リカルド・ロペス

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リカルド・ロペス
基本情報
本名 リカルド・ロペス・ナバ
通称 El Finito
階級 ミニマム級
身長 165cm
リーチ 165cm
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 1967年7月25日(46歳)
出身地 メキシコ モレロス州
クエルナバカ市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 52
勝ち 51
KO勝ち 37
敗け 0
引き分け 1
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リカルド・ロペス・ナバRicardo López Nava、男性、1967年7月25日 - )は、メキシコの元プロボクサー。元WBCWBAWBO世界ミニマム級王者。元IBF世界ライトフライ級王者。「小さな巨人」「エル・フィニート(素晴らしい)」などの異名を持った。

精密機械と形容されるほど正確無比で冷静で、なおかつ基本に忠実なボクシングスタイル。遠・中距離から伸びるワンツー・アッパーでKOの山を築いた。さらに、慎重な性格で素質に溺れることなく、普段の練習態度も非常に真面目で常日頃から努力を怠らなかった。その証拠に8年以上も同階級にとどまり続けられたのも普段からの節制の賜物である。

名門ルピータジムにてクーヨ・エルナンデスに一からボクシングを学び、クーヨ亡き後はロマンサ・ジムへ移りナチョ・ベリスタイン門下へ。Zボーイズルーベン・オリバレスを育てた名伯楽クーヨをして「傑作」と言わしめた。

漫画『はじめの一歩』でも彼をモデルとした最強のチャンピオン、リカルド・マルチネスが登場する。

来歴[編集]

アマチュア戦績40戦全勝を経て、1985年1月18日、プロデビュー。

1989年11月7日、WBCアメリカ大陸ミニマム級王座決定戦出場。同国人のレイ・エルナンデスを最終・12回TKOに降し、王座獲得。1990年3月15日には初防衛に成功。

1990年10月25日、無敗のまま27戦目で世界王座初挑戦。後楽園ホールでWBC世界ストロー級王者大橋秀行に挑む。4回に1度ダウンを奪うと、迎えた5回、王者に更なる追撃を浴びせ、2度のダウンを追加。王者が通算3度目のダウンから立ち上がろうとしたところでレフェリーストップとなり、新王者となった。翌1991年5月19日、静岡での初防衛戦では地元出身・平野公夫の挑戦を受け8回TKO勝ち。1992年10月11日、5度目の防衛戦では王座獲得を果たした後楽園ホールに再登場。台湾出身のロッキー・リン指名試合を行い、2回KO勝ち。日本での試合はこれが最後となったが、以降も日本での世界戦に出場する同国人選手の応援や韓国やタイでの遠征試合の調整などでたびたび来日。

1995年4月1日、「タバナス大塚」のリングネームで日本でも活躍しているアンディ・タバナス(フィリピン)を最終12回KOに降し、14度目の防衛に成功した後は負傷の影響で1年弱試合から遠ざかる。

負傷から復帰した後も防衛を重ね続け、1997年8月23日、20度目の防衛戦を迎える。WBO世界同級王者アレックス・サンチェスプエルトリコ)との統一戦となったこの試合も5回TKO勝ちを収め、遂にWBC王座防衛回数を20の大台に乗せるのと同時にWBO王座も獲得した。その後、WBO王座は防衛することなく返上。

1998年3月7日に行われたWBC王座21度目の防衛戦はWBA王者ロセンド・アルバレスニカラグア)との王座統一戦。前評判ではロペスが圧倒的に有利とされたが、2回にWBA王者の強打を受けてしまい、アマ・プロ通じて初のダウン。辛くも立ち上がり、試合続行に応じたものの、本来の調子とは程遠かった。そして、迎えた7ラウンド2分に、偶然のバッティングで右眉毛からまぶたまでをカットし出血する。レフェリーはドクターの診断を待つ間1ポイント減点を宣言、ドクターは続行の判断をし、残り50秒はファイトという掛け声とともにそのままの続行している。その7ラウンドの残り50秒の間に医師と隣に座っていたWBCホセ・スレイマン会長(ちなみにその隣はドン・キング)と傷の深さなど語ったとされる。ラウンド終了後間近で傷を見たトレーナーのナチョ・ベリスタインは、続行不可能と判断、ロペス本人はお決まりのガードを高く掲げるいつものポーズで8R始まりに戦闘続行の意思を示したものの、ナチョは同国人のスレイマン会長に状況を訴える。この間会場では観客同士の小競り合いが起こるほど騒然とした状態となる。スレイマンは医師の意見をもう一度確認した後、偶然のバッティングによる負傷判定と決断し結果は1-1(67-64、63-68、66-66)薄氷を踏む引き分け。お互いに王座防衛には成功したものの、ロペスにとっては生涯初のダウンを奪われた末に完璧な全勝レコードに初の引き分けを挟むことで傷をつける形になってしまった。しかしながら無理してでも続行して相手をKOまでいかなくてもダウンを奪うなど明らかな優位をつければよかったわけであり、この時点で、ナチョとスレイマンの同国人によって引き分けでもまだマシとの判断があったとされロペス優遇という結果に議論が巻き起こることになった。

