判定0-2 K-1 WORLD GP 2007 FINAL
【準々決勝】
2007年12月8日
ダグ・ヴィニー 2R 1:23 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16
【1回戦】
2007年9月29日
ピーター・グラハム 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG 2007年8月5日
藤本祐介 1R 0:56 KO(左ハイキック) K-1 WORLD GP 2007 in HAWAII
【K-1ヘビー級初代王者決定戦】
2007年4月28日
ルスラン・カラエフ 2R 2:46 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA
【ヘビー級タイトルマッチ挑戦者決定戦】
2007年3月4日
ニコラス・ペタス 2R 1:28 TKO(タオル投入:左腕負傷) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
ポール・スロウィンスキー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦
【スーパーファイト】
2006年12月2日
× ルスラン・カラエフ 1R 0:52 KO(右ストレート) K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦
【1回戦】
2006年9月30日
× ピーター・グラハム 3R 2:54 KO(左胴回し回転蹴り) K-1 WORLD GP 2006 in AUCKLAND
【1回戦】
2006年3月5日
ステファン"ブリッツ"レコ 2R 1:30 KO(右バックスピンキック) K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦
【リザーブファイト】
2005年11月19日
× ステファン"ブリッツ"レコ 1R 1:44 KO(右バックスピンキック) IT'S SHOWTIME 8 2005年6月12日
ヴィタリ・オフラメンコ 3R終了 判定3-0 K-1 Italy GP 2005 in Milan 2005年4月16日
ドマジョフ・オスタジック 2R 0:10 KO(右フック) Ultimate Nokaut 1 2005年3月11日
ゲーリー・ターナー 5R終了 判定3-0 Rings Fightgala 〜Born Invincible〜 2004年12月12日
グーカン・サキ 2R終了時 TKO(タオル投入) 2 Hot 2 Handle 2004年10月10日
アジス・カトゥー 2R 1:45 KO(膝蹴り) IT'S SHOWTIME 7 2004年5月20日
エロル・パリス 5R KO(右フック) Profighters Gala in Almere 2004年3月21日
アントニー・ハードンク 5R終了 判定3-0 Rings Fightgala 2003年9月27日
× アレクセイ・イグナショフ 3R 2:55 TKO(レフェリーストップ:右フック) IT'S SHOWTIME 〜Amsterdam ArenA〜 2003年6月8日
デニス・ストリイビス 5R終了 判定3-0 Rings Fightgala 〜Heroes of the Next Generation〜 2003年3月30日
アフメド・ラクス 4R TKO(レフェリーストップ) Killerdome II 2003年2月2日
× カリム・ムラベト 3R終了 判定 Victory or Hell 2002年11月24日
アフメド・ラクス 5R TKO(ドクターストップ) Warriors Fight Night 2002年10月20日
ウィリー・シュナイダー TKO WPKL Gala in Hogendorphal 2002年2月17日
× ロッキー・グランディーン 1R 1:39 KO(バックスピンキック) WPKL Gala in Amsterdam 2000年11月19日

[編集] 総合格闘技

総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
1 0 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× イゴール・キリシス 1R 0:22 フロントチョーク Shooto Holland - The Lords of the Ring Gala 2002年5月12日

