アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | アントニオ・ホドリゴ・コヘイア・ノゲイラ (Antônio Rodrigo Correia Nogueira)[1] |
| 通称 | ミノタウロ (Minotauro) 柔術マジシャン リオの沈まぬ太陽 千の技を持つ男 |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1976年6月2日(36歳) |
| 出身地 | バイーア州 ヴィトリア・ダ・コンキスタ |
| 所属 | ブラジリアン・トップチーム →チーム・ノゲイラ / チーム・ミノタウロ |
| 身長 | 191cm |
| 体重 | 107kg |
| リーチ | {{{reach}}} |
| 階級 | ヘビー級 |
| スタイル | ブラジリアン柔術 ボクシング |
| テーマ曲 | Come with Me (パフ・ダディ) |
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ(Antônio Rodrigo Nogueira、男性、1976年6月2日 - )は、ブラジルの総合格闘家、ブラジリアン柔術家。バイーア州ヴィトリア・ダ・コンキスタ出身。チーム・ノゲイラ主宰。また、母国ブラジルにてチーム・ミノタウロを主宰。元PRIDEヘビー級王者、元UFC世界ヘビー級暫定王者。ブラジリアン柔術黒帯。
ニックネームは牛頭人身の怪物「ミノタウロ」。さらに、PRIDEでは総合格闘技における柔術の技術の高さや極めの強さから「柔術マジシャン」と称され、PRIDEヘビー級三強の一角を担った。無尽蔵のスタミナと脅威的なタフネス、寝技の極めの強さに定評があり、絶対に折れない精神力は多くのファイターや格闘技ファンからリスペクトされている。一本勝ちの多さからグラップラーのイメージが強いが、柔術家としてはトップクラスのボクシングテクニックを誇り、00代半ばには数少なかったコンプリートファイターの一人であった。
一卵性双生児の弟アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラも総合格闘家である。
目次 |
来歴 [編集]
幼少期から総合デビューまで [編集]
1976年、ヴィトリア・ダ・コンキスタの農場で父アミルトン、母マリーナの間に生まれる。4歳から柔道を始め、10代半ば頃にはブラジルのボクシングオリンピックコーチのルイス・カルロス・ドリアからボクシングを学んでいた[2]。11歳の頃[3]、トラックの下敷きになるという事故で両肺が潰れ、肋骨1本と肝臓の一部を失う大怪我を負い、丸4日間生死の境を彷徨う。当時の医者には2度と歩けなくなるとまで宣告されたが、懸命のリハビリによって回復した。背中の右肩甲骨下に大きく凹んだ傷跡がその事故の名残りである。
1993年、アメリカで開催されたUFCでのホイス・グレイシーの活躍に憧れ、17歳の時ヒカルド・デラヒーバの弟子ギリェルメ・アサッドのもとでブラジリアン柔術を始める。その後はデラヒーバに直接師事して実力を伸ばした。
1999年1月、パンナムに出場し、茶帯ペサディシモ(+97kg)級で優勝、またアブソルート(無差別)級では決勝でジヴァニウド・サンターナを下し2冠を達成し、22歳でデラヒーバからブラジリアン柔術黒帯を授与された。その後アメリカに移住し、パンナムの活躍によりWEF(ワールド・エクストリーム・ファイティング)のプロモーターにスカウトされる[3]。6月12日にデビッド・ドッド戦でプロ総合格闘技デビュー。また7月にはムンジアルに出場し、黒帯無差別級でベスト4に進出するも、準決勝でホベルト・"ホレッタ"・マガリャエスに敗れている。また、この年に柔道の黒帯も取得している[4]。
リングス [編集]
1999年10月28日、リングス参戦のために初来日。『KING OF KINGS 1999トーナメント』ではヴァレンタイン・オーフレイム、コーチキン・ユーリ、アンドレイ・コピィロフを破るも、準決勝のダン・ヘンダーソンとの対戦では、延長ラウンドで数度のテイクダウンを奪い、かつマウントポジションを何度も取る等、終始優勢に試合を運んだにもかかわらず、審議委員判定という判定によって敗れる[3]。試合後、ノゲイラの部屋にヘンダーソンからビールが1ダース届けられた[3]。
