西良典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西 良典(にし よしのり、1955年7月19日 - )は、日本の男性総合格闘家長崎県五島列島出身。拓殖大学柔道家木村政彦に師事。宮城県仙台市では東北柔道専門学校(現・仙台接骨医療専門学校)と大道塾に通う。

日本でも早くから総合格闘技に取り組み、大道塾の北斗旗空手道選手権で活躍、「北斗の覇王」と呼ばれた。のちに全日本キックボクシング連盟シュートボクシングトーワ杯リングスバーリ・トゥード・ジャパン・オープンにも参戦し、日本人として初めてヒクソン・グレイシーと試合を行うなどしたが、戦績は今ひとつ奮わなかった。1987年には「空手格斗術慧舟会」を設立、後進の育成にも力を注いでいる。

「負けることを恐れて闘いを止めることが一番の恥と認識し、これからも強くなりたいという男の夢を追い続けるつもりです」は名言。

一時期、長崎放送ラジオパーソナリティを務めたり、タウン誌エッセイを寄稿するなど、長崎のローカルタレントとしての側面も持っている。

目次

[編集] 来歴

[編集] 入江秀忠(キングダム・エルガイツ)との確執

2000年 - 2002年頃、「ヒクソンとの対戦」を半ば独りよがりに標榜していた「キングダム・エルガイツ」の入江秀忠は「ヒクソン・グレイシーと対戦経験のある人との対戦」を望み、それをクリアすることでヒクソンに近づくと考えていた。ほとんどの格闘家やプロレスラーは対戦を拒否したが、西は2001年5月2日のキングダム・エルガイツ「北沢タウンホール大会」での入江戦を了承した。ところが、対戦数日前になって西は腰の負傷を理由に欠場した(会場の壁には負傷の診断書が貼られていた)。入江と代役出場した選手との試合観戦及び負傷欠場の挨拶のために来場した西に対して、入江は「ケガが治ったら対戦することを約束してください」と悲壮感を漂わせながら訴えた(入江はよく悲壮感を漂わせた「涙のマイクパフォーマンス」をする)。そのパフォーマンスに怒りを感じた西は「うるさい!」(入江の解釈。実際には音響が良くなかったため何を叫んだか聞き取れなかった)と一言叫び、早々に会場を後にしてしまった。この騒ぎを、一部の格闘技専門誌は「あまりにもヒクソンと対戦した男ということばかり言う入江に対して、西良典が腹を立てて、古傷を悪化させたということにして対戦を拒否した模様」と検証していた。

[編集] エピソード

  • 東北柔道専門学校時代は、のちのプロレスラー武藤敬司とプロレスごっこに励んでいた。

[編集] 関連項目