佐竹雅昭

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佐竹 雅昭
基本情報
本名 佐竹 雅昭(さたけ まさあき)
通称 さたやん
掟破りの空手家
怪獣王子
階級 ヘビー級ISKA
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1965年8月17日(48歳)
出身地 大阪府吹田市
身長 187cm
体重 105kg
スタイル フルコンタクト空手
プロキックボクシング戦績
総試合数 33
勝ち 19
KO勝ち 13
敗け 9
引き分け 5
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佐竹 雅昭(さたけ まさあき、男性1965年8月17日 - )は、日本の元格闘家政治活動家大阪府吹田市出身。大阪府立北千里高等学校関西外国語大学卒業。大学卒業後、テレビ局の内定を蹴って正道会館の職員となり、その後プロに転向した。

格闘技イベント「K-1」の創成期を盛り上げた立役者。1990年代空手、K-1の他リングスをはじめとした格闘プロレスに参戦する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組等でも活動。

正道会館を離れた後、京都にて総合打撃道 佐竹道場を開設する。

2008年現在は「平成武師道」という人間活学塾を設立し、同塾の総長を務める。 2013年には参議院選にも立候補するが惜敗。

自ら造った言葉「闘志天翔」(運命を己で切り開き、人生という闘いを通して更なる高みを目指す意味)を座右の銘とする。

来歴[編集]

中学時代に大山倍達の著書に感銘を受け空手の道を志す。17歳時に大阪天満にある正道会館総本部に入門し、2年で黒帯を取得した。正道会館入門前に福島区にあった極真会館関西本部に入門していたが、「道場の空気が肌に合わない」という理由で1か月で退会している。

大学在学中に全日本空手道選手権大会に出場し、4回生時(1987年)に初優勝。(その後3連覇、通算4度の優勝)

1990年6月30日全日本キックボクシングのリングで、ドン・中矢・ニールセンと対決。キック初挑戦ながら1R2分7秒、左ストレートでKO勝ちを収める。

1991年6月4日、空手界初の流派対抗戦「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」で「熊殺し」ウィリー・ウィリアムスと対戦。判定勝ち。

1991年からリングスに参戦し、本格的にプロ格闘家として活動を始める。1992年のリングスMEGA-BATTLE TOURNAMENT '92に出場し、1回戦で長井満也にKO勝ちしたものの、練習中に右胸骨を骨折し、2回戦を欠場。1992年11月13日のリングス大会でリング上から挨拶を行った。これを最後にリングス参戦は終了。

1992年1月12日、体重無差別グローブによる顔面パンチあり、肘打ちあり、掴みありの空手大会「第1回トーワ杯争奪カラテ・ジャパン・オープン」で優勝。翌1993年の第2回大会も制し二連覇。

その後正道会館が立ち上げた格闘技イベントや「K-1」の旗揚げに関わり、中心選手として精力的に活動する。

1993年6月25日、ドン・中矢・ニールセン(アメリカ)との王座決定戦で1R2分30秒でTKO勝ちし、UKF世界ヘビー級王者のタイトルを獲得。

1993年9月4日、佐竹の持つUKF世界ヘビー級タイトルとスタン・ザ・マンの持つWKA世界スーパーヘビー級タイトルのダブルタイトル戦で3-0判定勝ち(WKAルールではなかったため、タイトルは移動せず)。

1993年12月19日、東京・両国国技館で行なわれた「K-2 GRAND PRIX '93 風林火山 "山の章"」に参戦。スペシャルマッチ(3分5R)KICK世界スーパーヘビー級&ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座決定戦でジェフ・フォーランスを2R1分28秒TKO勝ちし、両王座獲得。

1994年4月30日、K-1 GRAND PRIX '94で決勝に進出するも、ピーター・アーツに判定で敗れ準優勝。

1995年5月4日、K-1 GRAND PRIX '95の準々決勝でジェロム・レ・バンナにKO負け。

1996年10月18日、K-1 STAR WARS '96で1年半ぶりに復帰するも、アンディ・フグに判定負け。

K-1 GRAND PRIX'97K-1 GRAND PRIX'98と決勝トーナメントに進んだが、それぞれ準々決勝においてアンディ・フグに左ハイキックで、ピーター・アーツに左膝蹴りでKO負けした。

