山本徳郁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
山本"KID"徳郁
基本情報
本名 岡部 徳郁(旧姓:山本)
通称 KID
神の子
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1977年3月15日(37歳)
出身地 神奈川県川崎市
所属 PUREBRED大宮
→PUREBRED東京
KILLER BEE
KRAZY BEE
身長 163cm
体重 61kg
リーチ 168cm
階級 フェザー級バンタム級
スタイル レスリング修斗
テーマ曲 狂蜂の詩
(たなか雄一狼 feat. SHINGO☆西成
テンプレートを表示

山本"KID"徳郁(やまもと"キッド"のりふみ、男性、1977年3月15日 - )は、日本総合格闘家神奈川県川崎市出身。本名:岡部 徳郁(旧姓:山本)[1]。学歴は桐蔭学園高校中退〜アメリカ留学〜山梨学院大学中退。血液型B型KRAZY BEE主宰。HERO'Sミドル級トーナメント2005優勝。

ニックネームは「神の子」または「KID」。ニックネームの由来は本人曰く、「ミュンヘンオリンピックに出場した父親(山本郁榮)は自分の中では神。だから俺は神の子(KID)」「格闘の神様の子供」というもの。しかし、この発言以前に、「大学時代、俺の小柄な身体を見たレスリング部の先輩から、まるで子供みたいだから、KIDだ。と綽名されたのが最初」とも本人が語っている。

全身に多くのタトゥーを彫っている。総合格闘技における師匠であり、姉・美憂の前夫であるエンセン井上の代名詞「大和魂」のタトゥーを右上腕に彫っていたが、2009年4月にそれを覆い隠すように別のタトゥーを彫った。肩には「狂」「蜂」、胸には「海」「鈴」「郁」「愛」と漢字のタトゥーを彫っている。

適性階級は60kg前後の階級でありながら、総合格闘技とK-1では本来より2階級上の70kg級でも活動。70kg級ではHERO'S世界王者に輝き、K-1 WORLD MAX世界王者魔裟斗からはK-1ルール2戦目にしてダウンを奪う。

人物[編集]

ミュンヘンオリンピックレスリング・グレコローマン日本代表だった山本郁榮を父親に持ち、姉・美憂、妹・聖子は世界レスリング選手権大会を制覇している。祖父は水泳のオリンピック選手だったと自身のブログで写真付きで公開している。

2004年8月にモデルのMALIAと結婚し、2005年1月には男児、2006年11月には女児をもうけるも、2009年8月に離婚。子供はMALIAが引き取った[2]

同年、自身がプロデュースを手掛けるブランドHARDHITを立ち上げる。

2008年から大田区馬込に自身でスポーツジムYSA(ヤマモトスポーツアカデミーKRAZY BEEを経営している。

2012年4月15日、自身のブログで、株式会社スリー・アローズ・エンターテイメントに所属したことを発表。

同年5月24日、Twitterを開始したことをブログにて発表。山本"KID"徳郁 (KID_KRAZYBEE) - Twitter

来歴[編集]

幼い頃よりレスリング(フリースタイル)で活動。全日本学生レスリング選手権大会優勝(フリースタイル58kg級)など数多くの実績を残した。シドニーオリンピック出場を目指していたが、1999年の全日本レスリング選手権大会(同級)で惜しくも準優勝。

オリンピック出場への道が絶望的になったのと同時期に姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して総合格闘技に転向。2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級で優勝。翌2001年にプロデビューし修斗で活躍、ライト級世界ランク2位まで登り詰めた。

2002年9月16日、プロフェッショナル修斗公式戦で勝田哲夫と対戦。試合前に勝田がKIDに対して「彼はレスリングの実績があるけど、総合におけるレスリングってものを俺が教えてあげますよ」と挑発したことに対してKIDは不快感を露にしていた。試合ではKIDがパウンドの連打で勝田をKOしたが、レフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視して舌を出して笑顔で勝田を殴り続けたため120日間のライセンス停止処分を受けた[3]

