エメリヤーエンコ・ヒョードル

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エメリヤーエンコ・ヒョードル
基本情報
本名 フョードル・ウラジーミロヴィチ・エメリヤーニェンコ
Фёдор Владимирович Емельяненко
:Fedor Vladimirovich Emelianenko)
通称 ロシアン・ラストエンペラー[1]
60億分の1の男[1]
人類最強の男[2]
氷の皇帝[3]
国籍 ロシア ロシア ウクライナ
誕生日 1976年9月28日(32歳)
出身地 ウクライナ
ルハンシク州ルベジノエ
所属 リングス・ロシア
ロシアン・トップチーム
レッドデビル・スポーツクラブ
身長 182cm
体重 104kg
階級 ヘビー級
スタイル 柔道
サンボ
テーマ曲 ロシア連邦国歌
→「Enae Volare Mezzo」(Era)
→「Oy , To Ne Vecher (露:Ой то не вечер)」[4]

エメリヤーエンコ・ヒョードル[† 1]Фёдор ЕмельяненкоFedor Emelianenko、男性、1976年9月28日 - )は、ロシア[† 2]総合格闘家サンボ選手、元柔道家レッドデビル・スポーツクラブ所属。現PRIDEヘビー級王者、現WAMMA世界ヘビー級王者。総合格闘技史上最高の選手であるとの呼び声も高い。

実弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダー[† 3]も総合格闘家である。

目次

[編集] 概要

柔道の国際大会で活躍した後、ヴォルク・ハンにスカウトされ総合格闘技の技術を教わり2000年から総合格闘技の試合に出場する。リングスではヘビー級と無差別級の王座に就く。2002年以降はPRIDEに出場し、2003年アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを下しヘビー級王座を獲得する。2004年にはヘビー級グランプリに優勝、翌2005年にはミルコ・クロコップを下し王座を防衛した。その後も連勝を続け、2008年には元UFCヘビー級王者ティム・シルビアを破りWAMMA世界ヘビー級王者となっている。2009年にはアンドレイ・アルロフスキーに勝ち、WAMMA王座の防衛に成功。またプロ格闘家として活動する傍らコンバットサンボの大会にも出場し、世界選手権で4度の優勝を果たしている。

日本だけでなくアメリカなどのメディアからも「総合格闘技界全体で最強」と評価されており、多くのランキングにおいてヘビー級(93kg-120kg)世界1位にランクインしている[5]。また長年活躍したロシアのトップアスリートだけに送られるスポーツマスターの称号も持つ。

[編集] 来歴

[編集] プロデビュー以前

1976年ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ルハンスク州ルベジノエ市にてウクライナ人の両親の元に生まれる。姉1人、弟2人の4人兄弟であった。2歳の時に家族とともにロシアに移住し、11歳になってサンボ柔道を始めた。1991年に高校を卒業、1994年には専門学校を卒業する[6]。1995年から1997年まではロシア軍へ入隊している[6]。その後は柔道・サンボ両方の大会で活躍する(詳細は#獲得タイトルを参照)。当時は後に世界柔道選手権を制するアレクサンドル・ミハイリンとはライバル関係にあり、ヨーロッパではトップクラスの実力を有していた。しかし国からの補助金が出なくなり、柔道を続けるには経済的な問題が生じていた。ヒョードルは「国の支援が続いていれば柔道を辞めずにオリンピックを目指していたかもしれない」と語っている[7]

[編集] RINGS

[編集] 2000年:プロ総合格闘技デビュー

2000年初頭にニコライ・ピチコフの誘いでヴォルク・ハン率いるリングス・ロシア(現ロシアン・トップチーム)を見学し総合格闘技に興味を持ち、ヒョードルはこのジムで練習を始めた。ここで初めてボクシングの練習を始めた。また来日のための新人オーディションに参加し、前田日明からバラチンスキー・スレン[† 4]に次ぐ評価を受け日本大会への出場が決まった。同年5月にはリングスで総合格闘技デビュー。9月5日には初来日を果たし高田浩也[† 5]と対戦、開始12秒で左右のフックによるKO勝利を収めている[8]。同年12月22日、「KING OF KINGS 2000トーナメント」のBブロック1回戦でヒカルド・アローナに延長の末、3-0の判定勝ち。同日に行われた2回戦では高阪剛と対戦するも、出会い頭に反則の肘打ちが当たるアクシデントで目尻をカットし、ヒョードルは反則の肘打ちであると主張したものの、ドクターストップによるTKO負けとなった。後に相手の高阪も「アクシデントだった、あの判定は可哀相」と述べている[要出典][† 6]

