ラムザン・カディロフ

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ラムザン・アフマドヴィチ・カディロフ
Рамзан Ахмадович Кадыров
Рамзан Кадыров (250px).jpg


Flag of the Chechen Republic.svg 第3代 チェチェン共和国首長
(2010年9月2日まではチェチェン共和国大統領)
任期 2007年2月15日 –

出生 1976年10月5日(37歳)
チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国
ツェントロイ村
政党 統一ロシア

ラムザン・アフマドヴィチ・カディロフロシア語: Рамзан Ахмадович Кадыров, ラテン文字表記の例: Ramzan Akhmadovich Kadyrov, 1976年10月5日 - )は、チェチェン共和国政治家。同国の第3代大統領、民警少将、ロシア連邦英雄2004年5月9日暗殺されたアフマド・カディロフの次男である。

日本の報道では朝日新聞のみがカドイロフと表記している。

経歴[編集]

生い立ちと暗殺未遂[編集]

チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国ツェントロイ村に生まれる。1996年より、父アフマド・カディロフの補佐官兼ボディーガードを務める。

2000年5月12日、爆弾による暗殺未遂を受ける。これに対し、父アフマドはアスラン・マスハドフを非難する。

2001年1月16日にはグデルメス郊外で2度目の暗殺未遂事件が発生。

2002年9月30日、グデルメス地区ノヴォグローズネンスキー村において、ラムザンの車に対して発砲事件が起こる。

2003年7月27日にはクルチャロエフ地区ツォツァン・ユルト村において、自爆テロ未遂事件が発生した。

政界[編集]

2003年、父の大統領選出後、大統領保安局長となり、独立派との交渉、武器の連邦軍への引渡しに従事した。2004年、マハチカラ・ビジネス法律大学を卒業。その後、チェチェン内務相補佐官を務め、チェチェン共和国国会議員となった。

2004年5月9日に父が暗殺後されると、チェチェン住民の多くはラムザンを大統領に推薦した。しかしながら、共和国憲法によれば、大統領となるには満30歳以上であることが必要であったため、ラムザンは選挙に参加しなかった。

2004年5月10日に第一副首相に就任。同年10月10日より、南部連邦管区ロシア連邦大統領全権代表顧問となる。

2005年11月18日、首相代行に任命。同年12月29日ロシア連邦英雄の称号が授与された。2006年1月より、ロシアの政権与党統一ロシアの地域支部書記を務める。

2006年2月28日、首相のセルゲイ・アブラモフがラムザンを次期首相に指名して辞職し、3月4日より首相となった。

2007年3月2日、ラムザンは第3代目の大統領に就任した。

2010年8月、「国に大統領は1人だけ」と主張して大統領職の名称変更を提唱。議会の議決により、9月2日より役職名が「首長」となる。

受賞・勲章[編集]

ロシア連邦英雄、勇気勲章、アフマド・カディロフ名称勲章、「公共秩序の警備における優秀さに対する」メダル、「全ロシア国勢調査における貢献に対する」メダル、「チェチェン共和国における対テロ作戦への参加に対する」メダル、「カフカースにおける勤務に対する」メダル、「チェチェン共和国の守護者」メダルを受賞。

チェチェン共和国名誉市民、ロシア自然科学アカデミー名誉会員、功労体育職員。2009年12月14日には、ロシア内務省より民警少将の階級が授与され、ロシア最年少(33歳)の将官となった。

パーソナル[編集]

妻帯、4児を有する。趣味は音楽鑑賞。自動車が好きで、自分で運転することを好む。ボクシングを嗜み、スポーツ・マスターの称号を有する。

サッカークラブ会長[編集]

アフマド・カディロフの死後、プロサッカークラブ・FCテレク・グロズヌイの会長職を2004年5月、父から引き継いだ。 一時は1部リーグに導いたが、2011年、チームの強化するのに時間がないとの理由で辞任した。

馬主として[編集]

また競走馬馬主でもあり、2008年のドバイミーティングアラブ首長国連邦ドバイ)では有力馬を金銭トレードで購入して、チェチェン共和国の国旗の色を3色使った勝負服(赤と緑・腕に白の模様)で出走させるなど、競馬の国際的な舞台での活動も目立つ。主な保有馬にジターノエルナンド(2009年グッドウッドS(移籍前)・2011年シンガポール航空インターナショナルカップ優勝)などを保有。シンガポールインターナショナルカップでは、カディロフ自身が観戦に訪れ、初めてのGI優勝を見届けている。馬主として南アフリカの厩舎(主にハーマン・ブラウンとマイク・デコックとダグ・ブラウン(2013年から契約))を主な顧客にし、芝やオールウェザーコースに適性がある馬を複数頭保有(ほとんどが短距離馬)し、すぐにメインの南アフリカの厩舎に移しているが、ここ最近は欧州の競馬新興国チェコやドバイの王族所有馬の共同オーナーを務めるなど幅広い。ダートに適性のある馬は今の所保有していない。現在では、天然ガスの資金を武器に、ヨーロッパの強豪馬の獲得を目指している。2013年4月に、フォワ賞オルフェーヴルと激闘を繰り広げたミアンドル(フランス)を獲得している。自身は大統領の公務で多忙のため、自身の代理人に任せている。ちなみに繁殖、育成、調教専用の牧場等は一切持っていない。競走馬の獲得はカディロフと自身の代理人が現地で競走馬を吟味し、自身を軸としたオーナーグループが獲得している。

統制[編集]

コーカサス研究の廣瀬陽子は、カディロフ派が統制を名目に殺人、強盗、誘拐、拷問、多額の身代金請求をしていると指摘している。[1]

脚注[編集]

  1. ^ チェチェン紛争~日常と非日常の共存 pan-dora.co.jp, 2011年9月18日閲覧。

外部リンク[編集]

公職
先代:
アル・アルハノフ
Flag of the Chechen Republic.svg チェチェン共和国首長
第3代:2007 -
次代:
現職