2003年12月14日、修斗で王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと修斗世界ライト級チャンピオンシップで対戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した。

K-1・HERO'S[編集]

2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」1回戦で村浜武洋と対戦。村浜を相手にK-1ルール初挑戦ながら圧倒的なスピードとパンチ力を発揮、ノーガードで村浜のパンチを避け、ダウンを奪った後も追撃する2RKO勝利。だが、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。

その後トニー・バレント安廣一哉ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求。魔裟斗もこれを受け、2004年12月31日のK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で対戦。1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、実況席からも続行は無理と言われる程であった。また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意であることを匂わせる発言をした。インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。

2005年3月3日のHERO'S旗揚げ発表会見に出席し、HERO'S参戦が発表されるも、怪我のため、3月26日のHERO'S旗揚げ戦は欠場となった。

2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005のスーパーファイトにてK-1ルールで出場。しかしマイク・ザンビディスの右フック一撃で生涯初のKO負けを喫した。

2005年7月6日、HERO'S 2005にスーパーファイトで出場。イアン・シャファーと対戦し、TKO勝利。

2005年9月7日、HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント〜準々決勝でホイラー・グレイシーを右フック一撃で失神KO勝ち、準決勝で宇野薫をパンチで出血させ、TKO(ドクターストップ)勝ち。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にてトーナメント決勝を須藤元気と対戦し、右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ち。HERO'Sミドル級王者となり、キャリア初のベルト戴冠となった。この試合の決着場面において「レフェリー・ストップが早かったのでは?」という指摘が須藤とファンから挙がったが、後日にTBSで放送された格闘王で、レフェリー・ストップ直後に立ち上がった須藤の脳が揺れて足元がふらついてコーナーまでよろめいている映像が放送され、事なきを得た。須藤も後に「ストップされた時は、(ダメージがあったため)あまり覚えていない」と語っている。

2006年2月17日、修斗代々木大会に出場した同門の菊地昭の試合後にドクターチェック中であった中山健児リングドクターに対し暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLER BEE(現・KRAZY BEE)所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した[4]。翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し和解したが、3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション(ISC)よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLER BEEへの厳重注意処分を受けた。10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された[5]

2006年5月3日、HERO'Sで宮田和幸と対戦し、開始4秒の跳び左膝蹴り一発で失神骨折KO勝ち。この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。

2006年7月23日、レスリングに復帰し、2008年北京オリンピック出場を目指すことを宣言。プロ格闘家活動を一時休止する。

2006年12月、スポーツ用品ブランド「リーボック」とのパートナー契約を締結[6]

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で総合格闘技のリングに一時復帰。アテネオリンピックレスリング・グレコローマン55kg級金メダリストのイストバン・マヨロシュと対戦し、ボディへの膝蹴りでKO勝ち。

2007年1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権フリースタイル60kg級2回戦でアテネオリンピック銅メダルの井上謙二(自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、試合開始16秒でフォール負けを喫した。なお、大会前に同階級の有力選手からは「(山本に)1ポイントも与えるつもりはない」「7年もブランクがあっては通用しない」など、長期のプロ活動から復帰した山本に対しての発言があった。

2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。

2007年9月17日、HERO'Sでビビアーノ・フェルナンデスと総合格闘技復帰戦を戦った。腕ひしぎ十字固めをかけられ回転して逃げるなど危ないシーンもあったが、スタンドでのローキックなどでダメージを与え、判定勝ち。試合の1週間前に左手首の豆状骨を骨折した。

2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!ハニ・ヤヒーラと対戦。ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。ヤヒーラがダウンした後の頭部へのサッカーボールキックに対してイエローカードが提示された。

DREAM[編集]

2008年7月21日、DREAM.5ジョセフ・ベナビデスと対戦予定であったが、練習中に右膝前十字靭帯を断裂し、欠場となった。同年8月1日に手術を受け、成功した。同時に前年に骨折していた左手首の手術も受けた。この怪我以降、急激にKIDの実力が下降していった。

