国際ボクシング連盟
| 略称 | IBF |
|---|---|
| 設立年 | 1983年 |
| 種類 | ボクシング組織 |
| 本部 | ニュージャージー州 |
| ウェブサイト | http://www.ibf-usba-boxing.com/ |
国際ボクシング連盟(こくさいボクシングれんめい、International Boxing Federation / IBF)は、プロボクシングの世界王座認定団体の一つ。本部は、設立当初はアメリカ合衆国ニュージャージー州イーストラザフォードであったが、現在は同じニュージャージー州のニューアークに移転している。JBCはIBFを公式試合の団体としては認めていない。
目次 |
[編集] 設立経緯
母体は世界ボクシング協会(WBA)傘下で作られた全米ボクシング協会(USBA)で、1979年に北米ボクシング連盟(NABF)加盟州およびニューヨークを除く米国各州コミッションを加盟団体として発足。なお、ジョン・マケインが設立した合衆国ボクシング管理庁(USBA)は無関係である。
1983年、USBA国際部が設立され、その後、南米主流になりつつあったWBAの流れを、再びアメリカ主導に戻そうとした狙いもあり、WBA会長選に立候補したロバート・リーが、僅差で会長選に敗れた後、ドン・キングといった大物プロモーターの支持を受けてWBAから独立してIBFとなった。
初代会長はそのままロバート・リーが就任。2代目会長:ヒアワサ・ナイト、3代目会長:マリアン・モハマドを経て、現会長は4代目のダーリル・ピープルズ。
[編集] 日本国内の状況
[編集] JBC「非公認団体」として
日本ボクシングコミッション(JBC)はIBFの存在に対して「団体の乱立は好ましくない」とする趣旨の意見を出している。
日本でも1983年に日本支部の日本IBFが設立されたが、JBCは国内のプロ・ボクシングを統轄する組織は1国1コミッションという方針からその存在を認めず、一切の交流を断っている。
IBFはランキングの決め方が不透明であるなど、問題が多く(1999年にランキング不正操作を伴う贈収賄事件で米国政府の捜査を受けて以降は厳格なものに見直されつつある)、日本IBFにおいても、網膜剥離になった選手や年齢規約に抵触する選手などJBCでライセンスが交付されない様な選手、ボクシング経験のないキックボクサー、空手選手などを使い試合をさせていた。これらの行為が更にJBCの心証を害している。また、こうした杜撰な管理体制のため、日本IBFは現在、アメリカ本国にあるIBF本部からも関係を絶たれている。
JBCではIBFに参加した選手およびトレーナーは、JBCの認定するライセンスを剥奪すると云った厳しい対応をしている。ただし、これは「1国1コミッションという方針」のもと、日本国内のみの処置で、IBFを認めている諸外国でライセンスを取得し、日本国内でタイトルマッチを行わなければ、ライセンスの剥奪は無い。しかし、まだこれを実行した選手は今の所実質いない(※唯一の例外として1995年11月12日に当時WBC・IBF統一王者だったサマン・ソーチャトロンに細野雄一が挑戦したケースがあるが、海外挑戦ということと、王座を奪取した場合IBF王座は即返上という条件で事実上黙認された。また、WBA・WBC・IBFの統一王者マイク・タイソンが日本で2度防衛戦を行った際は、管轄のJBCはあくまでWBA・WBCの2つのタイトルの防衛戦として扱ったが、IBFはこれを防衛戦と認めたため、記録上は3団体統一王座戦となっている)。2009年にWBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級王者ビック・ダルチニアンがWBCを通じて長谷川穂積に対戦オファーを出していた際には、JBCも「世界王座統一戦に限り、未公認団体王者との対戦を認める」という意向を表明していたが、ダルチニアンが王座を失ったため実現しなかった。
余談だが、辰吉丈一郎が網膜剥離のため、一時日本で試合が出来なかった頃、アメリカでライセンスを取得してIBF王座に挑戦してもいいと発言したことがあったが、その後国内で試合が出来ることになり、IBF王座への挑戦をしないまま今に至っている。また、亀田興毅も協栄ジムを離れてメキシコを拠点としていた時期にWBOとともにIBF王座への挑戦を視野に入れた報道がされていたが、こちらも国内復帰が認められたため挑戦に至らなかった。その後亀田ジム設立後の2008年に世界戦や挑戦者決定戦に出場可能かJBCに確認を行ったが、それら試合に出場した場合試合開催地の国内外を問わず、JBCから除名処分とすることを2008年12月26日静岡県熱海市で行われた総会にて発表した。亀田側は「JBCライセンスを放棄してまで挑戦する意向はない」と表明している。
