協栄ボクシングジム
協栄ボクシングジム 外観
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| 種類 | 株式会社 |
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| 市場情報 | 非上場
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| 略称 | 協栄 |
| 本社所在地 | 〒169-0072 東京都新宿区大久保1-8-8 |
| 設立 | 1976年6月16日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | ボクシングジムの運営 |
| 代表者 | 代表取締役会長 金平桂一郎 |
| 主要子会社 | プロスタッフ・協栄 協栄プロモーション |
| 関係する人物 | 金平正紀(創業者) |
| 外部リンク | http://kyoei-boxing.co.jp/ |
協栄ボクシングジム(きょうえいボクシングジム)は、東京都新宿区大久保にあるプロボクシングのジムである。経営に当たるのは株式会社協栄ボクシング。
目次 |
[編集] 沿革
フライ級・バンタム級のプロボクサーとして活動した金平正紀が現役時代から属した野口ジムのトレーナーを経て、プロテスト不合格の愛弟子・松田博幸(後にリングネーム・海老原博幸)を引き連れ1959年(昭和34年)の4月に「金平ボクシングジム」として東京都杉並区に設立、その後草加市の谷塚駅近く(移転後の跡は所属選手の実父で実業家の有澤二男が買い取り草加協栄を経て現在は草加有沢ジム)や渋谷区の代々木駅近くを経て現在地に。大阪帝拳、角海老宝石、ヨネクラ、三迫、新日本木村等と並ぶ、大手ジムや有力ジムの内の一つ。系譜としては「大日本拳闘会(神戸:嘉納健治) - 野口ジム(目黒:野口進)」の流れである。のちに協栄物産と提携して「協栄ボクシングジム」と名称変更した。過去にスポンサーの関係で『海外タイムス・ジム』『ベル協栄ボクシングジム』『ワールドスポーツ・クラブジム』の名称を使用していた時期がある。なお、これらスポンサーのうち『海外タイムス』は悪徳商法で社会問題となった豊田商事の関連企業。
初代会長は金平正紀。2代目であり現会長は、前会長の長男金平桂一郎。なお、正紀会長が追放(後述#毒入りオレンジ事件参照)されている間は高橋勝郎が代理を務めていた。現在のマネージャーは大竹重幸で、会長代行も兼ねる。日本アマチュアボクシング連盟にも加盟している。
[編集] 概要
先代の金平正紀会長はボクシングに対し愛情を持っており、彼の名言に「プロボクシングはビジネスだが、だからと言ってボクシングに愛情を失ってはいけない」「周りに何と言われようと、協栄から生まれたチャンピオン達が、引退後に世界・東洋・日本チャンピオンになれて良かったと思えるようにならなければいけない。そう思うようにしてやるのも私の仕事だし、思われなかったとしたら、それは私の責任だ」というものがある。
色々とスキャンダルに事欠かないジムであるが、正紀会長は協栄出身の世界王者から尊敬されており(具志堅用高とは一時決別したが、後に和解)、正紀会長が最後に育てた世界王者佐藤修は、世界王座を獲得したリング上で「故・金平会長、僕は協栄の9人目の世界王者になりました!」と叫ぶなど、先代会長は死後も選手たちに慕われている。
1989年、かねてから金平と親交の深かったスポーツ平和党党首で参議院議員になって間もないアントニオ猪木の紹介でソ連のアマチュアボクシングのトップ選手を獲得。翌年グッシー・ナザロフやチャコフ・ユーリとしてプロデビューさせた。1996年にも猪木の仲介で北朝鮮のアマチュアボクシングのトップ選手崔鉄洙を獲得。
