断食

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断食(だんじき、英語fasting)とは、食物をたつこと[1]。一定の期間、全ての食物あるいは特定の食物の摂取を絶つ宗教的行為[2]


概要[編集]

断食とは、一定の期間、全ての食物あるいは特定の食物の摂取を絶つ宗教的行為である[2][3]

一定の食物を(期間を定めず)恒常的に禁忌することは除かれる[2][4]

断食は世界の諸宗教に広く見られる[3]

断食では食事は断つもののだけは飲む場合もある。食料を摂らないことを絶食または不食(ふしょく)とも言う。

起源や動機

断食の起源や動機について一般化して説明することは非常に難しい[3]。ひとつひとつの宗教ごとに説明が異なっており、またひとつの宗教の中でも、時代によって説明が異なっており、また断食を行う人ひとりひとり断食を行う意味の解釈が異なる場合すらあるからである[3]。歴史がはっきり残っており起源がはっきりしている場合はそれほどではないが、未開社会で行われているような断食だと、その歴史的起源、本来的意味が判っていない場合があり、そうなるとなおさら、習俗的に断食を行うことになり、その場合、断食行う意味についての解釈や動機(目的)は、ひとりひとり異なっていることがある[3]

上述のように断食の動機(目的)を全て一般化して述べることは無理ではあるが、学者によって断食についていくつかの分類が挙げられてはいる。

  • 人生のサイクルの中で繰り返し現れる危機的状況(妊娠出産・死など)において、その難を避けるために行われる断食[2][3]
出産の前後に、妊婦やその夫に断食が課される未開部族も多い[3]。家族の死んだ場合、遺族が全ての食物を断ったり、一定の食物を断ったりする部族も多い[3]。(日本では、死者の命日に遺族は生もの(なまもの)を絶つ風習がある[3]。)このタイプの断食についての説明はいくつも試みられているが、そのどれも定説とはなっていない[3]
  • 祈願(祈り)を行う場合に、その効果をより高めるために行う断食[2][3]
イスラーム教においては断食は非常に功徳があるとされており[3]、「断食中になされる祈願は必ず聞き入れられる」とされている[3]
  • 精神を鍛える修行の一形態としての断食[2]
古より多くの宗教で行われている。


他 非宗教的な断食


[8]


一定期間(一般に48時間から72時間[要出典])食糧の供給を停止すると、体は体内に蓄積していた栄養を消費する。この栄養が続く範囲なら、食事を摂取しなくても生命を維持できる。

宗教的な断食[編集]

宗教行為など精神的な理由から断食を行うことがある。宗教的な断食、精神的な理由の断食は紀元前から人間の習慣として存在する。『新約聖書』、『旧約聖書』、『マハーバーラタ』、『ウパニシャッド』、『クルアーン』でも言及されている。

イスラム教ラマダーン月における断食(日の出から日没までの半日は一切の飲食をしない)が特に有名である。また、ユダヤ教キリスト教にも定期的な断食がある。仏教では、煩悩を克服・滅却するために断食を行うことがある。

宗教的探求の手法のひとつとして行われる場合がある。数日の断食においても、意識がすっきりして来たり、五感が敏感になったりするなどの覚醒効果があるとされる。空腹による幻覚の効果と考えられている。

ゾロアスター教[編集]

ジャイナ教[編集]

ジャイナ教では様々な断食の形がある。1つの形式は翌日の夜明けまで食べ物と飲み物を断つ。別の形式では食べ物を断ち、沸騰している水は飲んでもよい。そのほかに、食べ物の種類を制限する形式もある。スパイスとして塩とコショウのみを用いて、レンズマメと味気ない食べ物だけを食べる。

ジャイナ教の教えによれば、断食によって欲望と情欲を抑えることでを取り除く助けになる。

また断食により自発的に死に至るサンサーラという儀式がある。ジャイナ教において、サンサーラは自殺ではなく完全に知識と意図を持って行う儀式である。サンサーラの性質上、長い時間をかけて人生を振り返る時間が与えられる。自分の人生が目的を果たしたと感じた場合、誓いを立てる。サンサーラの最終的な目的は肉体の浄化と欲望を捨てることである。

仏教[編集]

上座部仏教[編集]

上座部仏教の僧侶は律(vinaya)に従い、正午の食事以降は物を食べない。これは断食とは考えられておらず、むしろ瞑想を補助する修行の手段である。仏教において断食は苦行であり、中道から逸脱したものとして拒絶されると一般的に考えられている。

大乗仏教[編集]