[編集] 2001年:リングス2冠達成

2001年4月6日にロシアでのミハイル・アポストロフ戦に勝利した後、ヘビー級王座決定トーナメントに出場する。4月20日の1回戦ではケリー・ショールに勝利し8月11日の決勝大会に進出すると、準決勝ではレナート・ババルに判定勝利し、決勝では対戦相手のボビー・ホフマンが左肩脱臼のため棄権し不戦勝[9]となり、初代リングス世界ヘビー級王者に就いた。その後10月20日には無差別級王座決定トーナメントにも出場、1回戦では柳澤龍志に、準決勝ではリー・ハスデルに勝利し、決勝戦に進出した。リングス最後の興行となった2002年2月15日の決勝戦ではクリストファー・ヘイズマンと対戦、2度のダウンとロープエスケープでポイントアウトに追い込み、リングス2冠を達成している。

[編集] PRIDE

[編集] 2002年:PRIDEへの移籍

リングスが活動停止となると、2002年6月23日PRIDE.21においてPRIDE初参戦。当時パンクラス無差別級王者だったセーム・シュルトに30cmのリーチ差をものともせず、グラウンドのポジショニングで優位に立って判定勝ち、PRIDEデビューを飾った[10]11月24日PRIDE.23では、ヒース・ヒーリングをパウンドの連打によるTKOで勝利し、ヘビー級タイトルマッチ挑戦権を獲得した[11]

[編集] 2003年:ヘビー級王者に

2003年3月16日PRIDE.25にて、初代PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの持つタイトルに挑戦する。開始早々フックでノゲイラを吹き飛ばし、グラウンドではパウンドをまとめてダメージを与える。2R以降もテイクダウンからのパウンドで手堅くポイントを稼ぎ、3-0の判定によりノゲイラを下し、第2代PRIDEヘビー級王者となった[12]4月5日にはリトアニアでBUSHIDO-RINGSに参戦、エギリウス・ヴァラビーチェスに一本勝ちを収める。6月8日PRIDE.26ではノンタイトル戦で藤田和之と対戦し、直撃した藤田の右フックによってよろめくシーンを見せたが、やがて反撃、右フック・左ミドルキックを打ち込んでダウンを奪いチョークスリーパーで一本勝ち[13]。ヒョードルはこれについて、米国のドリームファイターズ誌のインタビューに応じた際(2009年)に、『私に真っ当な打撃を与えたのはこれまでで藤田だけだよ。激しい打撃だったね。他の連中とは比較すらできない。』と回想している[14]

PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦」ではワンマッチに出場、ゲーリー・グッドリッジと対戦し1R1分9秒でTKO勝ち。11月にはミルコ・クロコップとのタイトルマッチが行われる予定であったが、練習中に右手を骨折したため欠場し、ミルコ対ノゲイラの暫定王者決定戦が代わりに組まれた[15]。この年の大晦日には3つのイベントによるヒョードル争奪戦が繰り広げられ、紆余曲折を経て最終的にイノキ・ボンバイエに出場[16]永田裕志に勝利した。なおこれに関連して、年末には弟アレキサンダーと共にロシアン・トップチームからレッドデビルに移籍している[16]。後にヒョードルは、チーム代表であったウラジミール・パコージン[† 7]との確執があったことを述べている[17]

[編集] 2004年:ヘビー級GP優勝

2004年、「PRIDE GP 2004」に出場し、4月25日1回戦マーク・コールマンと対戦し、テイクダウンからマウント、バックとポジションを奪われるも脱出し、その後再度タックルで下になったが腕ひしぎ十字固めで切り返し一本勝ち[18]6月20日2回戦ケビン・ランデルマン戦ではスープレックスで頭からマットに叩きつけられ場内は騒然となるも、直後何事もなかったかのようにポジションを奪い返し、アームロックを極めてタップを奪った[19]8月15日準決勝小川直也戦では、煽りVTRで「五輪メダリストの小川がリングで奇声を上げているのを見て、不快に思う」との発言が紹介された。試合は1R早々パンチで圧倒、開始54秒で腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。「60億分の1の男を決める」と謳われた決勝のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦は、ヒョードルの額とノゲイラの頭頂部が偶然にバッティングし、額をカットしてノーコンテストとなる[20]。4か月後の12月31日、「PRIDE 男祭り 2004」にて行われた再戦で判定勝ちし、PRIDEヘビー級王座を防衛するとともにヘビー級GP王者となった[21]

[編集] 2005年:ミルコ・クロコップとの対戦

2005年4月3日、「PRIDE 武士道 -其の六-」でリングス時代に唯一の敗北を喫した相手、高阪剛をパウンドによるTKOで破りリベンジを果たす。6月にはロシアのクストヴォで開かれた全ロシアコンバットサンボ選手権に出場し、100kg超級で優勝する[22]8月28日には「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」にて2年越しにミルコ・クロコップとのタイトルマッチが実現。試合はヒョードルは打撃で圧力をかけ続け、ミルコはバックステップでリングを回りながらの打撃で応戦するという形となった。1R前半にミルコの打撃に押される場面もあったが、それ以外は打撃で攻め立て、投げや足払いからのテイクダウン・ポジショニングでも制し、最強の挑戦者を判定で退け、2度目の王座防衛に成功した[23]。大晦日に出場した「PRIDE 男祭り 2005」ではズールと対戦。パンチでダウンを奪い、パウンドの連打により1R開始26秒でタップアウト勝ち[24]