また、女性を対象とした「シェイプボクシング」にも力を入れており、小池百合子[1]も受講している。2007年には女子プロボクシング本格的解禁を見据えてロシアの女子選手を招聘し、国内女子選手とのエキシビションを行う。このエキシビションに参加した藤本りえは後に協栄に移籍した。
さらに、1997年ごろシュートボクシング全日本カーディナル級初代王者大村勝巳を専属コーチに迎え、「K-1キョウエイジム」の看板を掲げてナゴヤドームでのK-1 JAPAN GPに参戦、また同じ時期の日本IBFの復活第1弾の興行で金平会長がリング上で挨拶、網膜剥離からの再起を期す飯泉健二にトレーニングの場を与えた。2007年には関連会社の協栄ワールドが現在のK-1興行会社であるFEGと業務提携を結んだ。
TBSとのタイアップでガッツファイティングを主催。かつてはテレビ東京とのタイアップでヒートアップボクシングも主催していた。
[編集] 系列ジム
- 協栄札幌赤坂ボクシングジム
グローバル協栄ボクシングジム(※会長のマック金平(協栄ジム初代会長の甥)の本家への背信行為を理由に協栄グループから事実上破門され、現在協栄ジム本体とは無関係になっている)- 協栄カヌマボクシングジム(現・石戸ジム)
- 博多協栄ボクシングジム
かつてのオーキッド・カワイ・ボクシングジムも協栄ジムとの提携で「横浜協栄ジム」を名乗り世界王者・花形進を輩出。
[編集] 選手
日本のジムで最多となる計11人の世界王者を生み出している。
[編集] ジム出身世界王者
- 海老原博幸(WBA・WBCフライ級)
- 西城正三(WBAフェザー級第18代)
- 具志堅用高(WBAライトフライ級第3代)
- 上原康恒(WBAスーパーフェザー級第20代)
- 渡嘉敷勝男(WBAライトフライ級第6代)
- 鬼塚勝也(WBAスーパーフライ級第5代)
- 勇利アルバチャコフ(WBCフライ級第28代)
- オルズベック・ナザロフ(WBAライト級第34代)
- 佐藤修(WBAスーパーバンタム級第25代)
- 亀田興毅(WBAライトフライ級第22代)
- 坂田健史(WBAフライ級第36代)
[編集] 主な現役選手
- 瀬藤幹人(スーパーバンタム級日本ランカー)
- 加藤壮次郎(ウェルター級日本ランカー)
- 松崎博保(スーパーフェザー級日本ランカー)
- 渡部あきのり(ウェルター級日本ランカー)
- 白石豊土(スーパーフライ級日本ランカー)
- 佐藤洋太(スーパーフライ級日本ランカー)
- 大迫亮(高校6冠。2007年5月、熊谷コサカジムより移籍)
- 森下勝巳(2006年西日本ライト級新人王、2009年1月新日本大阪ジムより移籍)
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- かつて在籍した現役選手
- サーシャ・バクティン(ロシア出身。2009年1月、沖縄ワールドリングへ移籍)
- 佐々木基樹(元日本スーパーライト級王者。2007年10月、東京帝拳へ移籍)
- 亀田大毅(世界タイトル戦での反則行為のためJBCよりライセンス停止処分を受け、その期間中の2008年5月9日付で契約解除、亀田ジムへ移籍)
[編集] 引退した主な選手
- 城アキラ(後のミュージシャンジョー山中)
- 喜友名朝博(元日本ライトフライ級王者。ライトフライ級で世界挑戦1度)
- フリッパー上原(元日本フェザー級王者。フェザー級で世界挑戦2度。上原康恒の実弟)
- 有澤茂則(結果的に塗り替えられたが、ライト級4回戦での1R13秒の最短KOタイムや5試合連続1RKOの日本記録を保持していた。カズ・コウジ有沢の父)
- シゲ福山(フェザー級で世界挑戦1度)
- 杉谷満(元フェザー級王者。フェザー級で世界挑戦1度。プロ野球選手杉谷拳士の父)
- 杉谷実(元日本スーパーライト級王者。杉谷満の実兄)
