マルコ・アントニオ・バレラ

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マルコ・アントニオ・バレラ
基本情報
本名 マルコ・アントニオ・バレラ・タピア
通称 ベビーフェイスド・アサシン
階級 スーパーフェザー級
国籍 メキシコ
誕生日 1974年1月17日(35歳)
出身地 メキシコシティ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 73
勝ち 65
KO勝ち 43
敗け 7
無効試合 1
  

マルコ・アントニオ・バレラMarco Antonio Barrera、男性、1974年1月17日 - )は、メキシコ出身のプロボクサーボクシング王国メキシコが誇る元3階級制覇の伝説的ボクサーの一人。「"Babyface Assassin"(童顔の暗殺者)」の愛称を持つ。貧困から抜け出す為にプロボクシングの道に進んだ歴代のメキシコ人世界王者とは異なり、バレラは裕福な家庭に育ち、弁護士になるためロー・スクールにも通っていたインテリボクサーである。キャリア前期はエキサイティングな倒し屋、中期以降は高い技巧を持つ攻防一体の選手であり、キャリア中に著しくスタイルが変わった選手としても知られる。同胞のエリック・モラレスファン・マヌエル・マルケス、そして永遠のライバルであるマニー・パッキャオらとの試合は全て死闘と呼ぶに相応しい死力を尽くしたファイトであり、中量級における数々のハイライトシーンを演出した。

キャリア途中でオスカー・デ・ラ・ホーヤが経営するゴールデンボーイ・プロモーションと契約した。メキシコにおいて同社を代表するGolden Boy Mexicoの社長で、ゴールデンボーイ・プロモーションの株を部分所有している。

兄のホルヘ・バレラも元プロボクサーで20勝8KO9敗3分の戦績を残し引退している。1997年にジョニー・タピアの持つWBOスーパーフライ級王座に挑戦し3ラウンドTKOで敗れた。

[編集] 来歴

1989年11月22日、15歳でプロデビュー。デビッド・フェリックスを2ラウンドTKOで仕留め白星でプロデビューを飾る。

1992年4月1日、ホセフィーノ・スアレスを12ラウンド判定で破り、メキシコのスーパーフライ級王座を獲得。

1994年4月13日川島郭志の持つWBC世界スーパーフライ級王座の挑戦権をかけて、後に世界2階級制覇を達成するカルロス・サラサール(アルゼンチン)と挑戦者決定戦を行い、計量失格になるも試合では大差判定勝ち。この後スーパーバンタム級に転級。

1995年3月31日ダニエル・ヒメネス(プエルトリコ)を12ラウンド判定で破り、WBO世界スーパーバンタム級王座を獲得。

1996年2月3日、元IBF世界スーパーバンタム級王者ケネディ・マッキニーと対戦し、4ラウンドにダウンを喫するも、その後相手を5回ダウンさせ、12ラウンドにTKOで勝利を収める。この試合は両者ともに高い気力・技巧・体力を発揮し、バレラのキャリア前期を代表する名試合として記憶されている。

1996年11月22日、元WBA世界バンタム級王者のジュニア・ジョーンズ(米国)戦の5ラウンド目に、バレラがダウンした際にマネージャーがリングに昇ってきて試合を止めたため、WBOルールにより失格負けとなり初黒星を喫する。1997年4月18日にジョーンズと再戦するも12ラウンド判定負けに終わる。初戦はKO負けに近い大番狂わせで、再戦はバレラ勝利と見た人も多かった。その後1年ほどボクシングを休業することになる。

1998年2月21日、アンヘル・ロサリオ(プエルトリコ)戦でボクシング界に復帰し、5ラウンドTKOで復帰戦を飾る。

同年10月31日、リッチー・ウェントン(英国)とWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦を戦い、3ラウンドTKOに下し再び王座に返り咲く。

2000年2月19日に同じメキシコ出身で人気を二分する同世代のボクサー、当時WBCスーパーバンタム級王者だったエリック・モラレスラスベガスで初めて対戦する。バレラは12ラウンド判定負けするも、この試合はリングマガジンの2000年度ファイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。また、この試合をWBC側は統一戦と認定しなかったが(マネージャーのリカルド・マルドナドとWBC会長のホセ・スレイマンの長年の確執の為。ただし、エリック・モラレスとのラバーマッチ前にマルドナドとのマネジメント契約を破棄している)、WBO側は認めていたため、モラレスはしばらく同級WBO王者に認定されることになる。しかしWBOはこの試合でバレラが負けたとされるのは間違っているとして、ジャッジの公式判定を無視しバレラを再び王者に認定することになる。