[編集] 2006年:右拳手術と復帰

2006年1月26日、強力な打撃ゆえの慢性的な拳の怪我や骨折[3][15]に苦しんでいたヒョードルは、サンクトペテルブルグの病院で右拳の手術に踏み切る[25]。続いて6月24日、同じサンクトペテルブルグの病院で、固定していた金属プレートの除去手術を受けた[26]。この手術のため、「PRIDE無差別級GP」の1回戦と、回復次第ではシード扱いで出場する予定だった2回戦を共に欠場し、代役でヴァンダレイ・シウバが参戦した。2度に渡る拳の手術を経て、10月21日マーク・コールマンを相手に復帰第1戦を行った。1Rは打撃で攻め立て、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。続いて12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」でのヘビー級タイトルマッチでマーク・ハントと対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ちし、3度目の王座防衛に成功した。

[編集] BodogFightからAfflictionへ

[編集] 2007年:故郷ロシアへの凱旋

2007年3月、総合格闘技イベントBodogFightと契約し、4月14日には、地元ロシアのサンクトペテルブルク大会に凱旋出場。マット・リンドランド腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。この大会には当時のロシア大統領ウラジーミル・プーチン[† 8]や、イタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニなど政治家の観戦も目立った。2007年4月にPRIDEが休止した後はUFCBodogFightHERO'Sなど世界中の格闘技団体がヒョードルの獲得を競っている状況であったが、2007年10月、米国の総合格闘技イベントM-1 Globalと2年6試合の契約を結んだ[27][† 9]ファイトマネーは1試合につき基本給が200万ドルとなっており[28]、これは契約金・ボーナスなどのその他報酬を含めない額であった。11月10日チェコ共和国プラハで行われた第31回コンバットサンボ世界選手権100kg超級に出場し、初戦は対戦相手が棄権し不戦勝、準決勝も順当に勝ちあがる。決勝戦の相手は準決勝でクリストフ・ミドゥを破ったウラジミール・ベゲーザだったが、彼も棄権し不戦勝となり、4度目の世界王者となった[29]。翌11月11日、ロシアの国家勲章であるピョートル大帝勲章を受章した[30]12月31日、「やれんのか! 大晦日! 2007」で1年振りの来日を果たしチェ・ホンマンと対戦、1Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

[編集] 2008年:元UFC王者との対戦

2008年2月8日、全ロシアコンバットサンボ選手権100kg超級に出場。1回戦は寝技で極め35秒で勝利、準決勝は相手の鼻を骨折させ10秒で勝利、決勝は身長206cmのスタニスラフ・シュシュコと対戦し、パンチを浴びせて投げ倒し寝技で極め1分10秒で勝利し、優勝した[31]2月15日にはコンバットサンボ大統領杯に出場し、100kg級で優勝している[32]7月19日アメリカ合衆国の新興MMA大会であるAfflictionの旗揚げ大会「Affliction: Banned」において、元UFC世界ヘビー級王者ティム・シルビアと対戦。スタンドのパンチでダウンを奪うと、グラウンドでバックからチョークスリーパーを極め、開始36秒で一本勝ちし[33]、新たに設立された総合格闘技の王座認定団体であるWorld Alliance of Mixed Martial Artsの初代世界ヘビー級王者となった。また他の格闘技大会に対して常に挑発的な態度をとっていたUFC最高責任者のダナ・ホワイトもこの結果に「ヒョードルに対する考え方が変わった」と驚愕していた[34]。11月、主演映画『第5の死刑』の撮影をタイで行い(撮影は12月にクランクアップ)、コンバットサンボのロシア代表合宿に参加できないまま11月16日の世界選手権に望んだ。100kg超級に出場したヒョードルは過去2戦勝利していたブラゴイ・イワノフとの準決勝で投げ技でポイントを奪われ、その後打撃で攻め立てたものの5-8の判定で敗れ3位に終わった。

[編集] 2009年:アルロフスキーとの防衛戦

2009年1月24日、「Affliction: Day of Reckoning」では1R3分過ぎ、跳び膝蹴りに来たアルロフスキーにカウンターで右フックを命中させ失神KO勝ちを収め、WAMMAヘビー級王座の初防衛を果たした。試合後には「危険な場面は無く、落ち着いて戦えた。跳び膝蹴りで彼はミスを侵した」というコメントを残した[35]2月21日には全ロシアコンバットサンボ選手権に出場、100kg超級で連覇を達成した[36]

