サンボ (格闘技)
サンボ(露: Самбо)はソビエト連邦で開発された格闘技。ソビエト連邦においては、軍隊格闘術としても発展した。
Самбоはロシア語で、самооборона без оружия(samooborona bez oruzhiya、「武器を持たない自己防衛」の意)の省略であると言われている。つまり、広義では護身術のことである。[1]
狭義では、一般に知られているスポーツ格闘技であるスポーツサンボのことを指し、この意で使われることが最も多い。
また、ソビエト連邦内務省や赤軍で徒手軍隊格闘術として採用されていた護身術としてのサンボを、バエヴォエサンボ(露: Боевое самбо)と言い、日本ではコマンドサンボ、英語圏ではコンバットサンボ(COMBAT SAMBO)と呼称される。 今日では、こちらも打撃を追加した総合格闘技としてのスポーツ化と、ロシア連邦軍の軍隊格闘術としての分化が進んでいる。
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サンボの歴史 [編集]
サンボの創始者の1人として、帝政時代のロシアにおいて、サハリンから神学生として日本に渡り、講道館にて嘉納治五郎師範のもとで柔道を学んだワシリー・オシェプコフが挙げられている[2]。 彼は1930年代にソ連各地で柔道の普及活動を行なったが、1937年、スターリン大粛清の対象となり、「日本のスパイ」[3]という嫌疑をかけられ投獄、獄中で病死する。[4]
サンボという名称は、もう1人のサンボの創始者である、帝政ロシア軍人であったビクトル・スピリドノフがボクシングと柔術をもとに独学で編み出した格闘技「Cамооборона без оружия(「武器を持たない自己防衛)」に由来する。1930年代に体系化し、サンボという名称が名づけられる。この格闘技は第一次世界大戦後、白兵戦の重要性に気づいたソ連赤軍に軍隊格闘術として採用され、後の「バエヴォエサンボ(Боевое самбо)」につながっていく。スピリドノフの理論的な「サンボ」とオシェプコフの実践的な「柔道」は当時対立関係にあった。
1938年に、スポーツトレーナーの全国会合において、オシェプコフの弟子アナトリー・アルカディエビッチ・ハルランピエフが「ソ連式フリースタイルレスリング」の創設を発表する。ハルラムピエフは会合で、「ソ連式フリースタイルレスリング」はグルジアやタタール、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンなどソ連各地の民族レスリングに基づいた新しい格闘技だと主張したが、その実はオシェプコフの柔道であった。人工的国家であったソ連には、民族統合の象徴となるスポーツが必要であったのである。 そして同年11月16日、全ソ体育スポーツ委員会は「フリースタイルレスリング(борьбы вольного стиля)」を認可し、ソ連全土での普及活動が認められる。この日がロシアでは国技としてのサンボ誕生日ともみなされている。第二次世界大戦後、1947年「サンボ」と改称され、これがスポーツサンボとして定着することになる。
スポーツサンボの特徴 [編集]
- 打撃技を利用することはできない。
- 投げ、関節技による一本か、一本に至らない投げ、抑え込み等のポイントを競う。
- 上半身は青か赤のサンボジャケットと帯、下半身はジャケットと同系統色の短パンあるいはスパッツで、サンボシューズ(またはレスリングシューズ)を履く。
- サンボジャケットは柔道着に似るが肩の部分に掴みやすいよう返しがあり、、帯がはだけにくいよう帯をジャケットに固定する穴がついている。
- 帯で段位を表すようなことはない。
- レスリングマットと同じ円形のマット場で競技を行う。
- 歴史的なかかわりから柔道との比較で語られることが多いが、投げ技においても寝技においても、一般的な柔道とは違った試合展開・テクニックがあり、似て非なるものと言える。
スポーツサンボのルール(国際サンボルール) [編集]
階級(男子の部) [編集]
- ジュニア(17 - 18歳)52, 57, 62, 68, 74, 82, 90, 100, +100kg
- シニアー(19歳以上) 52, 57, 62, 68, 74, 82, 90, 100, +100kg
- 自己の体重の一階級上の階級に出場することができる。
- 審判の構成
- 総ての競技会において、それぞれの試合の審判チームを次のように構成する。
- チェアマン:1名 レフェリー:1名 ジャッジ:1名
勝敗判定・ポイント [編集]
- 一本勝
- 自分の態勢を崩さずに相手をきれいに投げたとき
- 相手の腕、または足の関節等を取ったとき