2000年1月15日、ジョージア州のロームフォーラム・シビックセンターで行われた「WEF 8」のWEFスーパーヘビー級王者決定戦(8分3R)で、ジェレミー・ホーンを判定で破り、WEFスーパーヘビー級王者となった。試合自体は、両者の猪木アリ状態が見られるなど膠着状態が続き、格闘技雑誌では「見所なき凡戦」と書かれてしまっている[5]。同年3月には第3回アブダビコンバット99kg以上級に出場。1回戦でショーン・アルバレスにポイント勝ちするものの、2回戦でリコ・ロドリゲスに膝十字固めで敗退した。『RINGS KING OF KINGS 2000トーナメント』ではラバザノフ・アフメッド、田村潔司、ヴォルク・ハン、金原弘光、ヴァレンタイン・オーフレイムを立て続けに破り優勝を果たした。同年、カーウソン・グレイシー柔術アカデミーの分裂に際してマリオ・スペーヒー、ムリーロ・ブスタマンチらと共にブラジリアン・トップチームとして独立する[6]。
PRIDE [編集]
2001年より総合格闘技イベントPRIDEに参戦。緒戦の相手ゲーリー・グッドリッジを三角絞めで破ると、2戦目には前年のPRIDEグランプリの覇者、マーク・コールマンと対戦。三角絞めでコールマンが立ち上がったのに合わせ腕ひしぎ三角固めに移行し、タップアウト勝利を収めた。PRIDE.17では新設されたヘビー級王座を賭けヒース・ヒーリングと対戦、立ち技・寝技の両方で主導権を握り判定で勝利し、初代PRIDEヘビー級王者となった。
2002年2月24日、PRIDE.19でエンセン井上の引退試合の相手を務める。試合はガードからアームロックを極めたが、エンセンがタップしないため三角絞めに切り替え、最後は絞め落とした[7]。8月8日にはUFO LEGENDに出場し菊田早苗と対決、寝技の攻防で一本は奪えなかったものの、スタンドの打撃で攻勢に立ち、最後は右ストレートで失神させた。8月28日、Dynamite!でボブ・サップと対戦。実に50kg以上にも及ぶ体重差とサップのパワーに苦しめられるが、腕ひしぎ十字固めにより逆転一本勝利を収めた。11月24日、PRIDE.23のセーム・シュルト戦ではタックルを切られるなどてこずる場面もあったが、最後はマウントからの三角絞めで勝利した。1か月後のPRIDE.24にも出場、リングス時代に敗北を喫したダン・ヘンダーソンと再戦し、オモプラッタで主導権を握り、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。
2003年3月16日、PRIDE.25でエメリヤーエンコ・ヒョードルとの初防衛戦に挑んだが、ノゲイラの寝技を研究し尽くしたヒョードルの戦略と強烈なパウンドの前になす術がなく、判定で敗れ王座陥落。8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦のワンマッチで元UFC世界ヘビー級王者リコ・ロドリゲスと対戦。判定により勝利を収めたが、PRIDEとUFCの判定基準の相違により物議を醸す結果となった。後に英語版公式サイトにて判定に関する説明が行われた[8]。11月9日、ヒョードルの怪我によるミルコ・クロコップとのヘビー級暫定王座をかけた一戦では、テイクダウンを奪えずスタンドで劣勢に立ち、1R終了間際には左ハイキックでダウン、かろうじてゴングに救われた。2Rは開始早々テイクダウンからマウントを奪い、ミルコのブリッジに合わせて腕ひしぎ十字固めを極め、会場が総立ちとなる劇的な逆転勝利を飾った。
2004年に開催されたPRIDEヘビー級GP(グランプリ)では、1回戦で横井宏考、2回戦でヒース・ヒーリングにいずれも新技スピニングチョークで一本勝ちを収め、ベスト4に進出する。なお、この技を最初に考案したのはホアン・"ジュカオン"・カルネイロであり、ジュカオンがホジェリオに教えた後にホジェリオからホドリゴへ伝わったとされる[9]。8月15日、グランプリ準決勝でセルゲイ・ハリトーノフを判定で下し、決勝では因縁のヒョードルと再戦するも、偶然のバッティングによりヒョードルが出血したため、無効試合に終わる。
2004年大晦日のPRIDE 男祭り 2004のメインイベントでPRIDEヘビー級王座と同ヘビー級GP王座の両タイトルを賭けて再々戦。パウンド対策は実を結んだものの、打撃、寝技の両面において完封され3-0の判定で敗北。リベンジに失敗している。なお、この日は会場入りが大幅に遅れてしまい、オープニングセレモニーに間に合わなかった。そのため、双子の弟のホジェリオに代打でセレモニーに参加してもらっていた[10]。
2005年は6月26日のPRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDでパウエル・ナツラにマウントパンチでTKO(テクニカルノックアウト)勝利を収めた。この年は1試合の出場にとどまった。
2006年はPRIDE無差別級GPに出場、順当に勝ち上がる。9月10日、準決勝のジョシュ・バーネット戦ではPRIDE史上に残る寝技対決の末、僅差の判定1-2で敗れるも、12月31日の再戦では3-0の判定勝利を収め、リベンジを果たした。
UFC [編集]