大乗仏教の僧侶は経典上は食事に関して制限されていないが、慈愛の心を育む必要から肉食を避けている。その結果として精進料理のように肉を含まない料理が生み出された。

天台宗[編集]

比叡山延暦寺で行われる修行の一つ、千日回峰行においては、堂入りと呼ばれる荒行が行われる。足かけ九日間にわたって断食・断水・断眠の中、真言を唱え続ける。命をも落としかねない荒行であり、生還しても平均して15kgは体重が落ちるという。

肉食について[編集]

なお、仏教では肉食(にくじき)を制戒していると一般的にいわれる。しかし、釈迦が最後に純陀によって供養されたスーカラマッタヴァという料理が一説には豚肉料理であったともいわれることや、釈迦在世の初期仏教で、提婆達多の分派をめぐる問題から知られるように、釈迦は肉食禁止そのものは賛成しなかった。したがって上座部の仏教徒においては「柔らかい豚肉」とする事に抵抗を感じなかったといわれる。したがって完全な肉食禁止はない。

ユダヤ教[編集]

ユダヤ教の断食は食べ物と水などの飲み物を完全に断つ。食べ物の匂いをかいだり、薬を飲んだり、歯を磨くことさえも禁止されている。年に6回(ヨム・キプルティシュアー・ベ=アーブゲダリヤの断食テベトの10日タンムズの17日エステルの断食)の断食を行う。

安息にすることが聖書により定められているため、ヨム・キプル以外の安息日に断食を行うことは禁止されている。

ヨム・キプルはトーラーで明確に決まっている[要出典]唯一の断食の日である。ヨム・キプルは1年で最も大事な日とされている。バル・ミツワーになった男性あるいはバト・ミツワーになった女性は断食を義務として行う。ラビから許された命にかかわる重い病や出産直後の女性だけは断食を免除される。ヨム・キプルは安息日と同じように仕事を行ってはいけないという制限がある。家の外に物を運ぶ、電気を使う、料理をする、車に乗る、電話を使う、書き物をすることは禁じられている。

さらにティシュアー・ベ=アーブにも断食が行われる。ヨム・キプルとティシュアー・ベ=アーブでは男女ともに日没から次の日没まで丸一日断食が行われる。それ以外の4回の断食では日の出から日没まで断食が行われ、男性は必ず断食しなければいけないが女性は病気や弱っていて断食が困難であればラビによって免除される。

キリスト教[編集]

キリスト教では、いくつかの宗派や教会において断食が行われている。一方、他の宗派では外部の習慣であるとして行われていない。

『聖書』における断食の記述[編集]

  • モーセは神の山にいる40日間断食をした。(「出エジプト記」34章28)
  • ダビデは家臣ウリヤの妻バト・シェバとの間にできた息子が、姦通とウリヤを殺害した罰として神によって病気にされたとき、断食をした。それにも拘らず、息子が死ぬと断食をやめた。(「サムエル記」12章15-25)
  • イエスは40日間荒野で断食した。(四旬節参照)

カリスマ系教会[編集]

カリスマ系教会において断食はより神に近づく探求のために実行される。週に1日か2日、定期的に実行される。ジョン・ウェスレーチャールズ・ウェスレージョージ・ホワイトフィールドが始めた、初期のメソジストのようなホーリネス運動では健康法の一種として定期的な断食を行った。

正教会[編集]

正教会では、大斎をはじめとして年に4回の断食(斎)の期間があり、暦の中で重要な位置づけにある。断食の期間は動物や魚の製品、オリーブ油(または全ての油)、ワイン蒸留酒を断つ。一方でタコ貝類などは禁止されていないため、正教徒が多い地中海地域ではこれらを使った料理が発達している。

断食は耐えるものではなく、自分の不節制を認識し、他人へ施すことで神により近づくための経験である。断食によって節約したお金は地域のチャリティーや直接貧しいものへ与えられる。多くの教徒にとって祈りと施しの無い断食は役に立たない、あるいは有害であると考えられている。

末日聖徒イエス・キリスト教会[編集]

末日聖徒イエス・キリスト教会(通称はモルモン教)では断食の間は食物と飲物を完全に断つ。通常は月の初めの日曜日が断食の日に設定されており、2食を断つことが推奨されている。多くの信者は前日の土曜日の夕食から断食を開始する。断食によって節約されたお金は困っている人を助けるための断食献金として教会に寄付される。

プロテスタント教会[編集]

