吉田秀彦

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吉田秀彦
Hidehiko Yoshida IMG 7738 20130908.JPG
吉田秀彦(2013年)
基本情報
ラテン文字 Hidehiko Yoshida
日本の旗 日本
出生地 愛知県大府市
生年月日 1969年9月3日(44歳)
選手情報
段位 六段
 
獲得メダル
男子 柔道
オリンピック
1992 バルセロナ 78kg級
世界柔道選手権
1991 バルセロナ 78kg級
1993 ハミルトン 78kg級
1995 千葉 86kg級
1999 バーミンガム 90kg級
アジア柔道選手権
1988 ダマスカス 78kg級
2013年10月10日現在
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吉田 秀彦
基本情報
本名 吉田 秀彦
通称 黄金の柔道王
不死鳥柔道王
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1969年9月3日(44歳)
出身地 愛知県大府市
所属 吉田道場
パーク24
身長 180cm
体重 104kg
階級 ヘビー級ライトヘビー級
スタイル 柔道
テーマ曲 The Secret
未来 (HIDEKI)
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吉田 秀彦(よしだ ひでひこ、男性、1969年9月3日 - )は、日本柔道家総合格闘家愛知県大府市出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト。柔道六段。現在は吉田道場師範パーク24柔道部監督。

来歴[編集]

柔道[編集]

大府西中学校-講道学舎入門-世田谷区立弦巻中学校(中学3年時に転校) -世田谷学園高校-明治大学。その間、戦歴は1984年全中(-65kg級)準優勝、1987年インターハイ(軽重量級)優勝、1987、1988年全日本ジュニア(-78kg級)優勝、1988、1990年世界学生選手権(-78kg級)優勝など。

1991年から1997年まで新日鉄に所属。1992年バルセロナオリンピック(-78kg級)で金メダルを獲得した。

1997年から2002年まで母校明治大学の柔道部の監督を務める傍ら、2000年にはシドニーオリンピック(-90kg級)に出場。3回戦で対戦相手(ブラジルの旗 カルロス・オノラト)の投げを手をついて耐えた際に右肘関節脱臼の怪我を負い、敗退[1]。同時に敗者復活戦は不戦敗となった。

2002年、全日本柔道選手権への出場を最後に第一線から退き、自らの道場である吉田道場を設立、師範を務めている。また、同年、ゴールデンハート賞を受賞した。

総合格闘技[編集]

2002年8月28日、プロ格闘家デビューとなるDynamite!で、ホイス・グレイシーとレフェリーストップなしのジャケットマッチ特別ルールで対戦。吉田が袖車絞めの形に入った際に「(ホイスが)落ちた」とアピールし、レフェリーが試合をストップした。だが、ホイスはすぐに立ち上がり「タップしていない」と猛抗議し、レフェリーを突き飛ばすなど激昂。ホイス陣営は「レフェリーに試合を止める権利はないはずであり、ノーコンテストである」と抗議。結局、判定が覆ることはなかった。

2002年11月24日、プロ総合格闘技デビュー並びにPRIDEデビューとなるPRIDE.23ドン・フライと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002佐竹雅昭の引退試合の相手を務め、フロントチョークで一本勝ち。

2003年8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦で行われたミドル級GPの1回戦で田村潔司と対戦。田村の左フック、ローキックなどでダメージを受けながらも、最後は払い腰から袖車絞めで一本勝ち。田村のローキックで左膝にダメージを受け、試合後病院に直行した。

2003年11月9日、PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦で行われたミドル級GPの準決勝でヴァンダレイ・シウバと初対戦。打撃でも真っ向から攻め合い、グラウンドでは上になる場面もあったものの極めきれずタイムアップ、判定負け。

2003年12月31日、PRIDE 男祭り 2003でホイス・グレイシーと再戦。前回の対戦結果によりルールの徹底が図られた中で対戦であった。前回と違い道着の上を脱いできたホイスに防戦一方となり、道着を掴まれて動きを封じられなかなか有効な攻撃が出せないまま時間が過ぎ、10分2Rが終了。判定決着なしというルールにより引き分けに終わったものの、試合後のインタビューでは意気消沈する吉田、「決着が着いた」と歓喜のホイス、と明暗が分かれた。

2005年4月23日、PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦で行われたミドル級GPの1回戦でヴァンダレイ・シウバと再戦し、判定負けを喫した。

2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDの準々決勝でミルコ・クロコップと対戦し、生涯初のTKO負けを喫した。

2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006ではジェームス・トンプソンと対戦。柔道着を脱いで試合に臨んだ吉田だったが、トンプソンの打撃ラッシュの前にKO負けを喫した。

2008年3月5日、戦極旗揚げ戦戦極 〜第一陣〜ジョシュ・バーネットと対戦。3Rヒールホールドによりタップアウト負けを喫した。

2009年1月4日、戦極の乱2009菊田早苗と対戦し、判定負けを喫した。

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜石井慧デビュー戦の相手を務め、判定勝ちを収めた。

2010年4月25日、吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜にて愛弟子中村和裕を相手に引退試合を行い、0-3の判定で敗れた。

柔道へ復帰[編集]

