ジェラルド・マクラレン

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ジェラルド・マクラレン
基本情報
通称 The G-Man
階級 ミドル級
身長 183cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1967年10月23日(46歳)
出身地 イリノイ州フリーポート
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 34
勝ち 31
KO勝ち 29
敗け 3
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ジェラルド・マクラレンGerald McClellan1967年10月23日 - )は、アメリカ合衆国の元プロボクサーイリノイ州フリーポート出身。元WBOWBC世界ミドル級王者。

ミドル級屈指のハードパンチャーで、31勝(3敗)のうちKO勝ちを29度(そのうち初回KOは20度)記録。

来歴[編集]

1988年8月12日、プロデビュー(初回KO勝ち)。

1989年、8回戦で2度の判定負けを経験。

1991年11月20日、世界初挑戦。WBO世界ミドル級王者ジョン・ムガビウガンダ)に挑み、初回TKO勝ち。25戦目で初の世界王者となった。翌1992年2月24日の初防衛戦でも初回TKO勝ちを収めた。

1993年5月8日、WBC世界ミドル級王者ジュリアン・ジャクソン米領バージン諸島)に挑み、5回TKO勝ち。2団体の世界王座統一を果たすが、この日のうちにWBO王座は剥奪された。以降は3度の防衛戦を全て初回KOまたはTKO勝ち。1994年12月、スーパーミドル級での世界挑戦決定に伴い王座返上。

1995年2月25日、敵地でWBC世界スーパーミドル級王者ナイジェル・ベン英国)に挑戦。初回、開始から1分足らずでいきなりダウンを奪う好スタートを見せたが、2回以降は王者も持ち直し、一進一退。そんな中、8回には右の強打で王者から2度目のダウン。しかし、その後の追撃はならず。迎えた10回、王者の右の強打をまともに浴びて遂にダウン。辛くも立ち上がったものの、王者のさらなる追撃にさらされ、程なくして2度目のダウン。ここから立ち上がることができず、そのまま10カウント。よもやの大逆転KO負けを喫してしまう。KO時は自力で歩いてコーナーに戻ったが、その直後に意識不明に陥り、すぐさま会場近くの病院へ搬送。検査の結果、脳内出血が確認され、緊急手術が施された。幸い一命は取りとめたものの、半身不随・失明、24時間の看護が必要な状態となってしまった。この試合でベンはマクラレンに度々ラビットパンチ(後頭部打ち)を行ったとされ、それを注意しなかったレフェリーと共に非難されることになった[1][2]

脚注[編集]

獲得タイトル[編集]

  • 第4代WBO世界ミドル級王座(防衛1)
  • 第21代WBC世界ミドル級王座(防衛3)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位

前タイトル保持者
クリス・ユーバンク

第4代WBO世界ミドル級王者

1991年11月20日 - 1993年5月8日(剥奪)

空位

次タイトル獲得者
クリス・ピアット

前王者
ジュリアン・ジャクソン
第21代WBC世界ミドル級王者

1993年5月8日 - 1995年(返上)

空位

次タイトル獲得者
ジュリアン・ジャクソン