1999年10月5日、K-1 GRAND PRIX '99の1回戦で武蔵と対戦し、ダウンを奪うも判定負け。その直後リングサイドにいた石井和義館長と結果を巡って激しい口論を交わした。この敗戦を最後にK-1および正道会館から離脱。

2000年よりPRIDEに参戦。

2002年4月28日、PRIDE.20クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、ジャーマン・スープレックス気味に投げられKO負けとなった。この投げで頭蓋骨骨折し病院で開頭手術を受け、背骨にもヒビが入る重傷を負った。

2002年11月17日、K-1主催のプロレスイベントファンタジーファイトWRESTLE-1にリングネーム「SATA...yarn」(さたやん)としてプロレスデビュー。アブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦し、大回転チョップなどを繰り出すも、毒針エルボーからの体固めで敗退した。

2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002吉田秀彦と対戦し、フロントチョークで一本負け。この試合をもってプロ格闘家としての現役を退く。

2003年1月19日、WRESTLE-1でアブドーラ・ザ・ブッチャーと再戦し、またしても毒針エルボーからの体固めで敗退した。

2003年に「総合打撃道」を掲げ、京都府京都市内に佐竹道場を構える。

2007年、京都の企業・会社・医院などの経営者を対象に「平成武師道」(へいせいぶしどう)なる人間活学塾を立ち上げる。人材育成・企業社員育成のほか、「平成武師道」を内容とした講演を各地・各企業で展開している。

参議院議員選挙出馬[編集]

2013年5月24日、自由民主党参議院全国比例区公認を受け第23回参議院議員通常選挙に立候補したが、7月21日の同選挙にて自民党圧勝の中で落選。[1] [2]

逸話[編集]

  • 中学時代は生徒会会長だった。
  • 1986年1月の吹田市の成人式の際は、新成人代表として壇上で挨拶をした。
  • 1992年から1994年にかけて、佐竹本人を主人公とした実録漫画『となりの格闘王』が、週刊少年チャンピオンで連載された。
  • トレーディングカードゲームであるマジック:ザ・ギャザリングをプレイしていたことがあり、関口宏の東京フレンドパークII出演時にダーツの景品としてBlack LotusとAncestral Recall(共に高額なレアカード)をリクエストしたことがある[1]
  • ゲーム雑誌「ゲーメスト」「メガストア」でコラムを連載していたことがある。内容には上記のマジック・ザ・ギャザリングの話題が多かった。
  • 前田日明を慕っており、1999年2月の前田の引退試合での対戦相手であったアレクサンドル・カレリンが来日しないという噂が事前に流れた時、対戦相手に立候補していた。試合は予定通りカレリンを相手に行なわれている。
  • 引退後、自著『まっすぐに蹴る』で正道会館の内幕を暴露し物議を醸した。具体的には石井和義による搾取の横行、正道会館の後輩が死亡事故に見舞われた事例(死亡者の実名が挙がっている)、角田信朗に人望が全くなく常に後輩から苦情を出されているという人物評などが記述されている。また、後輩である武蔵のリングネームを命名した経緯も記述されているが「やっぱり彼に『武蔵』はもったいない。僕の中ではやっぱり『タケゾウ』です」と辛辣な評を下しており、武蔵については概して「出来の悪い後輩」という内容である。
  • 得意技のひとつであるローキックの威力は多くの選手からも恐れられており、ピーター・アーツアーネスト・ホーストにも「K-1選手の中でもトップクラスの破壊力」と言わしめた。
  • K-1創成期当時、佐竹以外にヘビー級で戦える日本人がほとんどおらず、同じ階級の選手とスパーリングをするには海外に出張稽古に行くなど、ヘビー級選手としてまともにトレーニングができる環境ではなかった。そのため、自分のスパーリングパートナーを自ら育て上げなければならないという状況であった。
  • 基礎知識が無いまま中山猛夫と見よう見まねでキックボクシングの練習を続けた事、かわさずに正面から受ける空手の癖が抜けなかった事、そしてK-1(ヘビー級)での連戦によりパンチドランカーの症状を患う。
  • 第一回『筋肉バトル!スポーツマンNo.1決定戦』で佐竹は腕立て伏せを200回やり遂げたが、佐竹の腕立て伏せが視聴者から疑惑をもたれ、現在の腕立て伏せレースではあごをきちんとつけないとカウントされないというルールになっている。
  • 人気バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にもレギュラーメンバーとして出演していたが、後年ビートたけしからは『北野ファンクラブ』内で「ああいう奴が一番面白くない」と酷評されていた。
  • 正道会館時代、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』に何度か出演しているが、現在発売されているDVD版では佐竹の登場シーンはほぼ削除されており、仕方なく顔が映るようなカットも体格等で判別可能ではあるがすべてモザイク処理が施されて映らないようになっている。

