レオン・スピンクス
1995年、セントルイスで行われたラストファイトにて
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | レオン・スピンクス |
| 通称 | Neon Leon |
| 階級 | ヘビー級 |
| 身長 | 185cm |
| リーチ | 193cm |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1953年7月11日(59歳) |
| 出身地 | ミズーリ州セントルイス |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 46 |
| 勝ち | 26 |
| KO勝ち | 14 |
| 敗け | 17 |
| 引き分け | 3 |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子 ボクシング | ||
| オリンピック | ||
| 金 | 1976 モントリオール | ライトヘビー級 |
| 世界ボクシング選手権 | ||
| 銅 | 1974 ハバナ | ライトヘビー級 |
レオン・スピンクス(Leon Spinks、男性、1953年7月11日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。元WBA・WBC統一世界ヘビー級王者
目次 |
人物[編集]
ミズーリ州セントルイス出身。ゲットー、プルーイット・アイゴー育ち。
弟は、元WBA・WBC・IBF統一世界ライトヘビー級、及び元IBF世界ヘビー級王者のマイケル・スピンクス。息子のコーリー・スピンクスもWBA・WBC・IBF統一世界ウェルター級、及びIBF世界スーパーウェルター級王者となった。
モントリオールオリンピック金メダリスト。
少々性格等に難があり、後述のラリー・ホームズとの世界戦の数日後に期限切れナンバープレートを付けた車で検問を受け、車内で見つかった拳銃の未登録所持と駐車料金不払いで逮捕されたり、ボクシングの歴代ヘビー級チャンピオンが集まったパーティでトレバー・バービックと壮絶な喧嘩をし、その映像が全世界に配信されたことがある。
来歴[編集]
1977年1月15日、プロデビュー。
1978年2月15日、モハメド・アリに判定勝ちし、WBA・WBC世界ヘビー級王座を獲得。その後、初防衛戦をアリと行いたいという理由から、WBCの指名試合を拒否し、WBCの王座を剥奪された。
1978年9月15日、モハメド・アリに判定負けし、WBA世界ヘビー級王座から陥落した。
1981年6月12日、ラリー・ホームズの持つWBC世界ヘビー級王座に挑戦するが、3ラウンドTKO負け。
1982年10月31日、NABF北米クルーザー級王座を獲得。
1985年12月13日、WBC米大陸ヘビー級王座を獲得。
1986年3月22日、ドワイト・ムハマド・カウィの持つWBA世界クルーザー級王座に挑戦するが、6ラウンドTKO負け。
1986年10月9日、日本の両国国技館において、アントニオ猪木と異種格闘技戦を行い、体固めでフォール負け。この試合は同じ日に行われた前田日明対ドン・中矢・ニールセンに何かと比較され、「世紀の凡戦」と酷評された。[要出典]
アメリカでも時期は不明だが、後に世界格闘技連合W★ING旗揚げシリーズに参戦するグレート・ウォージョと2度、異種格闘技戦を行い、2度とも反則負けを喫した。
1991年、プロレス団体FMWのシリーズに参加した。以降、たびたび来日して、大仁田厚らと戦った。金網デスマッチなども経験。
1995年12月4日の試合を最後に引退した。
引退後[編集]
日本でのプロレス活動を終え、帰国後に離婚と破産を経験。一時はホームレスとなり シェルターに身を寄せていた。その後各地を転々とし、レストランのボーイやボクシングジムのトレーナーなど様々な職を経て、現在はネブラスカ州コロンブスに住んでおり、地元のYMCAでの掃除夫とマクドナルドの荷物の積み下ろしで生計を立てている。ボクサー時代のダメージからと推定される認知症を発症している[1]。
脚注[編集]
- ^ a b “Leon Spinks is down, not out”. SFGate.com (2005年12月25日). 2013年6月6日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
| 前王者 モハメド・アリ |
第32代WBA世界ヘビー級王者 1978年2月15日 - 1978年9月15日 |
次王者 モハメド・アリ |
| 前王者 モハメド・アリ |
第6代WBC世界ヘビー級王者 1978年2月15日 - 1978年3月29日(剥奪) |
空位 次タイトル獲得者 ケン・ノートン |
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