2007年4月5日のUFC Fight Night 9をUFCのダナ・ホワイト社長とともに観戦し、続く4月8日のUFC 69でオクタゴンに登場。ダナ・ホワイト社長からUFCに参戦することが正式に発表された[11]。また、これに前後して長年在籍したブラジリアン・トップチームを脱退。アメリカン・トップチームやブラック・ハウスでトレーニングを積みながら、アメリカに自身の新しいチーム「チーム・ノゲイラ」を発足[12]。7月7日、UFCデビューとなるUFC 73のヒース・ヒーリングとの3度目の対戦では、1R終盤にヒーリングのハイキックでダウンを奪われるも、それ以外では終始試合を支配して判定勝ちを収めた。
2008年2月2日、UFC 81のUFC世界ヘビー級暫定王者決定戦でティム・シルビアと対戦。1Rにはダウンを奪われるなど劣勢であったが、3Rにスイープからのギロチンチョークで一本勝ちを収め、UFC世界ヘビー級暫定王者となった。また、この試合は同大会のファイト・オブ・ザ・ナイトに選ばれた[13]。
2008年12月27日、初の暫定王座防衛戦となるUFC 92でフランク・ミアと対戦。左フックで倒されたところにパウンドを連打されTKO負け。UFC世界ヘビー級暫定王座から陥落した。ダナ・ホワイトによると、一週間前まで熱で入院していたと言う。また、この試合を終えてすぐに膝の手術を行った。
2009年8月29日、復帰戦となるUFC 102では、二度のダウンを奪ってランディ・クートゥアに判定勝ちを収め、レスナーへの王座挑戦、ミアとの再戦をアピールした。また、この試合は同大会のファイト・オブ・ザ・ナイトに選ばれた。
2010年2月20日、UFC初進出オーストラリア・シドニーで開催されたUFC 110のメインイベントでケイン・ヴェラスケスと対戦。1R2分20秒、右ストレートからのパウンドでKO負け。
2011年8月28日、母国ブラジルで開催されたUFC134でブレンダン・シャウブと対戦し、1RKO勝ち。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを獲得した。
2011年12月10日、UFC 140でフランク・ミアと再戦。パンチでダウンを奪うも、アームロックで逆転の一本負け。キャリア初の一本負けとなった。フィニッシュのアームロックで右腕を骨折した[14]。
2012年10月13日、母国ブラジルで開催されたUFC 153でデイブ・ハーマンと対戦し、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した。
人物 [編集]
- 日本贔屓で、好きな日本食は寿司、好きな街は六本木。
- 趣味はサーフィン。
- リングス時代はブラジルのサッカークラブであるCRヴァスコ・ダ・ガマのテーマ「COME WITH ME」を入場曲にしていたが、曲の入ったCDを無くしてしまったらしい。PRIDEでは、ZZの「NO WAY OUT」を入場曲にしていた。これは、PRIDE王者時代に彼を称えるために作られた曲である。また、2002年8月28日、Dynamite!でのボブ・サップ戦ではDragon Ashの「Revolater」を入場曲として使用した。
- 一卵性双生児の弟アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラも総合格闘家である。2人の外見的な見分け方は、ホドリゴの方が若干体格が大きく、向かって右耳がホジェリオより湧いている点にあり、また背中の傷跡の有無も2人を見分けるポイントである。加えて、スタンドでの構えがホドリゴがオーソドックスであるのに対し、ホジェリオはサウスポーである。
- 2006年5月頃より右眼の黒い部分に白濁が発見され、眼疾が懸念されていた。治療は完了し、現在はまったく問題はないとノゲイラ自身は雑誌のインタビューで語っている。が、実際には06年以降の試合において、打撃を被弾したりダウンを喫する回数が明らかに増加しているのは事実で、真偽の程は定かではない。パンチドランカー症状に陥っているのではないかとの説もある。
- 母国ブラジルでは自身のニックネームを冠した「Minotauro Fight」を主催しており、後進の育成にも非常に積極的。将来の夢には、恵まれない子供たちを選手と育成する道場を構えることを挙げている。
- アンデウソン・シウバとの親交が深く、アンデウソンにブラジリアン柔術を教授し、ブラジリアン柔術黒帯を授与している[15]。
- 2004年から2005年にかけて日本テレビで放送されたバラエティ番組「アフリカのツメ」に、旅館に勤める外国人板前「ノゲイラ」役で準レギュラー出演した。
戦績 [編集]
| 総合格闘技 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 42 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
| 34 勝 | 3 | 21 | 10 | 0 | 1 | 1 |