主な戦績[編集]

総合格闘技[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 吉田秀彦 1R 0:50 フロントチョーク INOKI BOM-BA-YE 2002 2002年12月31日
× クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 7:07 KO(スラム) PRIDE.20 2002年4月28日
サム・グレコ 3分5R終了 INOKI BOM-BA-YE 2001 2001年12月31日
× セーム・シュルト 1R 2:18 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.17 2001年11月3日
× イゴール・ボブチャンチン 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE.15 2001年7月29日
× 安田忠夫 3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2 PRIDE.13 2001年3月25日
× 小川直也 2R 2:01 スリーパーホールド PRIDE.11 2000年10月31日
村上一成 1R 6:58 TKO(グラウンドでのパンチ) PRIDE.10 2000年8月27日
ポドリャチン・デニス 3分3R終了 判定3-0 ULTIMATE BOXING 旗揚げ戦 2000年6月11日
× ガイ・メッツァー 10分2R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 2000年5月1日
× マーク・コールマン 1R 1:14 ネックロック PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦 2000年1月30日
× ヘルマン・レンティング 不戦敗(右胸骨骨折) リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 2nd Round
【トーナメント 2回戦】
1992年11月13日
長井満也 1R 1:24 KO リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT '92 1st round
【トーナメント 1回戦】
1992年10月29日
ロブ・カーマン 3分5R終了 時間切れ リングス MEGA BATTLE SPECIAL 礎~ISHIZUE【グローブマッチ】 1992年8月21日
ピーター・ウラ 4R 1:02 KO リングス MEGA BATTLE 6th. 颯~HAYATE【グローブマッチ】 1992年7月16日
ウィリー・ピータース 3分5R+延長R終了 時間切れ リングス MEGA BATTLE 5th. 獅子吼~SHI SHI KU 1992年6月25日
バート・コップスJr 2R 2:09 KO リングス MEGA BATTLE 4th. 光臨~KOHRIN リングス旗揚げ1周年記念大会 1992年5月16日
ヘルマン・レンティング 7:29 KO リングス MEGA BATTLE 3rd. 雷~IKAZUCHI 1992年4月3日
フレッド・オーストロン 6:22 KO リングス MEGA-BATTLE 2nd. 息・吹~IBUKI 1992年3月5日
ジェラルド・ゴルドー 2R 2:13 反則 リングス MEGA-BATTLE 1st. 回天~KAITEN 1992年1月25日
ハンス・ナイマン 2分5R終了 引き分け リングス ASTRAL STEP FINAL BLAZE UP 炎上
【正道会館空手ルール】
1991年12月7日

