フロイド・メイウェザー・シニア
2009年、リッキー・ハットンvs.マニー・パッキャオの記者発表にて
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| 基本情報 | |
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| 本名 | フロイド・ジョイ・メイウェザー |
| 階級 | ウェルター級 |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1952年10月19日(60歳) |
| 出身地 | ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区 |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 36 |
| 勝ち | 29 |
| KO勝ち | 19 |
| 敗け | 6 |
| 引き分け | 1 |
フロイド・メイウェザー・シニア(Floyd Mayweather, Sr、男性、1952年10月19日 - )は、アメリカ合衆国の元プロボクサー、現トレーナー。本名はフロイド・ジョイ・メイウェザー(Floyd Joy Mayweather)。ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区出身。
世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザー・ジュニアは息子。世界2階級制覇王者ロジャー・メイウェザー、ジェフ・メイウェザーは弟。
プロボクサーとしては大成しなかったが、ボクシング史上に残る名ボクシングトレーナーとして知られる。
来歴 [編集]
1985年4月26日、USBA全米ウェルター級王座に挑戦するも、0-3の判定負けで王座獲得に失敗した。デビュー35戦目で初のタイトルマッチ出場となった。
世界ランカーであった時期に、当時米国ボクシング界のホープで後の五階級制覇王者シュガー・レイ・レナードと対戦したことがある。試合は10回にレナードの高速連打をあびTKO負け。
息子であるフロイド・メイウェザー・ジュニアにボクシングを教え、マネージャーも務めた。1998年にはマネージャー・オブ・イヤーに選出された。
ジュニアとはファイトスタイルを巡って対立し不仲となっていき、ジュニアが最初の世界王座(WBC世界スーパーフェザー級王座)を獲得すると、マネージャーを解雇された。後任にはロジャー・メイウェザーが就いた。
1993年、コカイン密売で有罪判決を受け、5年間服役した[要出典]。
ボクシングトレーナーとして、オスカー・デ・ラ・ホーヤ(2001年 - 2006年)、チャド・ドーソン、リッキー・ハットン、ホアン・グズマン、レイラ・アリなどを指導した。デ・ラ・ホーヤがジュニアと対戦した際には一時的に指導を取りやめた。
現在はセレスティーノ・カバジェロの専属トレーナーを務めている。
2011年にメイウェザー・ジュニアと和解し、ビクター・オルティス戦では試合の直前までアドバイスを送っている。
2013年からはメイウェザー・ジュニアのチームに復帰し、アシスタントマネージャーになる予定。