2009年4月29日、「DEEP M-1 CHALLENGE 3rd EDITION in JAPAN」で来日し、青木真也とサンボ衣着用・打撃ありのスーパーエキシビションファイトを行なった。

[編集] ファイトスタイル

[編集] バックボーン

ヒョードルのバックボーンは国際大会でも結果を残してきたサンボ柔道である。グラウンドでは安定感と決定力に秀でており、さらに強力なパウンドで攻め立てる。対戦したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは「休んでいる時はじっとしていて、動く時は数発集中して打ってくる」[37]と語っており、緩急の巧みさが伺える。またノゲイラは「左のパンチの方が強くて焦った」とも証言している[37]。パウンドを打つ時のボディコントロールの上手さは定評があり、下からの仕掛けをことごとく制することが出来る[† 10]

当然そのパンチはスタンディングの状態でも発揮され、彼のフックはイゴール・ボブチャンチンロシアン・フックに似た軌道を描いているという。「PRIDE GP 2004」準決勝では、小川直也がジャイアント・シルバ相手に一方的に勝利し、準決勝開始直後までは非常に自信に満ちた表情であったが、ヒョードルの強力なパンチが数発掠めたことで小川の表情がみるみるうちに凍りつき、結局試合は1分もたたずにヒョードルが勝利してしまった。
この強力なパンチを武器に幾多の試合で勝利を収めて来たものの、その威力故に拳への負担が大きく、慢性的な拳の怪我に苦しむ事となる。

[編集] 評価

  • 打撃
スタンドでの打撃は、ヘビー級では類を見ない踏み込みの早さと強力な連打を有している[38]
2005年に対戦したキックボクシング出身のミルコ・クロコップは「打ち負けた」ことを認め[39]、また36秒で敗れたティム・シルビアは「俺もヘビー級のトップファイターの一人だが、ヒョードルの強さには驚かされた。あいつは人間じゃない。あんなに強く殴られたことはなかった」とそのパンチ力を称えている[40]
元サンビスト・柔道家でありながら、日本での総合格闘技デビュー戦ではパンチでKO勝利とオフェンス技術でも天性の物を見せる。
  • 守備
元々圧倒的なストライカー能力により守勢に立たされる場面が少ないため、あまり目立つことがないディフェンススキルだが、2006年頃からは、かなり向上したようで、マーク・ハント戦では、相手のパンチをガードに頼らず、その殆どに空を切らせる技術を披露した。

[編集] 特徴

ヘビー級では小柄な部類だが高い瞬発力と柔軟性を持ち、打撃を交えながら相手をテイクダウンする一連の動きを一呼吸も置かずにワンテンポでこなす巧みさとパワーを有している。片足を取られてもテイクダウンされないバランスの良さや、相手に上に乗られた状態からの腕ひしぎ十字固めへの切り返しの早さなど、あらゆる面に優れており、試合戦略にも定評がある。

また試合中も常に冷静で落ち着きを払うことができるのは、生まれ持っての性格によるところと本人は語っている[41]パット・ミレティッチは「ヒョードルの強さはイカれている。誰もが恐れる戦いや挑戦に、奴は何にも特別な感情を抱かずに平然と向き合うことができている。その精神力が奴の強さの源だ」と述べている[42]

[編集] 練習方法

総合格闘技に転向する前までは、ウエイトトレーニングを積極的に行い、ヘビー級の肉体を作った。軍務中も、サンボ代表チームに入っていたときもウエイトトレーニングは行っていた。ヘビー級としての肉体が完成され、総合格闘技に転向後は、ウエイトトレーニングはもう必要ないことが分かり、自重を用いたトレーニングのみに切り替えている。ヒョードルは、「20歳くらいまでは(ウエイトトレーニングは)必要だが、その後身体が形成されてからは違う練習が適している」と述べている[43]

ヒョードルの練習機材は古典的であり、質素である。肉体は主に自重を使った懸垂、腕立て伏せ、腹筋などで鍛えており、近代的なマシンは使用していないようである。ランニングも(マシンを使わず)ロシアの大自然の中で行っている。反動を積極的に使った筋力トレーニング、ハンマートレーニング。これらの練習方法は、多くのアスリートが行っている筋肥大の筋力トレーニングとは異なり、また「反動を使わず鍛える箇所を体の部位ごとに分割する筋力トレーニング」とも正反対のものである。近代的マシンを利用していない事についてヒョードルは「私の場合、マシンを利用しない練習の方がたまたま自分にあっていたというだけで、近代的マシンが良くないというわけでは決してない。各個人にあった練習をするのが大事」と語っていた。ヒョードルとロシアの伝統的な鍛錬器具であるケトルベルはよく引き合いに出されるが、ヒョードル自身は公式サイトでケトルベルは使ってないと発言しており、軍隊にいた期間に使っていたと語っている。