[編集] 人物・エピソード

  • K-1参戦当初はバド・ハリと表記されていた。
  • 若くして風俗店経営や逮捕歴がある。
  • 2006年2月、IT'S SHOWTIMEのプロモーターであるサイモン・ルッツの妻がストーカーの被害を受けており、ハリはルッツ達を助けるためにストーカー犯に暴行したため、逮捕された。その後、正当防衛が認められ、釈放されたが、その直後のグラハム戦の敗因は「留置所に入れられて調整不足だったから」とK-1公式サイトにて語っている。
  • 最も嫌いなファイターとしてレミー・ボンヤスキーを挙げている。理由はボンヤスキーが初優勝した2003年のWGPは、アーネスト・ホーストジェロム・レ・バンナマーク・ハントステファン"ブリッツ"レコミルコ・クロコップといった主力選手がことごとく欠場したためレベルが低かった事、ボンヤスキーが連覇を達成した2004年のWGPはボンヤスキーvsホースト戦を初めとして疑惑の判定が多かった事などが原因である。また公式サイトのインタビューでは「レミーはチャンピオンのくせに裏では対戦相手を選んで逃げ回っている」とレミーが嫌いな理由を述べ、「レミーはフェイク王者だ!」と強く批判している。また、2008年のWGP決勝では試合中にボンヤスキーへの嫌悪感が爆発して倒れたボンヤスキーに追い討ちのパンチと踏みつけ攻撃をして反則負けし、さらに試合後も自分が着けていたグローブを外してボンヤスキーに向かって投げつける暴挙に出た。その上大会直後の会見では「レミーに(反則の)ダメージはなかったはず。優勝が決まった途端、立ち上がって感動的なマイクアピールをしやがっただろ。奴は主演男優賞を受賞したんだ」と吐き捨てていた。また、2006年の初対戦時に反則裁定を巡って因縁が生まれたルスラン・カラエフについては、翌年の再戦時に「BADR said FUCK KARAEV!!」とプリントされたTシャツを着るなど怒りを露わにしていたが、その後は「ルスランには俺のライバルとしてK-1のためにも頑張ってもらわないとな」とコメントしている。セーム・シュルトについては「奴はデカいから勝っているだけだし、ルックスも悪い」「シュルトはパンケーキみたいな奴[3]だ」と批判している。しかし、シュルトの実績と努力に対しては敬意を表している(後述)。チェ・ホンマンについては「奴はテクニックが全くねーよ。デカイ頭とフランケンシュタインみたいな顔しやがって!」と罵倒している。
  • 最も尊敬するK-1ファイターとしてアンディ・フグジェロム・レ・バンナを挙げている。フグについては「人気・実力を兼ね備えた、全てが完璧な理想の王者だ。彼はファンを大切にし、誰からも愛されている。不幸な形でこの世を去ってしまったが、彼は今でも俺達の心の中で生きている事が彼が偉大である証だ」と語り、バンナについては「バンナの試合を見るのが大好きだ。バンナのように常に豪快なKO勝ちでファンを喜ばせる事を追求する姿勢こそが、今のK-1ファイターに求められているんだ。ジェロムは人々が何を求めているかわかっているから、ファンは彼の試合を観たいと望むのさ。それにトーナメントよりもワンマッチで勝ち続けてこそ、最強と言える。だからワンマッチ最強のジェロムが最強なのさ」と語っている。「俺が触った物は全て金になる」という台詞はバンナの真似をしてのものと思われる。また、ピーター・アーツに対しては「俺が子供の頃、ジムにはピーターの大きなポスターが貼ってあったし、彼が凄いファイターだということは俺も含めて誰もが認めているよ」と語り、K-1 WORLD GP 2008 FINALで対戦して勝利した後、リング上で正座をして頭を下げて敬意を表している。アーネスト・ホーストに対しては「彼は戦術に長けている一方で、リスクを背負ってでも、その先にあるものを取りに行く闘争心を持った偉大なファイターだ。そこがレミーとは違う」と語っている。また、魔裟斗については「マサトのような実力とルックス、カリスマ性を兼ね備えた男こそがチャンピオンにふさわしい」と語っている。
  • 戦いにおけるこだわり・信念について、「人々が何を求めているかを理解し、リスクを背負ってでも、その先にあるものを取りに行くことが大事だ」と語り、「ジェロム・レ・バンナやピーター・アーツにはそれが出来ているし、ホーストもリスクを背負う戦いをする。ジェロムやアーツは試合を止められるまで、何度だって立ち上がるんだ。こんな負け方なら俺は負けても構わない。だが、レミーは全てが教科書通りだ。2008年のWGP決勝戦では反則されるのを待ってましたと言わんばかりさ。アーツ、ホースト、ジェロムは真の『戦士』だ。レミーは『選手』だが、『戦士』じゃねえ。俺は真の『戦士』として感性に訴える戦いをしたい。俺は客を前のめりにさせて、たとえポケットに入っている硬貨を落としても、身動きができないような戦いをしたい。もし、レミーと同じ立場で反則をくらったとしたら、俺ならすぐに立ち上がって10秒後には肘打ちを叩き込んでるね(K-1ルールで肘打ちは反則)。