アエロフロート821便墜落事故

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座標: 北緯57度58分17秒 東経56度12分54秒 / 北緯57.97139度 東経56.21500度 / 57.97139; 56.21500

アエロフロート821便
事故機(VP-BKO)
出来事の概要
日付 2008年9月14日
概要 空間識失調による操縦ミス
現場 ロシアの旗 ロシアペルミ州ペルミ
乗客数 82人
乗員数 6人
死者数 88人
生存者数 0人
機種 ボーイング737-500
運用者 Flag of Russia.svgアエロフロート・ノルド(現ノルダヴィア)
機体記号 VP-BKO
出発地 シェレメーチエヴォ国際空港
目的地 Bolshoye Savino 空港

アエロフロート821便墜落事故ロシア語:Авиакатастрофа 821)とは、2008年9月にロシア連邦で発生した航空事故である。なお表題は日本で報道された「アエロフロート」としているが、実際に事故機の運航はアエロフロート・ロシア航空の子会社「アエロフロート・ノルド」(後にノルダヴィアへと社名変更)が行っていた。

事故の概要[編集]

2008年9月14日深夜、アエロフロート・ロシア航空821便は、首都モスクワシェレメーチエヴォ国際空港から沿ヴォルガ連邦管区ペルミ地方ペルミへ向かうロシア国内線として運航されていた。便名はアエロフロート・ロシア航空名義であったが、実際の運航は子会社のアエロフロート・ノルドであった。

821便の運航機材はアメリカ合衆国製双発ジェット旅客機ボーイング737-500型機機体記号:VP-BKO)であった。この機体はリース機であり、2008年7月から2013年3月までアイルランドに本社があるPinewatchから賃貸借契約を締結し引き渡されたばかりであった。なお、この機体(製造番号25792/2353)は1992年に製造され、中華人民共和国廈門航空で機体記号B-2591として2008年まで運航[1]されていた[2]

報道によれば821便は、モスクワを出発した。モスクワ時間の午前3時10分[3]ごろ、ウラル地方のペルミへ着陸直前の高度1100mの時点で航空管制との通信が途絶、天候不順で上空を旋回していたとされる[4]。その直後、午前3時15分に墜落炎上した。機体残骸は4Km四方に散らばっており、乗員6名、乗客82名の全員が犠牲になった。犠牲者のなかにはロシア人以外の外国人21人が含まれていた。また乗客の中には第1次チェチェン戦争において武装勢力掃討作戦でロシア統合軍集団を指揮したゲンナジー・トロシェフ連邦大統領顧問も搭乗しており、事故の犠牲になった。

ロシアの航空会社がアメリカ製旅客機で引き起こした初めての人身死亡事故となった。また墜落でシベリア鉄道の線路にも被害があったため、一時列車が運行停止になった[5][6]

事故原因[編集]

2009年5月29日に最終事故報告書が発表された。事故原因は上空待機中に、パイロットが自動操縦とオートスロットルを解除し手動操縦の状態で雲の中に入った際、空間識失調を起こし機体を左に傾けすぎた結果急降下して墜落したと判明した。ボーイング737-500には姿勢方向指示器(ADI)が装備されていたが、821便のパイロットが今まで操縦してきたTu-134アントノフAn-2などの旧ソ連機とは表示方法が異なっていた。それに加えスロットルに問題があり、パイロットが長い間手動でスロットルを操作していたため疲労がたまっていたこと、機長が飛行の前に十分な休息を取っていなかったこと、パイロット間の協調性も悪かったことが重なり、急降下から回復できなかった。

引用・注釈[編集]

  1. ^ 途中、同じ中国の中国南方航空にリースされていた時期があった
  2. ^ aviation-safety.net
  3. ^ ペルミ時間は午前5時10分、日本時間午後8時10分、協定世界時は2008年9月13日午後11時10分であった
  4. ^ ロシア西部で旅客機墜落 88人の生存絶望 - CNN.co.jp
  5. ^ ロシア:国内線旅客機墜落、88人死亡 住宅まで数十メートル--中部ペルミ - 毎日新聞
  6. ^ При падении Boeing 737 повреждена Транссибирская магистраль

関連項目[編集]

外部リンク[編集]