以上の場合は「一本」となり試合は終了する。 また、試合中に両者に12ポイント以上差が開いたときは、一本と同じ扱いとする。 なお、試合時間内に一本がなかったときは試合中にかけた技の得点が多いものが判定勝ちとなる。
- 1ポイント
- 相手にしりもちをつかせたとき
- 投げにより相手がマットに対し、90度以内に倒れたとき
- 相手が反則を犯したとき
- 2ポイント
- 相手が肩から落ち、そのまま背中をマットにローリングさせる
- 相手がしりもちをつき、その反動で背中をマットにローリングする
- 寝技から押さえ込みに入り、10秒間押さえたとき
押さえ込みは1試合1回限りで、それ以上押さえ込んでもポイントにならない。
- 4ポイント
- 相手をきれいに投げたときに自分の態勢が崩れる
- 自分の態勢を崩さずに投げ、相手が横から落ちる
- 投げたとき手をついたり、膝をつくこと、例えば巴投げ、横捨て身など
- 押さえ込みで20秒間押さえたとき
押さえ込みは1試合1回限りで、それ以上押さえ込んでもポイントにならない。
その他・主な禁止事項 [編集]
- 絞め技は禁止(体幹~首を絞めることが禁止)。
- 手首から先、足首から先をつかむことが禁止。
- 肘・肩関節への関節技が認められるが、ハンマーロック、手首、立った状態での関節技は禁止。
- 脚(股・膝・足首)への関節技(アキレス腱固め、膝十字固め)が認められるが、膝関節やかかとを捻るような関節技(ヒールホールド、足首固め)は禁止。
- 蟹挟、河津掛けが認められる。
- ジャケットの掴みに制限が少ない(帯の結びから先、帯の結びの余り、そで口の内側以外どうつかんでもよい。つかんでいる時間の制限なし)。
- 胴を絞めるポジション(胴絞め)は禁止。胸や脇腹をしっかり、相手の胸に密着していれば、抑え込みとして扱われる。
IOCとスポーツサンボ [編集]
サンボは、国際的な普及にむけて、1967年にリガで最初の国際大会、1972年にはリガで最初のヨーロッパ選手権、そして1973年にはテヘランで最初の世界選手権が開催する。 1968年サンボは国際レスリング連盟 (FILA) に統括されるが、 1980年、モスクワオリンピックの際にレスリング内の正式種目としての採用をアピールしたが、政治的理由により[5]、実現には至らなかった。このままではオリンピック参加は無理と判断し、1985年、FILAから国際サンボ連盟 (FIAS) は独立した。一時、IOC承認競技であったが、そののち、IOCの承認は取り消されている。また、IOC後援ワールドゲームズの公式競技であったが1989年の大会を最後に実施されていない。IOC公認団体GAISF(国際スポーツ団体総連合)にはFIASがいまだ加盟している。
日本サンボのあゆみ [編集]
1963年9月,当時日本アマチュアレスリング協会の会長であった八田一朗氏は「ソ連のレスリングの強さの秘密はサンボにある」と、レスリングにサンボの導入を試み、ソ連レスリング選手団と共に4名のサンビストを初来日した。当時、日本国民はサンボに関する知識をまったく持っていなかったが、4名のサンビストは前橋,神戸,横浜,東京各地で柔道選手と柔道の交流試合をした。これは日本柔道界へ警鐘的役割も果たした。
1965年9月に八田一朗氏はサンボ競技を日本に根づかせようと日本サンボ連盟を設立し会長に就任,常務理事に就任した古賀正一(ビクトル古賀)をソ連に派遣し、自らサンボ修行に励む傍ら日本とソ連の交流パイプを構築し,日本サンボの要としてサンボ普及に取り組んだ。
1965年1月,日本サンボ連盟は記念すべき国内最初の大会「東日本サンボ選手権大会」を東京・代々木体育館で開催し,数多くのレスリング選手と柔道選手の参加のあった盛大な大会であった。またこの大会は猪狩則男氏(当時,日本レスリング協会理事長)の尽力によってテレビ放映され,「サンボ」の名は広まりを見せ,さらに,同年8月「第1回全日本サンボ選手権大会」が岩手県盛岡市で開催され,その認知度は目を見張るものであった。
日本レスリング協会主導型であった当時の日本サンボ連盟は,全日本柔道連盟や講道館との連携に難航しながらも,毎年全日本サンボ選手権を開催し,ソ連に選手を派遣していたが,有力な柔道選手やレスリング選手の参加が求められるところであった。そこで,日本サンボ連盟は抜本的な改革に着手した。当時,日本サンボ連盟の笹原正三理事長と古賀正一常務理事,東京オリンピック柔道金メダリストの猪熊功氏との間で,「日本におけるサンボ競技」について会談があり,続いて柔道連盟の要職にあった渡辺利一郎八段との会合から国際柔道連盟会長の松前重義氏を会長に迎え,最高顧問に八田一朗氏が就任して新たな出発をすることとなった。