それでチャラにして試合を再開するさ。論争にはなるだろうが、それが一番良かったんじゃないのか?」と語っている。また、嫌いなファイターの一人として挙げていたセーム・シュルトについて「シュルトにレーティングを付けるとしたら10点中6.5点だ。実績から考えれば、10点中10点だろうが、ファンから見たシュルトの価値はそんなもんだろってことだ。まあ、それでも高いほうじゃないのか。オランダのファンは3点すら与えていないんじゃないか。なぜなら簡単に言えば、彼はセンセーショナルなファイターじゃないからだ。誰もファンは見たいと思っていないだろ」と批判する一方で、「だが、シュルトは非常に努力家であり、決してレミーのような腰抜け野郎ではない。あのつまらないファイトスタイルをどれだけ非難されても、変えようとしないからな。それはそれで大したもんだ。レミーがあんな形で王者になりたいなら、それでいい。俺はセーム・シュルトをより尊敬する。シュルトはレミーと違って、泣き叫んだり、愚痴ばかりこぼしたりせず、ただ戦い続けるからな。俺は本当の『戦士』と戦いたいんだ。セームは強い。戦う価値がある」と、認めている一面もある[4]
  • K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16のピーター・アーツvsセーム・シュルトについて「アーツは積極的に攻めていたが、ダメージを与えていたのはシュルトの方だ。たしかにシュルトは不人気な王者だし、シュルトが王者でなくなる事はK-1とファンにとって良い事だと俺も思う。だが、だからといって感情移入した判定によってシュルトが排除されるのは駄目だ。K-1としてあるべき公平さを失ってはいけない」と語っている。
  • 乱闘騒ぎを起こしたり歯に衣着せぬ発言から、悪童やアウトローといったイメージが強いが、強くなるための努力は惜しまないため、煙草はやらない。とある番組で紹介された時は、仲間達とダーツバーに行き、談笑する姿が紹介された。
  • モロッコ人である事に強いこだわりを持っており、試合に勝利した後、モロッコ国旗を掲げてアピールする事がある。また、藤本との初代世界ヘビー級王者決定戦を控えた時には「モロッコは世界的に自慢できるものがない国なんだ。だから俺がK-1世界王者として活躍する事によって、世界中の人々に“モロッコ?ああ、バダ・ハリの母国だよね”と言ってもらえるようにしたい。“世界”王者という部分が重要なんだ」と語っている。また、K-1での活躍が認められ、2009年6月頃にはモロッコ国王陛下のムハンマド6世から表彰されることが決定している。
  • その一方でオランダではモロッコ人と行動を共にすることは少ない。その理由に「オランダのモロッコ人はモロッコ人同士で集まりたがるから、俺には合わないんだ。黒人、白人、黄色人、色んな人種や国が集まってこそベストだ。そっちのほうが楽しい。」と語っている。
  • アメリカ合衆国大統領バラク・オバマと顔が似ているということもあってか、オバマの「CHANGE(変革)」という決め台詞をハリに言わせたがるマスコミが多く、ハリもそれに乗って「K-1をCHANGEする」と何度もコメントしていた。
  • 2006年まではリングへと入場する際に、花道でたっぷりと時間をかけて観客を煽ってからリングインするという入場パフォーマンスを行っていた。これについて本人は「俺はナルシストだから、自分のカッコ良さをたっぷりと観客にアピールしてから自分に酔ってから試合に臨んだ方が戦いやすいし、客も喜ぶから」と答えている。ポール・スロウィンスキー戦ではあまりに入場が長すぎたため、まだリングインしていない時に入場曲が鳴り終わってしまった。しかし、2007年からは一転して、入場ゲートの入り口でマイクスジムのマイク会長とメルヴィン・マヌーフの激しい檄に大声で答えて気合いを入れた後、足早に入場するというスタイルに変更し、現在も続けている。
  • 2008年5月頃、ハリの友人が放火事件を起こし、ハリも関係者として警察から事情聴取を受けた。そのため、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAの前日のすぽると!平井理央にインタビューされた際には「正直言って今回は練習不足だ」と告白している。