同年11月13日、アルバレスと再戦。アルバレスが体重超過により計量で失格となり、WBA王座を剥奪された中での試合となった。ここでもロペスは5Rに右目尻を6Rには左目尻をカットし、10Rにはレフェリーのリチャードスティールがドクターストップか負傷判定かと医師に迫るくらいに顔の腫れ切り傷、出血が酷かった大苦戦を強いられる。最後は2-1(116-114、116-112、113-115)の12回判定勝ち。WBC王座22度目の防衛に成功すると同時にWBA王座も獲得した。その後、WBA王座は返上。

1999年IBFライトフライ級王者ウィル・グリッグスピー米国)への挑戦が決定したのに伴い、9月29日付で正式にWBC世界ミニマム級王座剥奪。9年弱保持し続けてきた王座に別れを告げた。

1999年10月2日、グリッグスビーに挑戦し、12回判定勝ち。プロ、ちょうど50戦目にして2階級制覇を達成したが、その後は負傷の影響で1年以上試合から遠ざかる。

2000年12月2日、1年2か月ぶりの初防衛戦。元IBF世界ストロー級王者でもあるラタナポン・ダッチボーイジムタイ)とマンダレイベイで対戦し、3回TKO勝ち。翌2001年9月29日、2度目の防衛戦では、ミニマム級時代に戦わなかった最後の対立王者である、元IBF世界ミニマム級王者ゾラニ・ペテロ南アフリカ)と対戦し、8回TKO勝ち。この試合を最後に2002年、王座在位のまま現役を引退。1つの引き分けこそあったものの、アマ・プロ通じ、1度の敗戦も経験することなくリングを去った。

獲得タイトル[編集]

戦績[編集]