プロテスタント教会では、宗教改革の際に断食は外部の習慣であり個人の救済は決して得られないと批判した。

一方でアングリカン・コミュニオンと統一メソジスト教会のようないくつかのアメリカのプロテスタント宗派は2回の悔悟の季節、四旬節降臨節の一部として断食することを奨励している。

ローマ・カトリック教会[編集]

ローマ・カトリック教会の断食は、1日の食事を十分な量(動物の肉を含む場合もある)を1回と少量を2回(朝食と夕食)にする。食事の間で固形物を食べるのは許されていない。また、小斎の期間は動物の肉を食べない。

マニ教[編集]

マニ教では普段から1日1食で菜食主義ですごすが、この他に、春分の日に行われる「ベーマの祭儀」の直前の1ヶ月間、及び月に4度、毎週日曜日に断食が行われた。前者は後世、イスラム教がラマダーンとして取り入れた。

ヒンドゥー教[編集]

ヒンドゥー教において、断食は欠くことのできない重要な要素である。個人個人の考えと地方の慣習に基づき、異なる種類の断食がある。

  • エカダシ(14日間周期の月相の11日目)またはプルニマ(満月の日)のような特定の日に断食を行う。
  • 個人の信念や信仰している神によって1週間の特定の日に断食を行う。

断食の方法はばらつきが大きい。厳密なものは前日の日没から翌日の日の出の48分後まで食物と水を断つ。それ以外に1日に1食に制限する、ある種類の食物を食べない、ある種類の食物のみを食べる等の方法がある。どの場合でも、断食期間中はヴェジタリアンでない者も含めて動物の製品(肉、卵を含む)を食べたり、触れたりしてはいけない。

イスラム教[編集]

イスラム教ではラマダーンの月の間、日の出から日没まで断食が行われる。断食中は食べること、飲むこと、喫煙、性交が禁止される。ラマダーンはイスラム暦の月の1つで、断食はイスラム教の信仰で最も重要な活動の1つである。

断食によってアッラーフ(神)が命じたこと行い、逆に禁止された全てから遠ざけることでタクワ(神を意識すること)を増やす。断食を行うムスリムは多くの罪から助けられ、ジャハナム(地獄)から守られる。

イスラム教の断食は単に食べ物と飲み物を断つだけではないと考えている。断食は嘘をつく、騙す、下品な話、口論、喧嘩、淫らな思考をしないことも意味する。つまり、断食中は良い振る舞いをすることになる。また、断食によって貧乏で空腹な兄弟が感じるものを感じることで連帯感を生む。その上、ラマダーンの月は寄付を行い、日没後に食事を共にする。

ラマダーン(月)に断食することには次のような3つの意味がある、と東京・八王子にあるモスクの関係者は説明した[9]

  • 1. 忍耐することを学ぶため[9]。忍耐強くなるため[9]
  • 2. 貧しくて食べることができない人々の苦しみを理解し、そうした人々のことに思いを至らせるため[9]
  • 3. クルアーンに書かれている五行として行うため[9]

ラマダーンは、生活におけるバランスや節度を保つために役だっている[9]。クルアーンには書かれている。ムハンマドは「胃(お腹)は1/3を食物で満たし、あとは呼吸などのためにとっておきなさい。」といった内容のことを言われたと[9]。食物は満腹まで食べるのは良くなく(食べすぎは良くなく)、満腹の1/3程度に、節度を持って食べるほうが良い、とムハンマドから指摘されているのである[9]

ラマダーンの時は、ムスリムは仕事も学校も早めにきりあげ、からだを休める。そして外の食堂(レストラン)などではなく、自宅や親族の家で一緒に食事を摂る[9]。ラマダーン月の夕方には街には人っ子ひとりいなくなる[9]。皆、家に帰るからである[9]。ラマダーン明けの食事(イフタール) をする時も、ラマダーンのすばらしさを感じることをできる、とムスリムは言う[9]

ラマダーン月は、(貧しき人々に想いを向け)慈善を行う月でもある[9]

ラマダーン月はムスリムにとって信仰を深められる時なので、ムスリムの人々は心待ちにしている[9]。全世界のムスリムが同時にラマダーンを再開するので、それによって世界中のムスリムが一体感を味わえる時でもある[9]

なお、子供は年齢が低い間はラマダーンをしないが、成長するにつれラマダーンに参加させるようになる[9]

ラマダーン以外にも自発的な断食がある。

シク教[編集]

シク教では医療的な理由による断食を除き、断食を推進していない。シク教の教祖は、断食は個人に対して精神的な利益にならないとしている。シク教の教典であるグル・グラント・サーヒブでも断食や日々の儀式、自己規律は報われないとされている。そのため、多くのシク教徒はいかなる種類の断食も行ったことが無い。