このことから,日本から有力選手の派遣を行った結果,1970年全ソサンボ選手権に岩釣兼生が優勝,1971年ヨーロッパサンボ選手権で佐藤宣践が優勝するなどの効果が現れたのもつかの間,国際サンボ連盟が設立されることとなり,1972年イギリスのマンチェスターで,記念すべき第1回FILA世界サンボ選手権が開催された。この大会に68㎏級で出場した古賀正一がソ連選手を寄せ付けない圧倒的な優勝をおさめ,日本サンボ界に光明を与えた。
順風満帆に運営していた日本サンボ連盟であったが,体調を崩した松前重義氏が会長を退き,八田一朗氏に会長就任を要請した。ここから八田一朗氏は没するまでこの任にあった。その後,ベースボールマガジン社の創設者である池田恒雄氏,世界サンボ連盟名誉会長の堀米泰文氏,井柳学氏らが会長の任にあたり,1988年5月には,東京・代々木第1体育館で日本ではじめての国際大会であるサンボワールドカップ開催し,1996年11月には東京・代々木第1体育館で世界サンボ選手権が開催された。
国内大会では毎年,全日本サンボ選手権(シニア・ジュニア・カデット・マスターズ)・東日本サンボ選手権・全日本団体サンボ選手権・愛知県オープン大会・青森県オープン大会・近畿オープン大会等全国各地で開催され,これに伴い,サンボを指導する道場やクラブチームなどが新設されるや,技術講習会なども開催されている。また近年ではサンボ選手が総合格闘技やプロレスに出場し,また,プロレスラーがサンボの技術を採り入れるなどで,一般的な認知度も高くなったところである。
2013年7月,ロシア連邦カザン市で開催される大学生のオリンピックであるユニバーシアード大会において,サンボ競技が公開競技として採用されることになった。「日本からぜひ,強いサンボチームを」とロシア連邦プーチン大統領からの呼びかけがあった。
2012年1月,日露友好関係を深め世界平和に貢献することを旗印に掲げ,日本サンボ連盟は一般社団法人格を取得した。会長に近藤正明氏が就任,財)日本レスリング協会会長の福田富昭氏,全日本学生柔道連盟副会長佐藤宣践氏を特別顧問にむかえ同連盟のリニューアルをおこなった。
2013年2月2日埼玉県上尾市・埼玉県立武道館において,ユニバーシアード大会サンボ競技の日本代表選手選考を兼ねたプーチン大統領杯サンボ選手権大会が開催された。日本全国多数の学生柔道選手とレスリング選手,総合格闘技選手,サンボ選手らが集結し,熱戦が繰り広げられた。この夏,男子4階級・女子3階級のサンボ競技日本代表選手が,ロシアのカザン市で行われるユニバーシアード大会サンボ競技において,国の威信を賭け,なおかつ世界平和に貢献することを目的として,世界に挑むことになった。 (2013年2月現在)
国際大会・世界選手権での日本代表選手の軌跡 [編集]
★国際大会入賞者
古賀正一,菅芳松,江藤正基,佐藤宣践,柏崎克彦,岩釣兼生,関勝治,藤本孝二,西中信治,白瀬英春,安斉悦雄,香月清人,細川和美,新和己,山田俊二,野瀬清喜,阿部信久,椿 至,中山秀雄,山藤哲夫,萩原幸之助
★世界選手権入賞者
星野政幸,田上高,横倉安雄,斎藤喜作,藤井寿一,松永義雄,名和孝徳,花房洋一,藤春孝志,西 均,広瀬聡,射手矢味先,山田茂明,坂井武彦,大河内信之,寺町良次,野沢和巳,新崎喜則,岩佐修,深井英吾,久木留毅,竹内徹,小林左右長,伊田忠富,木下英規,小林伸郎,五木田勝, 松本秀彦,藤井惠,塩田さやか,武田美智子,しなしさとこ (以上,敬称略)
代表的なサンボ関係者 [編集]
- ビクトル古賀
- 八田一朗
- 伊田忠富
- 松本秀彦
- ヴォルク・ハン
- アンドレイ・コピィロフ
- ニコライ・ズーエフ
- エメリヤーエンコ・ヒョードル
- セルゲイ・ハリトーノフ
- イリューヒン・ミーシャ
- アンドレイ・アルロフスキー
- オレッグ・タクタロフ
- ラスール・ミルザエフ
- 大山峻護
- 植松直哉
- 長谷川秀彦
- ラッシャー木村
参考文書 [編集]
和良コウイチ『ロシアとサンボ -国家権力に魅入られた格闘技秘史』(2010年6月、晋遊舎)ISBN-10 4863911343 ISBN-13 978-4863911345
監修ビクトル古賀 技術協力佐山聡『増強版これがサンボだ!』(1998年9月,ベースボールマガジン社)ISBN-583-02564-5
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
- 一般社団法人日本サンボ連盟
- 国際アマチュアサンボ連盟 (Federation Interantional Amateur Sambo / FIAS)
- 日本ジュニアサンボ連盟(JJSF)
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