プロ格闘家引退から1年が経過し、全日本柔道連盟への指導者登録が可能になったことを受け、2011年5月12日に時間貸し駐車場経営で有名なパーク24の柔道部監督に就任した。なお2年後にはプロ格闘家から選手への復帰も可能になることから、本人は指導者としてだけでなく現役選手としての復帰の可能性も示唆[2]。実際に2013年に現役選手として再登録を行い、同年6月の全日本実業団対抗大会に出場して本格的に現役復帰した[3][4]

人物[編集]

  • 格闘家生活と並行して、「VIVA JUDO!」というスポーツイベントを日本各地で開き、柔道の普及のために精力的に活動している。
  • 中村和裕瀧本誠らは、吉田道場に所属する吉田の弟子である。
  • ヴァンダレイ・シウバと対戦した際、2か月で13kgの減量をし、減量期間中に後輩を引き連れて焼き肉を食べに行ったが、後輩らが牛肉を食べている横でビールも飲まず、1人、鶏肉を食べていたらしい。
  • フェラーリ・F430スパイダーを所有。
  • グッチプラダスニーカーを愛用している。
  • 世田谷学園高校の後輩に元SIAM SHADE栄喜がおり、入場テーマ曲に栄喜の曲「The Secret」を使用している。
  • 所属事務所はJ-ROCK。本来は栄喜がソロ活動するために立ち上げた個人事務所に間借りする形で所属していた。しかし、いつの間にか吉田を中心とするアスリートたちが数多く所属する事務所になってしまい、栄喜は新たな事務所を作るためJ-ROCKを去ってしまった。
  • 高阪剛とは学生柔道時代からの友人。
  • 不良で、かなりケンカが強かったとテレビで放送された。
  • 芸能人格付けチェックでは2年連続で一流芸能人にランクされた。2008年度は関根勤、2009年度はGacktとペアを組んでいた。
  • バルセロナオリンピックの時、試合を10日後に控えていた先輩である古賀稔彦に全治1年の大ケガを負わせてしまった(練習相手が吉田だった)。その後「せめての罪滅ぼしに目の保養をしてもらおう」と選手村にあるヌーディストビーチに連れていったら、古賀は元気になったのかケガを負ったままで金メダルを獲得した(2009年11月12日放送の『ダウンタウンDX』で本人談)。
  • パチンコ店『ヒノマルグループ』のイメージキャラクター。

戦績[編集]

総合格闘技[編集]

総合格闘技 戦績
18 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
9 0 8 1 0 1 0
8 2 1 5 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 中村和裕 5分3R終了 判定0-3 吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜 2010年4月25日
石井慧 5分3R終了 判定3-0 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 2009年12月31日
× 菊田早苗 5分3R終了 判定1-2 戦極の乱2009 2009年1月4日
モーリス・スミス 1R 2:43 袈裟固め 戦極 〜第三陣〜 2008年6月8日
× ジョシュ・バーネット 3R 3:23 ヒールホールド 戦極 〜第一陣〜 2008年3月5日
× ジェームス・トンプソン 1R 7:50 TKO(タオル投入) PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- 2006年12月31日
× ミルコ・クロコップ 1R 7:38 TKO(タオル投入) PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND
【無差別級GP 準々決勝】
2006年7月1日
西島洋介 1R 2:33 三角絞め PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦
【無差別級GP 1回戦】
2006年5月5日
小川直也 1R 6:04 TKO(腕ひしぎ十字固め) PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- 2005年12月31日
タンク・アボット 1R 7:12 片羽絞め PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【スペシャルマッチ】
2005年8月28日
× ヴァンダレイ・シウバ 3R終了 判定1-2 PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2005年4月23日
× ルーロン・ガードナー 3R終了 判定0-3 PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 2004年12月31日
マーク・ハント 1R 5:25 腕ひしぎ十字固め PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND
【スペシャルマッチ】
2004年6月20日
ホイス・グレイシー 2R終了 判定なし PRIDE 男祭り 2003 2003年12月31日
× ヴァンダレイ・シウバ 2R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦
【ミドル級GP 準決勝】
2003年11月9日
田村潔司 1R 5:06 袖車絞め PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ミドル級GP 1回戦】
2003年8月10日
佐竹雅昭 1R 0:50 フロントネックロック INOKI BOM-BA-YE 2002 2002年12月31日
ドン・フライ 1R 5:32 腕ひしぎ十字固め PRIDE.23 2002年11月24日

特別ルール[編集]

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
ホイス・グレイシー 1R 7:24 TKO(レフェリーストップ:袖車絞め) Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立
【道衣着用ルール】
2002年8月28日

柔道のタイトル[編集]

出演[編集]

その他のテレビ番組[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 吉田秀彦選手の怪我について JOC公式サイト 2000年9月20日
  2. ^ 吉田が全柔連指導者登録「ヒーロー育てる」 - 日刊スポーツ・2011年5月12日
  3. ^ 吉田秀彦「43歳現役復帰の真相」語る - 東京スポーツ・2013年6月8日
  4. ^ 柔道復帰の吉田秀彦、4試合で一本勝ち 試合11年ぶり - 朝日新聞デジタル・2013年6月15日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]