松永光弘
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| 松永 光弘 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | 松永 光弘 |
| 本名 | 同じ |
| ニックネーム | ミスター・デンジャー |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 105kg |
| 誕生日 | 1966年3月24日(43歳) |
| 出身地 | 愛知県知多郡 |
| スポーツ歴 | 空手 相撲 |
| トレーナー | 青柳政司 |
| デビュー | 1989年10月6日 |
松永 光弘(まつなが みつひろ、1966年3月24日 - )は、日本のプロレスラー。愛知県知多郡出身。身長180cm、体重105kg。血液型O型。通称「ミスター・デンジャー」。
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[編集] 経歴
中京高等学校(現・中京大学附属中京高等学校)、中京大学出身。高校時代、相撲でインターハイ・ベスト32。大学時代に久島海と対戦経験がある。齋藤彰俊とは同期。
寛水流空手、誠心会館知多支部長(士道館杯にて全日本3位)を経てFMWの旗揚げに誠心会館所属として参戦、旗揚げ戦の1989年10月6日の名古屋市露橋スポーツセンター大会においてデビュー(対ビリー・マック戦)。
同年12月10日のFMW後楽園ホール大会で、ジェリー・ブレネマン(現 ジェリー・フリン)と組み、大仁田厚・ターザン後藤組と日本初の『有刺鉄線デスマッチ』を行う。
FMWへの継続参戦を望んでいたが、誠心会館の館長である青柳政司の指示によりやむなくパイオニア戦志に参戦する。団体が崩壊し、「先に新日に参戦していた青柳に、反旗を翻す」と云うギミックで新日本プロレスに参戦するものの、ほとんど試合を組んでもらえず離脱、その後世界格闘技連合W★INGに参加する事となる。
1992年2月9日、後楽園ホールにおけるザ・ヘッドハンターズとの試合中、対戦相手目掛けて2階バルコニー席からのダイブを敢行したことにより、「ミスター・デンジャー」と呼ばれるようになる。
1993年夏、W★INGの放漫経営に愛想を尽かし、FMWに再び移籍。大仁田厚引退後のデスマッチ路線を支える。
1996年春、FMWを退団し、主戦場を大日本プロレスに移す。1998年9月23日、同団体で「ワニデスマッチ」を行うが、「対戦相手」のワニは1mほどの小型のものであり、リングの内外に大きな脱力と失笑をもたらす結果となった。その他、自らが飼育するピラニアやサソリを動員したデスマッチも行っている。
この時期、大日本プロレスが新日本プロレスと対抗戦を行うが、松永は対抗戦を拒否している。以前、新日に参戦した時の扱いの悪さに不信感を抱き、もし参戦した時には同じ扱いをされるだろうと考え拒否したと本人は発言している(ただし、この発言に対し北野誠のように「松永の敵前逃亡だ」と批判する声もあった)。なお、もし参戦した場合、1997年1月4日の東京ドーム大会でグレート・ムタとの対戦が決まっていた。
1996年11月17日、有明コロシアムでダン・スバーンとバーリトゥード戦を行うが、脇固めによりギブアップ負け。雑誌のインタビューでは「ムタから逃げたと思われるのが癪だったから」と答えている。
2000年、K-1に参戦し、3月19日の横浜アリーナ大会で、グレート草津とK-1ルールで対戦。1ラウンドKO負け。
その後大日本からも離脱し、しばらくリングを離れていたが、2005年10月9日、ZERO1-MAXに参戦。健在をアピールするも、佐々木義人に敗北しゼロワンより追放。1年後に再登場、2006年9月22日大森隆男vs村上和成戦に乱入し村上とタッグを結成したものの、10月27日の試合で仲間割れを起こす。11月11日村上と有刺鉄線デスマッチで対戦するもTKO負けを喫して再度追放された。試合中にはセコンドのHikaruを凶器で流血させた事もある。
2007年後半頃よりZERO1-MAX入団を大谷晋二郎(この年から社長に就任)に直訴。2008年1月24日、大谷と「入団査定マッチ」として「“地獄の針山”畳針デスマッチ」で対戦し敗北したが大谷からその戦い振りを評価され、2月8日ZERO1-MAXへの入団を果たすも即寝返り、大谷を襲撃し、デスマッチでの決着戦をアピール。5月17日の埼玉桂スタジオ大会で、大谷と「ガラスレイン鉄球地獄デスマッチ」で決着戦を行うも敗北し、この1戦を最後に第一線から身を引くことを発表した。
空手と相撲をバックボーンとするが、プロレスのリングではひたすらにデスマッチスタイルを好み、独創性に富んださまざまな自作凶器をリングに持ち込んでは自ら進んでその餌食となり壮絶なやられっぷりを見せるという、特異なファイトスタイルで知られる。有刺鉄線バットを自らの足に装着して仕掛ける(当然自分も痛い)『W★ING式サソリ固め』などは語り草となっている。また、デスマッチにおいては、他選手のようなTシャツ着用を良しとせず上半身裸で臨む気概を見せる。まれに道着を着込むこともあるが、その時は着衣に火をつけられて火だるまになる。
[編集] 人物
フリーのレスラーとして活躍する一方、職業としてのプロレスに不安を抱き、1997年、東京都墨田区において「ステーキハウス・ミスターデンジャー」を開店し、以後試合のない日は自ら厨房に立ちステーキを焼いている。写真を頼むとわざわざ厨房の中から出てきてポーズを取ってくれる等、サービス精神も旺盛である。プロレスファンの溜まり場では無く、あくまで地元に根付いた店作りを目指していた為、オープン当初は店の場所を公表しなかったが(しかしながら、その当時でも店内にレスラーのサインが飾られていた)、店の経営が軌道に乗った現在は公表している。一時期、水道橋に支店を開いたが、本店と同じ味を維持出来なくなったと云う理由から閉店した(ただし、後に執筆した著書によると、相当な内紛があった様子)。同店を立ち上げる際には江東区を中心に展開するステーキレストラン「ステーキの志摩」においてステーキビジネスを基礎から学ぶという、およそプロレスの試合スタイルとはかけ離れた堅気さを見せる。志摩での修行初日、店長が出勤する前に店の掃除を全て済ませて意気込みを見せた、という逸話もある。
趣味は熱帯魚(特に大型魚)飼育。自宅の居間には大型水槽が6本あり、うち1本はエサの金魚用。フィギュア作成が趣味の金村キンタローに対して「お前、そんな生きてない物を相手にして楽しいのか?」と言ったこともある。(ちなみに金村もペットは飼っている。)
傷の回復力を高めるため、酒、煙草は一切やらない。
[編集] 関連人物
[編集] 得意技
- デンジャー・ボム
- 各種凶器攻撃
[編集] タイトル歴
- W★ING認定タッグ
- 世界ブラスナックルタッグ
- NAWA北米ヘビー
- BJW認定デスマッチヘビー級王座 : 2回(第2代、第13代)
[編集] 著作
- ミスター・デンジャー プロレス危険地帯 (1998年・長崎出版) ISBN 4930695821
- 人生の壁を破る50の反則(2007年・オークラ出版) ISBN 9784775510445