  • アマチュアボクシング: 40戦 40勝 28KO
  • プロボクシング: 52戦 51勝 37KO 1分


日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1985年1月18日 3R KO ロヘリオ・エルナンデス メキシコの旗 メキシコ プロデビュー戦
2 1985年2月6日 2R KO アントニオ・アルシニエハ メキシコの旗 メキシコ -
3 1985年2月18日 2R KO セバスティアン・レイジェス メキシコの旗 メキシコ -
4 1985年3月8日 3R KO ハビエル・ドミンゲス メキシコの旗 メキシコ -
5 1985年6月27日 2R KO マヌエル・マルチネス メキシコの旗 メキシコ -
6 1985年8月2日 5R TKO ナルシソ・パンチ メキシコの旗 メキシコ -
7 1986年3月24日 1R KO レイジェス・メンデス メキシコの旗 メキシコ -
8 1986年5月1日 1R KO サンチャゴ・メンデス メキシコの旗 メキシコ -
9 1986年7月28日 8R 判定 エルミニオ・ラミレス メキシコの旗 メキシコ -
10 1986年10月6日 2R KO ホルヘ・フローレス メキシコの旗 メキシコ -
11 1986年12月8日 10R 判定 エルミニオ・ラミレス メキシコの旗 メキシコ -
12 1987年4月18日 10R 判定 アルフォンソ・リベラ メキシコの旗 メキシコ -
13 1987年7月31日 1R TKO アレックス・モラド メキシコの旗 メキシコ -
14 1987年8月15日 10R 判定 ハビエル・アロンゾ メキシコの旗 メキシコ -
15 1988年7月30日 1R KO フェルミン・リベロ メキシコの旗 メキシコ -
16 1988年8月27日 5R TKO エバリスト・モラレス メキシコの旗 メキシコ -
17 1988年11月12日 10R 判定 イスマエル・ベニテス メキシコの旗 メキシコ -
18 1989年1月27日 5R TKO バルド・ゴンザレス メキシコの旗 メキシコ -
19 1989年5月6日 10R 判定 ハビエル・スアレス メキシコの旗 メキシコ -
20 1989年5月30日 8R KO ホルヘ・トーレス メキシコの旗 メキシコ -
21 1989年7月8日 2R KO アベル・アンドレス メキシコの旗 メキシコ -
22 1989年8月4日 5R KO レイムンド・メンドサ メキシコの旗 メキシコ -
23 1989年8月26日 7R TKO ホセ・ルイス・セペダ メキシコの旗 メキシコ -
24 1989年11月7日 12R TKO レイ・エルナンデス メキシコの旗 メキシコ WBCアメリカ大陸ミニマム級王座獲得
25 1990年3月15日 8R TKO ホルヘ・リベラ メキシコの旗 メキシコ WBCアメリカ大陸ミニマム級王座防衛1
26 1990年6月29日 10R 判定 フランシスコ・モンティエル メキシコの旗 メキシコ -
27 1990年10月25日 5R KO 大橋秀行 日本の旗 日本 WBC世界ミニマム級王座獲得
28 1991年5月19日 8R TKO 平野公夫 日本の旗 日本 WBC世界ミニマム級王座防衛1
29 1991年12月22日 12R 判定 李敬渕 韓国の旗 韓国 WBC世界ミニマム級王座防衛2
30 1992年3月16日 12R 判定 プリティ・ボーイ・ルーカス フィリピンの旗 フィリピン WBC世界ミニマム級王座防衛3
31 1992年8月22日 5R KO シンプラサート・キティカセム タイの旗 タイ WBC世界ミニマム級王座防衛4
32 1992年10月11日 2R KO ロッキー・リン 台湾の旗 台湾 WBC世界ミニマム級王座防衛5
33 1993年1月31日 9R TKO 呉光洙 韓国の旗 韓国 WBC世界ミニマム級王座防衛6
34 1993年7月3日 2R TKO サマン・ソーチャトロン タイの旗 タイ WBC世界ミニマム級王座防衛7
35 1993年9月19日 11R TKO トートー・ポー・ポンサワン タイの旗 タイ WBC世界ミニマム級王座防衛8
36 1993年12月18日 11R KO マニー・メルチョル フィリピンの旗 フィリピン WBC世界ミニマム級王座防衛9
37 1994年5月7日 12R 判定 ケルミン・グアルディア コロンビア WBC世界ミニマム級王座防衛10
38 1994年9月17日 1R TKO ヨドシン・センガーモロコット タイの旗 タイ WBC世界ミニマム級王座防衛11
39 1994年11月12日 8R TKO ハビエル・バルゲス メキシコの旗 メキシコ WBC世界ミニマム級王座防衛12
40 1994年12月10日 1R TKO ヤミール・カラバリョ コロンビア WBC世界ミニマム級王座防衛13
41 1995年4月1日 12R KO タバナス大塚 フィリピンの旗 フィリピン WBC世界ミニマム級王座防衛14
42 1996年3月16日 8R KO アラ・ビラモア木村 フィリピンの旗 フィリピン WBC世界ミニマム級王座防衛15
43 1996年6月29日 3R TKO キティチャイ・ブリーチャ タイの旗 タイ WBC世界ミニマム級王座防衛16
44 1996年11月9日 6R TKO モーガン・ニドゥモ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 WBC世界ミニマム級王座防衛17
45 1996年12月7日 1R KO 朴明燮 韓国の旗 韓国 WBC世界ミニマム級王座防衛18
46 1997年3月29日 12R 判定 モンコン・LGジム タイの旗 タイ WBC世界ミニマム級王座防衛19
47 1997年8月23日 5R TKO アレックス・サンチェス ニカラグアの旗 ニカラグア WBC世界ミニマム級王座防衛20
WBO世界ミニマム級王座獲得/(返上)
48 1998年3月7日 7R 負傷引分 ロセンド・アルバレス ニカラグアの旗 ニカラグア WBC世界ミニマム級王座防衛21
49 1998年11月13日 12R 判定 ロセンド・アルバレス ニカラグアの旗 ニカラグア WBC世界ミニマム級王座防衛22
WBA世界ミニマム級王座獲得/返上
WBC世界ミニマム級王座剥奪(1999年9月29日)
50 1999年10月2日 12R 判定 ウィル・グリッグスピー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 IBF世界ライトフライ級王座獲得
51 2000年12月2日 3R TKO ラタナポン・ダッチボーイジム タイの旗 タイ IBF世界ライトフライ級王座防衛1
52 2001年9月29日 8R KO ゾラニ・ペテロ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 IBF世界ライトフライ級王座防衛2
IBF世界ライトフライ級王座返上(2002年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
大橋秀行
第5代WBC世界ミニマム級王者

1990年10月25日 - 1999年9月29日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
ワンディー・シンワンチャー
前王者
アレックス・サンチェス
第4代WBO世界ミニマム級王者

1997年8月23日 - 1997年(返上)

空位
次タイトル獲得者
エリック・ハミリ
空位
前タイトル保持者
ロセンド・アルバレス
第7代WBA世界ミニマム級王者

1998年11月13日 - 1998年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ノエル・アランブレット
前王者
ウィル・グリッグスピー
第11代IBF世界ライトフライ級王者

1999年10月2日 - 2002年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ホセ・ビクトル・ブルゴス