2009年4月5日、DREAM.8のテレビ放送の解説を務めた。

DREAM.7から開幕したDREAMフェザー級グランプリでは実績を考慮されて1回戦をシードされた。

2009年5月26日、約1年5か月ぶりの復帰戦となるDREAM.9のフェザー級グランプリ2回戦でジョー・ウォーレンと対戦。ムエタイ・スタイルへと変貌を遂げた打撃をヒットさせるが、グレコローマン・レスリング世界選手権優勝というKIDを上回るレスリング実績を誇るウォーレンに何度もテイクダウンを奪われてパンチを浴び判定負け。総合格闘技ルールでの敗戦は実に7年ぶり2度目。

2009年7月13日、約4年2か月ぶりのK-1参戦となったK-1 WORLD MAX 2009 FINAL8チョン・ジェヒと対戦し、1Rに先に有効打をヒットさせて追撃したところを右アッパー、左フックの連打を受け失神KO負け。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦でSRCフェザー級王者金原正徳と対戦。63kg契約の試合であったがリーチ差に手を焼き、2Rには金原のパンチを受けてジェヒ戦を思い起こすようなダウンを喫したが、最終3Rに打撃で猛反撃。試合終了直後に腕立て伏せをしてダメージの無さをアピールしたが、判定負け。復帰後、K-1ルールを含め3連敗となった。

2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14キコ・ロペスと対戦し、KO勝ち。2007年12月31日以来、2年5か月ぶりの勝利となった。

2011年、DREAMを離脱しUFCと契約する。「またベルトをもらって、日本のファンに恩返ししたい」と語った[7]

UFC[編集]

2011年2月5日、UFC初参戦となったUFC 126デメトリアス・ジョンソンと対戦。パンチにタックルをカウンターで合わされるなど再三テイクダウンを奪われ、0-3の判定負けを喫した[8]

2011年11月12日、UFC on FOX 1ダレン・ウエノヤマと対戦。2Rにパンチでダウンを奪うも終始グラウンドでコントロールされ、大差の判定負け。UFC2連敗となった。

2012年2月26日、12年ぶりに日本で開催されたUFC 144ヴァウアン・リーと対戦。1RにKIDは右フックを効かせ、よろけたリーを左右フックの連打と膝で追い詰め、ポイントを重ねる。しかし、後半にフックの軌道が読まれ、打ち合いの中リーの右フックをもらう。KIDはタックルでテイクダウンに持ち込むも、三角締めから腕十字を決められタップアウト。生涯初の一本負けで、UFC3連敗を喫した。

UFC参戦の前後から頚椎ヘルニアを患っていたが、3連敗後症状が悪化し、一時は握力がわずか8kgにまで落ちる[9][10]。そのため長期休養に入るが、2014年に入りスパーリングを再開しており、同年夏頃の復帰を目指している。

エピソード[編集]

