シュガー・レイ・レナード
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | レイ・チャールズ・レナード |
| 通称 | シュガー、スーパーエキスプレス |
| 階級 | ウェルター級 - スーパーミドル級 |
| 身長 | 178cm |
| リーチ | 188cm |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1956年5月17日(55歳) |
| 出身地 | サウスカロライナ州ウイミルトン |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 40 |
| 勝ち | 36 |
| KO勝ち | 26 |
| 敗け | 3 |
| 引き分け | 1 |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子 ボクシング | ||
| オリンピック | ||
| 金 | 1976 モントリオール | ジュニアウェルター級 |
シュガー・レイ・レナード(Sugar Ray Leonard、1956年5月17日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。サウスカロライナ州ウイミルトン生まれ。本名はレイ・チャールズ・レナード。母親がレイ・チャールズのファンだったため命名したもの。のちにボクサーとして活動する際、尊敬するシュガー・レイ・ロビンソンにあやかって、シュガー・レイを名乗った。
モハメド・アリが去った米国ボクシング界に颯爽と登場し、デビュー直後からアリの後継者として絶大な人気を獲得。爆発的なスピードと芸術的なテクニック、優れたインテリジェンス、ロビンソンやアリの系譜に連なるスター性を併せ持ち、1970年代後半から1980年代にかけてのボクシング界を代表するスーパースターの座に君臨。「ヘビー級が動くが如く、ボクシングは動く」とされたボクシング界の常識を覆して、ロベルト・デュラン、マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズらと歴史的なビッグファイトを繰り広げ「黄金のミドル(中量級)」時代を盛り上げた。
目次 |
[編集] 来歴
- 1976年、モントリオールオリンピックでアンドレス・アルダマ(キューバ)を3R判定で下し、ライトウェルター級の金メダルを獲得。一時は引退も考えたが、1977年にプロデビュー。
- 1979年11月30日、無敗のままウィルフレド・ベニテスからWBC世界ウェルター級タイトルを獲得。
- 1980年6月20日、ロベルト・デュランに判定負けで王座から陥落するとともに、プロ初黒星を喫した。
- 1980年11月25日、ロベルト・デュランと再戦し、9回TKO勝ちで王座を奪回。
- 1981年6月25日、アユブ・カルレからWBA世界スーパーウェルター級タイトルを獲得し2階級制覇を達成するが、タイトル返上。
- 1981年9月16日、後にレナードと共に5階級制覇を遂げるWBA王者トーマス・ハーンズとのウェルター級王座統一戦で、序盤はハーンズにペースを握られるが14回に逆転TKO勝ち。WBAとWBCの王座を統一する。試合後に網膜剥離が発覚。
- 1982年11月、引退を発表。
- 1986年3月10日、マービン・ハグラー対ジョン・ムガビの解説をしていたレナードは当時最強のチャンピオンといわれたハグラーに勝てると確信し、現役復帰を決意する。1987年4月6日、ハグラーに挑戦し僅差の判定勝ちでWBC世界ミドル級タイトルを獲得。3階級制覇を達成する。
- 1988年11月7日、WBC世界ライトヘビー級王者ドン・ラロンデに9回TKO勝ちで新設されたWBC世界スーパーミドル級、ライトヘビー級の2階級の王座を同時に獲得。当時、史上初の主要団体での5階級制覇を達成した。しかし、これはライトヘビー級王者のラロンデをスーパーミドル級まで体重を落とさせてのスーパーミドル級王座決定戦に、ラロンデの持つライトヘビー級王座も賭けられるという、極めて異例の試合だったため、レナードの5階級制覇には懐疑的な意見もある。
- 1989年6月12日、WBO世界スーパーミドル級王者トーマス・ハーンズとの王座統一戦で引き分け。
- 1989年12月7日、ロベルト・デュランに判定勝ちし、WBC世界スーパーミドル級王座を防衛。
- 1991年2月9日、WBC世界スーパーウェルター級タイトル戦で王者テリー・ノリスに12回判定負けを喫した。試合後のリング上で引退を表明した。
- 1997年3月1日、IBC世界ミドル級タイトル戦で6年ぶりに現役復帰。ヘクター・カマチョに5RTKO負けを喫し、引退した。
[編集] エピソード