[編集] 家族・私生活

1999年に前夫人と結婚し、同年に娘が誕生[6]。その後離婚し、現夫人と再婚した。2007年12月29日に2人目の娘が誕生している。また、2008年には大学を卒業している[44]。趣味は描絵[† 11]・音楽鑑賞・読書で他にも遊園地のジェットコースターがお気に入りであり、来日時には試合後に富士急ハイランドなどに行くのが習慣になっているという。また宗教はロシア正教を信仰している[45]

自宅があるスタールイ・オスコル市では絶大な人気がありCMにも出演している。街の看板にはヒョードルが登場し、誕生日の9月28日は「ヒョードルの日」として街中がヒョードルを祝う日となっており、試合の際は男達が家でテレビ観戦するため町中が静かになるという[46]。ロシア全国内でも注目を集めており、2008年の北京五輪ではロシアの聖火ランナーにも選ばれた。ヒョードルは愛国者であり、「ロシアの家族と国民のために戦う」とたびたび口にしている。

普段は冷静沈着で大人しい性格であり、リングスのスタッフは「外国人選手の中では珍しく手のかからない選手として評判が良かった」と語っている[47]。一方で軍隊時代、厳しい上官に命を脅かされた時にやむを得ず上官を流血失神させたり[要出典]ミルコとアレキサンダーの試合を控室で見ている最中にミルコに対して「糞野郎」「チ〇コ野郎」といった暴言を吐いたり[要出典]、弟のアレキサンダーが強盗で刑務所に収監され出所した際、「マフィアを抜け、更正します」と言うまでパウンドで殴り続けたという一面もある[要出典]。リングス在籍時の打撃コーチであるニコライ・ピチコフは「非常に複雑な性格の持ち主だった」と述懐している[48]

[編集] 獲得タイトル

[編集] 柔道

  • 全ロシア柔道選手権 優勝(1996年)[1][49]
  • ロシア国際トーナメント 優勝(1997年)[6]
  • 全ロシア柔道選手権 優勝(1998年)[6]
  • ロシア国際柔道選手権 100kg級 3位(1999年1月24日、ロシアの旗 モスクワ[† 12][7]
  • ブルガリア国際柔道選手権 100kg級 3位(1999年2月7日、ブルガリアの旗 ソフィア

[編集] スポーツサンボ

  • Aクラス国際トーナメント 優勝(1998年、ロシアの旗 モスクワ[6]
  • ロシア軍スポーツサンボ選手権 重量級 優勝・無差別級 準優勝(1998年)[6]
  • モスクワ国際トーナメント 優勝(1999年、ロシアの旗 モスクワ[6]
  • Aクラス国際トーナメント 3位(1999年、ロシアの旗 モスクワソフィア[6]
  • 全ロシアスポーツサンボ選手権 3位(2000年)[6]

[編集] コンバットサンボ

  • コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2002年、ギリシャの旗 テッサロニキ[6]
  • コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2002年、パナマの旗[6]
  • コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2005年、チェコの旗
  • コンバットサンボ世界選手権 100kg超級 優勝(2007年11月7日-10日、チェコの旗 プラハ[29]
  • コンバットサンボ世界選手権 100kg超級 3位(2008年11月13日-17日、ロシアの旗 サンクトペテルブルク[50]
  • 全ロシアコンバットサンボ選手権 優勝(2002年、ロシアの旗 モスクワ[6]
  • 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2005年)[6]
  • 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2008年2月8日)
  • 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2009年2月21日)
  • ロシア大統領杯 100kg超級 優勝(2008年2月14日-16日、ロシアの旗 モスクワ[51]

[編集] プロ総合格闘技

  • 初代リングス世界ヘビー級王座(2001年)
  • 初代リングス無差別級王座(2002年)
  • 第2代PRIDE世界ヘビー級王座(2003年)
  • PRIDE GP 2004ヘビー級トーナメント優勝(2004年)
  • 初代WAMMA世界ヘビー級王座(2008年)

