チキンウィング・アームロック

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ダブルリストロックから転送)
ガードポジションからのチキンウィング・アームロック

チキンウィング・アームロック (Chicken Wing Arm Lock) [1]は、格闘技における関節技アームロックダブルリストロック[2]である。柔道においては腕緘に含まれる。

概要[編集]

チキンウィング・アームロックは相手の腕を曲げて体の裏側に捻るダブルリストロックである。

片方の手で相手の手首を掴み、さらにもう一方の腕で「4の字」を作り、相手の腕を絡めながら自分の手首を掴み、相手の手を相手の背後に回すように捻る。絡めた腕が支点となるテコの原理で肩関節にダメージを与えることができる。どんな体勢からでも狙うことができて相手が逃げようと動いても腕が極まる方向になりやすく、また、リストロック腕挫十字固などの連絡技に移行しやすいため、プロレスだけではなく、総合格闘技の試合でもよく用いられる。アントニオ猪木アクラム・ペールワンを、藤原喜明スーパータイガーを、この技で肩脱臼に追い込んでいる。ルー・テーズにこの技を伝授したジョージ・トラゴスは、挑戦してきた素人をこの技で腕切断に追い込んだという。肩の関節に加えて靭帯も損傷したらしく、当時の医療技術で治療する事は困難だった。名手はテーズ、藤原をはじめ、上田馬之助が奥の手として隠し持っていたことでも知られる。エル・サムライも得意技としている。WWEブロック・レスナーが得意技としており、トリプルHをしばしば破った技である。

ブラジリアン柔術総合格闘技ではキムラロック (Kimura Lock) [3]、もしくは単にキムラと呼ぶが、これは1951年10月23日のプロ柔道家としてブラジルに渡った柔道家の木村政彦マラカナン・スタジアムエリオ・グレイシーをこの技で破り、エリオが木村の強さに敬意を示してキムラロックと名付けたものである。この経緯は『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)に詳しく書かれている。木村政彦は柔道の現役時代からこの技を絶対的な得意技としていたが、その技術は拓大予科高専柔道に参加して徹底的に寝技を磨いたことによる。1926年の書籍『新式柔道』に抑え込みからとガードポジションからの実演が写真付きで掲載されている[4]

関連動画

ルーク・ロックホールドジョー・ローゾンが極めたのは腕緘ではなく腕挫三角固マイケル・キエーザが極めたのは腕緘ではなく腕挫手固

上から仕掛ける場合[編集]

横四方固めなど相手の上になっている体勢から片手で相手の手首(右手なら相手の左手、左手なら相手の右手)を掴んで輪を作り、もう一方の腕をその輪の後から通して相手の手首を掴んでいる腕を持って、そのまま相手の腕を背中側へ捻り上げる。

下から仕掛ける場合[編集]

ガードポジションの体勢から片手で相手の手首(右手なら相手の左手、左手なら相手の右手)を掴み、上体を起こして相手の腕の裏側に自分のもう一方の腕を通して手首を掴んでいる方の腕と輪を作ってから自分の上体を相手の側面(腕をキャッチしている側)にずらして胴体を両脚でしっかり挟んで腕を背中側に捻り上げ極める。

立ち姿勢から仕掛ける場合[編集]

相手も立っている場合と、相手が半膝立ちまたは、3点ポジションの場合が有る。

相手の正面または仕掛ける腕側の斜め側面に立ち、上へ引くようにして極める(下から仕掛ける場合と似た形になる)。

タックルカウンターやバックからのクラッチの返して首相撲などから仕掛ける。

極めたまま自分も倒れこんで、胴絞め式に移行する場合も有る。

スタンディングでのチキンウィングアームロックは背後を取られた場合の返し技などで、ヴォルク・ハンのほかに桜庭和志が得意技としたため、しばしばサクラバとも呼ばれる。しかし、桜庭が開発者というわけではなく、プロレス[5][2]キャッチ・アズ・キャッチ・キャンサンボ柔術の基本技の一である[6][7]

名称と分類[編集]

名称についてはこの技を「ダブルリストロック」と呼ぶのにこだわるのはルー・テーズで、「チキンウィングフェースロックは鳥のように腕は動くが、ダブルリストロックは極められると腕は動かないから、チキンウィングアームロックと呼ぶのはおかしい」とテーズが言っていた、とUWF系レスラーの宮戸優光の証言がある。「チキンウィング・アームロック」と呼ぶのは藤原をはじめとする宮戸以外のUWF系レスラーが中心であった。テーズは「試合中に1つしか技を使ってはいけないといわれたら迷わず、この技を選択する」と語るほど、この技へのこだわりは強かった。

柔道では腕緘に含まれるが、両手で相手の手首や前腕部を持った場合は腕挫手固となる。三角絞を掛けながら掛けた場合は腕挫三角固となる。

脚注[編集]

  1. ^ 藤原喜明『藤原喜明の必殺十番勝負―スーパー・テクニックII』講談社、日本、1987年11月10日(原著1987年11月10日)、151-158頁。ISBN 406101515X。"藤原喜明UWF全試合結果"。 
  2. ^ a b Sandow, Billy & Lewis, Ed "Strangler""Wrestling Part 2" - Kessinger Pub Co, 1926, ISBN 978-0766155695, p17 - p22.
  3. ^ 『キングオブ ブラジリアン柔術』64頁。
  4. ^ 新式柔道隆文館、日本、1926年(大正15年)5月10日、156-157頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020063/89。"腕搦"。 
  5. ^ エド・ストラングラー・ルイス、ビリー・サンドウ「WRESTLING PART II」『週刊プロレス増刊号「格闘技通信」No.3 綴じ込み付録』第33巻第1号、ベースボール・マガジン社、1987年1月3日、7頁“立ち技でのダブル・リストロック” 
  6. ^ ビクトル古賀『これがサンボだ!』ビクトル古賀(監修)、佐山聡(技術協力)、ベースボール・マガジン社、日本、1998年3月。 
  7. ^ 高専柔道技術研究会『高専柔道の真髄』原書房、2003年11月発行参照

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ https://www.youtube.com/watch?v=Rjc06bVtoKE