| 7 敗 | 2 | 1 | 4 | 0 | ||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| ○ | デイブ・ハーマン | 2R 4:31 腕ひしぎ十字固め | UFC 153 | 2012年10月13日 |
| × | フランク・ミア | 1R 3:38 アームロック | UFC 140: Jones vs. Machida | 2011年12月10日 |
| ○ | ブレンダン・シャウブ | 1R 3:09 KO(パンチ連打) | UFC 134: Silva vs. Okami | 2011年8月28日 |
| × | ケイン・ヴェラスケス | 1分 2:20 KO(右ストレート→パウンド) | UFC 110: Nogueira vs. Velasquez | 2010年2月20日 |
| ○ | ランディ・クートゥア | 5分3R終了 判定3-0 | UFC 102: Couture vs. Nogueira | 2009年8月29日 |
| × | フランク・ミア | 2R 1:54 TKO(左フック→パウンド) | UFC 92: The Ultimate 2008 【UFC世界ヘビー級暫定タイトルマッチ】 |
2008年12月27日 |
| ○ | ティム・シルビア | 3R 1:28 ギロチンチョーク | UFC 81: Breaking Point 【UFC世界ヘビー級暫定王者決定戦】 |
2008年2月2日 |
| ○ | ヒース・ヒーリング | 5分3R終了 判定3-0 | UFC 73: Stacked | 2007年7月7日 |
| ○ | ジョシュ・バーネット | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 |
| × | ジョシュ・バーネット | 2R(10分/5分)終了 判定1-2 | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 【無差別級GP 準決勝】 |
2006年9月10日 |
| ○ | ファブリシオ・ヴェウドゥム | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND 【無差別級GP 準々決勝】 |
2006年7月1日 |
| ○ | ズール | 1R 2:17 腕ひしぎ十字固め | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦 【無差別級GP 1回戦】 |
2006年5月5日 |
| ○ | 田村潔司 | 1R 2:24 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.31 Dreamers | 2006年2月26日 |
| ○ | パウエル・ナツラ | 1R 8:38 TKO(マウントパンチ) | PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND | 2005年6月26日 |
| × | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 【ヘビー級GP決勝・PRIDEヘビー級統一王座決定戦】 |
2004年12月31日 |
| - | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 1R 3:52 無効試合 | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 決勝】 |
2004年8月15日 |
| ○ | セルゲイ・ハリトーノフ | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 準決勝】 |
2004年8月15日 |
| ○ | ヒース・ヒーリング | 2R 0:30 スピニングチョーク | PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND 【ヘビー級GP 準々決勝】 |
2004年6月20日 |
| ○ | 横井宏考 | 2R 1:25 スピニングチョーク | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 【ヘビー級GP 1回戦】 |
2004年4月25日 |
| ○ | ミルコ・クロコップ | 2R 1:45 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦 【ヘビー級暫定王者決定戦】 |
2003年11月9日 |
| ○ | リコ・ロドリゲス | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 | 2003年8月10日 |
| × | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE.25 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 |
2003年3月16日 |
| ○ | ダン・ヘンダーソン | 3R 1:49 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.24 | 2002年12月23日 |
| ○ | セーム・シュルト | 1R 6:36 三角絞め | PRIDE.23 | 2002年11月24日 |
| ○ | ボブ・サップ | 2R 4:03 腕ひしぎ十字固め | Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 | 2002年8月28日 |
| ○ | 菊田早苗 | 2R 0:29 KO(右ストレート) | UFO LEGEND | 2002年8月8日 |
| ○ | エンセン井上 | 1R 6:17 三角絞め | PRIDE.19 | 2002年2月24日 |
| ○ | ヒース・ヒーリング | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE.17 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 |
2001年11月3日 |
| ○ | マーク・コールマン | 1R 6:10 腕ひしぎ三角固め | PRIDE.16 | 2001年9月24日 |
| ○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 2:37 三角絞め | PRIDE.15 | 2001年7月29日 |
| ○ | ヴァレンタイン・オーフレイム | 1R 1:20 肩固め | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【決勝】 |
2001年2月24日 |
| ○ | 金原弘光 | 2R 0:21 チョークスリーパー | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【準決勝】 |
2001年2月24日 |
| ○ | ヴォルク・ハン | 5分2R終了 判定3-0 | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【準々決勝】 |
2001年2月24日 |
| ○ | 田村潔司 | 2R 2:29 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 2000 Aブロック 【2回戦】 |
2000年10月9日 |
| ○ | ラバザノフ・アフメッド | 1R 1:38 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 2000 Aブロック 【1回戦】 |
2000年10月9日 |
| △ | 高阪剛 | 5分2R終了 判定1-0 | RINGS MILLENNIUM COMBINE III | 2000年8月23日 |
| × | ダン・ヘンダーソン | 5分2R+延長R終了 判定1-2 | RINGS KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL 【準決勝】 |
2000年2月26日 |
| ○ | アンドレイ・コピィロフ | 5分2R終了 判定1-0 | RINGS KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL 【準々決勝】 |
2000年2月26日 |
| ○ | ジェレミー・ホーン | 8分3R終了 判定3-0 | World Extreme Fighting 8 - Goin' Platinum 【WEFスーパーヘビー級王座決定戦】 |
2000年1月15日 |
| ○ | コーチキン・ユーリ | 1R 0:40 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 1999 Aブロック 【2回戦】 |
1999年10月28日 |
| ○ | ヴァレンタイン・オーフレイム | 1R 1:51 V1アームロック | RINGS KING OF KINGS 1999 Aブロック 【1回戦】 |
1999年10月28日 |
| ○ | ネイト・シュローダー | 1R 1:52 腕ひしぎ十字固め | World Extreme Fighting 7 - Stomp in the Swamp | 1999年10月9日 |