バハーイー教[編集]

バハーイー教では、バハーイー暦の高尚の月(3月2日から3月20日)の間、日の出から日没までの間行われる。断食の間は完全に食物と飲み物を断ち、喫煙も禁止されている。断食は祈りの義務と共に最も重要な義務の1つであり、15歳以上の者は断食をしなければいけない。

断食療法[編集]

[注 1]

断食は宗教上の行事としても行われているが、治療面での効果があることから世界各地で続けられてきた療法でもある[2]

[10]

食後7時間程度で発生する空腹期強収縮、および断食明けの食事を摂取したことに伴う胃・大腸反射により、便通に改善がみられる。 [注 2]

断食(絶食)の物理的な効果

食べ物を摂らない場合、人間の体はエネルギーを取得する方法を探すようにできている。グリコーゲン脂肪に蓄えられた脂肪酸、さらには蛋白質の組織からブドウ糖を引き出す。[要出典]


起き得るデメリット
  • エネルギーの供給を絶つことにより、エネルギー不足と身体が判断し、身体の組織が破壊される。脂肪だけでなく筋肉、骨、毛髪なども、その対象になる。実際、上記のいずれの宗教的断食もそれが元で死に至ることはほとんどない。
  • 断食をすることでエネルギー不足になり、身体がエネルギーをため込もうとする。その結果、リバウンドがおきる(#断食(絶食)ダイエット参照)。
  • 3食をバランスよく食べたほうが、身体によいとの意見は近代栄養学に多い。

[編集]

抗議手段としての断食

断食を扱った作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ブリタニカ百科事典にも【断食療法】という記事がきちんとあるので、別の項目として立てるのが妥当。
  2. ^ なお、「断食をするとある時点で宿便(腸のひだに溜まった便)が排泄される[要出典]」という話があるが、「科学的根拠がなく、内視鏡でも確認されていない。[要出典]」とも言う。
出典
  1. ^ 広辞苑 第六版「断食」
  2. ^ a b c d e f g ブリタニカ百科事典「断食」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年。pp.532-533「断食」
  4. ^ ただし、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教などの(全部ではなく、あくまで一部の)禁欲的な修行者が行う断食は、永続的である場合も多い。(出典:『宗教学辞典』p.532)
  5. ^ 甲田光雄『奇跡が起こる半日断食』マキノ出版(ビタミン文庫) 、2001、ISBN 4837611567
  6. ^ 渡辺正『朝食抜き!ときどき断食!』 講談社プラスアルファ新書、2003、ISBN 4062722313
  7. ^ 石原結實『「半断食」健康法』講談社、2004、ISBN 4062722828
  8. ^ 類似の語として絶食(ぜっしょく)がある[要出典]」。 「だが、自由意志によって行われる人間に独特の行為である断食に対して、絶食は、第1義に、動物(ヒトを含む)が外部環境によって強いられる摂食不能の状況( 例えば、ホッキョクグマは、流氷が消えてアザラシ狩りが行えない夏季の間、ほぼ絶食状態で過ごす。ヒトであれば、飢饉による絶食が典型例である。)[要出典]」 「あるいは、習性によって行われる摂食断ちという生態的行為(例えば、子育て中のヒグマの母親は、冬ごもりの期間中は絶食状態にある。)である。[要出典]」 「また、後者は第2義には、苛烈な行為として人間や比較的高度な知能を有する動物(類人猿、ハクジラ類、一部の鳥類など。)が行う意図的な摂食絶ちであり、そのような絶食はそのままでは餓死という形での自死に至る。[要出典]」 「さらには、処罰や私刑、体罰の一環として他者が強いる絶食もあり、この場合、強いられた者は栄養失調や餓死に至る。[要出典]
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 放送大学 『初歩のアラビア語』第11回。サカーファ(文化)「ラマダーン」 2014年6月 放送
  10. ^ 「断食は多くの現代病にも効果がある」。その論拠としては、人間の体は、消化吸収することがない状態に入ると、自然に体にたまった毒素を排泄する作用、デトックス効果があるということである。例として、カネミ油症事件における油症患者のダイオキシン類の排泄量が増え、症状が軽減することが観察されている(小栗一太、赤峰昭文、古江増隆 『油症研究 30年の歩み九州大学出版会、2000年6月。ISBN 4-87378-642-8。298-302頁。)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 絶食療法の科学 Science of Fasting [1]