- 亀田昭雄(元日本ウェルター級、スーパーライト級王者。スーパーライト級で世界挑戦1度、他にJBC未公認のIBFにも1度挑戦)
- 田島吉秋(元日本ミドル級王者、元OPBF東洋太平洋ミドル級王者。スーパーミドル級で世界挑戦1度)
- 丸尾忠(元日本スーパーフライ級王者)
- 安里義光(元日本スーパーフェザー級王者)
- 中野吉郎(元日本ウェルター級王者)
- 渡久地隆人(ピューマ渡久地。元日本フライ級王者、元スーパーフライ級世界ランカー)
- 早山進(田中正人。元日本ライトフライ級王者)
- スラフ・ヤノフスキー(元日本スーパーライト級王者)
- 東京三太(ミゲル・アンヘル・ゴンザレス)
- ヘルマン・トーレス
- 藤本りえ(ジム初の日本人女子選手、初代OPBF女子東洋太平洋スーパーフライ級王者)
- 若林敏郎(後の協栄スポーツクラブ十日市場創業者)
[編集] 事件・批判
[編集] 黒い霧事件
1972年4月、西城正三やアベジム所属プロボクサーだった金沢和良のキックボクシング転向を巡り、協栄ジムと日本協会が対立。また、モハメド・アリ(当時はカシアス・クレイ)の初来日興行は協栄ジムに委託されたが、アリのプロモートには黒社会が関わっていたこと(後に来日興行を手掛けた興行師康芳夫がコメントした。)もあり金平会長は協会より除名された。5月に金平会長らの手により別の協会(団体名は同名。以下便宜上「第二協会」)を設立し分裂状態になった。
1976年11月に日本協会と第二協会が再統合され、1980年に金平会長は協会と正式に和解。協会会長に就任した。
[編集] 毒入りオレンジ事件
詳細は「毒入りオレンジ事件」を参照
1981年3月4日発売「週刊文春」が、協栄ジムの金平会長が、渡嘉敷勝男や具志堅用高の防衛戦の相手に薬物を混入したオレンジを食べさせたと暴露記事を掲載。騒動になった。日本のプロボクシング史上最悪の事件と言われる。この事件が原因で、金平会長は1982年にライセンスの無期限剥奪処分を受けボクシング界から追放された。1989年に処分が解除され、プロボクシング界に復帰した。
[編集] 協栄ジム所属選手の試合判定への批判
協栄ジムに所属する選手の試合の判定には、これまでいくつかの批判、抗議が寄せられている。
- 2006年8月2日に行われたWBA世界ライトフライ級王座決定戦の判定を巡って、協栄ジム、TBSをはじめ、ナイキ・ローソンなどの亀田スポンサーに多数の抗議が寄せられた[2]。
- 扶桑社発行の雑誌「SPA!」は、鬼塚が防衛に成功するごとに“今週の顔”のページにて鬼塚を批判する記事を掲載していた。
- 坂田の日本タイトルマッチの判定を巡って、事件が起きたこともある(大串事件)。
[編集] WBA親善試合で場外乱闘
2006年9月27日に行われた亀田大毅の試合後、判定結果を巡り、場外で観客同士の乱闘が発生。亀田史郎もこの乱闘に加担しようとし、関係者に止められた。この乱闘で、数人の観客が負傷して担架で運ばれるなどした。また、この試合はWBAのメンドサ会長も観戦しており、乱闘はメンドサ会長の近くで起こった。メンドサ会長はいち早く席を離れたため、怪我などは無かった。なお、史郎をはじめとする関係者は、会場となった後楽園ホールの所轄である警視庁富坂警察署から事情聴取を受けている。
[編集] WBC王者戦での反則行為
2007年10月11日に行われた、亀田大毅の内藤大助とのWBCフライ級王者戦において、協栄ジム側はWBCの規則に反する親族(史郎、興毅)のセコンド入りを強く主張、JBCに認めさせた。試合後には大毅の悪質な反則行為が問題となり、更に試合中に史郎、興毅が反則を指示していたことがTV中継の映像などから明らかとなった。JBCは同15日の倫理委員会にて、亀田親子にライセンス停止などの罰則を科すと共に、金平会長にも監督責任を認め3か月のクラブオーナーライセンスの停止措置を決定した。