2001年4月7日、バレラは階級を上げて当時無敗街道を突き進んでいた人気ボクサー、ナジーム・ハメド(英国)と対戦し、12ラウンド判定で破る。バレラは質実剛健のボクシングを展開し、トリッキーで一発を狙うハメドを完全に抑え込んだ。初黒星を喫したハメドはこの試合後はアメリカ同時多発テロ事件による風評被害や、人身事故を起こして刑に服すなどトラブルが目立ち、事実上引退に追い込まれた。バレラへの高い評価は確定し、技巧と安定感を賞賛された。

2002年6月22日エリック・モラレスとWBC世界フェザー級王座戦で再戦し、12ラウンド判定勝ちでリベンジを果たす。バレラは勝ってもタイトルは受け取らないと試合前に表明していたため、ベルトは受け取らなかった(形式としては、王座獲得後に即日返上ということになっている)。

同年11月2日、旧友でもある元2階級世界王者ジョニー・タピア(米国)と対戦し、12ラウンド判定勝ちを収める。ほどなくして弁護士になる為に通学していたロースクールを退学する。

2003年4月12日、元WBC世界フェザー級王者のケビン・ケリーを4ラウンドKOで破る。

同年11月15日マニー・パッキャオ(比国)戦で11ラウンドTKOで敗北する。下馬評を覆す新鋭への敗北により、バレラはもうボクサーとして終わったと多くの識者が考えた。

2004年6月19日、元WBA世界バンタム級王者ポーリー・アヤラと対戦。10ラウンドTKO勝ちを収める。

同年11月27日エリック・モラレスとのラバーマッチで12ラウンド判定勝ちを収め、WBC世界スーパーフェザー級王座を獲得して3階級制覇王者となる。モラレスとの3試合は全て激闘の接戦だったが、この試合で2勝1敗として、パッキャオ戦で失った評価を再び取り戻す。

2005年9月17日ロビー・ピーデン(オーストラリア)を12ラウンド判定で破りIBF世界スーパーフェザー級王座も獲得し、2団体統一王者になる。

2006年5月20日、WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチにてリカルド・ファレス(米国)と対戦し、12ラウンド2-1の判定勝ちでタイトル防衛成功。

同年9月16日に、すぐさまリカルド・ファレスと再戦し、アウトボクシングを展開して今度は12ラウンド3-0の明白な判定勝利でタイトル防衛成功。

2007年3月17日、WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチにてファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦し、12R判定0-3で敗北し、タイトルを失う。

同年10月6日マニー・パッキャオとの再戦で12ラウンド判定0-3で敗北。試合後に一度は引退を表明した。

2008年7月、現役復帰とメキシコ人初の4階級制覇を視野に入れて、5年間に渡ってプロモート契約を結び、副社長の座にまで就いていたゴールデンボーイ・プロモーションとの契約を解消し、新たにドン・キングと5年間のプロモート契約を結んだ。

2008年11月7日中国サミー・ベンチュラを相手にライト級10回戦で現役復帰戦を行い、4RKO勝ち。

かつて彼のトレーナーを田中繊大が務めたことがあった。

2009年1月31日メキシコフロイト・ロハスと試合を行ったがフロイトは故意に目上をカットして3R失格となり勝利した。

2009年3月14日、イギリスの天才ボクサーアミール・カーンとWBAインターナショナルライト級タイトルマッチおよびWBOインターコンチネンタルライト級王座決定戦で対戦。1回に偶然のバッティングでカットするなどして、5回途中負傷判定負けを喫した。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

前王者
ダニエル・ヒメネス
第7代WBO世界ジュニアフェザー級王者

1995年3月31日 - 1996年11月22日

次王者
ジュニア・ジョーンズ
前王者
リッチー・ウェントン
第10代WBO世界ジュニアフェザー級王者

1998年10月31日 - 2000年(返上)

空位
次タイトル獲得者
アガピト・サンチェス
前王者
エリック・モラレス
第32代WBC世界フェザー級王者

2002年6月22日 - 即日返上

空位
次タイトル獲得者
エリック・モラレス
前王者
エリック・モラレス
第26代WBC世界スーパーフェザー級王者

2004年11月27日 - 2007年3月17日

次王者
ファン・マヌエル・マルケス
前王者
ロビー・ピーデン
第18代IBF世界ジュニアライト級王者

2005年9月17日 - 2006年5月(返上)

空位
次タイトル獲得者
カシアス・バロイ