ドン・キング
ドン・キング(Donald "Don" King、1931年8月20日[1] - )は、アメリカ合衆国のプロボクシングプロモーター。ライバルのボブ・アラムと並んで著名な2大プロモーターとしてメディアで取り上げられることが多い。上方に逆立った独特のヘアースタイルで有名。
目次 |
来歴 [編集]
生い立ち [編集]
オハイオ州クリーブランド出身。ゲットー(アフリカ系アメリカ人居住区)で育ち、地元の中学と高校を経てケース・ウェスタン・リザーブ大学に進学した。同大学を中退後、合法、非合法を問わず様々な職を経験した。
「神の啓示」 [編集]
非合法なナンバー賭博のブックメーカー(胴元)を務めていた当時、使用人と金銭問題でトラブルになり殴り倒した相手が床に頭を強打して死亡。オハイオ州のマリオン群刑務所で1967年から1971年までの4年間服役した(模範囚であったため刑期は短かった)。
出所後、自宅ベッドへ横たわっている時に突如髪の毛が1本ずつ逆立ち始め「神の啓示を受けた」と語る。事実かどうかは別にして、本人は「神の啓示以来、髪の毛を切ったりセットしたりしたことはなく、触れることもない」としている[2]。
プロモーター [編集]
1974年10月30日にアフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)・キンシャサで、世紀の一戦と謳われたモハメド・アリとジョージ・フォアマンの対戦『キンシャサの戦い』(Rumble in the jungle)をプロモートしたことにより詐欺的手法で大金を手にしたと言われている。この一戦を契機に名の知れた存在となり、悪評も聞かれるようになった。また、アメリカでは数少ない成功したアフリカ系の起業家・ビジネスマンとしても知られている。
1989年のTVシリーズ『刑事コジャック』(新シリーズ、日本未放映)と1997年の映画『ディアボロス/悪魔の扉』に本人役でカメオ出演している。また、映画『ロッキー5』でリチャード・ガントが演じた悪徳ボクシングプロモーター「ジョージ・ワシントン・デューク」は、ドン・キングがモデルになっている。
人物・評価 [編集]
- やり手のプロモーター
- マイク・タイソンの世界ヘビー級タイトルマッチを手がけたり、他の階級では実現しても王座が剥奪される事が多い統一戦において、ヘビー級統一トーナメントを実現させるなどボクシング興行における立役者であり、やり手のプロモーターであるが、その一方で関係者からの評判は芳しくない。
- ファイトマネーを着服したとして世界ジュニアミドル級王者のテリー・ノリスや前述のマイク・タイソンから提訴されている。プロボクシングの有名選手はアフリカ系アメリカ人が多いため、交渉の際に人種差別の問題を強調して扇動することがあり批判されている。
- 80年代後半には総資産1000億円以上と「ドン・キングの真実」という本で暴露された。
- 近年は自身の高齢、元世界王者のオスカー・デラホーヤらが立ち上げたプロモート会社の『ゴールデンボーイ・プロモーションズ』の急速な台頭により往時と比べ影響力は下降気味にある。ドン・キングが金銭絡みで選手を不当に搾取するのに対し『ゴールデンボーイ・プロモーションズ』は選手経験のある役員が多く在籍するため比較的選手に対しての待遇が良いとされている。
- マイク・タイソンとの契約
- タイソンを育てた名トレーナーのカス・ダマトも彼を嫌っており、タイソンには「絶対に組んではいけないプロモーター」だと生前に助言していた。ダマトが死に、そしてダマトの次にタイソンが信頼していたジム・ジェイコブスが死んだ後、タイソンは助言を守ることなくドン・キングと契約した。
- なぜこれほど評判の悪いキングと契約したかについてだが、やはりドン・キングがタイソンと同じアフリカ系アメリカ人であるというのが最大の理由であるといえる(それ以前のタイソンのブレーンはダマトやジェイコブス、そしてビル・ケイトンなど全員ヨーロッパ系白人だった)。
- そしてもう一つの理由に、当時のヘビー級のトップボクサーのほとんどがドン・キングの契約下の選手であり、キングと契約することによって試合が組みやすくなるという事情も背景にあった。事実、ビル・ケイトンやジム・ジェイコブスなどダマト所縁の人物が、タイソンのマネージメントを担当していた頃も、主要試合のプロモーターはドン・キングであった試合が多い。
日本における活動 [編集]
1988年3月21日に東京ドームで行われたマイク・タイソンVSトニー・タッブス戦の挑戦者側プロモーターとして来日した。この際に、殺人の前科が問題となってビザがなかなか降りず、試合直前になるまで入国できなかった。試合直後、勝者タイソンをリング上で祝福する姿が多メディアで紹介され、日本においても多くの人に知られる存在となった。
1994年12月に行われた、薬師寺保栄VS辰吉丈一郎のWBC世界バンタム級統一戦で、両陣営がどちらも地元で試合を行いたい為、話がまとまらず、WBCによる入札になった際、両者とは何の接点も無いが、この入札に参加している。ただし、ドン・キング自身はプロモートするつもりはなく、落札した時は、どちらかに興行権を売るつもりでいたらしい。
1996年6月24日には、横浜アリーナで行われた竹原慎二VSウィリアム・ジョッピー戦のプロモーターを務めた。
2008年5月19日には、ディファ有明で行われたホセ・アルファロVS小堀佑介戦のプロモーターを務め、逆転KO勝ちで王座を奪取した小堀を大絶賛し、次の指名試合を東京ドームでやらせると言った。
同年12月、当時スーパーウエルター級7位だった石田順裕と5試合のマッチメイク契約を結んだ。
かつて日本テレビ系で放送されていた『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』にマイク・タイソンと共にゲストとして出演したこともある。
脚注 [編集]
- ^ ドン・キング・プロダクション公式サイトによるプロフィールより。IMDbでは1932年12月6日生まれとなっており生年月日については諸説ある。
- ^ Sports Graphic Number 222号 p.24