なお、時折日本のジムに所属する選手がIBFの世界ランキングに入ることがあるが、これはIBFが勝手にランキング入りさせているだけである。
ちなみに、アジア各国ではタイやフィリピン・インドネシアでは認めており、韓国でも設立初期にはIBFを認めていた。層の薄い軽量級では韓国人のIBF王者が何人も誕生したが、韓国人同士の世界戦の乱発や挑戦資格があるとは思えないほど戦績の悪い挑戦者との試合などによって、韓国内でも世界王座としてのIBFの権威に疑問が持たれるようになる。そこに『替え玉挑戦者事件』(当初挑戦するはずだった選手が、怪我で挑戦不可能となり、替え玉を立てて防衛戦を行った事件)が追い討ちをかけた。これにIBFも関与したことが判明し、それをきっかけに1987年限りで韓国はIBFを脱退した。現在は公式試合の団体としては認めていない。老舗のWBA・WBCの権威が低下する中、プロボクシングが公認されている国でIBFを認めていないのは、ほぼ日本と韓国、長らくWBCのみ正式に認めていたイギリスの3カ国だけになっているのが現状である。
2009年より、JBCは国内世界王者とIBFやWBOなどのJBC未公認メジャー団体王者による王座統一戦に限り、容認する方向性を打ち出し、規制が事実上緩和された格好になった。そのため、IBFの世界王者と国内世界王者との対戦が実現可能となったが、WBA・WBCの国内世界王者にIBFやWBOの王者が挑戦するという変則的な形で行われ、IBFの王座は賭けられないため、完全な形での公認とはなっていない。
2010年12月に日本プロボクシング協会は統一王座に限り王座保持を認める方針で合意し、JBCに案を提出する。背景にはWBA・WBCが暫定王座の粗製乱造やスーパー王座・シルバー王座などの創設を進めたため、「王座の乱立を防ぐ」とした建前が脆くも崩れたことがあり、一方でIBF・WBOを単純に公認するのではなく統一王座に限り認めることで王座の権威を保ちつつ世界戦のカードを多くする狙いがある。
[編集] 過去の日本人王者・挑戦者
日本人選手では、初代王座決定戦でIBF世界バンタム級王座を獲得した新垣諭が唯一のIBF王者である。その他では、1983年に春日井健がジュニアバンタム級初代王座決定戦で5回KO負け、1985年に川島志伸(川島郭志の実兄)が韓国でフライ級王者、権順天に挑戦して3回KO負け、1987年に川上正治が初代ミニマム級王座決定戦に出場し2回KO負け、同年ロンドンで元日本ウェルター級王者の亀田昭雄がジュニアウェルター級王者、テリー・マーシュに7回KO負け、などの記録が残っている。キックボクサー(新格闘術フライ級王者)の松田利彦は国際式ボクシング経験わずか3戦(戦績2勝1敗)で韓国でIBF世界ライトフライ級タイトルに挑戦している(4回KO負け)。史上唯一のJBCライセンス現受給者たるIBF世界タイトル挑戦者は前述の細野雄一。
2010年11月8日、元WBCミニマム級王者(JBCでは届出により引退扱い)の高山勝成が、同級王者のヌコシナチ・ジョイに挑戦する旨発表。マッチは2011年1月に南アフリカで開催されたが、偶然のバッティングで王座獲得ならず。
[編集] IBFの方針
[編集] 暫定王座を極力作らない
IBFは他の3団体とは異なり、暫定王座を極力作らない方針を採っている。1999年の贈収賄事件後にランキング見直しを施した際、より厳格な制度に改められ、以降は負傷など正当な理由のない暫定王座を設けていない(他3団体の暫定乱立はIBF事件以降特に激しくなった)。そのため、2010年までのIBF暫定王者はロビー・リーガン、フリオ・ディアス、ザブ・ジュダー、シャンバ・ミッチェル、ロバート・アレンの5名と極めて少ない。このうちリーガンとジュダーについては捜査が入る以前の暫定王者である。
現在では原則1・2位を空位として指名挑戦者決定試合を行っているが、これには「暫定王者決定戦とほとんど変わらない」と言う声もある。
[編集] 女子王座について
2009年にWBOが女子王座を認定したため、IBFはメジャーで唯一女子を認定していない団体となった。
だが、2010年にIBFもついに女子王座を認定する方針に転換。11月12日に最初のタイトルマッチとして初代ウェルター級王座決定戦を実施することを決めた。ジェニファー・レッツケとダニエラ・スミスの間で争われ、勝ったスミスが初のIBF女子王者となった。女子王座認定の背景には団体の経営悪化に伴い、王座承認料を多く獲得したいという意向が働いたと見られる。チャンピオンベルトは男子と同じ赤ではなく水色。
女子国際ボクシング連盟(WIBF)及び国際女子ボクシング連盟(IWBF)はいずれもIBFとは無関係である。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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