- ウェルター級歴代最速とも言われるスピードで、スーパーエキスプレスと称された。特にパンチの回転力がケタ外れに速く、ここぞという時のレナードの連打は、カメラが捉えきらないほどのスピードを見せた。
- デビュー戦から全米ネットワークでTV中継がされるなど、早くからスターとして注目され、全米で爆発的人気を誇った。その明るいイメージから少年少女にもファンが多く、デビュー当時、WBCウェルター級王者だったカルロス・パロミノの幼い息子も、レナードの大ファンだった。パロミノの友人が「坊やのパパは147ポンド級で、世界で一番強いんだよ」と言ったところ「パパがレナードより強いって?そんなの嘘だい」という返事があったという。
- ハーンズとの第1戦は、特に評価が高く、「20世紀最後のビッグファイト」と称され、ボクシング・マガジン2009年1月号「500号記念特集」において、歴代ベストバウトに挙げている。
- ハーンズとはレナード13戦目、ハーンズ12戦目の若手時代に一度対戦が内定したことがある。しかしアンジェロ・ダンディの反対によりこのマッチメイクは成立しなかった。代わりにレナードが対戦したのが、フロイド・メイウェザー・シニアである。
- ハグラーとの対戦での判定は、未だに論議を呼んでいる。試合後のダメージが、レナードの方がより大きかったためだが、特にブランクの影響で、中盤でのスタミナ切れが苦戦の要因と見られていた。その後、デュランとの第3戦に勝利したレナードが、次の対戦相手として、1990年に再戦を申し入れたが、ハグラーは拒否した。
- 「ケニー・G ライブ」(DVD/BMG JAPANより発売)にMCとして同行、登場する。サックス奏者ケニー・Gとの友人ぶりが見られる。
[編集] 獲得タイトル
- モントリオールオリンピックライトウェルター級金メダル
- 第11代WBC世界ウェルター級王座
- 第13代WBC世界ウェルター級王座
- 第65代WBA世界ウェルター級王座
- 第19代WBA世界スーパーウェルター級王座
- 第16代WBC世界ミドル級王座
- 初代WBC世界スーパーミドル級王座
- 第17代WBC世界ライトヘビー級王座
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 前王者 ウィルフレド・ベニテス |
第11代WBC世界ウェルター級王者 1979年11月30日 - 1980年6月20日 |
次王者 ロベルト・デュラン |
| 前王者 ロベルト・デュラン |
第13代WBC世界ウェルター級王者 1980年11月25日 - 1982年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ミルトン・マクローリー |
| 前王者 アユブ・カルレ |
第19代WBA世界ジュニアミドル級王者 1981年6月25日 - 1981年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 三原正 |
| 前王者 トーマス・ハーンズ |
第65代WBA世界ウェルター級王者 1981年9月16日 - 1982年11月9日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ドナルド・カリー |
| 前王者 マービン・ハグラー |
第16代WBC世界ミドル級王者 1987年4月6日 - 1987年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 トーマス・ハーンズ |
| 前王者 ドニー・ラロンド |
第17代WBC世界ライトヘビー級王者 1988年11月7日 - 1989年1月10日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 デニス・アンドリュース |
| 前王者 N/A |
初代WBC世界スーパーミドル級王者 1988年11月7日 - 1990年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 マウロ・ガルバノ |
| ボクシング競技オリンピック金メダリスト – ライトウェルター級 |
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1952: チャールズ・アドキンズ • 1956: ウラジミール・エンギバリャン • 1960: ボフミル・ニェメチェック • 1964: イェジー・クレイ • 1968: イェジー・クレイ • 1972: レイ・シールズ • 1976: レイ・レナード • 1980: パトリツィオ・オリバ • 1984: ジェリー・ペイジ • 1988: ヴィアチェスラフ・ヤノフスキー • 1992: エクトール・ビネント • 1996: エクトール・ビネント • 2000: マハマカジス・アブドゥラエフ • 2004: マヌス・ブンジュモン • 2008: フェリックス・ディアス |