  • K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜の同日には、姉・美憂と妹・聖子アテネオリンピック出場が懸かったジャパンクイーンズカップが開催された。しかし、美憂は3位、聖子は準優勝に終わって共にオリンピック出場を逃した。敗れた二人はショックを堪えてそのままKIDの応援に駈けつけ、KIDのKO勝利を見届けた。後に美憂と聖子は「私達がオリンピック出場を逃したのはものすごく辛かったけど、今思えば私達のオリンピック出場の代わりに神様が徳郁をスターへと導いてくれたのかな」と語っている。
  • K-1ルール初挑戦の際、ボクシングの世界フェザー級統一王者ナジーム・ハメドのファイトスタイルを参考にしたと語っている。実際、KIDのK-1デビュー戦のテレビ解説を務めた畑山隆則は、ノーガードで相手のパンチを避け続けて強烈なパンチでKO勝ちしたKIDを見て「KID選手の戦い方はハメドみたいですね」と評価した。また、雑誌「smart HEAD」の「ボウズヘアの似合う有名人1位」にKIDが選ばれてインタビューを受けた際には「ナジーム・ハメドのサイドとバックは刈り上げで、トップ〜前髪だけ残して髪がペタって乗ってる感じがいい」と髪型も参考にしてることも明かした。
  • テレビ番組に出演した際、父の郁榮から「心の優しい真面目な子」と評されていた。
  • 10歳代の頃、レスリング修行のため4年ほどアメリカに住んでいたこともあり英語は喋れる。本人曰く、メキシカン寄りなのでスペイン語訛りの英語とのこと。
  • 高校時代にベンチプレスにハマり、MAXは125kgで当時の体重は59kg。
  • 2009年3月、インターネットオークションサイトに当時の愛車ハマー・H2を出品したところ、約560万円で落札された[11]
  • シュートボクシングで活躍した吉鷹弘は「総合格闘技界とキックボクシング界の両方を通じてナンバーワンの右フックの使い手はKID」と絶賛した[12]
  • ハメドのスタイルを参考にしたり、パンチによるKO勝ちが多いKIDだが、ムエタイのファンでもある。M-1ムエタイチャレンジをはじめとした多くのムエタイ大会を観戦しており、ワンロップ・ウィラサクレックとの対談・技術交流では喜びを露にしていた[13]。ケガからの復帰戦となる2009年5月のDREAM.9を前にしてのインタビューでは再三に渡って「今のMMAはボクシング+レスリングってスタイルが主流だけど、俺はそれを超えるためにムエタイ+レスリングのスタイルをマスターしたい」と語っており、実際に復帰後の2試合では復帰前のクラウチング・スタイルの構えとは正反対のアップライト・スタイルでミドルキックを主体とする戦いを披露した。また、魔裟斗は2004年にKIDと対戦した直後の会見で、「試合前はパンチが強い印象があったけど、意外と綺麗なフォームの良い左ミドルキックを蹴ってきたんでビックリした」とコメントしている。
  • レスリング一家に育ち、幼少の頃から試合のための体重調整のために食事節制をしたことにより、体重が増えにくい体質となっている。にもかかわらず、適性階級は60kg前後の階級でありながら、総合格闘技とK-1では本来より2階級も上の70kg級でも活動。全盛期には「俺より体重が20kg重い奴とでも戦う。体重差なんて関係ねえ!」とまで言い放っていた。しかし、2007年1月のレスリング挑戦の際に右肘を脱臼してから総合格闘技に復帰した際に「今までは総合格闘技のメジャー団体で俺に合う階級がなかったから仕方なく中量級(70kg級)で戦ってきた。でも、これからは俺が軽量級を世間に広める」と宣言し、以降は以前とは正反対に極端に契約体重にこだわって試合の交渉が難航することが増えた。修斗時代と同じ65kg契約の試合でも拒否するようになり、「俺のベストはWECにおけるバンタム級(61.2kg級)。この階級を作ってほしい」と明言したため、フェザー級を65kg級に設定することを予定し、KIDをフェザー級GPの主役として参戦させようとしていたDREAMとの交渉が難航。結局、双方が譲歩し、DREAMのフェザー級は63kgに設定された。
  • 2012年4月12日の深夜、都営浅草線五反田駅構内の線路にて、老齢の男性がホームに転落し額から血を流したまま意識がない状態でいた。誰もが何もできずにいたところ、偶然そこに居合わせたKIDは真っ先に線路に飛び降り、男性を抱え上げようとした。なかなか持ち上げられなかったが、KIDの姿を見てためらっていた周囲のサラリーマン達も協力して線路に降り、男性の救出に成功した。幸いにも男性は裂傷程度で大事に至らなかったとのこと。(女性セブン2012年5月3日号より)

戦績[編集]

総合格闘技[編集]