[編集] 戦績

総合格闘技 戦績
32 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
30 7 16 7 0 0 1
1 1 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
アンドレイ・アルロフスキー 1R 3:14 KO(右フック) Affliction: Day of Reckoning
【WAMMA世界ヘビー級タイトルマッチ】
2009年1月24日
ティム・シルビア 1R 0:36 チョークスリーパー Affliction: Banned
【WAMMA世界ヘビー級王座決定戦】
2008年7月19日
チェ・ホンマン 1R 1:54 腕ひしぎ十字固め やれんのか! 大晦日! 2007 2007年12月31日
マット・リンドランド 1R 2:58 腕ひしぎ十字固め BodogFight: Clash of the Nations 2007年4月14日
マーク・ハント 1R 8:16 チキンウィングアームロック PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-
【PRIDE世界ヘビー級タイトルマッチ】
2006年12月31日
マーク・コールマン 2R 1:15 腕ひしぎ十字固め PRIDE.32 "THE REAL DEAL" 2006年10月21日
ズール 1R 0:26 KO(パウンド PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- 2005年12月31日
ミルコ・クロコップ 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【PRIDE世界ヘビー級タイトルマッチ】
2005年8月28日
高阪剛 1R終了時 TKO(左瞼のカット) PRIDE 武士道 -其の六- 2005年4月3日
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-
【PRIDEヘビー級ヘビー級統一王座決定戦】
2004年12月31日
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 1R 3:52 無効試合(偶然のバッティング) PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦
【ヘビー級GP 決勝】
2004年8月15日
小川直也 1R 0:54 腕ひしぎ十字固め PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦
【ヘビー級GP 準決勝】
2004年8月15日
ケビン・ランデルマン 1R 1:33 アームロック PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND
【ヘビー級GP 2回戦】
2004年6月20日
マーク・コールマン 1R 2:11 腕ひしぎ十字固め PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦
【ヘビー級GP 1回戦】
2004年4月25日
永田裕志 1R 1:02 TKO(パンチ連打) INOKI BOM-BA-YE 2003 2003年12月31日
ゲーリー・グッドリッジ 1R 1:09 TKO(パウンド PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ヘビー級ワンマッチ】
2003年8月10日
藤田和之 1R 4:17 チョークスリーパー PRIDE.26 REBORN 2003年6月8日
エギリウス・ヴァラビーチェス 2R 1:13 チキンウィングアームロック Bushido Rings 7: Adrenalinas 2003年4月5日
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE.25
【PRIDE世界ヘビー級タイトルマッチ】
2003年3月16日
ヒース・ヒーリング 1R終了時 TKO(左眼窩底骨折の疑い) PRIDE.23
【PRIDE世界ヘビー級王座次期挑戦者決定戦】
2002年11月24日
セーム・シュルト 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE.21 2002年6月23日
クリストファー・ヘイズマン 1R 2:50 TKO(ポイントアウト:ダウン2、エスケープ1) リングス WORLD TITLE SERIES 〜GRAND FINAL〜
【無差別級王座決定トーナメント 決勝】
2002年2月15日
リー・ハスデル 1R 4:10 ギロチンチョーク リングス WORLD TITLE SERIES
【無差別級王座決定トーナメント 準決勝】
2001年12月21日
柳澤龍志 5分3R終了 判定3-0 リングス WORLD TITLE SERIES
【無差別級王座決定トーナメント 1回戦】
2001年10月20日
