アーロン・プライヤー

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アーロン・プライヤー
基本情報
通称 シンシナティの荒鷲
ビースト(野獣)
階級 ジュニアウェルター級
身長 168cm
リーチ 178cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1955年10月20日(58歳)
出身地 オハイオ州シンシナティ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 40
勝ち 39
KO勝ち 35
敗け 1
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アーロン・プライヤーAaron Pryor、男性、1955年10月20日 - )は、アメリカ合衆国の元プロボクサーオハイオ州シンシナティ出身。元WBAIBF世界ジュニアウェルター級(現スーパーライト級)王者。

歴代中量級ボクサーの中で最強の呼び声が高いボクサーの1人。デビュー以来36連勝のうち世界戦を含め26連続KO勝利の記録を持つ。そのボクシングスタイルは、おおよそ近代ボクシングらしからぬ荒々しいスタイルだが、野生の猛獣のようにしなやかな体と、無類のタフネス、相手が倒れるまでぶん殴る強打、そして無尽蔵のスタミナを生かした嵐のような連打を武器にアレクシス・アルゲリョアントニオ・セルバンテスらボクシング界に名を残す強豪を次々に打ち破っていった。現役時代の異名はシンシナティの荒鷲(The Hawk)、またはビースト(野獣)

また、息子のアーロン・プライヤー・ジュニアもプロボクサーである。 引退後は牧師となった。

来歴[編集]

1976年11月12日4RKO勝ちでプロデビュー。

ライト級で連勝を重ね1980年8月2日、1階級上のアントニオ・セルバンテスコロンビア)に4RKO勝ちし、無敗でWBA世界ジュニアウェルター級王座を獲得。以降リングの貴公子アレクシス・アルゲリョニカラグア)との2度の死闘を含め(いずれもKO勝ち)、8度防衛後、左眼の網膜剥離が発覚し王座を返上した。注目されたアルゲリョとの1戦目はいつも通りのインファイトを挑んだが後半は普段はあまり見せないアウトボクシングに徹し14Rにスタミナが切れてきたアルゲリョに連打を叩き込み失神させTKO勝ち、2戦目は序盤から主導権を握り1Rと4Rにダウンを奪い10Rにロープ際の連打で追い込み耐え切れなくなったアルゲリョがしゃがみ込んでKO勝ちの内容だった。1982年7月4日には亀田昭雄日本)と対戦し、ダウンを奪われるも6RTKO勝ち(5度目の防衛)

1983年10月25日同王座返上。

1983年USBA国際部(後のIBF)の設立時に初代世界ジュニアウェルター級王者に認定された。(プライアーは網膜剥離を患っていたが当時は身体検査が甘くまた同団体はスター選手を必要としていた)同タイトルは2度防衛後に返上。

1987年8月8日無名のボビー・ジョー・ヤングに7RTKO負け。(唯一の敗戦) 再起後3連続KO勝利するが1990年12月4日の試合を最後に引退した。

なお、現役時代、契約したマネージャーであるブディ・サロメにデビューから引退まで獲得したファイトマネーの半分を搾取され人気ボクサーでありながら全く華やかな生活を送ることができなかったという。アマチュア時代にはモハメド・アリに「もう世界王者並みの強さだ」と絶賛され後に5階級制覇を達成するトーマス・ハーンズに大差の判定勝ちをおさめるほどのエリートボクサーだったがモントリオール五輪の選考試合でハワード・デービスに敗れオリンピック出場はならなかった。(試合内容はプライアーの勝ちだったが敗れたのは彼の破天荒な性格と貧しく破綻した家庭環境が原因だったともいわれる。デービスはモントリオール五輪ライト級で金メダルを獲得、プロ転向するが世界王座は獲得出来なかった)ハーンズと同じく5階級制覇のシュガー・レイ・レナードとは互いにダウンを一度奪ったライバルだったという。

1991年7月26日、故郷のオハイオ州シンシナティコカインを売ろうとした容疑で逮捕され、約半年間刑務所に服役。その後、ドラッグリハビリセンターで出会った白人女性と結婚した。

戦績[編集]

アマチュア戦績:220戦204勝16敗

  • 通算戦績:40戦39勝(35KO)1敗
  • 世界戦戦績:11戦全勝(9KO)無敗

獲得タイトル[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
アントニオ・セルバンテス
第24代WBA世界ジュニアウェルター級王者

1980年8月2日 - 1983年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ジョニー・バンフス
前王者
N/A
初代IBF世界ジュニアウェルター級王者

1983年認定 - 1986年12月(返上)

空位
次タイトル獲得者
ゲーリー・ヒントン