キックボクシング(K-1含む)[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 武蔵 5R終了 判定0-3 K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦
【1回戦】
1999年10月5日
ゲーリー・グッドリッジ 3R 2:47 KO(左ローキック) K-1 SPIRITS '99 〜魂の戦い〜 1999年8月22日
ヨッキ・オバーホルツァー 3R 2:19 TKO(右ローキック) K-1 BRAVES '99 〜グランプリへの道〜 1999年6月20日
× マイク・ベルナルド 5R終了 判定0-3 K-1 REVENGE '99 1999年4月25日
× ピーター・アーツ 1R 2:40 TKO(左膝蹴り) K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【準々決勝】
1998年12月13日
グラウベ・フェイトーザ 5R終了 判定2-0 K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦
【1回戦】
1998年9月27日
中迫剛 3R終了 判定2-0 K-1 BUSHIDO '98
【JAPAN GP 決勝】
1998年8月28日
大石亨 2R 2:03 KO(左ミドルキック) K-1 BUSHIDO '98
【JAPAN GP 準決勝】
1998年8月28日
安生洋二 2R 1:02 TKO(右ハイキック) K-1 BUSHIDO '98
【JAPAN GP 1回戦】
1998年8月28日
× マット・スケルトン 1R 2:06 TKO(左ストレート) K-1 DREAM '98 1998年7月18日
武蔵 5R終了 判定0-0 K-1 BRAVES '98 1998年5月24日
モーリス・スミス 5R終了 判定0-0 K-1 KINGS '98 1998年4月9日
× アンディ・フグ 1R 0:15 KO(左ハイキック) K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦
【準々決勝】
1997年11月9日
ジャン・リビエール 再延長R終了 判定3-0 K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦
【1回戦】
1997年9月7日
鈴木政司 4R 1:17 TKO(タオル投入) K-1 DREAM '97
【JAPAN GP 決勝】
1997年7月20日
阿部修司 3R終了 判定3-0 K-1 DREAM '97
【JAPAN GP 準決勝】
1997年7月20日
清原定一 1R 1:33 TKO(右ストレート) K-1 DREAM '97
【JAPAN GP 1回戦】
1997年7月20日
カークウッド・ウォーカー 5R終了 判定3-0 K-1 FIGHT NIGHT '97 〜THE DECISION〜 1997年6月7日
× マイク・ベルナルド 2R 1:24 TKO(右フック) K-1 KINGS '97 1997年3月16日
× アンディ・フグ 5R終了 判定0-3 K-1 STAR WARS '96 1996年10月18日
× ジェロム・レ・バンナ 3R 2:32 KO(左フック) K-1 GRAND PRIX '95
【準々決勝】
1995年5月4日
キモ 2R 2:27 TKO(左ミドルキック) K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦
【1回戦】
1995年3月3日
× サム・グレコ 2R 1:27 KO(右フック) K-1 LEGEND 乱 1994年12月10日
ギャリー・サンドランド 2R 2:28 TKO(左ミドルキック) KARATE WORLD CUP '94
【スペシャルワンマッチ】
1994年10月2日
デニス"ハリケーン"レーン 2R 1:38 TKO(右ローキック) K-1 REVENGE
【WKA世界スーパーヘビー級タイトルマッチ】
1994年9月18日
× ピーター・アーツ 3R終了 判定0-3 K-1 GRAND PRIX '94
【決勝】
1994年4月30日
ブランコ・シカティック 3R終了 判定2-0 K-1 GRAND PRIX '94
【準決勝】
1994年4月30日
マイケル・トンプソン 3R 0:34 TKO(左膝蹴り) K-1 GRAND PRIX '94
【1回戦】
1994年4月30日
× アーネスト・ホースト 2R 2:45 KO(左ハイキック) K-1 CHALLENGE 1994年3月4日
ジェフ・フォーランス 2R 1:28 TKO(パンチ連打) K-2 GRAND PRIX '93 風林火山 "山の章"
【KICK世界スーパーヘビー級王座決定戦
&ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座決定戦】
1993年12月19日
スタン・ザ・マン 5R終了 判定3-0 K-1 ILLUSION 風林火山 "林の章"
【UKF世界ヘビー級タイトルマッチ】
1993年9月4日
ドン・中矢・ニールセン 1R 2:30 TKO(右フック) 聖戦 〜SANCTUARY III〜 風林火山 "風の章"
【UKF世界ヘビー級王座決定戦】
1993年6月25日
× ブランコ・シカティック 3R 0:45 KO(左フック) K-1 GRAND PRIX '93
【準決勝】
1993年4月30日
トド"ハリウッド"ヘイズ 2R 0:45 KO(右ローキック) K-1 GRAND PRIX '93
【1回戦】
1993年4月30日
クリス・ブランネル 2R 1:39 KO(右フック) 聖戦 〜SANCTUARY I〜 1993年3月30日
ピーター・アーツ 引き分け 格闘技オリンピックIII 〜カラテワールドカップ '92〜 1992年10月4日
アマッド・モハメッド 1R KO 闘志天翔 〜格闘技オリンピックII〜 1992年7月30日
ドン・中矢・ニールセン 1R KO 全日本キックボクシング連盟「INSPIRING WARS HEAT」 1990年6月30日