ボビー・ホフマン 不戦勝(棄権) リングス WORLD TITLE SERIES〜旗揚げ10周年記念特別興行〜
【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級決勝】
2001年8月11日
レナート・ババル 5分2R終了 判定3-0 リングス WORLD TITLE SERIES〜旗揚げ10周年記念特別興行〜
【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級準決勝】
2001年8月11日
ケリー・ショール 1R 1:47 腕ひしぎ十字固め リングス WORLD TITLE SERIES 1
【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級1回戦】
2001年4月20日
ミハイル・アポストロフ 1R 1:03 チョークスリーパー リングス・ロシア RUSSIA vs BULGARIA 2001年4月6日
× 高阪剛 1R 0:17 TKO(右瞼のカット) リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック1回戦・2回戦
【Bブロック2回戦】
2000年12月22日
ヒカルド・アローナ 5分2R+延長1R終了 判定3-0 リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック1回戦・2回戦
【Bブロック1回戦】
2000年12月22日
高田浩也 1R 0:12 KO(フック連打) リングス BATTLE GENESIS Vol.6 2000年9月5日
レヴォン・ラグヴィラーヴァ 1R 7:24 チョークスリーパー リングス・ロシア: Russia vs. Georgia 2000年8月16日
マルティン・ラザレフ[52] 1R 2:24 フロントチョーク リングス・ロシア: Russia vs. Bulgaria 2000年5月21日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 姓がエメリヤーネンコで名がヒョードルであるため通常であれば「ヒョードル・エメリヤーネンコ」となるはずであるが、ロシアではパスポートなど公式書面に「姓・名・父称」の順で表記するため、そのまま「エメリヤーエンコ・ヒョードル」となってしまったと本人は述べている。また「エメリヤネンコ」が日本で「エメリヤーエンコ」と発音・表記されているのは、諸説あり、一つはリングスのスタッフが初来日時に「エメリヤネンコよりエメリヤーエンコの方が格好良くて面白い」と判断したからという説(FIGHTER(2007)、p.32)、もう一つは「パスポート発行の際に"n"が一文字欠落してしまった」というものである[要出典]
  2. ^ ウクライナとの二重国籍であり、ウクライナ国籍で出場していた時期もあったが、現在は現住地のあるロシア国籍での出場を選択している。
  3. ^ アレキサンダーとはサンボの試合で戦ったことがあり、結果は腕ひしぎ十字固めでヒョードルが一本勝ちしている。試合映像を参照。
  4. ^ 1998年1999年のサンボ世界王者。高い評価を受けていたが、唯一の来日となったリングスでのヴァレンタイン・オーフレイム戦ではTKO負けとなった。
  5. ^ レスリング・フリースタイルで全日本学生選手権97kg級で3位に入る。ヘビー級の日本人として期待がかけられていた(FIGHTER(2007)、p.32)。
  6. ^ 試合映像を参照。この試合を見ると、高阪の右フックはかわしており、打ち終わりの肘が当たっている様子が確認できる。
  7. ^ ロシア・サンボ協会の副会長も務めていた。2008年9月14日アエロフロート821便墜落事故により死去。
  8. ^ 柔道とサンボの達人であり格闘技好きで知られるプーチンはヒョードルの日本での試合もビデオで観ており、官邸への招待の際も互いの親密ぶりが報道されている。本来、プーチンとヒョードルは1月に会う事になっていたが、大晦日の試合の都合で予定を変更せざるを得ず、それがこの試合の観戦のきっかけとなった。試合後、プーチンは直々にヒョードルに試合の感想を伝えていた(Number(2007)、p.46)。
  9. ^ 2008年3月、Sibling Entertainmentのメンバーが撤退し、ヒョードルをマネージメントするレッドデビルが「M-1 Global」という名前をそのまま引き継いだ。(kamipro.com モンテ・コックス 旗揚げ戦を行なうことなく空中分解した『M-1グローバル』ズンドコな舞台裏と新団体『Adrenaline』について語る!! kamipro.com 2008年4月12日)
  10. ^ 中井祐樹は「組技出身者だからこそ、下からの仕掛けを外しながら強いパウンドを打てる」と評している(Number(2003)、p.49)
  11. ^ ヒョードル公式サイトの「ギャラリー」に自作のイラストが掲載されている。
  12. ^ この大会では1回戦で日本の小斎武志に一本負けを喫している。ヒョードルはその後敗者復活戦を勝ち上がり、小斎と共に3位に入賞している。