総合格闘技 戦績
24 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
18 13 2 3 0 0 1
6 1 1 4 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× ヴァウアン・リー 1R 4:29 腕ひしぎ十字固め UFC 144: Edgar vs. Henderson 2012年2月26日
× ダレン・ウエノヤマ 5分3R終了 判定0-3 UFC on FOX 1 2011年11月13日
× デメトリアス・ジョンソン 5分3R終了 判定0-3 UFC 126: Silva vs. Belfort 2011年2月5日
キコ・ロペス 1R 1:41 KO(右フック→パウンド) DREAM.14 2010年5月29日
× 金原正徳 5分3R終了 判定0-3 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 2009年12月31日
× ジョー・ウォーレン 2R(10分/5分)終了 判定1-2 DREAM.9 フェザー級グランプリ2009 2nd ROUND
【フェザー級グランプリ 2回戦】
2009年5月26日
ハニ・ヤヒーラ 2R 3:11 KO(左フック) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
ビビアーノ・フェルナンデス 5分3R終了 判定3-0 HERO'S 2007 〜ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦〜 2007年9月17日
イストバン・マヨロシュ 1R 3:46 KO(ボディへの膝蹴り) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
宮田和幸 1R 0:04 KO(跳び左膝蹴り) HERO'S 2006 2006年5月3日
須藤元気 1R 4:39 KO(右フック→パウンド) K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!
【ミドル級トーナメント 決勝】
2005年12月31日
宇野薫 2R 4:04 TKO(ドクターストップ:左眉尻カット) HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント 準決勝〜
【ミドル級 トーナメント 準決勝】
2005年9月7日
ホイラー・グレイシー 2R 0:38 KO(右フック) HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント 準決勝〜
【ミドル級トーナメント 準々決勝】
2005年9月7日
イアン・シャファー 3R 1:23 TKO(パウンド) HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント 2005年7月6日
ジャダンバ・ナラントンガラグ 1R 1:55 KO(右ストレート) K-1 WORLD MAX 2004 〜世界王者対抗戦 2004年10月13日
安廣一哉 2R 2:40 腕ひしぎ十字固め K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【ミックスルール】
2004年7月7日
トニー・バレント 1R 0:58 チョークスリーパー K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 2004年4月7日
ケイレブ・ミッチェル 1R 0:40 TKO(右フック) 修斗 2003年9月5日
ジェフ・カラン 5分3R終了 判定3-0 SuperBrawl 29 2003年5月9日
勝田哲夫 1R 2:45 TKO(パウンド) 修斗 2002年9月16日
× ステファン・パーリング 1R 0:30 TKO(ドクターストップ:額カット) 修斗 2002年5月5日
ジョシュ・トムソン 2R 2:00 無効試合(ローブロー) Shogun 2001年12月15日
門脇英基 1R 4:02 TKO(右フック) 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年9月2日
亀田雅史 1R 4:17 KO(パンチ) 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年7月6日
塩澤正人 5分2R終了 判定3-0 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年3月2日

キックボクシング[編集]

キックボクシング 戦績
4試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
1 1 0 0 0 0
3 2 1 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× チョン・ジェヒ 1R 1:20 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8 2009年7月13日
× マイク・ザンビディス 3R 0:39 KO(右フック) K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 2005年5月4日
× 魔裟斗 3R終了 判定0-3 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日
村浜武洋 2R 2:38 KO(2ノックダウン:左フック) K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2004年2月24日

グラップリング[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× バレット・ヨシダ 1R 0:26 TKO(タオル投入) The CONTENDERS Millennium-1
【ライト級トーナメント 決勝】
2001年6月10日
若林次郎 延長R終了 判定2-0 The CONTENDERS Millennium-1
【ライト級トーナメント 準決勝】
2001年6月10日
小室宏二 5分2R終了 判定40-38 The CONTENDERS Millennium-1
【ライト級トーナメント 1回戦】
2001年6月10日

獲得タイトル[編集]

レスリング[編集]

総合格闘技[編集]

出演[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

DVD[編集]

書籍[編集]

  • KID―山本徳郁フォトブック(2005年1月31日、ポニーキャニオン
  • 「神の子」―父が語る山本"KID"徳郁の半生(2006年5月15日、マキノ出版)
  • “KID”BODYトレーニングブック―強くてカッコイイ体に変身!(2007年5月1日、マキノ出版)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前優勝者
N/A
HERO'S 2005 ミドル級最強王者決定トーナメント優勝

2005年12月31日

次優勝者
J.Z.カルバン