| ○ | デビッド・ドッド | 1R 腕ひしぎ十字固め | World Extreme Fighting 6 | 1999年6月12日 |
獲得タイトル [編集]
- UFC世界ヘビー級暫定王座(2008年)
- PRIDE GRANDPRIX 2004 準優勝(2004年)
- PRIDEヘビー級暫定王座(2003年)
- 初代PRIDEヘビー級王座(2001年)
- RINGS KOK 2000トーナメント 優勝(2001年)
- WEFヘビー級王座(2000年)
- 世界柔術選手権(ムンジアル)黒帯アブソルート級 3位(1999年)
- ブラジリアン柔術リオデジャネイロ選手権 優勝7回[16]
- ブラジリアン柔術ノースイースタン選手権 優勝6回[16]
入場曲 [編集]
- COME WITH ME(CRヴァスコ・ダ・ガマ) - リングス時代に使用。
- NO WAY OUT(ZZ) - PRIDE時代に使用。
- Gimme Shelter(ローリング・ストーンズ)- UFC 73~UFC 110まで使用。
出演映画 [編集]
- エクスペンダブルズ(2010年)
脚注 [編集]
- ^ 「アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの項目」 『2004「総合&組技格闘技」選手名鑑』、日本スポーツ出版社、2003年11月17日
- ^ “格闘王国を往く(1) アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ”. Number Web. 2008年11月16日閲覧。
- ^ a b c d 「人生で大切なことは全て柔術で学んだ」(ノゲイラへのインタビュー) 『ブラジリアン柔術入門』、ベースボール・マガジン社、2003年、ISBN 4-583-61212-5
- ^ UFC 選手データ(英語)
- ^ 「ワールド・エクストリーム・ファイティング8」『ゴング格闘技』、日本スポーツ出版社、2000年(平成12年)4月23日発行、第33巻第4号通巻446号、79頁
- ^ この時スペーヒーらはヒカルド・デラヒーバに顧問を依頼したが、師であるカーウソンに敵対する行為は出来ないと断られ、代わりに己の全ての技を伝授した愛弟子としてノゲイラが預けられた。
- ^ “シウバ、田村をKO! ミドル級王座初防衛”. スポーツナビ (2002年2月24日). 2008年11月16日閲覧。
- ^ Matt Hume (2003年9月4日). “A JUDGE'S EXPLANATION OF NUGUEIRA VS RODRIGUEZ” (英語). PRIDE英語版公式サイト. 2008年11月16日閲覧。
- ^ 『VALE TUDO ノゲイラ最強への道(DVD付書籍)』、東京漫画社、ISBN 978-4-902671-51-3
- ^ “ジャンクSPORTS トークダイジェスト 3月13日『スポーツコメンテーター』”. フジテレビ (2005年3月13日). 2008年11月16日閲覧。
- ^ ノゲイラ、UFCと契約。試合は未定。DSE榊原代表は困惑 BoutReview 2007年4月9日
- ^ Number 681(2007年7月5日号インタビュー)
- ^ 松山郷 (2008年2月23日). “史上初 PRIDE&UFCヘビー級王者ノゲイラが語る、戴冠の真実、クートゥアー戦、日本マットへの思い。=GONKAKU[2.2 UFC 81 -Breaking Point-]”. 2008年11月16日閲覧。
- ^ ノゲイラ骨折の右腕手術「半年後100%」 nikkansports.com 2011年12月21日
- ^ Charles Pearson (2006年8月9日). “Tatame has Anderson Silva Interview” (英語). LOCKFLOW.com. 2008年11月16日閲覧。
- ^ a b 紙のプロレスRADICAL No.32(2000年10月号)
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
| 前優勝者 ダン・ヘンダーソン |
RINGS KOK 2000無差別級トーナメント優勝 2001年2月24日 |
次優勝者 N/A |
| 前王者 N/A |
初代PRIDEヘビー級王者 2001年11月3日 - 2003年3月16日 |
次王者 エメリヤーエンコ・ヒョードル |
| 前王者 N/A |
PRIDEヘビー級暫定王者 2003年11月9日 - 2004年12月31日 |
次王者 エメリヤーエンコ・ヒョードル |
| 前王者 N/A |
UFC世界ヘビー級暫定王者 2008年2月2日 - 2008年12月27日 |
次王者 フランク・ミア |