[編集] 参考文献

  • 「仮面の裏側 エメリヤーエンコ・ヒョードル」、『格闘マガジン FIGHTER』2007年春号、晋遊舎、2007年、pp.26-41。
  • 「エメリヤーエンコ・ヒョードル 強き拳を振るう者。」、『Sports Graphic Number』11月27日、文藝春秋、2003年、pp.46-50。
  • 「エメリヤーエンコ・ヒョードル ロシアの中心となった皇帝」、『Sports Graphic Number』7月5日、文藝春秋、2007年、pp.44-49。


  1. ^ a b c プロフィール PRIDE OFFICIAL WEBSITE
  2. ^ ヒョードルが崔との身長差にクールな笑み 日刊スポーツ 2007年12月30日
  3. ^ a b ヒョードル、"氷の拳"に新たなヒビ。ミルコ戦の行方は? BOUTREVIEW 2005年4月4日
  4. ^ ティム・シルビア戦以降、この曲に変更している。
  5. ^ MMA TOP 10 HEAVYWEIGHT DIVISION MMA Weekly
    Sherdog Official Mixed Martial Arts Rankings SHERDOG
    Top 25 Heavyweights Rankings Inside MMA
    「一目で分かる! 7階級世界総合格闘家ランキングTOP30」『GONKAKU』No.190、2008年4月号、イーストプレス、p.41
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n バイオグラフィー ヒョードル公式サイト
  7. ^ a b FIGHTER(2007)、p.36
  8. ^ 村浜、関節技で激勝。坂田無念のドクターストップ BOUTREVIEW 2000年9月5日
  9. ^ リングス8.11有明・旗揚げ10周年記念特別興行 結果 BOUTREVIEW 2001年8月12日
  10. ^ ロシアの最終兵器、VTのリングに恐るべき全貌を現す BOUTREVIEW 2002年6月23日
  11. ^ 高田、真剣勝負で22年のレスラー生活に幕 BOUTREVIEW 2002年11月25日
  12. ^ 衝撃決着が続出。ノゲイラ×ヒョードルは? BOUTREVIEW 2003年3月18日
  13. ^ ミルコが!ヒョードルが?あの日本人が! BOUTREVIEW 2003年6月9日
  14. ^ Fedor Emelianenko Wants Brock Lesnar - FightLine.com
  15. ^ a b ヒョードル欠場。ミルコ×ノゲイラで暫定王者決定 BOUTREVIEW 2003年10月16日
  16. ^ a b 前日に最後の一波乱?藤田の当初の相手来日せず BOUTREVIEW 2003年11月11日-12月30日
  17. ^ エメリヤーエンコ・ヒョードルとのインタビュー(パート1) ヒョードル公式サイト 2004年3月9日
  18. ^ ランデルマン、ミルコをKO! BOUTREVIEW 2004年4月27日
  19. ^ 番狂わせ無く最終決戦へ BOUTREVIEW 2004年6月21日
  20. ^ 2/60億に悪夢のアクシデント BOUTREVIEW 2004年8月16日
  21. ^ ヒョードル、ヘビー級統一王者に BOUTREVIEW 2005年1月7日
  22. ^ エメリヤーエンコ・ヒョードル選手はコマンド・サンボを忘れていません。 ヒョードル公式サイト 2006年6月21日
  23. ^ ヒョードル&ショーグンが頂点に BOUTREVIEW 2005年9月1日
  24. ^ 五味、マッハをKO。シウバ防衛 BOUTREVIEW 2006年1月4日
  25. ^ エメリヤーエンコ・ヒョードル選手の手術後の回復期間は半年以上続きます。 ヒョードル公式サイト 2006年1月27日
  26. ^ エメリヤーエンコ・ヒョードル選手は再び手術を受けました。 ヒョードル公式サイト 2006年6月26日
  27. ^ PRIDE王者ヒョードル、米新団体と2年契約=M1グローバル スポーツナビ 2007年10月23日
  28. ^ Emelianenko Ready to Seize Marquee SHERDOG 2007年10月23日
  29. ^ a b PROTOKOL of the XXXI World Sambo Championship Male/female COMBAT SAMBO +100kg 国際アマチュアサンボ連盟
  30. ^ エメリヤーエンコ・ヒョードル選手は国家勲章を授与されました。 ヒョードル公式サイト 2007年11月10日
  31. ^ 選手とコーチのダブルタイトルの日 ヒョードル公式サイト 2008年2月8日
  32. ^ エメリヤーエンコ・ヒョードル選手はコンバットサンボ大統領カップに優勝しました。 ヒョードル公式サイト 2008年2月17日
  33. ^ 【Affliction】ヒョードル、KO勝ち!クートゥアーと対戦誓う MMA PLANET 2008年7月20日
  34. ^ Kevin Iole White stands by his man Silva Yahoo! Sports 2008年7月20日
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    Fedor Emelianenko: Fight was even until I knocked Arlovski out MMA Junkie 2009年1月25日
  36. ^ Fedor Emelianenko at Russian Combat Sambo Championship 2009 M-1 Global official site 2009年2月21日
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  38. ^ 高阪剛(解説)「ヒョードルのパンチはなぜ効くのか」『ゴング格闘技』No.195、2008年9月号、イーストプレス、p.126
  39. ^ ミルコが声明文を発表 PRIDE OFFICIAL WEBSITE 2005年8月29日
  40. ^ Dave Meltzer Affliction could become MMA heavyweight Yahoo! Sports 2008年7月20日
  41. ^ 試合、兄弟と大統領との面会について。 ヒョードル公式サイト 2007年5月8日
  42. ^ Affliction: Bannedでシルビアのコーチとしてインタビューを受けた際[要出典]
  43. ^ ヒョードル選手にファンたちから沢山の質問が届いています。今日は一部の質問へのヒョードル選手の回答を記載します。 ヒョードル公式サイト 2008年12月30日
  44. ^ ヒョードル選手が大学を卒業しました。 ヒョードル公式サイト 2008年6月14日
  45. ^ 「Affliction-2」に参戦したいですが、可能かどうかはまだ分かりません。 ヒョードル公式サイト 2008年8月8日
  46. ^ Number(2007)、p.48
  47. ^ FIGHTER(2007)、pp.37-39
  48. ^ FIGHTER(2007)、p.37
  49. ^ ヒョードル、ハッスル小川を完全否定「日本代表にふさわしくない」 スポーツナビ 2004年8月12日
  50. ^ PROTOKOL of competitions 国際アマチュアサンボ連盟
  51. ^ Results of International Sambo Competitions "Russian Federation President's Cup" 2008 国際アマチュアサンボ連盟
  52. ^ On fights, brothers, and a meeting with the President ヒョードル公式サイト 2007年5月8日(公式サイトには記載されていないが、この記事ではラザレフとの試合があった旨が述べられている。なお、同記事の日本語版には「2000年」という記述がない)
前王者
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
第2代PRIDEヘビー級王者

2003年3月16日 - 現在

次王者
N/A
前優勝者
N/A
PRIDE GP 2004ヘビー級トーナメント優勝

2004年12月31日

次優勝者
N/A
前王者
N/A
初代WAMMA世界ヘビー級王者

2008年7月19日 - 現在

次王者
N/A