  • 自身が主戦場としているK-1を愛し、誇りを持っているが故に過激な発言をする事も多い。2008年9月23日、総合格闘技イベントDREAMの大会、DREAM.6を観戦に訪れた際にリングに上がり「今日は抱き合ったりキスしたりするのしか見ていない(寝技で膠着状態になる場面が多かった事を揶揄してのコメント)」「誰でも、どこでも、いつでも挑戦を受ける!」と総合格闘技そのものを否定するような挑発的発言をし、更には観客に「本物の闘いが見たければK-1に来い」とコメントした[5]。25日に行われたK-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16の記者会見でも「DREAMの試合はくだらない。何の競争心も感じなかった。」と発言した[6]。後に雑誌のインタビューで「別に俺は総合格闘技そのものを否定してるわけじゃない。あのDREAM.6という大会だけがつまらなかっただけだ。だが、K-1の方が総合格闘技よりも面白くて本物の戦いだという意見は変わらない。それに現実としてMMAでも人気の高いファイターといったら、ミルコ・クロコップエメリヤーエンコ・ヒョードルヴァンダレイ・シウバといったストライカータイプの選手ばかりだ。グラップラータイプで人気がある選手なんてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラくらいしかいないじゃないか。MMAファイターの打撃よりも、打撃専門のK-1ファイターの方が優れてるんだから、MMAよりもK-1の方が皆が求める本物の戦いなのは当たり前だろう?」と語っている。また、「あの大会で唯一面白いと感じたのは所英男の試合だけだ。彼とは一緒に練習した事があるし、俺は彼を友達だと思っている。あの大会でトコロは負けはしたが、負けを恐れずに積極的に動き続けていた事が素晴らしかった。一部のK-1ファイターや他の総合格闘家はトコロの姿勢を見習うべきだ」とコメントしている。
  • 自身の総合格闘技ルール参戦については「一度だけ総合ルールの試合をした事があるが、あの時は元々メルヴィン・マヌーフが試合に出場する予定だったのに、直前に彼が怪我で欠場したから急遽代役で出場したんだ。当時の俺は総合の練習なんて一度もやった事が無かったから“ファイトマネーが貰えるなら出る。寝技になったらすぐにタップアウトしよう”という軽い気持ちで出て負けただけだ。今の俺はマイクスジムと交流のあるアメリカン・トップチームで総合の練習を積んでいる。総合での得意技は三角絞めだ。これでスパーリングではメルヴィンからタップも奪ったしな」と語り、青木真也ゲガール・ムサシがハリとの対戦を希望している事を聞くと、「奴らが総合ルールでの対戦を希望するなら望み通りMMAルールで戦っても構わない。ボコボコにしてやるよ!」と返答している。Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜アリスター・オーフレイムにK-1ルールで敗れた後、アリスターが「バダ・ハリとK-1ルールとMMAルールで1試合ずつ戦う契約を結んでるから次はMMAルールでバダを叩きのめしてやる」とコメントしたことについて、試合直後の会見では「俺は立ち技のファイターだし、それが一番得意だ。MMAの試合はない。スタンドでベストを尽くして戦う。もう一度言う、MMAでの試合はない」とMMAルールの試合出場を拒否する姿勢を一度は示していた。しかし、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAにてハリ自ら「アリスターとMMAルールで再戦させろ」と要求している[7]
  • ジョルジ・サンチアゴはハリのMMA挑戦について、「俺が約半年間オランダに滞在して、マイクスジムに出稽古していた時にバダ・ハリも一緒にMMAの練習をしたんだけど、バダは良い柔術テクニックを持っているよ。バダは友人だから頑張ってほしいし、MMAでも活躍できると思う」と語っている[8]

[編集] 主な獲得タイトル

  • 初代K-1世界ヘビー級王座
  • 初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王座

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ [1] スポーツナビ 2008年9月24日
  2. ^ 【K-1】反則を犯したバダ・ハリに、K-1史上最大の罰則が下る。王座も剥奪 GBR 2008年12月17日
  3. ^ 「何も味付けされていないパンケーキのように魅力の無い奴」といった意味だと思われる。またパンケーキは柔らかい事から「打たれ弱い」「中身が空疎」というニュアンスも含まれていると思われる。
  4. ^ http://www.k-1fans.com/forum/viewtopic.php?t=45594
  5. ^ ヒョードル、桜庭、バダ・ハリらがリングに=DREAM スポーツナビ 2008年9月24日
  6. ^ ホンマン戦直前のバダ・ハリ、DREAMにも宣戦布告=K-1 スポーツナビ 2008年9月25日
  7. ^ ボンヤスキー×アリスター、バダ・ハリ×ジマーマン他決定 BoutReview 2009年2月27日
  8. ^ Real Battle Talk no.3
前王者
N/A
初代K-1世界ヘビー級王者

2007年4月28日 - 2008年12月17日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
前田慶次郎