空手[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
アンディ・フグ 延長R終了 試し割り判定9-8 カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【決勝】
1993年10月3日
金泰泳 延長R 0:43 左上段膝蹴り カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【準決勝】
1993年10月3日
アダム・ワット 再延長R終了 判定3-0 カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【準々決勝】
1993年10月3日
パトリック・スミス 本戦 1:16 右中段突き カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章"
【1回戦】
1993年10月3日
金泰泳 判定  第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【決勝】
1993年1月31日
後川聡之 判定  第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【準決勝】
1993年1月31日
内田弥 KO  第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【準々決勝】
1993年1月31日
疋田芳浩 KO  第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【4回戦】
1993年1月31日
石川雄規 KO  第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【3回戦】
1993年1月31日
作本真二 KO  第2回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【2回戦】
1993年1月31日
稲葉紀之 延長 KO  第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【決勝】
1992年1月12日
阿部健一 判定  第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【準決勝】
1992年1月12日
村上竜司 KO  第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【準々決勝】
1992年1月12日
坂爪武史 判定  第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【3回戦】
1992年1月12日
秋山文生 KO  第1回トーワ杯争奪 KARATE JAPAN OPEN TOURNAMENT
【2回戦】
1992年1月12日
× ジェラルド・ゴルドー 試し割判定 カラテワールドカップ '91 第10回全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1991年10月10日
ウィリー・ウィリアムス 判定3-0 USA大山空手vs正道空手5対5マッチ 1991年6月4日
ピーター・スミット 判定 第9回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【1回戦】
1990年9月30日
柳沢聡行 判定 第7回ノックダウンオープントーナメント全日本空手道選手権大会
【決勝】
1988年9月18日
× 柳沢聡行 判定 梶原一騎追悼大会 格闘技の祭典'88カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【決勝】
1988年4月2日
青柳政司 一本 梶原一騎追悼大会 格闘技の祭典'88カラテリアルチャンピオン決定トーナメント
【2回戦】
1988年4月2日

ミックス(空手&キック)ルール[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
モーリス・スミス 4R終了 判定なし 硬派er 〜格闘技オリンピックI〜 1992年3月26日

獲得タイトル[編集]

  • 空手
    • 第3回全日本空手道選手権大会 第4位(1984年)正道会館主催(関西外語大学一回生時・初出場)
    • 第4回全日本空手道選手権大会 準優勝(1985年)正道会館主催(関西外語大学二回生時)
    • 第5回全日本空手道選手権大会 準優勝(1986年)正道会館主催(関西外語大学三回生時)
    • 第6回全日本空手道選手権大会 優勝(1987年)正道会館主催(関西外語大学四回生時・初優勝)
    • 第7回全日本空手道選手権大会 優勝(1988年)正道会館主催(2連覇)
    • 第8回全日本空手道選手権大会 優勝(1989年)正道会館主催(3連覇)
    • 第8回ストロングオープントーナメント重量級 優勝(1988年)士道館主催
    • 第1回リアル空手トーナメント 準優勝(1988年)
    • 第2回リアル空手トーナメント 優勝(1989年)
    • 第1回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会 優勝(1992年)
    • 第2回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会 優勝(1993年)
    • カラテワールドカップ'93 優勝(1993年)
  • キックボクシング(K-1含む)

芸能活動[編集]

映画[編集]

  • 1・2の三四郎(主演)東宝(1995年7月15日)
  • 極道甲子園(映画)RIKIプロジェクト(2004年4月25日)

テレビドラマ[編集]

テレビアニメ[編集]

バラエティ[編集]

特撮[編集]

ラジオ[編集]

音楽[編集]

  • 覇王咆哮(佐竹雅昭with林原めぐみ名義)CDアルバム。全9曲中6曲ボーカル、1曲林原めぐみとのデュエット。エース清水聖飢魔II)プロデュース。

その他[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 自民から佐竹氏出馬へ…参院選はタレント乱立?
  2. ^ Yahoo!みんなの政治 - 2013年参議院選挙結果 - 比例区 自民党

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前優勝者
初大会
第1回トーワ杯カラテジャパンオープン優勝

1992年1月30日

次優勝者
佐竹雅昭
前優勝者
佐竹雅昭
第2回トーワ杯カラテジャパンオープン優勝

1993年1月31日

次優勝者
後川聡之